私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
過ぎし10の土曜日の朝、ぼんやりとNHKのテレビのニュースを視聴していたら、
《・・お盆をふるさとや行楽地で過ごす人たちの帰省ラッシュは10日がピークとなり、
各地の高速道路は、朝早くから渋滞が始まっています。
また新幹線と国内の空の便も午前中から混み合う見通しです。・・》
確かこのようなことを麗(うるわ)しき若き女性のキャスターが報じていたので、
お盆休みが始まった、と私は教えられた・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいるが、
私の故郷(ふるさと)の生家は、私が今住んでいる近くであり、お盆は8月1日の変則地域で、
私たち夫婦は実家の長兄宅を訪れ、長兄夫婦、親戚の方たちと談笑した後、お墓参りをしてきた。
家内の実家は、千葉県の近郊都市の八千代市なので、
これといって遠い故郷は、私たち夫婦は無縁となっている。
その上、私の両親も亡くなり、家内の父も死去し、天上の人となり、
家内の母は私より14歳の齢上で、身体は衰えあるが心は溌剌で独り住まいとなっている。
このような状況となっているので、帰省ラッシュは私たち夫婦にとっては、
遠い世界の出来事と感じたりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/22/cb3570daf2a4cac34090c868780ee191.jpg)
しかしながら私は、サラリーマンの現役時代に於いて、
友人、知人たちが会社の夏期休暇を利用して、故郷(ふるさと)の生家に帰省するのを、
羨(うら)やんだりしていたこともあった。
この根底のひとつとして、夏季、年末年始に帰省するたびに、
自分の過ぎた半年を回顧したり、今後の心の整理に良いのではないか、と想像を重ねたりしていた。
こうした中で、生家のご両親に逢われ、或いは兄弟の親睦、友人、知人たちの再会、
と良い環境と思ったりしていたが、ある一面は何かと大変な面も教えられた・・。
しかし、良きことが多い、と感じたりしている。
いずれにしても、せっかくの貴重なお盆休みの休暇の時、往還の交通は混雑でお気の毒であるが、
ご無事で帰京されること祈願したりしていた。
このように心情を思い馳せると、私は毎年ひとつの歌を心の中で思い浮かべてしまう。
文部省唱歌となっている『故郷(ふるさと)』であり、遊歩道を散策して、
人影のない所で、時折かぼそい声で唄ったり、或いは心の中で呟(つぶや)くように唄ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/d0/8b6b94fb129144bcd6247520cee0869b.jpg)
私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した1951〈昭和26〉年の春の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして田んぼの中核に湧き水もあり、この周囲にミソハギの朱紅色の花が咲き、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/80/033315a106f65b1a4670dea5ab4d95b1.jpg)
この湧き水からは小さな川に注(そそ)ぎ、この川から長兄、次兄は鰻(うなぎ)をときおり獲ったりした。
この近くに蓮(ハス)専用の半反(約150坪)ぐらいの田んぼがあり、この時節は純白の蓮の花が咲いていた。
母屋の周囲には蔵、納戸小屋が二つばかりあり、周辺に竹林、雑木林があり、
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖と小学校の先生たちは称していた。
この頃の生家から徒歩15分ぐらいに最寄りの駅があり、
駅に接近した商店街を5分ばかり離れると、周辺は平坦な田畑が拡がる中、雑木林、竹林も多く、
のどかな田園地帯であった。
このような心情を秘めている私は、
高度成長期の頃から、地方出身の方たちが、大都市で勤務し、近くに生活されている方の中で、
多くの方たちが夏のお盆に帰省され、心を癒す、ことに思いを重ねてしまうのである。
もとより時代は激しく変貌し、私の住む周辺でも田園地帯から住宅街に
1955(昭和30)年頃から急激に変貌し、この当時の私は少年期であったので、
この地域の余りの急速な変貌に驚いたり、ときには悲しみを覚(おぼ)えたりした。
このような思いも重ねれば、そりぞれの地方出身の方たちも、
生家の周辺の大きく変貌し、帰省するたびに驚きを隠せない、と私は想像したりする。
このような思いをしていた私は、失われた故郷(ふるさと)の情景、
そして過ぎ去った自身の60年近くの時の流れに愛惜を重ね、
♪兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)
・・(略)・・
♪山は青き 故郷
水は清き 故郷
【『故郷(ふるさと)』・・作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一作曲 文部省唱歌(六年)】
この時節になると、『故郷(ふるさと)』の歌が想いだされてしまい、心の中で呟(つぶや)くように唄ったりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪strong>
にほんブログ村
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1661_1.gif)
過ぎし10の土曜日の朝、ぼんやりとNHKのテレビのニュースを視聴していたら、
《・・お盆をふるさとや行楽地で過ごす人たちの帰省ラッシュは10日がピークとなり、
各地の高速道路は、朝早くから渋滞が始まっています。
また新幹線と国内の空の便も午前中から混み合う見通しです。・・》
確かこのようなことを麗(うるわ)しき若き女性のキャスターが報じていたので、
お盆休みが始まった、と私は教えられた・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいるが、
私の故郷(ふるさと)の生家は、私が今住んでいる近くであり、お盆は8月1日の変則地域で、
私たち夫婦は実家の長兄宅を訪れ、長兄夫婦、親戚の方たちと談笑した後、お墓参りをしてきた。
家内の実家は、千葉県の近郊都市の八千代市なので、
これといって遠い故郷は、私たち夫婦は無縁となっている。
その上、私の両親も亡くなり、家内の父も死去し、天上の人となり、
家内の母は私より14歳の齢上で、身体は衰えあるが心は溌剌で独り住まいとなっている。
このような状況となっているので、帰省ラッシュは私たち夫婦にとっては、
遠い世界の出来事と感じたりした・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/22/cb3570daf2a4cac34090c868780ee191.jpg)
しかしながら私は、サラリーマンの現役時代に於いて、
友人、知人たちが会社の夏期休暇を利用して、故郷(ふるさと)の生家に帰省するのを、
羨(うら)やんだりしていたこともあった。
この根底のひとつとして、夏季、年末年始に帰省するたびに、
自分の過ぎた半年を回顧したり、今後の心の整理に良いのではないか、と想像を重ねたりしていた。
こうした中で、生家のご両親に逢われ、或いは兄弟の親睦、友人、知人たちの再会、
と良い環境と思ったりしていたが、ある一面は何かと大変な面も教えられた・・。
しかし、良きことが多い、と感じたりしている。
いずれにしても、せっかくの貴重なお盆休みの休暇の時、往還の交通は混雑でお気の毒であるが、
ご無事で帰京されること祈願したりしていた。
このように心情を思い馳せると、私は毎年ひとつの歌を心の中で思い浮かべてしまう。
文部省唱歌となっている『故郷(ふるさと)』であり、遊歩道を散策して、
人影のない所で、時折かぼそい声で唄ったり、或いは心の中で呟(つぶや)くように唄ったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/d0/8b6b94fb129144bcd6247520cee0869b.jpg)
私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した1951〈昭和26〉年の春の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして田んぼの中核に湧き水もあり、この周囲にミソハギの朱紅色の花が咲き、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/80/033315a106f65b1a4670dea5ab4d95b1.jpg)
この湧き水からは小さな川に注(そそ)ぎ、この川から長兄、次兄は鰻(うなぎ)をときおり獲ったりした。
この近くに蓮(ハス)専用の半反(約150坪)ぐらいの田んぼがあり、この時節は純白の蓮の花が咲いていた。
母屋の周囲には蔵、納戸小屋が二つばかりあり、周辺に竹林、雑木林があり、
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖と小学校の先生たちは称していた。
この頃の生家から徒歩15分ぐらいに最寄りの駅があり、
駅に接近した商店街を5分ばかり離れると、周辺は平坦な田畑が拡がる中、雑木林、竹林も多く、
のどかな田園地帯であった。
このような心情を秘めている私は、
高度成長期の頃から、地方出身の方たちが、大都市で勤務し、近くに生活されている方の中で、
多くの方たちが夏のお盆に帰省され、心を癒す、ことに思いを重ねてしまうのである。
もとより時代は激しく変貌し、私の住む周辺でも田園地帯から住宅街に
1955(昭和30)年頃から急激に変貌し、この当時の私は少年期であったので、
この地域の余りの急速な変貌に驚いたり、ときには悲しみを覚(おぼ)えたりした。
このような思いも重ねれば、そりぞれの地方出身の方たちも、
生家の周辺の大きく変貌し、帰省するたびに驚きを隠せない、と私は想像したりする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/36/7845be5064e23658d297d1363440e1f3.jpg)
このような思いをしていた私は、失われた故郷(ふるさと)の情景、
そして過ぎ去った自身の60年近くの時の流れに愛惜を重ね、
♪兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷(ふるさと)
・・(略)・・
♪山は青き 故郷
水は清き 故郷
【『故郷(ふるさと)』・・作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一作曲 文部省唱歌(六年)】
この時節になると、『故郷(ふるさと)』の歌が想いだされてしまい、心の中で呟(つぶや)くように唄ったりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪strong>
![にほんブログ村 シニア日記ブログへ](http://senior.blogmura.com/img/senior88_31.gif)
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_1661_1.gif)