私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んだ後、パソコンを開いた。
私の場合は、トップベージには【YAHOO! JAPAN】に指定しているが、
このページには『トピックス』として主要な記事の見出しが羅列されている。
この中のひとつとして、『ゆとりある老後 必要な資金は』と見出しされていた・・。
私は年金生活を享受しているが、やはり気になり、クリックしてしまった・・。
この直後、『貯蓄:「ゆとりある老後」に必要な資金は、1億1856万円』と表題され、
年金生活を邁進している私は、今頃になって『1億1856万円』必要と教示されても、
と困苦して、戸惑ったりした。
そして記事の提供元は、ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』であり、
私も特集記事に魅了された時に買い求めることもあるので、信頼できる内容が多いのであるが、
私は戸惑いながら、どうして『1億1856万円』が必要なのょ、と思いながら記事を精読した・・。
ジャーナリストの山本信幸さんの寄稿文を無断ながら、長く引用させて頂く。
《・・(略)・・
定年後の生活にいくら必要か? という質問にひと言で答えるなら「1億円」である。
大卒社員の生涯賃金の3分の1に相当するお金を、老後のために確保することなんてできるのだろうか?
まずは老後の生活には毎月いくらかかるかという話から始めよう。
2010年度の総務省・家計調査報告によると、
夫65歳以上、妻60歳以上の高齢無職世帯の夫婦の1カ月の平均支出が26万4948円。
対する収入は22万3757円。毎月4万1191円の赤字である。
ここで注目すべきは「年金面では恵まれているリタイヤメント世代でも、
公的年金だけでは生活ができない」ところにあるとFP(ファイナンシャルプランナー)の大竹のり子氏は指摘する。
しかも「収支が赤字になる状況は、現役世代がリタイヤする頃になっても解消されないどころか、
もっと厳しい状態になる」(大竹氏)ことはほぼ確実だ。
この生活で夫婦ともに90歳まで生きると仮定して、60歳以降、年金以外に必要なお金は約3000万円だ。
ところがこの平均的な支出では、旅行やレジャー、趣味を楽しむゆとりのある生活はできないと多くの人は考えている。
2010年度「生活保障に関する調査」(生命保険文化センター)によれば、
夫婦で老後にゆとりある生活を送るには36万6000円の収入が欲しいという。
その場合、30年間で必要な額は約6700万円にも膨れ上がる。
とはいえリタイヤ直後の65歳と、20年後の85歳では生活の仕方も変わるはずだから、
生涯にわたって毎月36万6000円使うというわけではない。
老後のお金に詳しい経営コンサルタントの岩崎日出俊氏は、こう試算している。
60歳まで生きた男性の平均寿命は82.84歳、女性は88.37歳まで生きるという統計(2010年簡易生命表)がある。
余裕を持たせて夫87歳、妻92歳まで生きると仮定し、
最低限の生活のためには月24万円、ややゆとりある生活のためには月30万円かかるとすると、
最低限生活では1億776万円、ゆとり生活では1億1856万円確保しなければならない。
しかし年金が7274万円支給されるので「不足分は最低限生活で3502万円、ゆとり生活で4582万円になります」。
・・(略)・・》
ここまで私は読んだら、年金生活のスタート時点に4500万円あれば、ゆとり生活ができる、
と苦笑しながら安堵したりした。
この後の記事は、現役世代の今後の年金生活を思案している方たちの不安を解消する為に、
懇切丁寧に記載されているが、省略する。
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130815-00010268-president-nb
☆『YAHOO! JAPAN』<==『トピックス』
<==『プレジデント 』<==2013/8/15 11:45 『貯蓄:「ゆとりある老後」に必要な資金は、1億1856万円』☆
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、
あえなく敗退して、やむなくサラリーマンに転進する為に、
コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とかこの当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。
音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。
こうした中で1998〈平成10〉年に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
私は本社に30年近く勤め放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
この間、私は55歳の時に出向を命じられた時、改めて家内と、第二の人生を話し合ったりした。
具体的には、私たちの第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、という事であった。
こうしたことを実現するためには、
各出版社から数多くの本が発売されていたので、私なりに買い求めた。
『定年後』~「もうひとつの人生」への案内~(岩波書店)、『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)、
~50代から考えておきたい~『「定年後」設計 腹づもり』(三笠書房)などを読んだりした。
そして雑誌では、 ~50代から読む「大人の生き方誌」~『ほんとうの時代』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。
こうした中には、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。
このようなことをしても、退職後の生活は狂いがあり、
私たち夫婦は、お互いに月次、年次の概要計画、そして実績表を作成して、確認している。
私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
或いは雑木の多い小庭に古ぼけたの家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。
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この中のひとつとして、『ゆとりある老後 必要な資金は』と見出しされていた・・。
私は年金生活を享受しているが、やはり気になり、クリックしてしまった・・。
この直後、『貯蓄:「ゆとりある老後」に必要な資金は、1億1856万円』と表題され、
年金生活を邁進している私は、今頃になって『1億1856万円』必要と教示されても、
と困苦して、戸惑ったりした。
そして記事の提供元は、ビジネス総合情報誌として名高い『プレジデント』であり、
私も特集記事に魅了された時に買い求めることもあるので、信頼できる内容が多いのであるが、
私は戸惑いながら、どうして『1億1856万円』が必要なのょ、と思いながら記事を精読した・・。
ジャーナリストの山本信幸さんの寄稿文を無断ながら、長く引用させて頂く。
《・・(略)・・
定年後の生活にいくら必要か? という質問にひと言で答えるなら「1億円」である。
大卒社員の生涯賃金の3分の1に相当するお金を、老後のために確保することなんてできるのだろうか?
まずは老後の生活には毎月いくらかかるかという話から始めよう。
2010年度の総務省・家計調査報告によると、
夫65歳以上、妻60歳以上の高齢無職世帯の夫婦の1カ月の平均支出が26万4948円。
対する収入は22万3757円。毎月4万1191円の赤字である。
ここで注目すべきは「年金面では恵まれているリタイヤメント世代でも、
公的年金だけでは生活ができない」ところにあるとFP(ファイナンシャルプランナー)の大竹のり子氏は指摘する。
しかも「収支が赤字になる状況は、現役世代がリタイヤする頃になっても解消されないどころか、
もっと厳しい状態になる」(大竹氏)ことはほぼ確実だ。
この生活で夫婦ともに90歳まで生きると仮定して、60歳以降、年金以外に必要なお金は約3000万円だ。
ところがこの平均的な支出では、旅行やレジャー、趣味を楽しむゆとりのある生活はできないと多くの人は考えている。
2010年度「生活保障に関する調査」(生命保険文化センター)によれば、
夫婦で老後にゆとりある生活を送るには36万6000円の収入が欲しいという。
その場合、30年間で必要な額は約6700万円にも膨れ上がる。
とはいえリタイヤ直後の65歳と、20年後の85歳では生活の仕方も変わるはずだから、
生涯にわたって毎月36万6000円使うというわけではない。
老後のお金に詳しい経営コンサルタントの岩崎日出俊氏は、こう試算している。
60歳まで生きた男性の平均寿命は82.84歳、女性は88.37歳まで生きるという統計(2010年簡易生命表)がある。
余裕を持たせて夫87歳、妻92歳まで生きると仮定し、
最低限の生活のためには月24万円、ややゆとりある生活のためには月30万円かかるとすると、
最低限生活では1億776万円、ゆとり生活では1億1856万円確保しなければならない。
しかし年金が7274万円支給されるので「不足分は最低限生活で3502万円、ゆとり生活で4582万円になります」。
・・(略)・・》
ここまで私は読んだら、年金生活のスタート時点に4500万円あれば、ゆとり生活ができる、
と苦笑しながら安堵したりした。
この後の記事は、現役世代の今後の年金生活を思案している方たちの不安を解消する為に、
懇切丁寧に記載されているが、省略する。
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130815-00010268-president-nb
☆『YAHOO! JAPAN』<==『トピックス』
<==『プレジデント 』<==2013/8/15 11:45 『貯蓄:「ゆとりある老後」に必要な資金は、1億1856万円』☆
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39)年の秋に、
大学を中退し、アルバイトや契約社員をしながら映画・文學青年の真似事して、
あえなく敗退して、やむなくサラリーマンに転進する為に、
コンピュータの専門学校で一年ばかり学んだ後、
何とかこの当時は映像・音響の大手メーカーの民間会社に中途入社出来たのは、1970(昭和45)年の春であった。
音楽事業本部の片隅で勤めていた私は、まもなくこの中のひとつの大きなレーベルが、
外資系のレコード会社として新設され、私も移籍の辞令を受けて、
音楽に直接に関わる制作畑ではなく、商品、情報、経理、営業などの部門を異動したりして、
35年近く勤め、2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身である。
こうした中で1998〈平成10〉年に売上の主軸となるCDがピークとなり、
この少し前の年から私の勤めた会社も同様に、早期退職優遇制度の下で、上司、同僚、後輩の一部が業界から去ったりし、
人事異動も盛んに行われたりし、私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じられ、
この中のひとつの物流センターに勤務した。
私は本社に30年近く勤め放り出され、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、精務した。
この間、出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元の会社でも、リストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で定年退職を迎えたのである。
そして、私は出向身分であったので、何とか烈風から免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
この間、私は55歳の時に出向を命じられた時、改めて家内と、第二の人生を話し合ったりした。
具体的には、私たちの第二の人生は、どのように過ごしたいのか、主題であった。
やがて結論としては、定年退職後の60歳以降は、
私は働くことを卒業し、お互いのささやかな趣味を互いに干渉することなく、
共通の趣味のひとつの国内旅行を四季折々できればよい、という事であった。
こうしたことを実現するためには、
各出版社から数多くの本が発売されていたので、私なりに買い求めた。
『定年後』~「もうひとつの人生」への案内~(岩波書店)、『間違いだらけの定年設計』(青春出版社)、
~50代から考えておきたい~『「定年後」設計 腹づもり』(三笠書房)などを読んだりした。
そして雑誌では、 ~50代から読む「大人の生き方誌」~『ほんとうの時代』(PHP研究所)であり、
こうした本を読んだりしながら、現在貯金の確認、定年退職までの年収、退職金など、
そして年金の推定額も算出し、
収支概算表を年別に作表し、平均寿命までの年を総括表にしたりした。
こうした中には、毎年の月別は、家計簿の応用で収入の項目、支出の保険、税金等を含め、
予定表も作成したりした。
このようなことをしても、退職後の生活は狂いがあり、
私たち夫婦は、お互いに月次、年次の概要計画、そして実績表を作成して、確認している。
私は定年後に年金生活の始めた直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
或いは雑木の多い小庭に古ぼけたの家に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
従って、年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしている。
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