夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

純白な蓮(ハス)の花の想いで・・♪   《初出2007.7.21.》

2008-05-15 20:23:58 | 幼年・少年時代の想いで
私は時折、蓮の花を夢で見かけたりしている。


浴衣姿で田畑の広がった畦道を歩くと、
外れに蓮の水田があり、あたり一面、数多くの蓮の葉が水面から茎を伸ばしている。

そのなかで純白の花色は莟(つぼみ)となったのや、3分咲き、
そして満開となり黄色くなった花床が観られたりしている・・。

そして、著名な作家が私の方に近づいてきて、
蓮の葉で包んだ火薬飯を大事そうに手に持っている。

私は亡くなった作家を敬愛していたので、
貴方はどうして・・、と声を掛けようとしたら、
夢から覚(さ)めたりしている。


私は東京の郊外に昭和19年に農家の子として生を受けた。
祖父、父が中心となり、ある程度の田畑、竹林、雑木林を維持管理していた。
田んぼの外れに半反程度の広さの蓮専用の水田があった。

父、祖父が亡くなる小学生の前半までは、
毎年この時節は幼いなりに楽しんでいた。


7月の下旬に蓮の花は莟となり、8月の初めにお盆を迎えるので、
祖父か父が6本前後採ってきた・・。

私は祖父にねだって、大きな葉をひとつ貰ったりした。
水を少し入れると、水玉になるので、幼児なりに楽しんだのである。

そして泥だらけの中で、
どうしてあんなに白い花が咲くの、
と子供心に不思議となったりした。

お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。
外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、
馬や牛にみたてたりしている。
台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の草花を飾り、この中で蓮の花が中核となっていた。


夏休みが終わった頃、蓮の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。

数週間過ぎた頃、この実を採り、
少しむくとどんぐりのような形の実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。


やがて蓮の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
食卓を彩った。

私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間で言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。


このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時は、
あれは蓮じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。


定年退職後の翌年の夏、
黒羽山の大雄寺の高僧が綴られているのを知った。



泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。

泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。



こうようなことを綴られている。


私は宗教に関しては興味はないが、
泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるので、
私なりの身過ぎ世過ぎの日常生活を過ごして折、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしら私の心を洗い清めてくれる随一の花と思っている。







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