真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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暴力的「ユーロマイダン革命」とイスラエル・パレスチナ戦争

2023年10月23日 | 国際・政治

 「ウクライナを知るための65章」服部倫卓・原田義也(明石書店)から抜粋した下記の文章を読めば、いわゆる「ユーロマイダン革命」が、ウライナ市民の抗議で、ヤヌコビッチ独裁政権が民主的な親米政権に変ったというようなバラ色の「革命」などではなかったことがわかると思います。
 例えば、反政権デモの中心地だったマイダンの広場を、他国の要人が訪れていたことに関して、“広場には12月前半、ウェスターウェレ独外相、アシュトンEU外交安全保障上級代表、ヌーランド米国務次官補が相次ぎ訪れた。反政権デモの現場を他国の外相が訪れるのは異例だ。反露的色彩が強いデモへの欧米の露骨な肩入れは、プーチンを強く刺激した。”と書かれています。 
 アメリカのジョン•マケイン上院議委員が、当時マイダン広場で、暴動を煽る演説をしたことも広く伝えられており、「肩入れ」の事実は否定しがたいと思います。
 「ユーロマイダン革命」は、アメリカを中心とする西側諸国が、ウクライナに住む人たちの民族や歴史、経済活動や生活基盤の違いなどによる政治的な立場の違いに付け入り、ヤヌコビッチ親露政権の暴力的な転覆を主導した結果であり、「尊厳の革命」などという言葉で語られるようなものではなかったことがわかると思います。
 それは、アメリカの主張したウクライナの「民主化」が、民主的な選挙で選ばれたヤヌコビッチ政権を、非民主的な方法で倒し実現されたという事実、また、ゼレンスキー政権が、ほとんどの野党の活動禁じ、事実上一党独裁体制を作り上げているという事実、また、最高会議(議会)選挙の延期決定などの事実からもわかると思います。だから、「ユーロマイダン革命」によって、ウクライナが「民主化」されたのではなく、むしろ「独裁化」されたと言ってもいいと思うのです。 

 ウクライナ戦争が始まって以来、アメリカの影響下にあると思われる学者や専門家は、プーチン大統領の個人的な性格の問題や2022年2月24日以降のロシアの諸問題ばかり語り、それ以前にウクライナで何があったのか、いわゆる「ユーロマイダン革命」といわれるものは、一体何であり、どんな革命であったのか、革命後、親米政権とクリミア東部ドンバス地域の人々の間にはどんな問題が発生し、どんな戦いがあったのか、また、ウクライナ親米政権やNATO諸国とロシアの間には、どんな問題があり、どんなやり取りがあったのか、というようなことはほとんど語りません。そうしたことに関する認識が深まると、アメリカが意図するロシアの孤立化や弱体化が難しくなるからだと思います。

 今、イスラエルとパレスチナの問題に関しても、同じようなことがあるように思います。アメリカやイスラエル側は、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配する「ハマス」の、イスラエル爆撃の残虐性や攻撃性は語っても、攻撃前にどんなことがあったのかについてはほとんど語っていないと思います。
 ウクライナ戦争と違って、西側メディアにも、イスラエル批判はあるようですが、それはガザ地区のパレスチナ人に対する同情の域を出ず、根本的な批判になっていないように思います。
 
 先だって、ハマスとイスラエルの軍事衝突を受けた国連安全保障理事会の会議で、ロシアは、ハマスが拘束する人質の解放のほか、人道支援を可能にするよう要請し、市民の安全な退避も求めて、人道危機を回避するための即時停戦を求める決議案を提出しました。
 でも、賛成が5票、反対が4票(アメリカ、イギリス、フランス、日本)、棄権が6票で採択されませんでした。
 さらに、今度は議長国ブラジルが「戦闘の中断」を求める決議案を提出しましたが、それも否決されました。ブラジル提出の決議案は15カ国中、12カ国が賛成し、採択に必要な9票を超えていたにもかかわらず、イスラエルを支持する常任理事国、米国が拒否権を行使したからでした。
 
 しばらく前、ゼレンスキー大統領は、国連で「ロシアにはウクライナ戦争に関する議論や投票に参加する権利はない。テロ国家の代表団の権限を剥奪することを求める」と訴えました。その考え方に従えば、これまでのイスラエルの違法な諸政策を放任し、パレスチナ空爆や地上侵攻さえ容認して、軍事支援をしようとするアメリカは、国連から追放されるべきだと言えるように思います。
 バイデン大統領は19日、イスラエルが報復攻撃を続けるイスラム組織ハマスと、ロシアを同種の脅威と位置付け、それを阻む軍事支援を呼びかけました。でもそれは、人道危機の回避ではなく、野蛮なイスラエル・パレスチナ戦争の呼びかけだと思います。
 イランが容認しない姿勢を見せていますが、バイデン大統領の考え方は、他を顧みない非常に危険で身勝手極まりない考え方だと思います。

 ふり返れば、イスラエルは、パレスチナの人たちから家を奪い、土地を奪い、居住や移動の自由を奪ったのみならず、パレスチナの人たちを分離壁で狭い地域に閉じ込め、水や電気や燃料を独占管理し、反抗することを許さないという人権無視を続けてきました。
 国連安保理決議242(1967年11月22日採択、抜萃)には、下記のようにあります。
安全保障理事会は,中東における重大な状況に関して継続的な関心を表明し,戦争によって領土を獲得することは承認しがたいこと,およびこの地域のいかなる国家も安全に存続できるような公正で永続する平和のために取り組む必要性を強調し,国連憲章の原則を達成するためには,中東における公正で永続する平和を確立することが必要であり,それには以下の諸原則が適用されなければならない。・・・
(a) イスラエル軍が最近の戦闘によって占領した諸領域からの撤退
(b) この地域のあらゆる国家の主権,領土の保全と政治的独立性,安全で武力による威嚇や武力行使を受けることなく安全に,かつ承認された国境内で平和に暮らす権利の尊重と承認
(c) 難民問題の正当な解決
(d) 非武装地帯の設定を含む諸手段による,この地域のあらゆる国家の領土の不可侵性と政治的独立の保障
 国連安保理は、何度も同種の決議をくり返してきましたが、その無視の結果、ハマスがガザの実効支配を続け、今回の戦争状態に発展してきたのだと思います。
 
 イスラエルのネタニヤフ首相は、先日、「兵士たちは、怪物(ハマス)を根絶やしにする準備ができている」と述べ、ガザ地区地上侵攻の準備が整ったことを明らかにしました。でも、ハマスは地域に根差した組織であり、220万といわれるガザのパレスチナ人を皆殺しにしない限り、決してハマスを根絶やしにはできないと思います。ガザのパレスチナ人は、長く人権を無視され続けている上に、親兄弟や知人・友人を殺されてきました。だから、イスラエルが法や道義・道徳を尊重する姿勢に転じ、報復をやめない限り、パレスチナの人々は、いろいろなかたちで命をかけて抵抗するだろうと想像します。アラブ諸国も黙っていないように思います。
 先ずは、「中東のアパルトヘイト」といわれるような、イスラエルの差別政策について、国連の決議や勧告に基づいた対応を求め、同時に武力による報復を停止するよう求めるべきだと思います。
 大事ことは、停戦であり、話し合いだと思います。アメリカのように差別政策を続けるイスラエルに対し軍事支援をするなど、とんでもない話だ、と私は思います。   
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                ユーロマイダン革命(尊厳の革命)  

                ──★「脱露入欧」の夢と現実★──

 ウクライナでは2014年2月、対ロシア関係を重んじるヤヌコビッチ大統領の政権が、欧州連合(EU)との緊密化を望む野党側やウクライナ民族主義者を中心とした勢力の街頭行動が激化する中で倒れ、親欧米政権が樹立された。街頭行動の拠点はキエフ都心の独立広場。ウクライナ語で広場を「マイダン」という。兄弟言語のロシア語であまり使わない。トルコや中東と共通する単語だ。マイダンは、反政府運動の呼称にもなった。”脱露入欧”を願う人々が政権打倒のため広場に集結したため、この政変はユーロマイダン革命と通称される。政変を主導した勢力は「尊厳の革命」と呼び、神聖化している。
 ソ連崩壊後、ロシアと欧州は狭間にあるウクライナを取り込もうと綱引きを続けた。ロシアは旧ソ連第二の人口を持つ隣国を旧ソ連の経済再統合構想の鍵を握ると見て重視。EUは自由貿易協定を柱とする連合協定の締結交渉を2008年に始めた。
 しかし、協定調印予定日1週間前の2013年11月21日、ウクライナ政府は、協定締結準備の停止を発表し、同国最高会議はヤヌコビッチの政敵で獄中にあるティモシェンコ前首相(野党第一党「祖国」党首)の療養を理由とした出国に道をひらく法案をヤヌコビッチの与党、地域党の棄権で否決した。ティモシェンコ釈放はEUが求めた協定締結の条件だった。ウクライナはロシアの圧力(ウクライナ産品の通関停止など)と懐柔(天然ガス値下げや財政支援などの貿易協力をよく12月に発表)を受け、ロシアを当面のパートナーに選んだ。

  多くの国民は当時、経済不振やヤヌコビッチ周辺の腐敗に不満を強めていた。そこに対EU関係緊密化の棚上げが重なり、怒った人々は独立広場に繰り出した。11月24日には参加者数万人と、同じ広場を舞台とした2004年の「オレンジ」以来の規模に。人々は「大統領は刑務所へ」などと連呼。野党第二党「ウダール」のクリチコ党首は「連合協定締結まで戦う」と声を張り上げた。
 12月1日のデモは報道によると、参加者十万人以上に。広場にはデモ隊雄が寝泊まりするテントが並び、お祭りムードも漂っていた。演説が終わると広場にロックが流れ、深夜に男女が踊る。国旗やEU旗まとう若者はビール片手に楽しげな表情を見せていた

 一方、野党第三党で反露感情が強い西部が地盤の極右・民族派「自由」は、早くからキエフに支持者を多数送り込んだ。チャフニボク党首はロシアを「占領者」、ヤヌコーヴィチや地域党を「モスクワの手先」と呼ぶ。支持者はネオナチが目立つとされる。
 反政権側は独立広場の入り口にバリケードを築いて占拠するとともに、広場に近いキエフ市庁舎や、広場に面した労働組合会館を奪い、拠点化した。市庁舎内で党旗が最も目立ったのは「自由」で、次は「祖国」。庁舎では食事が無料で振る舞われたほか、医療チームや法律相談デスク、プレスセンターも設けられた。デモ隊は暖房の効いた部屋で体を休め、長期戦に備えた。
 デモの後方支援を担当した「祖国」の古参党員は筆者に「マイダンは金がかかるが、大統領派のオルガルヒ(新興財閥)の支援もある。彼らは与野党双方に金を出す。ビジネスのためにEUとの関係強化を望んでいるからだ」と話した。
 プーチン露大統領は12月2日、デモは「外部から入念に準備された」と指摘し、欧米の関与を示唆。広場には12月前半、ウェスターウェレ独外相、アシュトンEU外交安全保障上級代表、ヌーランド米国務次官補が相次ぎ訪れた。反政権デモの現場を他国の外相が訪れるのは異例だ。反露的色彩が強いデモへの欧米の露骨な肩入れは、プーチンを強く刺激した。
 野党は2015年3月の大統領選と17年後半の最高会議選を14年春に前倒しするよう要求したが、ヤヌコヴィチは拒否を続け、政治的交渉は停滞。治安部隊は独立広場奪還の為、中途半端な形で実力行使を繰り返し、負傷者ばかりが増えていった。独立広場にはナチスとも一時協力しソ連から独立を図った「ウクライナ蜂起軍」指導者ステパン・バンデラの肖像画が登場し、民族主義が勢いを増して行く。
 2014年に入ると、独立広場には角材や火炎瓶で治安部隊に挑む者が目立って増えた。「自由」より過激な極右団体「右翼セクター」幹部はロシア紙に「平和的手段など何もならない」と述べ、暴力を正当化した。政権は1月17日、公共の場でのステージやテントの無許可設置、スピーカー使用を禁止するという、デモ封じの法律を発効させたが、反政権側を怒らせただけで、効果はなかった。

 1月22日、デモ隊2人が銃撃を受け死亡した。初の死者に反政権側は治安部隊の仕業だとして猛反発。極右はキエフや西部各州で行政施設を相次いで襲撃した。「祖国」や「ウダール」は極右への影響力が乏しく、自制を求めても暴走は止まらなかった。
 事態収拾のため、政権側は獄中のティモシェンコに代わって「祖国」を仕切るヤツェニュークに首相、クリチコに副首相職を提案したが拒否され、内閣は混乱の責任を取って同28日に総辞職。政権が初めて示した大きな譲歩は暴力に突き動かされた結果だったという現実が、極右や武闘派を勢い付けた。
 2月に入り、暴力は一層激化した。治安部隊は18日、デモ隊排除の「反テロ作戦」に着手。高圧放水業や催涙ガスに加え、装甲車を独立広場に突入させた。終日爆発音が響き、反政府側の拠点、労組会館は炎上した。デモ隊は広場の敷石を砕き、女性たちに火焔瓶を作らせて治安部隊投げ続けた。市販の打ち上げ花火の水兵発射も。一部では銃器も使われ、政権側、デモ隊双方が互いの発泡を非難した。

 筆者の取材拠点だった独立広場を見下ろすホテルにも銃弾が飛び込んできた。20日、デモ隊が攻勢に出ると、治安部隊は退却しながら発泡。ホテルのロビーには10体以上の遺体が運び込まれ、傍らで重症者がうめいていた。デモ隊の死者は最終的百人以上に。彼らは後に「天上の百人」として英雄視されることになる。なお、保健省によれば、治安部隊側も二桁の死者を出した。
 ウクライナ独立後の最悪の惨事に周辺国も驚いた。独仏ポーランドが外相を。ロシアも特使をキエフに派遣。欧露四者の仲介でヤヌコーヴィチと野党は21日、大統領選の年内前倒しや大統領権限の最高会議への委譲、10日以内の連立政権樹立、暴力停止や占拠した庁舎の明け渡しで合意した。

 しかしこの日、ヤヌコーヴィチは突然、東部ハルキフへ。22日「私は辞めない。国内に残る」とテレビで訴えた後、姿を消した。22日には治安部隊も独立広場や最高会議、大統領府などから消え、反政権側が権力機関を確保。ラヴロフ露外相は、21日の合意は事実上破綻したとの認識を示した。
 最高会議はヤヌコーヴィチの職務不履行を理由に解任。ティモシェンコは釈放され、22日夜に車椅子で独立広場に。「私は仕事に戻ってきた」と演説すると歓喜とブーイング、白けた空気が交錯した。  
 地域党議員が大量離党した最高会議は23日、ティモシェンコに近いトゥルチノフを大統領代行に任命した。トゥルチノフは親欧州路線を採ると発表。最高会議は、ヤヌコヴィチ政権下で制定されたロシア語など少数言語話者が10%以上向上住む地域でその言語を事実上の公用語にできる法律の撤廃を決め、ウクライナ民族主義的政策を進める姿勢を示した。

 27日にヤツェニュークを首相とする暫定政府が発足し、「自由」から副首相と三閣僚が入閣した。盗聴され、暴露されたヌーランドとバイアット駐ウクライナ米大使の電話内容によると、2人はクリチコを外しヤツェニュークに革命後を任すと構想を練っており、それが実現した形だ。ただ、大使は「問題はチェフニコフと彼の部下」とも発言。「自由」からの入閣は米国の影響力の限界を示した。 極右の政権入りはバンデラ賛美や反露姿勢と合わせ、「暫定政府はファシスト」「ロシア系住民迫害」と主張する余地をロシアに与えた。27日にはヤヌコヴィチのロシア亡命が発表された。ロシアは暫定政府を認めない方針を鮮明にし、3月、ロシア系住民が約6割を占めるクリミミア半島を一方的に併合した。ドンバス地方は親ロシア派勢力の支配地に。ロシアとの関係は最悪となった。
 
 デモ激化に始まる一連の動乱は「ウクライナ危機」と呼ばれる。革命は結果的に欧州東縁部の不安定化やロシアと欧米の制裁合戦、G8(主要国)からのロシア追放など国際問題の起点になった。
 2014年5月の前倒し大統領選で勝利し、正式な政権を発足させたポロシェンコは翌月、念願のEU連合協定に調印し、17年に発効。ウクライナの対EU輸出は拡大し、ビザなしでのEU入域も可能になった。しかし、民族主義的政策は国民融合を阻害し、腐敗撲滅も進まない。その上、領土を事実上を奪われた。革命の代表はあまりにも重い。


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