真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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海外における旧日本軍毒ガス兵器の遺棄・投棄

2011年04月09日 | 国際・政治
 敗戦前後に、旧日本軍が遺棄したり投棄したりした毒ガス兵器については、戦後日本国内では、「忘れさられていた」ともいえる状況にあった。しかし、1990年に中国が「旧日本軍が残したものなので日本側に責任がある」と毒ガス兵器の廃棄処理を要求し、1992年の化学兵器禁止条約のなかに、遺棄国廃棄条項が盛りこまれたことで、再び大きな問題となった。下記は、国際条約違反の毒ガス兵器の遺棄・投棄にかんする部分を「毒ガス戦と日本軍」吉見義明(岩波書店)から、また、実際に毒ガス兵器の廃棄・投棄の作業に関わった軍属の証言を「日本軍の毒ガス戦 迫られる遺棄弾処理」小原博人他(日中出版)から抜粋したものである。

「毒ガス戦と日本軍」吉見義明(岩波書店)----------------
                 Ⅹ 敗戦・免責・遺棄・投棄

 3 中国での毒ガスの遺棄

 海外での毒ガスの遺棄

 1944年に、対米英戦用の毒ガス弾薬の基地として指定されたマニラ・シンガポール・トラック島・上海・青島・大連には相当数の毒ガスが集積されていた。海外の日本軍は毒ガスを連合軍に引き渡すことなく事前に投棄しようとした。これらの集積基地はすべて海に接しているので、敗戦前後に近くの海に投棄されたと推測される。また、投棄は現地軍の独断でできることではないので、陸軍中央からの指示が出されたと思われる。

 マニラでは、毒ガス弾薬はアメリカ軍の進攻が予想される1944年10月にコレヒドールに移されたが、それを海没したいという要望が第4航空軍(またはマニラ航空補給廠)から出されていたことはすでにみたとおりである(第Ⅶ章)。戦後、マニラやコレヒドールで日本軍の毒ガスが発見されたという情報はないので、アメリカ軍進攻前にマニラ湾に投棄されたのであろう。1945年8月24日、スラウェシ(セレベス島)マカッサルにいた海軍第23特別根拠地隊は、ガスマスクを含む「あらゆる化学戦資材の痕跡を廃絶すべし」という指示を出している。


 中国ではどうだっただろうか。毒ガスの配備は関東軍と支那派遣軍がもっとも充実していた。とくに。関東軍は、実験・演習、一部討伐戦などを除いてほとんど毒ガスを使用しなかったので、大量に残っていた。これらはソ連参戦・日本降伏の直後に、海・河・地中・古井戸などに投棄されるか、その余裕がない場合弾薬庫に遺棄された。たとえば、吉林省敦化にいた第16野戦兵器廠は、黒龍江省石頭に集積した弾薬爆破のため8月11日に兵士3名を派遣している。この兵士たちは15日から「化学戦弾薬だけ埋没を開始したが、武装解除迄完了しなかった」という。また、敦化の大橋、沙河沿、秋梨溝、大山、馬鹿溝、林勝などではソ連軍の進撃が急なため毒ガス弾薬を処分する余裕がなく、大量の毒ガス弾を弾薬庫に遺棄していったという。

 支那派遣軍は、国民政府軍により武装解除されるまでの期間に海・河・地中・古井戸などに投棄した。たとえば、第11軍直轄自動車第34連帯のある将校は、8月20日、湖南省湘潭県滴水埠で停戦命令を聞いたが、このとき地区司令部から一切の書類焼却とともに、毒ガスの秘密裡の処理を命じられ、湘江に毒ガス弾入りの箱、20個余りをすてた、とのべている。その後、日本は海外に遺棄した毒ガスのことを忘れていった。


「日本軍の毒ガス戦 迫られる遺棄弾処理」小原博人他(日中出版)-----

                Ⅱ 遺棄された毒ガス弾

1 遺棄化学兵器による傷害事件


 敗戦まぎわに旧日本軍が毒ガス弾を廃棄

 日本軍がどのように毒ガスを遺棄したか、数少ない証言がある。チチハル郊外の第516部隊(関東軍化学部)の軍属だった人(宮城県在住)が毒ガス戦研究者の1人、糟川良谷さんに語ったものだ。


 「ソ連が怒とうのように進撃してきた1945年8月13日、上官から貯蔵庫の毒ガス弾を郊外の大河・嫩江に捨てるよう命令された。当日朝から中国人作業員を使役し木箱入りの砲弾をトラックに積み込んだ。私レベルでもきい弾だと知っていた。ばれないようにするのだなと。橋の上からドカドカ放り込んだ。一刻も早く片付けたい一心で地元の人々への迷惑なんて考えもしなかった。弾の数は覚えていないがトラックで2往復した」。

 また69年秋、東京・新宿で開かれた市民による毒ガス展(毒ガス展実行委員会主催)で、東京北区の元兵士は「敗戦時、湖南省・湘潭の南滴水埠にトラックいっぱいのきい弾を捨てた」と証言した。元兵士は第11軍隷下の自動車第34連帯に属していた。「毒ガスは迫撃砲弾だった。一つの木箱に5,6個入っていた・木箱ごと捨てた。自分の部隊がガス弾を使ったことはなかった」。このような水中投棄はかなりおこなわれたようだ。



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