真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「ハマス殲滅作戦」は「パレスチナ人殲滅・追放作戦」

2024年04月11日 | 国際・政治

 ガザ地区のハマスは、パレスチナ人の人権を無視したイスラエルの政策や、それに抵抗する多数のパレスチナ人の殺害・拘束の結果組織されることになった抵抗組織だと思います。ハマスのメンバーは、生まれながらのテロリストなどではないということです。

 だから、ハマスのメンバーをテロリストとし、ハマスをテロ組織とする対応は、精神病や精神疾患に陥った人たちを、生まれた育った環境や人間関係、社会的状況などを考慮することなく、悪魔憑きであるとか悪霊に憑りつかれた人であると考えた時代の野蛮な対応と言わざるを得ないのです。イスラエルの「ハマス殲滅作戦」は、そういう意味で、精神病や精神疾患の患者に、祈祷やまじないやおはらいで対応していた時代のものだというのです。

 ガザにおいて、イスラエルの戦争犯罪がくり返されているにもかかわらず、いまだに、イスラエルの「ハマス殲滅作戦」を、少しやり過ぎがあるようだが、やむをえない対応だというようなアメリカを中心とする西側諸国の受け止め方は、根本的に間違っていると思います。

 フランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールは、『第二の性』と題する著書で、「人は女に生まれるのではない。 女になるのだ」と書いていました。「私たち女性は、生まれたときから自動的に女性であるわけではない」というのです。 生まれた育った環境や人間関係、社会的状況のなかで、「女になる」ということだと思います。

 言い換えれば、「人はテロリストに生まれるのではない。テロリストになるのだ」ということだと思います。「生まれたときから、テロリストであるわけではない」ということです。

 そして、ハマスのメンバーをテロリストにした責任のほとんどが、イスラエルにあることは誰にも否定できない事実だと思います。

 そのことを踏まえれば、イスラエルによる「ハマス殲滅作戦」が終わることはないと思います。それは、ハマスが、次々に新しいパレスチナ人メンバーを迎えて、抵抗を続けるからであり、周辺国のアラブ人をはじめとする諸民族が、ハマスに連帯して戦いを始めていることでもわかると思います。 

 ふり返れば、パレスチナの問題は、シオニズム運動の創始者として知られるハンガリー生れのユダヤ人、ヘルツルの呼びかけに応じて、世界中からパレスチナの地に、多数のユダヤ人が移り住んだことからはじまったのだと思います。特に問題は、イギリスの後押しを受けたユダヤ人が、パレスチナの肥沃な土地の大部分を占領し、パレスチナ人を生活困難な狭い地域に追いやって、合意なく、1948年に「イスラエル建国」を宣言してしまったことだと思います。

 多くのユダヤ人が、ヘルツルの呼びかけに応じるかたちで、パレスチナの地に移り住み、何世代にもわたって住み続けてきたパレスチナ人を排除するかたちで、パレスチナの地に、強引にイスラエル国家を建国(1948年)した事実が、現在の戦いにつながっていることを、無視しすることはきないと思います。

 そして、現在イスラエルのネタニヤフ政権は、さらに進んで、パレスチナの地からパレスチナ人を追放するため、「ハマス殲滅作戦」という「パレスチナ人殲滅・追放作戦」を展開しているのだと思います。パレスチナの地に、パレスチナ人がいる限り、イスラエルの安心・安全はないと考えられるからです。現在のイスラエルのガザに対する法を無視した攻撃がそれを示していると思います。

 

 また、「イスラム 超過激派」宮田律(講談社)の、下記の抜萃文も、それを示していると思います。

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           第五章 世界の「核爆弾」としてのパレスチナ・テロとイラクの泥沼

 

 イスラエルの暗殺作戦

 20009月にインティファーダが再開された後、イスラエルによって暗殺されたパレスチナ人の指導者は100人以上を数える。パレスチナ人指導者に対する暗殺は、1980年代の最初のインティファーダの後でも行われた。イスラエルによるパレスチナ人暗殺は長い歴史をもっているのだ。19727月にはPFLP(パレスチナ解放人民戦線)のジャーナリストであるガッサン・カナファニをベイルートで自動車にしかけた爆弾で殺害した。同じ年の10月には、ファタハ指導者のワイル・ズワイテルをローマで射殺した。19734月には詩人でジャーナリストのカマル・ナセルと他の2人のファタハのメンバー、ムハンマド・ナッジャールとカマル・イドワンをそれぞれベイルートの自宅で暗殺した。同年6月にはPFLPのムハンマド・ブーディアがパリで爆殺されている。そして1992年にはレバノンのヒズボラの事務局長であるアッバース・ムサウィが殺害された。さらに1995年には、パレスチナの「イスラムのジハード」の最高指導者であるファトヒー・シャカーキーがマルタ島で暗殺されたのである。 

 イスラエルはこれらの暗殺の口実を「テロリストの撲滅」としているが、殺害方法と動機はその時々で異なっている。1970年代には小グループによる巧妙な暗殺であったのが、最初のインティファーダ(19871992)の際には、殺害は「ミスタラヴィム」というイスラエル軍の特別部隊によって行われるようになった。2000年に始まるインティファーダでは、狙撃手を使ったり、また戦闘機や軍用ヘリによるミサイル攻撃を行うようになったりした。パレスチナ人指導者の暗殺は、政治的あるいは軍事的に重要な人物である場合に行われている。

 

 こうした暗殺を「イスラエルの文化」と語るパレスチナ人もいる。いずれにせよ、パレスチナ人との和平交渉に消極的なシャロン首相が、パレスチナを混乱状態にさせ続けるために暗殺作戦を展開している意図は否定できない。シャロン首相のガザ返還計画は、「西岸拡張計画」でもある。シャロン首相には、ガザを返還することによって、ヨルダン川西岸ではイスラエルの権益を強く主張したい意向がある。ブッシュ大統領は2003年、西岸を分けるため、シャロン首相が治安のために必要とする分離壁の問題を批判したが、大統領選挙の年である2004年にはことさらその問題に触れようとはしなかった。

 後で詳述するが、アフマド・ヤースィンを暗殺したことで、シャロン首相はその「戦いの場」を西岸・ガザを超えて拡大しようと考えたのかもしれない。イスラエルのハマス研究者はヤースィンの暗殺によって、ハマスは諸外国でもユダヤ人を標的にしたテロを行うようになるかもしれないと語った。実際、この指摘のとうり、200410月にはエジプトのリゾート地タバでイスラエル人観光客をねらったテロが発生し、イスラエル人30人以上が亡くなっている。

 シャロン首相にとっては、ハマスによるテロの拡大は、ブッシュ大統領の「対テロ戦争」の提唱と重なって都合がよいことなのかもかもしれない。ヤースィンを暗殺した後で、シャロン首相は「われわれにとってのビンラディンを殺害した」と発言した。「対テロ戦争」に従事することによって、シャロン首相はガザの軍事的抑圧、西岸の支配地の拡大に正当性が与えられると考えた。また、パレスチナ人がイスラエル人の人口を超すことを防ぐ様々な手段を講ずることも許容されると考えているに違いない。しかし、シャロン首相の手法は、ハマスのテロを長期化させ、パレスチナ情勢を一層悪化させるものであることは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 


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