真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ドイツの「戦後補償」 NO1

2014年03月20日 | 国際・政治
 第2大戦後、ドイツは日本同様敗戦国としてスタートした。しかしながら、戦後の歩みにはかなりの違いがある。特に近隣諸国との関係で、「過去」をめぐって今なお深刻な対立を抱えている日本と違って、ドイツは今や欧州連合(EU) の中核国である。それは、連合国(戦勝国)の戦後処理の違いによる面も大きいのであろうが、両国の過去との向き合い方の違いによる面を見逃してはならないと思う。その一つが「戦後補償」の問題である。

 日本の7倍を上回るというドイツの「戦後補償」は複雑でわかりにくいが、それは、複雑に絡み合った様々な被害や損害に対して法的措置を講じ、もれなく対応しようとしたからでもあると思う。

 それに比して日本は、アメリカが主導したサンフランシスコ講和条約によって、「…日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分ではないことが承認される」と規定されたのみならず、再軍備と安保条約によるアメリカ軍に対する軍事基地提供と引き換えに、戦争賠償の大幅な軽減を得た。米ソ冷戦の激化や朝鮮戦争に対応するためであろうが、日本に再軍備を求めたJ.F.ダレスは、「日本は戦争賠償をしなければならないから再軍備する金がない」と答えた吉田首相に対し「戦争賠償はしなくてもいいから再軍備せよ」と言ったという(古関彰一獨協大学教授の研究による)。 そして、日本を極東戦略の要と位置付けたアメリは、アジア諸国との個別交渉を引き延ばし、戦争賠償を値切る日本を後押しするかたちで、その賠償要求を抑さえたのである。

 さらに、戦後の中国では国共内戦が続き、朝鮮半島では朝鮮戦争があった。また、その他のアジアの国々も、条約締結当時、自国の民間人戦争被害者の実態などを正確に把握できる状況にはなかった、ということもある。そんな中で日本は、その賠償を東南アジアに対する経済的再進出の足がかりを得るような賠償支払いや有償・無償の経済協力のかたちで進めたため、アジアの国々では、先の大戦による戦争被害者個人に対する補償は、ほとんどなされていないといっても過言ではないという。にもかかわらず、日本は、今なお戦争被害者個人の補償要求を拒否し続けている。法的にはそれで通るということなのであろうが、理解が得られるとは思えない。なぜなら、ドイツと違って、日本の賠償が、ほんとうの意味の戦争被害に対する賠償や補償になっておらず、また、その謝罪が不十分であり、歴史認識や歴史教育の面でも、たびたび批判や非難を受ける状況が続いているからである。 
 
 日本国内でも、様々な戦争被害者の補償要求があるが、戦傷病者戦没者援護法は軍人・軍属のみが対象で、民間の戦争被害者はその対象ではない。唯一例外的な補償は、原爆被害者に対するものであろうか。 

 ここでは、「日本の戦後補償」日本弁護士連合会編(明石書房)から、ドイツの戦後補償に関する部分を前半・後半の2回にわけて抜粋することにした。下記は、その前半である。
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               第3章 外国の戦後処理
第1 ドイツ

1 補償の理念

 ナチス政権のとった戦争政策と侵略の結果は、ドイツ国の内外に物心両面にわたる莫大な損害として残された。敗戦の惨禍からドイツを再建するためには「過去の克服」が必要であった。それはナチスの犯罪政治を、国民がその出現を許し、それに従ってきた歴史を心に刻みつけるとともに、戦争被害者に国の責任として償い、国民の間に戦争被害の衡平化をはかる必要があった。内外の被害者に対して真摯な謝罪の意を表明し、その具体化として被害について可能な限りの補償をすることであった。戦後のドイツの再建には、これらのことを実行することが何よりも必要であったし、そのような誠意の披瀝によってのみ近隣諸国のドイツ国およびその国民に対する信頼が回復されたのであった。
 ドイツの戦後補償のための法制化は、1949年にはじまり58年までの間に集中的に行われた。その後も補充的措置が引き続いて行われている。


2 補償の体系

 ドイツにおける戦争被害に対する国家補償は、人的損害と物的損害に及び、補償の受領者としては外国人にたいして行われるものもある。その補償の体系は次のように構成されている。

(1) 国の戦争行為によってひきおこされた結果責任補償理念に基づき、国民間
   の被害負担の衡平化をはかる。
① 人的損害に対する措置として戦争犠牲者援護法(BVG,1950)がある。
② 物的損害に対しては負担調整法(LAG,1952)、その前段階として、即時援護法
   (SHG,1949)がある。
   これらの法とその施行法令は戦争被害補償の一般法的地位にあり、その戦
   後処理の中心になっている。
③ 難民及び引揚者に関する法律(難民法 BVFG,1952)
  第2次大戦の結果、ドイツの東部領土の一部が、ソ連邦またはポーランド領と
  なったこと及び東西ドイツに分かれたことにより、そこから西ドイツに避難してき
  た人々の損害にたいする援護法である。 
④ 帰還者法(HKG,1950)捕虜補償法(KgfEG,1954)  
  前者は軍隊等に所属していたため捕虜になった者が帰還した場合の援護法で
  あり、後者はその補充をなすものであって、1947年1月1日以降外国の抑留か
  ら解放され、西ドイツに居住した者に対する援護法である。  
⑤ 賠償補償法(RepG)
  ドイツは敗戦直後、ここで述べる個人補償のほかに、工場施設の接収や海外
  資産の没収などのかたちで連合国側に約2,000億マルクと計算された国家間賠
  償を行っている。
   この補償は連合国により現物賠償として接収された物、接収後返還されたが
  現状回復不能の物、破壊されてしまった物の権利保有者への補償である。
   この法律は、国の利益のために個人の財産を失わせる結果となったことに対
  する補償であるから、公共収用補償の意味をあわせもっている。

(2) ナチス権力の不法行為についての国家賠償
 これは、ナチス政府とそれに従う徒が、世界観、宗教、政治的立場、人種を理由として人びとに加えた生命、身体、健康、自由、所有権、財産への侵害行為から生じた損害および職業的または経済的生活におよんだ不利益に対する国家賠償責任に基づく補償である。
① 連邦補償法(BEG,1956)
   ナチスの迫害による犠牲者のための補充法(BEngG)を先行法として、この法
  の制定により請求権者の範囲、損害の要件および給付内容が拡大された。連
  邦補償法終結法(1965)により請求権者の範囲は一層拡大されるとともにこの
  法による補償の終結がはかられた。 
   人的損害を主な対象とするが、連邦返済法によって補償を受けられない物的
  損害に及ぶ。
② 連邦返済法(BRuG,1957)
   不法に奪われた所有物の現物返還、それが不能の場合あるいは物ではない
  資産についての損害について一時金、年金の支払、低金利貸付などが行われ
  た。
   この法律によって返還・補償を受けた総額は3兆135億マルクにのぼり、その
  4分の3は不動産であるという。
③ ユダヤ人賠償条約(ルクセンブルク協定,1952)
   この条約は、連邦補償法の適用から洩れたナチス被害者に対する補償とし
  て1952年に調印された。その理由は「ドイツ民族の名で名状すべからざる犯罪
  が行われた。これから道徳的かつ物質的な償いの義務が生じた」(アデナウア
  ー首相,1951年9月27日の国会演説)とされている。
④ 一般戦後処理法(AKG,1957)
   ナチス犠牲者以外に国家的不法行為によって、生命、身体、健康、自由の侵
  害をうけた被害者に対する補償である。

3 主要な補償法の内容と問題点
 上記補償法の内容の概要とそれに関係する措置について、日本の対応被害と
関連してのべる。

(1) 戦争犠牲者援護法
 軍事上もしくはこれに準ずる任務にともなう事故及びそれと特有な関係による健康障害を受けた者に対して支給がなされる。そのなかには捕虜、抑留等による健康障害者も含まれている。空襲によって生じた市民の被害についても均しく適用されるが、戦時中のドイツでは市民にも防空義務が課されていたために、この法によって援護を受ける市民の範囲は広い。
 支給の内容は、治療、看護、戦争犠牲者への扶助、障害者への年金支給、死亡の場合の埋葬手当、遺族への年金支給である。
 この法律による既支出額(1988年)は829億マルクであり、現在も年間16億マルクが支出されている。
 日本の戦没者戦傷病者遺族援護法と異なり、市民であろうと軍人軍属であろうと等しく適用を受ける。このドイツ法では、市民に適用された場合、軍事上もしくはこれに準ずる任務に関してという条件があるが、これは専ら被害当時の行動の態様についての客観的事実が基準であって、雇用その他の身分関係は必要条件ではない。
 日本の援護法では国籍条項があって、被害当時日本国籍を有していてもその後外国籍に移った旧植民地出身者は、この法律による援護を受けられない。これに対して、ドイツでは国の外にいるドイツ人(ドイツの国籍を有しない)、ドイツ国内に住む外国人の該当者にも適用がある。なおドイツの国外にいる外国人でドイツ兵役に服していた該当者に対しては、その国の政府と条約の締結によって外国政府に支払いがなされ、それから本人に年金等が支給される。これらの者がドイツ国内に移住すれば直接適用者となる。在韓被爆者、その他の韓国、朝鮮国民、台湾出身者の戦後処理について考えるべきところである。

(2) 負担調整法

 戦闘による破壊(都市爆撃による被害を含む)、旧ドイツ領からの追放、引揚げ等によって財産を失った者に対する対物補償である。
 その支出総額は1987年末で1,165億マルクにのぼる。この適用者の中で旧ドイツ領内から西ドイツに移った者は約、1,000万人に達すると言われ、それらの者に対する給付額はその支出総額の3分の2を占める。これらの者に対しては、難民法、引揚者援護法によって居住地、職業、資金の借入、税法上の取扱い等についての援助がなされている。
 その負担調整法の財源は戦中、戦後に財産を失わなかった自然人、法人が1948年時点で保有していた全財産保有額の2分の1に当たる額を財産税として30年賦で連邦政府におさめ、連邦予算からの支出額とあわせて被害者に支給するものである。この納付金は基金として蓄積されていたが、79年をもってこの基金はなくなり、現在は連邦予算によって支給がなされている。

 なお、この法律は現在も作用していて、東ヨーロッパの各地域からドイツに移ってきたドイツ人にも適用されていた。ただし、移住にあたり前住地で財産を処分してきた者には財産的損失をともなわない場合が多い。その場合は支給はされないことになる。
 東ドイツ地域内でおきた当該損害については、この法律の適用はなかったのであるが、ドイツの統一後、これに対してどのような処置がとられるのか注目されるところである。


 (3) 賠償補償法

 ドイツ政府は外国に対して今次の戦争に関する請求権を放棄した。そのような請求権の中には国民の受けた私的損害から生ずるものがあった。その被害国民は外国政府からドイツ国に対する賠償を通して補償を受ける可能性があったが、ドイツ政府の請求権放棄によりそれが失われた。ドイツ連邦政府は、それら国民の外国による被害に対する補償が請求権放棄により実現しなくなったことの代償としてこの法律を制定、適用して補償を行った。公共収用補償にあたる。

 その補償内容は負担調整法による場合と同額である。ただし、これらの場合、被害評価は市場価格より低いといわれている。両法は法的性格の相違はあるが、国民の間の戦争被害の負担を均しくするための措置であることでは相違がない


(4) 連邦補償法

 ナチス等による被害者に対する補償立法である。直接的身体的な害悪を受けた者ばかりでなく、強制収容所に入れられた者、医学的実験被害者も含まれる。
 適用対象者は1947年1月1日まで西ドイツ地域に居住していた者、1937年当時のドイツ領内の居住者である。したがって1935年のニュルンベルク人種法発効前にドイツを去ったユダヤ人等は除外される。この法律によって支払われた額は、一時金、年金で1991年1月までに約864億マルクである。現在の年金受領者は約15万人、月額総計約1億2,000万マルクである。

 この法律の適用については問題が多いとされている。例えば、被害者の社会的地位によって補償額が違うために、支給をうける者の間のアンバランスが指摘されている。また、死因と受傷との因果関係が証明される場合以外の死亡者の遺族に対して、支払いがなされないことも問題とされている。


 この法律の関連法として
① 「公務従事者のためのナチスの不法行為に対する補償規制法」(BWGOD,1951)
 ナチス体制下で公務から遠ざけられ、諸権利を失った公務従事者のための法である。再採用の請求、停滞させられた昇進の回復等であるが、早く退職させられた公務員とその扶養家族の救済のためにも適用がある。再雇用に適さなくなった状態にある者に対しては、在職時同じような条件にあった退職者に支給される年金と同額の給付がなされる。

② 「社会保険に関するナチスの不法行為に対する補償についての諸規則の改正・補正のための法律」(1970)
 この種の補正は1949年に始まる。ナチス関係諸機関による逮捕、失業、余儀なくされた外国滞在のための期間の欠落等のため、社会保険給付で損害を受けた分についての補償措置である。事故保険、年金保険等について迫害を理由に支払いを停止された者に、後から支払われるべきこととなった。
 日本の治安維持被害者は弾圧に基づく失職などにより在職期間通算上の不利によって恩給等の支給を受けられない状態にあり、それが戦後措置として回復されず、現在に及んでいるのと対象的である。
 この補償法は、西ドイツの自由、民主的基本秩序に敵対する者には適用しないとの条文の存在と、1956年8月の憲法裁判所の共産党(KPD)禁止判決により、ナチスに抵抗した被害者でありながら、その適用をはばまれている者があることが問題となっている。
 連邦政府の補償とは別に11の州政府が独自にこの種の補償をしており、上の除外者でこれにより補償を受けている者もある。



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