真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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日航123便墜落事故から日米関係を考える NO4

2024年06月21日 | 国際・政治

 先だって、 中東のメディア、アルジャジーラは、パレスチナ自治区ガザ南部ハンユニスのナセル病院敷地内の地中から310人の遺体が見つかったと報じました。そして、ガザ当局は軍がパレスチナ人を処刑後、埋めて隠そうとした「集団墓地」だと非難し、国際刑事裁判所(ICCに捜査を要求したといいます。

 イスラエルによる学校や病院や難民キャンプの爆撃もくり返されました。戦争犯罪がくり返されてきたのです。

 また、CNNは、パレスチナ自治区ガザ地区で軍事衝突が始まった昨年10月7日以降、最初の1カ月間でイスラエル軍が数百発の「大型爆弾」を使ったことも明らかにしていました。それは、1000フィート(約305メートル)以上離れた住民らも死傷させる破壊力を持っているといいます。

 CNNとAI(人工知能)企業「シンセティック」による衛星画像などの分析で判明したということですが、その「大型爆弾」によって地面に刻まれた穴の直径は12メートル超で、500カ所以上にできていたといいます。この直径は、2000ポンド(約907キロ)爆弾が着弾した際に生じる規模と一致しているというのです。そして、ガザでの死者数の急増は2000ポンド爆弾のような「大型爆弾」の広範な利用が原因だというのです。ガザは地球上で人口密度が最も高い地域といわれており、「大型爆弾」の使用で多数のパレスチナ人市民が死ぬであろうことはわかりきったことだったと思います。だから、何度もくり返しているように、イスラエルの主張する「ハマス殲滅」は言い逃れであり、ほんとうは「パレスチナ人殲滅」、追い出しを意図しているのだと思うのです。ナチスドイツを思い出させるイスラエルの残虐な犯罪をふり返れば、「シオニズムを裏返すとナチズムになる」という高橋和彦氏の指摘は、単なる言葉遊びではないことがわかると思います。

 イスラエル独立後にネタニヤフ首相率いる政党「リクード」を設立したメナヘム・ベギンは、ユダヤ人の武装組織イルグンのリーダーとなった時にエルサレムのキング・デイヴィッド・ホテル爆破事件を実行したり、1948年の第一次中東戦争において、「デイル・ヤシーン村事件」といわれるパレスチナ人村民虐殺を行ったことで知られています。「パレスチナ人は2本足で歩く野獣である」と公言し、村民皆殺しを実行するようなテロリストが、イスラエルの政党「リクード」を設立しているのです。

 だから、ユダヤ人である世界的科学者、アイシュタインは、この村民虐殺に怒り、「その組織、手法、政治哲学、社会的訴えにおいてナチスやファシスト党と酷似している」と批判したこと、また、「過去の行動から、将来何をするか予想できる」と述べたこと(朝日新聞・佐藤武嗣)は、現在に通じる指摘であり、忘れてはいけない指摘だと思います。パレスチナ人を容赦なく殺し、追い出そうとしているイスラエルのユダヤ人(シオニスト)を容認してはいけないと思います。「シオニズムはナチズムの裏返し」であり、現在イスラエルを主導する政権は、ナチズムの野蛮性を持って、パレスチナを攻撃していると捉え、糾弾し、さまざまな制裁を加える必要があると思います。「ハマス殲滅」を掲げつつ、実は、パレスチナの地から、パレスチナ人を排除しようとしているイスラエルを容認してはいけないと思うのです。

 

 でも大戦後も、国際法に反する犯罪をくり返してきたイスラエルに、いまだ何の制裁も加えられない理由は、はっきりしています。

 だから、BRICS加盟国が拡大し、国際社会でアメリカ離れが進んでいるのは不思議ではないと思います。グローバルサウスが「ウクライナ平和サミット」の「共同声明」を支持しないのも、当然だと思います。そうした国際社会の大きな流れに逆行するようなG7の外交や対外政策では、世界平和は実現できないと思います。上川外相は、ハマスのイスラエル襲撃を非難し、イスラエルに連帯を表明しましたが、取り消すべきだと思います。 

 

 The cradleは、下記のようなことを伝えています。見逃すことができません。

A senior doctor from Gaza was killed in November while under interrogation by the Shin Bet, Israel's internal security service, Haaretz reported on 18 June.

 618日、ハアレツ紙が伝えたところでは、ガザ地区の上級の医師が、イスラエルの国内治安機関シン・ベトの尋問で殺害された、というような内容です。

 イスラエルにとっては、パレスチナ自治区ガザ地区で活動する国連機関(UNRWAの職員や医師も、不愉快な存在であり、ハマスと同類と見なされているのだろうと思います。

 

 そうしたイスラエルを支えるアメリカの正体を捉えるために、今回も「日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ」青山透子(河出文庫)から、「3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ」の「第一章 過去からのメッセージ」「群馬から通学している学生が抱いた疑問 その① 墜落地点報道」を抜萃しましたが、こうした疑惑が解明できない日本の現実を、はやく何とかしないと、恐ろしいことになるような気がします。台湾有事は、「ブチャの虐殺」のような中国軍による残虐事件のでっち上げをきっかけに、始められるような気がするのです。

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               3部 乱気流の航空業界 未来はどこへ

                 第一章 過去からのメッセージ

群馬から通学している学生が抱いた疑問 その① 墜落地点報道

・・・

 その中のひとりで、高崎市から通っている学生Hが、大きな群馬県の地図を黒板に広げて貼った。そして、墜落地点となった御巣鷹山の尾根を細長い棒で示しながら説明を始めた

・・・

 次に墜落地点が定まらなかったことに関して、地元の人々の声を聞いてきたことを話した。

 確かにあの時、テレビでは長野県北相木村の御座山、埼玉、長野、群馬の県境にある三国山、上野村の小倉山、諏訪山、ぶどう峠などを墜落場所と報道していた。

 学生Hは、それぞれの報道された場所に赤い丸印のマグネットをつけていた。

 しかし、地元ではそれらの場所について、どうも違うとの意見があったということだった。

 まず上野村の対応だが、夕方のNHKニュースの速報を聞き、812日の夜8時には上野村防災行無線で村民に一斉放送を行っていたのだ。日航機墜落事故に関する情報を連絡するように協力を依頼したのである。

 テレビはその後長野県北相木村付近に墜落したと報道していたのだった。

 しかし上野村では墜落現場が上野村と考えられると独自で判断し、2012分に職員招集をして、役場では村内放送して村民から情報を集めたところ、やはりほとんどが御巣鷹山方面(高天原山付近)との答えであった。村民たちは、自分の村に落ちたことをすでに気付いていたのである。

 説明する学生Hの顔をみんなが見た。

 ・・・

 学生Hは続けて「生存者を一番先に発見したのは地元の消防団だったんです」と発表した。

え!、なんとそんなわけだったの!」学生が口々に叫ぶ。

 一番先に生存者を発見したのは、地元の上野村消防団の人たちなのか!

 どうしても自衛隊のヘリで吊り揚げられたイメージが大きく、私たちはすっかり勘違いをしていたようだ。

 学生Hは「このスゲノ沢辺りで生存者が発見されました」と、地図を指した。

 突然、静けさを破る声が教室に響いた。その声の主である学生Iは、黒板の地図を指さしていた。「みんな、見てよ。地図、ほら、ぐるっと一周り、サークルだわ!」

え? なになに、サークルって?」

 学生Iは、教壇前に走り出て地図の前に立ち、群馬県上野村周辺を指さした。そこは先程、墜落現場がコロコロ変わったということで赤マルをつけた部分である。

埼玉県三国山」「長野県御座山」「上野村小倉山」「上野村ぶどう峠」

 一つひとつそれをなぞっていくと、楕円にゆがんでいるが一つのサークルとなった。

 なんと本当の墜落現場である御巣鷹の尾根、報道での通称「御巣鷹山」となっている場所を中心に、それらのおもな山や峠は等距離の場所に点在するのだ。

 逆に見ると、墜落現場を中心として円が描ける。まるでコンパスの軸を御巣鷹山に起き、ぐるりと円を描いていたようだ。その円の周りに事故当初に間違った墜落場所名が入り込む。その距離は8キロから10キロの5Nマイル(海里)くらいの計算となる。(1Nマイル=1.852メートル)

 5マイル、およそ9キロは急な山を登り降りしているうちに、78時間が経ち、夜明けを迎える時間となる距離だ。日が昇り、明るくなってから言い訳するとしたら、これぐらいの誤差は仕方がないと言える距離だ。

 もしかすると誰かが地図をテーブルの上に置いて、本当の墜落現場である御巣鷹山にコンパスの軸を置き、ぐりと回す。そこに引っ掛かってくる山や地図上に名前のある場所を次々と言って、そちらが墜落現場と言えば、地上では皆、散ってバラバラに探し始めるではないか。

 そうこうしているうちに太陽が出てくる。そして本当の墜落現場をそれの中心に位置する御巣鷹山 と分かる。それぞれの場所から集合するはめとなる。これならば、現場の人々の証言とも一致する。

・・・

 もしそうならば、なぜ意図的に散らしのだろうか。いずれにしても、なぜそのような誤場所報道がなされただろうか。

 墜落現場の発見が遅れたことに関しては、当時の植村の村村長、黒澤丈夫氏もはっきりと異議を唱えていらっしゃった。地元の学生が言うには、黒澤村長とは、過疎の村にこのような立派な経歴の方がいるのかと誰もが思うような人だという。

 ・・・

 その黒澤氏は自らの戦争体験やパイロットとしての科学的な根拠をもって、事故当時の墜落地点の計測ミスについて大変な憤りを感じていた。

 将来のためにどうしても伝えなければならないことがあるとして、ご自身の著書『道を求めて─憂国の7つの提言』(上毛新聞出版局)でも特に次の二点について語っておられる。

 ①12日午後8時頃は、上野村南西部上空をヘリが盛んに富んでいた。

 火災も確認し、遭難地はここだと判断していたのだが、いったい誰が、いかなる判断で、長野県の北相木村御座山と断定したのか。

 これによって、一番大切な救難が混乱によって遅延し、その責任は大きく、断定は慎重に正確にすべきであった。夏山では火災の心配などない。また位置の特定は日本で技術的にも充分可能なはずであり、地上の者に正確な墜落場所を教える事は絶対に不可欠なことである。

②この時、誰が最高責任者であったのか。誰が総合指揮権を持っていたのか、まったくよくわからないままに、いくつもの対策本部が置かれて体制が整っていないことを実感した。国においても、誰が最高責任者だったのか、国政の中で、誰が統合して指揮をしていたのか、その実態はどこにあったのか、まったく見えなかった。

 こんなことで、今後の防衛や天災に果たして対処できるのか。将来のために今一度考えて備えておく必要性を現場にいて痛感した。

 突然の事故現場となった上野村で、滞りなくどうにか対策本部が形になっていったのも、黒澤丈夫村長がいたからだ、という声が多かった。現に、遺族側の人たちも、日航側の人間もそして現場にいて様々な仕事をしなくてはならなかった人々も、それぞれの胸の奥にある想いをすべて汲んでもらい、癒していただいたのも上野村の人々によるところが大きかった。お互いの立場を思いやったのも、黒澤村長の思慮深い言動によるものだったという。

 

 



 

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