真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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絶対降伏交渉は、”日本臣民の臣道に違反している”(徳富蘇峰NO1)

2020年04月13日 | 国際・政治

 沖縄では、ひめゆり学徒隊の女生徒が「生き地獄」のなかに放り込まれ、国外の戦地では、いわゆる「玉砕」が続き、あちこちで弾薬や食糧が尽き、日本兵の餓死者や病死者が続出しているにもかかわらず、日本が戦いを続け、降伏しなかったのはなぜなのか。米軍の圧倒的な軍事力の前に、もはや対抗する戦力を失っているにもかかわらず、多くの優秀な若者を、敢えて”石つぶて”の如く、特攻兵として死に至らしめたのはなぜなのか。その人命軽視や人権無視はどこからきたのか。私は、日本人がきちんと突き詰め、後世に伝えていくべき重要な問題だと思っています。

 そんな思いを持って、「徳富蘇峰 終戦後日記 『頑蘇夢物語』」(講談社)を読みました。徳富蘇峰は、皇室中心主義的思想をもって軍部と関わり、戦時中、「大日本言論報国会」の会長に選ばれた人であり、日本の戦争を主導した重要人物の一人だと思うからです。
 そして、徳富蘇峰は、二・二六事件の蹶起将校と同じような、本心からの国家神道信者の一人だったのかも知れないと思いました。
 それは、降伏の交渉を進めた関係者を”全く日本臣民の臣道に違反している”と批判しているからです。”外国兵が屯在し、その総督たるマッカーサーが統治する”日本は、もはや”至尊の統治し給う所”の日本ではないのであり、そんな降伏は許されないという主張は、大日本帝国憲法や教育勅語、軍人勅諭や、その背景にある国家神道を信じる者には、あたりまえのことだと思います。
 連合国が天皇の存在を認めたとしても、”マッカーサーの統治”を受け入れるということは、明治維新以来の大日本帝国憲法や教育勅語、軍人勅諭などと、その背景にある国家神道の考え方の最も大事な部分を捨て無い限りあり得ないのであり、徳富蘇峰が、
それを以て、果して国体の擁護が出来たと言うか。皇室の尊厳が保たれたと言うか。洵(マコト)に以て驚き入りたる次第といわねばならぬ。
 それで殊更(コトサラ)に国体云々の文句を担ぎ出して来たのは、全く原子爆弾同様、ソ連の参戦同様、彼等が国民の耳目を眩惑せんとする一の手品に過ぎない。則ち国体も皇室も、彼等敗北論者にとっては、彼等の所志を到達する為めの一種の方便、一種の仮託、一種の口実、一種の保護色に過ぎないというも、差支あるまいと思う
 と結論づけたことは、そういう意味では間違っていないと思います。
 したがって、日本の戦争を主導した人たちの中には、二・二六事件の蹶起将校や、あくまでも戦争を続行しようとし、敗戦後自決した将兵、および敗戦後、徳富蘇峰のような考えを持ち続けた人たちと、国家神道の考え方や天皇を自らの利益のために政治的に利用し、敗戦後は、戦時中の”鬼畜”と手を結んで、再び要職に就いた人たちがいるのではないかと思います。

 そして、私は、そのどちらも恐ろしいと思うのです。
 まず、大日本帝国憲法や教育勅語、軍人勅諭などと、その背景にある国家神道の考え方は、昭和天皇のいわゆる「人間宣言」にあるように、”単ナル神話ト伝説”によって”天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”と一体であり、日本の侵略戦争は、この”架空ナル観念”に基づいて始められたという意味で、私は恐ろしいと思います。
 また、天皇が”現御神”とされたために、日本人は”海行かば 水漬く屍かばね 山行かば 草生す屍 大君の辺へにこそ死なめ かへりみはせじ”などと”現御神大君=天皇”のために死ぬことを、自ら進んで受け入れなければなりませんでした。だから、ひめゆり学徒隊の女生徒が「生き地獄」のなかに放り込まれても、戦地で弾薬や食糧が尽き、あちこちで日本兵の餓死者や病死者が続出しても、少しも顧みられることがなかったのだと思います。

 したがって、戦時中の人命軽視や人権無視は、「皇国日本」や「国家神道」の考え方と切り離すことはできないという意味で、また、本心から「皇国日本」や「国家神道」の考え方を信じた人たちは、敗戦が避けられない状況になっても戦争を続行しようとしたという意味で、私は恐ろしいと思います。

 次に、徳富蘇峰が「敗北論者」と指弾した人たちは、戦時中、人命軽視や人権無視の政策・作戦を進め、”鬼畜米英”を倒すために人の命をあたかも”石つぶて”の如く利用しておきながら、敗戦後は、その”鬼畜”と手を組んで、「裏切り者」ともいうべき変節をした人たちであり、この人たちも、私は恐ろしいと思うのです。

 しばらく前に取り上げた「今日われ生きてあり」(新潮文庫)の著者である神坂次郎氏
いま、四十年という歴史の歳月を濾(コ)して太平洋戦争を振り返ってみれば、そこには美があり醜があり、勇があり怯(キョウ)があった。祖国の急を救うため死に赴いた至純の若者や少年たちと、その特攻の若者たちを石つぶての如く修羅に投げこみ、戦況不利とみるや戦線を放棄し遁走した四航軍の首脳や、六航軍の将軍や参謀たち(冨永恭次・陸軍中将や稲田正純・陸軍中将)が、戦後ながく亡霊のごとく生きて老醜をさらしている姿と……。”
 と書いていましたが、徳富蘇峰が敗戦論者と糾弾した人たちは、神坂次郎氏が””や””と表現した言動を続けた人たちであると、私は思います。
 そして、現政権は、こうした変節した人たちの流れを汲んでいるのではないかと、私は思っています。

 下記は、「徳富蘇峰 終戦後日記 『頑蘇夢物語』」(講談社)の「三 敗戦論者の筋書き」から抜粋しました。
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                                          『頑蘇夢物語』一巻
 三 敗戦論者の筋書き
 元来今度の事件は、決して偶発に起こった事ではない。予(アラカジ)め敗戦論者共の陰謀によって仕組まれたる狂言である。彼等は無条件降伏の理由としてソ聯の参戦、原子爆弾の使用を挙げている。しかしソ聯の参戦は、八月八日の通告によって、原子爆弾の使用は、八月六日の広島に於ける投下によって、初めて出来(シュツタイ)したるもので、彼等が所謂(イワユル)和平運動なるものは、恐らくは東條内閣の頃からの出来事で、東條内閣の没落も、恐らく和平運動者の毒手に罹ったものと思わるる。小磯内閣は、恐らくは和平運動者の手によって出来たもので、鈴木内閣に至っては、内閣それ自身が、全くその為めに出で来たったものと認めらるる。決して原子爆弾とか、ソ連の参戦とかいう事が、原因でもなければ、動機でもない。動機は正(マ)さしく英米追随である。

 殊(コト)に嗤(ワラ)う可(ベ)きは、絶対降伏を発表せざる以前は、原子爆弾は恐るべきであるが、苟(イヤシ)くもこれを避くべき手段方法さえ講ずれば、決して非常の禍害を蒙る事はないというような事を、新聞にも書き立てさした。手短に言えば、原子爆弾恐るるに足らずという事である。ところが無条件降伏の発表以来は、原子爆弾は実に人類を滅絶するに足る一大力を持つものであって、人類の福祉、民生の幸運を希(ネガ)う為めには、絶対これを畏避(イヒ)せねばならぬ。即ち原子爆弾の為めには、あらゆる犠牲を払っても、即ち満州を失うても、朝鮮を失うても、台湾を失うても、樺太を失うても、日本人たる誇りを失うても、面目を失うても、如何なるものを失うても、差支なしというような結論を生じ来たった。即ち彼等陰謀者にとっては、正にこれ原子爆弾大明神様々であって、全くこれが為めに降伏したのではなくして、降伏した事実を、これによって申訳を作ったというに過ぎない。初めは、さほど恐るるに足らず、心配にも及ばずとして、その舌が未だ乾かざるに、忽(タチマ)ちかく言い做(ナ)したる事を見れば、彼等がこれを以て、一種の辞柄(ジヘイ)となしたる事は、間違いない。ソ聯の一件もまたその通りである。満州軍の守備は厳然動かないという事は、彼等は屡々(シバシバ)明言している。しかるにソ聯の参戦があった為めに、掌(タナゴゴロ)を反すが如く、無条件降伏をせねばならない理由はない。これもまた彼等敗戦論者にとっては、好き辞柄であった。彼等は原子爆弾の発明者に向っても、スターリンに向っても、彼等の目的を達する良き援助を与えた事を感謝するの外はあるまい。これは聊(イササ)か皮肉の文句に似ているが、事実をありのままに語れば、全くこの通りである。

 それから殊(コト)に驚くべき事は、国体擁護という一件である。実は国体護持という文句が、最近各新聞の第一面に、特筆大書せられているから、これは何かの魂胆(コンタン)であろうと考えさせられた。日本国民が、今日に於て、改めて国体護持などという事を、仰々しく言い立つべき、必要もなければ、理由もない。しかるにかく藪から棒に、繰り返し巻き返し、書い立てる事は、敗戦論者が、何か仕組んだ筋書であろうと睨んでいたが、果然その通りであった。即ち敗北論者は、トルーマンに向って、彼等が日本に降伏を指定したる条件中には、日本主権者の地位については、何等関与する所なきものと、認めて差支なきやと、質問したところ、向こうからその通りとの返事を得たとて、宛も鬼の首を取ったる如く、これを天下に広告し、無条件降伏をしたればこそ、皇室の御安泰を維持する事が出来たという事を吹聴し、皇室の御安泰を保持する為には、何物を失うても差支えないという剣幕で、我等こそ日本国家の一大忠臣であると言わんばかりに、手柄顔に吹聴している。即ち連日新聞に掲げられたる国体云々は、畢竟如上の筋書によって出来たものである。

 しかし我等の考うるに、日本の国体は、日本国民の力によって維持すべきであり、日本の皇室は、日本国民が擁護し奉ることが、当然の務めである。しかるに外国人の許可の下に、恐れながら我が皇室を託し奉り、天皇陛下の主権を存置する事は、洵(マコト)に以て恐懼(キョウク)の至りといわねばならぬ。もし外国人が、一旦許可したものを、再びこれを取り消す時には、何を以て国体を擁護し、何を以て皇室を奉戴するか。如何に工面工夫を尽くしても、如何に千思万考しても、外国人が「イエス」といおうが、「ノー」といおうが、日本の国体は日本人によって、日本の皇室は日本国民によって、擁護する外はない事は、彼れ敗北論者といえども、今一歩を踏み込んで考慮すれば、豁然(カツゼン)貫通するであろう。

 しかるに、唯だ彼等が皇室の存続には干渉しないという事で、宛かも我が皇室を富嶽の安きに置き奉りたる如く、手柄顔に吹聴し、これが絶対降伏の一大功徳であるという如く、吹聴する事は、甚だ以て片腹痛き次第といわねばならぬ。万一外人が今後とても、皇室の御存続に干渉せずとしても、我等は全く我が皇室を、外国人仁恵(ジンケイ)の下に措(オ)くものであって、実に危険千万であり、実に汚辱至極であり、洵に以て天照大神の御神勅に対して申訳なき次第である。彼等はかかる交渉を外人としたその事さえも、全く日本臣民の臣道に違反している。されば彼等はこの一事に於ても、自ら恐懼謹慎すべきに、殊更に手柄顔で、それを吹聴するなどという事は、彼等は日本の国体を何と心得ているか。皇室の尊厳を何と心得ているか。

 且つ皇室の存続は彼等が許可するとしても、至尊(シソン)の主権には彼等は容喙せずとしても、日本国は至尊の統治し給う所でなくして、外国兵が屯在し、その総督たるマッカーサーが統治する事であるからして、至尊の主権も、至尊の御地位も、全くマッカーサーの下に置かせ参らす事になっている。主権は認めたというも、その主権自身は、米国の一軍人マッカーサーが、米、英、ソ、支の兵を率いて、日本に屯在し、その男の下に置かるるということになれば、恐れながら、陛下の主権は、全く紙上の空文であって、実際の主権は、マッカーサーに在りといわねばならぬ。それを以て、果して国体の擁護が出来たと言うか。皇室の尊厳が保たれたと言うか。洵に以て驚き入りたる次第といわねばならぬ。

 それで殊更に国体云々の文句を担ぎ出して来たのは、全く原子爆弾同様、ソ連の参戦同様、彼等が国民の耳目を眩惑せんとする一の手品に過ぎない。則ち国体も皇室も、彼等敗北論者にとっては、彼等の所志を到達する為めの一種の方便、一種の仮託、一種の口実、一種の保護色に過ぎないというも、差支あるまいと思う。


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