イスラエル軍によるレバノン・ヒズボラ最高指導者ナスララ師の殺害に関し、イスラエルのネタニヤフ首相は、先月28日、「殺害は私が指示した」と明かしました。そして「重要な成果だ」などと強調する声明を発表したといいます。恐ろしい話だと思います。話し合うことなど眼中になく、”逆らう者は許さない”、というシオニストの正体が見えるような気がします。
パレスチナで、ハマス殲滅を掲げつつ、実はパレスチナ人殲滅という民族浄化の攻撃を続けるイスラエルのシオニストは、ドイツでユダヤ人の皆殺しという民族浄化を意図したナチストと変わらない、と私は思います。
現在、そういう人道に反するシオニストの存在を許しているのは、圧倒的な軍事力と経済力で、事実上、世界を影響下においているアメリカが、イスラエル支援を続けているからだと思います。
イスラエルが、”レバノンで限定的な地上作戦を計画し、間もなく開始する可能性がある”、とアメリカにに伝えていたといわれていますが、アメリカは、それを止めることなく許容したのだと思います。「限定的」などという言葉は、その地上作戦を正当化するために使われている言葉だと思います。
国際社会を欺くプロ集団を持つアメリカは、さまざまな情報操作で、イスラエルのそうした蛮行に対する非難の声をかわしつつ、武力による制圧の戦略を、実はイスラエルと共有しているのだ、と私は思います。
だから、Electronic Intifada(エレクトリック・インティファーダ)は、下記のように報じました。
Why Kamala Harris must be defeated. (カマラ・ハリスを倒さなければならない理由)
アメリカの大統領選が迫っているだけに、見逃せない指摘だと思います。
Neither can American citizens ignore the harsh reality that the Democratic Party today represents the most bloodthirsty, war-hungry elements of the US ruling elite. It is, unabashedly, the party of neocons, Zionists, hawks, interventionists and security state apparatchiks.・・・
アメリカ国民は、今日の民主党が、アメリカ支配層エリートの最も血に飢えた分子を代表しているという厳しい現実を無視することはできない。その支配層とは、臆することのないネオコン、シオニスト、タカ派、介入主義者、そして治安国家の官僚たちだ。・・・(機械翻訳)
ナチストのユダヤ人虐殺と同様に、シオニストに統治されたイスラエルのガザ爆撃や、レバノン侵攻その他の蛮行も許されることではないと思います。国際社会は、数え切れない犠牲者を出した二度の大戦を経て、立派な国際法を持つに到ったのに、無視され続けていると思います。
イスラエルは、そうした国際法を尊重せず、あたかも存在しないかのように、パレスチナ人の土地を奪い、分離壁でパレスチナ人を狭い土地に閉じ込め、自由な往来を禁じ、人権を無視し続けて、逆らえば武力でパレスチナ人を殺傷し、抑圧してきたのです。それは、かつての南アのアパルトヘイトと同じです。
下記「ダイヤモンドと死の商人 イスラエルの世界戦略 ユダヤ人Ⅱ」広河隆一・パレスチナユダヤ人問題研究会編(三友社出版)で、イスラエルとアパルトヘイト国家であった南アの関係が分かります。イスラエルは、過去の南ア同様、アパルトヘイト国家であるばかりでなく、かつては、アパルトヘイト国家同士で支え合っていたのです。
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第二部 イスラエルの世界戦略
二つのアパルトヘイト国家──南ア
イスラエルもまたアパルトヘイト国家である
1985年3月、デニス・ゴールドベルグという名前の一人のユダヤ系南ア国民がイスラエルに到着した。彼は、1964年に「アパルトヘイト体制の転覆をはかった」として終身刑の判決を受け、南アフリカ共和国の刑務所に入れられていたが、娘がイスラエル大統領や他の高官に働きかけ、その仲介で釈放されたのだった。
ゴールドベルグは、イスラエルに到着してしばらくすると「南の黒人に対する抑圧と(イスラエルにおける)パレスチナ人への抑圧の、多くの共通点」をイスラエルで見たと述べ、イスラエルがアパルトヘイト体制の最大の同盟者であることを指摘して、南アに対するあらゆる面での経済ボイコットを呼びかけた。ゴールドベルグを追放しようとする動きもイスラエルの国会の中で起こったが、彼自身が、アパルトヘイト国家の最大の支援国などに決して住みたくないと言ってロンドンに向けて出国したのであった。
ゴールドベルクの指摘するとおり、イスラエルは現在、南アフリカ共和国の人種主義白人少数者体制に対する、最も強力な支援国となっている。
その関係は、貿易・軍事・核開発・政治・外交など広範囲な協力におよび、事実上、一国の生存がもう一方の生存を左右するというほどの強固なものとなっている。
なぜこれほどの関係が築かれたのだろうか。それを解く鍵は、南アの元首相ヘンドリック・フルブールトの次の発言の中に見出される。つまり彼は「イスラエルも人種差別国家だ」と語ったのである。
シオニスト運動と南ア政府の結びつきは50年もさかのぼることができる。その当時、イスラエルの初代大統領となるハイム・ワイツマンと南アフリカ共和国首相ヤン・スマッツの間で、緊密な同盟関係が開始されたのである。南アのアパルトヘイト体制の基礎を築いたダニエル・マランは、英連邦諸国からイスラエルを表敬訪問した最初の首相だった。
イスラエルの南アの同盟関係は、1967年の6月戦争のあと、貿易を中心に加速度的に進んだ。戦争直前に南アは、エジプトによるチラン海峡の封鎖を破るために、イスラエルに海軍艦艇を提供した。翌1968年にイスラエル─南ア有友盟が設立されたが、その初代代表はメナヘム・ベギンである。
これは、6月戦争でイスラエルがヨルダン川西岸地区、ガザ地区・シナイ半島およびゴラン高原を占領したことに対して、国際世論の強い非難が起こり、そのためイスラエルは国際的に孤立し始めたが、同じような立場であった南アフリカ共和国との関係がこれ以後急速に深まった結果だと言える。両国は1975年までに正式の外交関係を結んだ。
イスラエル ─ 南アフリカ共和国の貿易は公的に知られているだけでも長期的に増加の方向を示している。イスラエルの対南ア輸出は1965年には270万ドルだったが、74年には2870万ドル、84年には1億400万ドルに達した。南ア駐在のイスラエル貿易担当官ダニ・ゴランによると、600以上のイスラエル企業が、主に化学製品、電気・コンピューター機器、機械、プラスチックの輸出にたずわっている。
南アの対イスラエル輸出も同様に増加している。1965年に430万ドルだったものが、74年には4310万ドル、84年には1億8100万ドルとなったのである。おもな南への対イスラエル輸出品目は鉄、各種の鉱物、そして中でも最も重要なものになりつつあるのが石炭である。
10年近くにわたって、イスラエル軍需産業にとって不可欠な鉄の最重要供給国は南アフリカ共和国だったし、イスラエルの火力発電所要の石炭についても、同様のことがいえる。この石炭は、イスラエルの石油依存度を軽減する上で歓迎されている。
イスラエルを弁護する人々はイスラエルと南アの貿易額が両国の貿易額の1%にもみたないことを指摘し、両国関係は大して深いものではないと述べている。しかし、公表された統計には。最重要な二つの分野が抜け落ちている。つまり、軍需物資とダイヤモンドである。とくに南アがダイヤ原石の世界的産地であることを忘れてはならない。
南アはさらに「デビアス」シンジケートを通じて、ダイヤモンド産出国であるオーストラリアやソ連のダイヤ市場を操作しているのである。オッペンハイマー家率いるデヴィアスは、世界のダイヤ産出量の95%以上を抑え、ロンドンで分配している。そしてイスラエルは世界最大のダイヤモンド研磨センターでもある。最盛時でもたった8000人しか従事していない産業とはいえ、インドのダイヤ産業の35万人の労働者によって確保されるより多くのダイヤを、イスラエルはカットし、加工している。軍事関係の輸出を除くと(もちろん、これは統計には現れないのだが)、ダイヤモンドはイスラエル最大の輸出品目である。
経済ジャーナリストのアブラハム・ツァハルが1986年1月9日付のイスラエル日刊紙『ハアレツ』で報告しているところで、デビアス・シンジケートによるダイヤモンド原石の総売り上げは18億2000万ドルにのぼる。イスラエルはそのうち三分の一を直接手に入れており、また別の三分の一をアントワープ、ロンドン、ニューヨークのダイヤ取引所で仲介者を通じて間接的に買っているという(残りの三分の一はデヴィアス傘下の他国の研磨業者に売れる)。イスラエルと南のダイヤ取引きは、公に発表れた数字でも12億ドルにのぼる。しかしこの数字は、実数よりも小さいと考えられている。
易のほかに、両国はお互いを「コンジット(地下パイプ)」として利用し、利益を得ている。南アで生産された半製品状態の商品はイスラエルに送られて完成品となり、「メイド・イン・イスラエル」のラベルを付けてEC諸国やアメリカへ船積みされていく。
南の大蔵相バレンド・デ・プレッシスは「イスラエルのECに対する戦略的位置の有利さは、貿易関係を捏造する上で役に立つし、提案されている自由貿易協定地域を経由してのアメリカ向け貿易の隠されたルートとしても役立つ」と提言している。
資本の交流 ・・・略
南アシオニスト組織からの送金
イスラエル国家は、南アのシオニストたちから長年にわたって援助を受けてきている。たとえば首都プレトリアのシオニスト連盟は、1973年の10月戦争の時、3000万ドルを送金している。また、この連盟による1980年の総金額は2000万ドルであったが、この金額は、世界各地のユダヤ人コミュニティにおける一人当たり総金額としては最高額を示している(アメリカからの一人当たり総金額に比して約2.5倍)。
南アフリカ共和国におけるシオニスト機構は、特別な地位を享受している。通常、この種の送金は資本の国外流出を許すおそれがあるため、禁止ないし規制を受けることになるが、シオニスト機構はこれをまぬがれているのである。
この特権は1962年から67年にかけて一時停止されたことがある。この時期イスラエルは、ブラック・アフリカ諸国の市場への進出を望んでおり、国連で南アに対する反対票を一度だけ投じた。特権の停止は、それに対抗してとられた措置であった。
南のシオニストたちによるパレスチナのシオニスト入植者への援助は、きわめて早い時期から始まっていた。1922年には、彼らは。ビンヤン信用保障会社を設立して、入植者たちに住宅を提供している。同様の基金は、アシュケロン港の整備や、国営のエルアル航空にも提供された。
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