真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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竹島問題 アメリカ大使館 秘密書簡(竹島領有権問題18)

2010年03月26日 | 国際・政治
 1946年1月29日に発せられた"SCAPIN 677"(GHQ指令第677号)を受けて、サンフランシスコ講和条約の第5次草案までは、竹島=独島は、日本が放棄するものとされていた。しかし、第6次草案では、その竹島=独島の記述が消え、逆に日本の保有領土の項に竹島=独島を明記した案が作成されたりして二転三転した後、最終案では、日本の保有領土の項からも竹島=独島は消えることとなったようである。
 「竹島=独島論争 歴史資料から考える」内藤正中・朴炳渉(新幹社)には、その経緯を明らかにする一つの資料として、アメリカ大使館の秘密書簡が取り上げられている。その中には「アザラシの繁殖地であるリアンコール岩は、ある時期、朝鮮王朝の一部であった」(The rocks, which are fertile seal breeding grounds, were at one time parof the Kingdom of Korea.)という一文があるが、これは、日 本の竹島=独島の領土編入が違法であったとする考え方につながるものであり、重要であるといえる。日本政府は、竹島=独島が、かつて朝鮮王朝の一部であったという事実を認めていない。「……無人島ハ他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡ナク……」ということで、日本の領土に編入したのである。しかしながら、アメリカ国務省は一度ならず竹島=独島の歴史を精査し(The history of these rocks has been reviewed more than once by the Department……)、「ある時期、朝鮮王朝の一部であった」と秘密書簡で結論づけていた。「竹島=独島論争 歴史資料から考える」内藤正中・朴炳渉(新幹社)から、その解説と秘密書簡原文を抜粋する(訳は省略)。
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3 アメリカ大使館の秘密書簡
                                            朴炳渉
1 解説

 この資料は、なぜ、サンフランシスコ講和条約において竹島=独島が記述されなかったのか、その経緯を明らかにする資料として注目されます。条約にリアンコール岩(竹島=独島)が記載されなかった理由として、駐日アメリカ大使館は下記のように日韓双方の主張をあげました。

①リアンコール岩は、ある時期、朝鮮王朝の一部であった。
②日本は、日本の領土に編入し、ある県の行政下においた。

 アメリカは日韓双方の主張に考慮し、竹島=独島の領有権を明確にしなかったことが、この書簡からうかがえます。なかでもアメリカの「竹島=独島は朝鮮王朝の一部であった」という認識が文書により明らかになった点は特に重要です。
 書簡は、アメリカ軍による第2次竹島=独島爆撃事件を機に、駐日アメリカ大使館により作成され、国務省へ送られました。書簡の背景を明らかにするために「第2次竹島=独島爆撃事件」の概要を尹漢坤氏の文から左記に引用します。なお、書簡は、アメリカの韓国史研究者であるロブモ氏により発見されました。


 1952年9月25日午前11時ころ、米極東軍司令部所属の爆撃機が独島上空に出現し、独島を2回旋回した後、4個の爆弾を投下して南へ飛んでいった。当時、独島には20余名の船員と海女が操業していたが、幸いにも人命被害はなかったようだ。
 ちょうど、国土究明事業で韓国山岳会の第2次鬱陵島・独島学術調査団一行36名が9月18日に鬱陵島へ来ていたが、この時、(1948年についで)再度起きた独島爆撃の消息に接するようになった。一行は関係当局に電文を送り、この消息を伝え、調査団の安全な航海を保証してくれるよう要求した。しかし、一行が9月22日、2回目に独島(ママ)を出発し、午前11時ころ、独島付近2キロの海上に接近したとき、突然4台の飛行機が現れ、海上に爆弾を投下した。結局、再び上陸ができず、鬱陵島に帰還することになった。

 
2 書簡の口語訳(省略)

3 書簡の原文

FROM :AMEMBASSY,TOKYO,October 3,1952
TO :THE DEPARTMENT OF STATE WASHINGTON
SUBJECT :Korean on Liancourt Rocks.


In the constant clash of interests which continues exacerbate relationsbetween Japan and Korea, there has recently occurred a minor incident whichmay achieve larger proportions in the near future, and which may introducerepercussions affecting the United States.The incident concerns the disputedterritory known as the Liancourt Rocks, or Dokto Islands, the sovereigntyto which is in dispute between Korea and Japan.


The history of these rocks has been reviewed more than once by the Department,and does not need extensive recounting here. The rocks, which are fertileseal breeding grounds, were at one time part of the Kingdom of Korea. Theywere of course, annexed together with the remaining territory of Koreawhen Japan extended its Empire over the former Korean State. However ,duringthe course of this imperial control, the Japanese Government formally incorporatedthis territory into the metropolitan area of Japan and placed it administrativelyunder the control of one of the Japanese prefecture. Therefore, when Japanagreed in Article Ⅱ of the peace treaty to renounce "all right, titleand claim to Korea, including the islands of Quellait, Port Hamilton andDagelet",the drafters of the treaty did not include these islandswithin the area to be renounced. Japan has, and with reason, assumed thatits sovereignty still extends over these islands. For obvious reasons,the Koreans have disputed this assumption.


The rocks, standing as they do in the open waters of the Japan Sea betweenKorea and Japan, have a certain utility to the United Nations aircraftreturning from bombing runs in North Korean territory. They provide a radarpoint which will permit the dumping of unexpended bomb loads in an identifiablearea. Being uninhabited and providing a point of navigational certainty,they are also ideal for a live bombing target. Therefore, in the selectionof maneuvering areas by the Joint Committee implementing Japanese-Americansecurity arrangement, it was agreed that these rocks would be designatedas a facility by the Japanese Government and would serve the purposes mentionedabove. They were turned into a bombing target, were declared a danger area,and have been posted as out-bounds on a 24-hour 7-day a week basis.


Imformation to this effect was disseminated throughout the Far East Commandand presumably throughout the subordinate comands of the Far East Air Forceand the Naval Forces, Far East. Very recentry the imformation has beenpassed on to the Commander-in-Chief of the Pacific Fleet at Pearl Harbor,in order that he may give it formal dissemination in the form of a hydropac,or notice to mariners.


Despite this, the United Nations Naval Commander in Pusan (CTG 95.7) apparentlywas unaware of the dangers existing on these rocks, and when he receiveda request from the Chief of Naval Operations of the ROK Navy to permitthe dispatch of a scientific expedition to the rocks, he granted that permissionon September 7,1952 and the expedition departed from Pusan on September12, 1952.The purpose of the expedition was not made cear, but its intenthas obviously been to establish claim to Korean sovereignty over the rocks.It also appears that Korean fishermen have been regularly using the rocksfor fishing purpases and have been probably capturing seals in the vicinity.


When the aforementioned "scientific expedition" reached the islands,they apparently passed their time in area without incident. However uponreturn, the leader of the expedition reported that a fishing crew gatheringsea shells in and around the rocks on the 15th of September, had been bombedby a United State plane, and had fortunately escaped injury by retreatinginto the caves.


The original permission granted by CTG 95.7 for the scientific expeditionto travel to the rocks had been brought informally to the attention ofthis Embassy (Enclosure 1.) The Embassy took action with the Far East Command,and through that Command with the Naval Forces Far East, to advise CTG95.7 to refrain from granting any further permits of this type. It wasnot until after this action had been taken that the bombing incident hadtaken place.


It is considered that the recent reassertion of the danger zone on theserocks should suffice to prevent the complicity of any American or UnitedNations Commanders in any further expeditions to the rocks which mightresult in injury or death to Koreans. However, owing to the crude implementationof Government controls in Korea, it is questionable that all independentKorean fishermen can be dissuaded from continuing their expeditions intothese rocks. There therefor exists a fair chance that some time in thenear future American bombs may cause loss of life or other incidents whichwill bring the Korean effort to recapture these islands into more prominentplay, and may involve the United States unhappily in the implications ofthat
effort.


 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「……」は、文の一部省略を示します。 

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76 コメント

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国家の領土を決める権源は国際法に則った領有手続... ()
2012-02-22 20:55:31
国家の領土を決める権源は国際法に則った領有手続きがすべてです。それはかつて日本人がかつて樺太と呼び、大泊に番屋を置き、間宮海峡を発見したからとて、樺太領有権主張をしても国際法的に無茶があることで、明白だと思います。
竹島が韓国領有とするのであるならば、1905年前に朝鮮王朝が近代法に則り領有宣言がなされたとの証明と、サンフランシスコ平和条約において日本が竹島を放棄し韓国に割譲したことを証明しなければなりません。

結局この報告書でもあるように、竹島がmetroplitan area(母国領域)に所属し、サンフランシスコ平和条約の草案者が竹島を放棄すべき領域から外したことが書かれています。

韓国側の竹島が鬱陵島の属島していますが、常識的には無理のある拡大解釈と考えるの常識的です。
返信する
>国家の領土を決める権源は国際法に則った領有... (syasya61)
2012-02-22 22:00:21
>国家の領土を決める権源は国際法に則った領有手続きがすべてです。

という以前の過去の朝鮮人や日本人の領有意識、また、その歴史的事実関係をとらえなければなりません。
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過去の領有意識云々は感情論かと。竹島に限らず、... ()
2012-03-07 18:14:10
過去の領有意識云々は感情論かと。竹島に限らず、樺太、千島についても日本が江戸時代に影響力があったことは自明です。
返信する
>過去の領有意識云々は感情論かと。竹島に限ら... (syasya61)
2012-03-07 20:53:21
>過去の領有意識云々は感情論かと。竹島に限らず、樺太、千島についても日本が江戸時代に影響力があったことは自明です。

 樺太や千島と無人島の竹島を同列に論じることはできません。また、無人島の場合、領有意識は極めて重要です。

返信する
>樺太や千島と無人島の竹島と同列にあつかえません。 ()
2012-03-07 21:16:39
>樺太や千島と無人島の竹島と同列にあつかえません。

なぜ?無人島だろうが有人島だろうが法的扱いは変わりません。それこそ独善的主張です。法的根拠とその証拠がもっとも重要です。
返信する
>なぜ?無人島だろうが有人島だろうが法的扱い... (syasya61)
2012-03-08 08:36:49
>なぜ?無人島だろうが有人島だろうが法的扱いは変わりません。

そんな無茶な。無人島の領有権の根拠が問題なのですよ。
返信する
>そんなむちゃな (q)
2012-03-08 16:45:43
>そんなむちゃな

感情論です。国際司法の場で有人島、無人島の差で判決が変わった判例をお示し下さい。それが一番説得力があります。
返信する
>感情論です。国際司法の場で有人島、無人島の... (syasya61)
2012-03-08 22:26:08
>感情論です。国際司法の場で有人島、無人島の差で判決が変わった判例をお示し下さい。それが一番説得力があります

 何か虚しい議論ですね。
 日本政府が竹島の領土編入を閣議決定し、それを官報に掲載せず、もちろん朝鮮に通告もせず、島根県の告示で「北緯37度9分30秒、東経131度55分、隠岐島から西北85海里に位置する島を竹島と命名し、今後は本県に所属し、隠岐島司の所管とする」としました。何故ですか。
 その際、「……隠岐島ヲ距ル西北85浬ニ在ル無人島ハ他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ム形跡ナク……」と無主地先占で、領土編入を決めたのですよね。有人島ではあり得ませんよね。
 その時すでに、大韓帝国は勅令第41号で鬱陵郡を設置し、郡庁に竹島(独島)も管轄させることとしたようですよ。通告するとまずいことになったからではありませんか。目先の国益に目が眩んで、真実を見失ってはいけないと思います。

 明治10年3月20日時の大臣 岩倉具視は、「別紙内務省稟議の日本海内竹島外一島地籍編纂之件」という文書の中で

 「右の件は、元禄5年朝鮮人(安龍福)が入島以来、旧政府と該国(朝鮮)との往復の結果、本邦とは関係なしと聞き、申し立ての稟議の趣旨を聞き、次のような指令を作成し、この件に対し稟議する」として「稟議趣旨の竹島外一島の件に対して、本邦は関係なしと心得るものなり」と指令しています。

 「そんなの関係ねえ」と言われそうなので、もう終わりにしたいと思います。

 真実をみつめることをせず、力でねじ伏せたり、裏工作でごり押ししようとする集団が、日本で勢力を伸ばすことを憂慮しています。


 
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こちらが言っているのはあなたが主張した、「有人... ()
2012-03-09 06:35:26
こちらが言っているのはあなたが主張した、「有人島と無人島の違い」で国際法を基にした判例なり解釈があるかということです。論点をずらさないでください。

大韓帝国が1901年にだした勅令四十一号で韓国側は石島が現在の竹島でこれを根拠に竹島が韓国領だと言っていますが、その石島が現在の竹島だとする根拠が明確ではありません。石島の発音が韓国がいうトクトに似ているからだとかいろいろ学者が主張していますが個人的にはどれもとってつけたような屁理屈に思えてなりません。日本側は石島=観音寺島だろうとしています。
ただ韓国側も自分の主張が正しいとするならば、その主張を堂々とハーグの国際司法裁判所ですればよい。

竹島外一島についても時系列から
すれば19世紀(1877年)の一過程であり、当時あると信じられていた竹島(鬱陵島)のより日本側から見て西にある架空の島だった可能性が高い。しかし
ここで議論しても意味がない。当時確立していた領土に関する国際法に基づいて行なう領有宣言以前の話ですから。

真実を見つめずという下りは少なくとも外国の言っていることに迎合することではない。真実が韓国側にあるなら、国際法に準拠して堂々と裁判をすべきです。我々は中国と違い、「自分たち主張を真実」と称して、ベトナムからスプラストリー諸島やパラセル群島を武力で奪ったりする国家ではありません。

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>論点をずらさないでください。 (syasya61)
2012-03-09 09:13:20
>論点をずらさないでください。

 そのままお返しします。竹島で無主地先占が成立するかどうかが問題なのです。国際法成立以前の歴史的事実や領有意識が問われるのです。

>「有人島と無人島の違い」で国際法を基にした判例なり解釈があるかということです。

>ただ韓国側も自分の主張が正しいとするならば、その主張を堂々とハーグの国際司法裁判所ですればよい。

>ここで議論しても意味がない。当時確立していた領土に関する国際法に基づいて行なう領有宣言以前の話ですから。

>我々は中国と違い、「自分たち主張を真実」と称して、ベトナムからスプラストリー諸島やパラセル群島を武力で奪ったりする国家ではありません。

 いずれも的外れであり、論点がズレています。 時間がもったいないので終わりにしたいと思います。
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