真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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原爆投下決定と原爆投下命令の諸問題

2013年11月05日 | 国際・政治

 すでに『「ポツダム宣言」発表前の原爆投下命令』で取り上げたように、原爆投下命令が発せられのは1945年7月25日であり、 「ポツダム宣言」(1945年7月26日)発表前である。その命令書は、陸軍参謀総長局参謀総長代理トマス・ハンディ(陸軍大将)署名の米陸軍戦略航空隊司令官カール・スパーツ(陸軍大将)宛てである。この命令の存在は、日本がポツダム宣言を「黙殺」・「拒否」したので原爆投下に至った、という一般に語られている筋書きと矛盾するものである。

 その命令書には、
陸軍長官と(マーシャル)参謀総長の命により、かつその承認のもとに、貴官に出されたものである。貴官がこの指令の写し各一部を(西南太平洋軍総司令官の)マッカーサー陸軍元帥と、(米太平洋艦隊司令長官の)ニミッツ海軍元帥に対し、情報として自身で手交されるのが望ましい…”
とある。また、
”第20空軍第509混成群団は、1945年8月3日ころ以降、天候が有視界爆撃を可能にするようになり次第、最初の特殊爆弾(原爆)を、次の目標のうちの一つに投下すること。広島、小倉、新潟、長崎。…”
とある。したがって、日本軍を直接相手にしている現場のマッカーサーやニミッツが原爆投下計画には関わっていないことが察せられる。それだけではなく、この命令書は、日本の降伏に関わる動きに全く触れておらず、投下中止の可能性がなかったことをうかがわせる。

 また、原爆投下後にトルーマン大統領は声明を発したが、その声明文の草案はスティムソンによって事前に作成されていた。原爆投下準備の進捗に合わせ、その一部を修正したものが、ワシントンからポツダムのトルーマン大統領に送られた7月30日時点で、スティムソンは鈴木貫太郎首相の「黙殺」発言(7月28日)を知っていたにもかかわらず、そのことには全く触れなかった。

トルーマンは、その回顧録で
「(前略)7月28日、東京放送は日本政府が戦争を継続するであろうと発表した。アメリカ、イギリス、中国による合同の最後通告に対する正式回答はなかった(nofoemal reply)。いまや他の選択はなかった。日本がその日までに降伏しない限り(原子)爆弾は8月3日以降に投下される予定になっていた(後略)”
と書いている。鈴木貫太郎首相が記者会見でおこなった言明を知りながら、正式回答はなかったというのである。「黙殺」発言を正式回答とは受け止めていないということであろう。

 ところが、トルーマンは、原爆投下後、一転して日本のポツダム宣言拒否を原爆投下の理由とする。
 以上のようなことから、トルーマンと側近のアメリカ首脳部にとっての中心課題は「日本の降伏」ではなく、「原爆投下」であった、と推察される。
 スティムソンから
グローブスの計画の時間表が、まことに迅速に進行しているので、閣下が発表される声明が、遅くとも8月1日の水曜日までに当地(ワシントン)に届くことが、今や必要不可欠になりました。この声明の草案は以前にお見せしましたが、今回次の諸点をかんがみて、小職が修正しました。
(イ)最近大統領が発表された最後通告(ポツダム宣言)
(ロ)核実験の劇的な成果
(ハ)英国が提案した小さな修正点
 閣下の手に届くよう、明日(修正済み草案の)コピーを、特使に持たせて行かせる予定ですが、万が一にも到着が間に合わない場合は、必要が起き次第こちらのホワイトハウスから修正入りの大統領声明を発表することで、閣下の権限を委任していただければ幸甚です。周囲の状況からこの緊急措置が必要となったもので、恐縮しています

という電報をポツダムで受け取ったトルーマン大統領は、すぐに

Reply to your 41011
Suggestions approved
Release when ready
but not sooner than
August 2
HST
(訳) 陸軍長官あて
貴電41011号への回答
提案(複数)を了承する
状況到来次第公表されたし
ただし早くとも
8月2日以降とする
HTS(ハリー.S.トルーマン)


と返し、ポツダム首脳会談閉幕日以降の原爆投下と、その声明の発表を承認しているのである。日本の降伏に関わる動きは、全く考慮されることなく、原爆投下計画が進んだといえる。
「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」と言われる理由は、そこにある。

 その他にも、原爆投下には、下記に指摘されているような、
”4つの問題点”がある。「黙殺 ポツダム宣言の真実と日本の運命」仲晃(日本放送出版協会・NHK-BOOKS-891)から抜粋した。
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               第7章 重慶への至急電報

 原爆投下と、”分別をつくした熟慮”

 ここで、ポツダム首脳会談の動静を追うのをしばらく中断して、少し回り道になるが、日本への原爆投下について、これまであまり取り上げられなかった4つの問題点
(イ)原爆の破壊力の本質に対する米軍首脳部のあいまいな認識
(ロ)最新の日本関連情報を関係者に知らせないままの原爆使用決定
(ハ)”軍事都市”かどうかの検証のないままの投下目標都市の選択
(ニ)投下目標から京都を除外した政治的理由

 終戦から一年近く前の1944年9月19日、当時のローズベルト大統領が、ニューヨーク州ハイドパークの自宅にチャーチル英首相を招いて行った2人だけの首脳会談で、原爆の使用について秘密の覚書を交わしていたことが、戦後明らかになっている。その中で両首脳は、「それ(原爆)が利用可能になれば、分別をつくした配慮をしたのち、ことによると(mightperhaps)日本人に使用されることになるかも知れない」と書いていた。


 ・・・

 7ヶ月後、米大統領はトルーマンに代わっていた。”人間らしさ”を踏まえたハイドパーク協定は、名実ともにきれいに忘れさられてしまう。
 最初の問題点は、原爆の破壊力の本質に関する米軍部の認識が、ごく一面的だったことである。
 グローブス少将や側近は、通常(TNT)爆弾に換算して最大2万トンにも達する原爆の破壊力をほぼ正確に予測していたが、軍事的効
果の源泉を、巨大な「爆風」によるものと考えていたという。原爆投下の政策決定過程を研究している米スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授は、グローブスらが当時、原爆は地表はるか上空で爆発させられるため、主としてその爆風(blasteffect)によって物的被害がもたらされると想定していた、と書いている。このため、原爆の命中精度がかりに最低であっても、最大限の数の住居や工場を修復不能な程度にまで損害を与えうる、と彼らは考えていた。


 ・・・  

 現在十分な資料が残っていないものの、オッペンハイマーが提起したこの放射能被害の問題を詳細に検討しようとした「目標選定委員会」のメンバーは、一人としていなかった、とバーンスタイン教授は述べている。

 ・・・

材料を与えず原爆使用論議をさせる

 二つ目の問題点も、これと通じるものがある。
 原爆の使用に関する米大統領の最高諮問機関の「暫定委員会」(委員長はスティムソン陸軍長官)の下部機関として設置された4人の著名な科学者からなる「科学問題特別諮問委員会」というのがあった。アーサー・コンプトン(ノーベル物理学賞)、前記のオッペンハイマー、エンリコ・フェルミ(ノーベル物理学賞)、アーネスト・ローレンス(ノーベル物理学賞)がそのメンバーである。

 そんなとき、原爆を事前警告なしに日本に投下する動きを見て、ジェームス・フランク、レオ・シラードらの著名な物理学者たちがつくる科学者の委員会が7月11日に報告書を発表した。
 報告書は、原爆の使用についての決定を軍に委ねるべきではない、とし、最高指導者(大統領)が、この問題を慎重の上にも慎重に考慮すべきである、と述べる。そして、原爆は実戦で使うのではなくて、国連のすべての国の代表を招いて、砂漠か不毛の島で、原爆の示威実験を行うよう提案した。


 ・・・

 だが、問題は諮問委員会の結論の内容というよりも、そうした結論を出すのを余儀なくさせた政府の姿勢にあった。この4人の超一流の物理学者たちは、原爆の実戦使用か、非軍事的(平和的)な公開実験かの論議をするのにあたって、必要な討議資料を何一つ政府から提供されていなかった。当時の日本の軍事的敗北は、このままでも時間の問題になっていること、早期終戦を望む平和勢力があり、その一部はソ連その他に働きかけて、和平の仲介を要請してたこと、11月には米軍の九州上陸作戦が予定されており、この作戦が成功すれば日本はたぶん降伏すると米軍首脳部が予測していたことなど、内外の政治・軍事情勢がそれである。メンバーが全員物理学者というのに、近く実験が行われる原爆の兵器としての威力さえも知らされていなかった。バーンスタイン教授によると、戦後になって、これらの科学者たちの何人かが、以上のような事実をしぶしぶ認めたという。オッペンハイマー博士は、とりわけ辛辣な口調で、「軍事情勢など、豆粒ほども知
らなかった」と回想している。



原爆投下とモラル・ハザード

 原爆の投下目標を選ぶさい、”軍事都市”かどうかの厳密な検証が、米軍上層部の手で一度も行われなかったという第3点は、終戦前夜の軍人たちの倫理観の荒廃ぶりを見せつける。最近の言葉でいえば”モラル・ハザード”が蔓延していた。政治家出身のスティムソン陸軍長官は、45年に入ると米空軍の猛烈な都市爆撃によって、多数の民間人が犠牲になっていることに心を痛めていた。そして、民主主義の先進国を自負する米国だけは、ヒトラーをも上回る残虐な行為を行ったとの汚名を着せられたくない、と考えていた。しかし、そのスティムソンが委員長をつとめる「暫定委員会」は、原爆の投下目標の選定について、一度も厳密なガイドラインを明示したことはなかった。その下部機関の「目標選定委員会」も、数多くの日本の都市を原爆投下の目標として検討したが、広島は「通常爆撃で手つかずのままになっている最大の目標」、八幡は「鉄鋼産業で知られる町」といったごく一般的な描写ばかりで、綿密な資料を突き合わせた上で、どの程度の”軍事都市”なのかといった検討はなかった


 「目標選定委員会」は結局、原爆の軍事的効果だけを投下目標選定のほとんど唯一の基準にし、原爆が”恐怖の兵器”として認識されることを最重要と考えた。そして、日本に対して最大の心理的影響を与えるとともに、アメリカがこの新兵器を保有したことを全世界、とりわけソ連に認識させるような形で使用されるべきだと強調したのである。

・・・

京都が除外された本当の理由

それでもスティムソンは、戦争末期のアメリカが、いつの間にか”戦争への情熱とヒステリー”に取りつかれている、と感じ、これを食い止めようと力をつくしていた。
 老いたるドン・キホーテのようなスティムソンのところへ、7月21日、神経を逆撫でするような電報がワシントンから届いた。腹心のハリソン補佐官からで、グローブス陸軍少将ら現場幹部からの露骨な圧力に突き上げられて、やむなくその要望を取り次いだものである。
「グローブス将軍はじめ、当地ワシントンの空爆作戦担当者たちは、日本での原爆投下目標の4都市の中で、長官が除外するよう関心を示してこられた京都への投下をとりわけ望んでおり、出撃当日の日本上空の気象条件いかんでは、これを投下目標の第1目標にしたいと希望しています」
 頭にきたスティムソンは、折り返しこれを厳しく却下する至急の返電をワシントンに打たせた。いわく
「小職の決定を変更すべき要素は見当たらず。それどころか、当地(ポツダム)での新しい要素がこれ(京都爆撃回避)を確認しつつあり」
「当地での新しい要素」の内容は具体的に書かれていないが、日本がすでに敗勢を認め、ソ連を通じて懸命の和平工作に乗り出したことを、スティムソン長官は「マジック」の暗号解読を通じて十分知っており、こうした状況を指したものと思われる。実は、これこそスティムソンが原爆投下目標から京都を除外するに、あれほど強く固執した政治的、外交的背景であった。


 京都が原爆の投下目標として”魅力的”とされたのは、第1に百万の住民の住人口密集地帯であること、第2には日本の古都かつ学術都市として、日本の知性の一大中心地であり、原爆の衝撃を住民がより正確に理解すると考えられたこと、などによる。
 5月28日に開かれた目標選定委員会の第3回会議でも、京都は広島と長崎を押さえて、依然投下目標リストのトップに置かれた。

 5月31日の委員会では、スティムソンとグローブスが公然と対立した。神社仏閣が多い古都の京都に原爆を投下すれば、アメリカは日本国民の反感を買い、戦争継続の意思をかえって強めることになる、として、スティムソンが投下目標リストから京都を削除するように主張する。だが、グローブスは上司を前に一歩も引かない。グローブスの先輩で、陸軍からの”空軍”の独立に執念を燃やしているアーノルド陸軍航空隊総司令官(元帥)までが、京都は軍事活動の拠点である、と主張してグローブスの肩を持つ有様であった。


 困り果てたスティムソン長官は、このときの議論を踏まえて、ホワイトハウスを訪ね、京都を原爆攻撃すれば、アメリカは全世界からヒトラーと同じレベルの野蛮人と見なされてしまう、との持論でトルーマンンに訴えた。大統領もこれに同調し、議論はいったん終止符を打ったかに見えた。しかし、グローブス以下の軍官僚たちが、「京都」を全然あきらめていなかったことを、7月21日のハリソン補佐官からの電報がハッキリ示していた。

 ・・・

 こうしてスティムソン陸軍長官の強力な政治的介入により、京都は原爆の攻撃目標からはずされたが、現在の時点から振り返ってみると、より多くの問題点が見えてくる。
 第1に、京都が目標リストから除外されたため、長崎が繰り上げられてリストに入り、8月9日に第2発目の原爆を投下された。悲劇の犠牲者が入れ替わっただけであった。
 第2に、スティムソンの動機は、京都市民の生命というよりは、この町に残る過去の遺産を救済する(バーンスタイン)ことにあった。原爆によるこうした歴史的遺産の破壊が、日本人憤激させ、のちになって日本がソ連と組むようになる可能性を、この老練な政治家は懸念したのである。


 ・・・

 スティムソン陸軍長官が、ポツダム首脳会談開催の前夜の7月16日にトルーマンン大統領に長文の覚書を提出し、「日本との戦争の進め方」についての意見を詳しくのべていたことはすでに紹介した。スティムソンはこの中で、日本がソ連に接近を試みている、との最新のニュースに大きな関心を見せている。さらに、7月24日「スティムソン日記」はもっと端的にこう書いている。
「(前略)こうした野蛮な行為によって生まれるかも知れない(日本国民の)苦々しい感情は、戦後の長期間にわたってアジア地域で、日本人たちがロシア人とではなくアメリカと和解するのを不可能にしてしまうこも知れない。われわれの政策は、ソ連が満州に進攻した場合、日本がアメリカ寄りになることを必要としているが、こうした(京都への原爆投下のような)やり方は……そうしたアメリカの政策の実現を阻害する可能性がある(後略)」




http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。 

コメント (43)
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