真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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関東大震災 中国人集団虐殺 中華新報と読売の社説

2011年11月23日 | 国際・政治
 関東大震災後、多数の朝鮮人が虐殺されたことはよく知られている。そして、そのとき朝鮮人と間違えられて殺された日本人も1人や2人ではなかった。政府による事件調査の「震災後に於ける刑事事犯及之に関聨する事項調査書(「現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人」)では、第5章「鮮人と誤認して内地人を殺傷したる事犯」に死亡58人とある。

 しかし、朝鮮人虐殺とはちょっと様子を異にした中国人の集団虐殺があったことは余り知られていない。同調査書でも、軍や警察を主体とする中国人の集団虐殺には全く触れられておらず、第6章に「支那人を殺傷したる事犯」として死亡3人とあり、民間人による棍棒や槍による殺害行為が記載されているだけである。

 「震災下の中国人虐殺 中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか」(青木書店)の著者「仁木ふみ子」は、日本側資料や中国側資料を徹底的に調べ上げ、重複を省き、たびたび中国の山奥のトイレのない村々にまで聞き取りに赴き、80数人の生存者や遺族から情報を得て確認し、その被害者総数が758名であるとしている(氏名不詳42名を含む)。死者は656名、行方不明(王希天を含む)11名。負傷 者91名。その負傷者も軽傷の2名を除いて、長くは生きられなかったというのである。

 著者は同書に「姓名、年齢、原籍、災前住所、被害時間、被害場所、加害情形、被害情形」等が記入された「王兆澄調査 日本人惨殺華工の鉄証」や「駐日中国公使館 中華民国僑日被害者調査票」、「中国外交部調査 中華民国留日人民被害調査票」、「温州旅同郷会日人惨殺温州僑胞調査票」等を添付するとともに、1990年、著者自身の温州での現地調査によって判明した氏名を追加して、「中国人被害者名一覧」を載せている。多数の関係者の証言もあり、中国人集団虐殺の事実は否定しようがない。しかしながら、日本の政府は中国人虐殺の場合も、軍や警察による虐殺を完全に無視しているようである。

 集団虐殺の惨劇現場は、中国人労働者の宿舎が集中していた(60数軒あったという)大島町(8丁目や6丁目)で、その加害者は、軍や警察を主体とし、一部青年団や消防団などの民間人を含む日本人なのである。著者仁木ふみ子は、2年半その大島町に住んで、現場を歩いたという。そして「この事件を追うことは、日本人および日本社会のもつ致命的欠陥を凝視することになるのだが、現代も全く変わっていたいのではないか」と投げかけているが、こうした事実が、隠蔽されたまま現在に至っているということに驚くとともに、こうした事実をなかったことにしてしまう歴史教育は許されないのではないかと思う。

 下記は、同書の中で取り上げられている「中華新報の社説」と、「まぼろしの読売新聞社説」である。事件の概要と日本政府や軍及び警察の対応のあらましをつかむことができる。ただし、記事中の死亡者数はかなり少なく、その時点で把握できたおよその数であると思われる。(文中の読み仮名は、半角カタカナ括弧書きにした)
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                  V 事件の発覚と追及

 3 中国のマスコミと世論

『中華新報』の社説

 『中華新報』の社説の一節をかかげる。

 ……日本の震災の初めは大変な混乱で、警察力も不足し、青年団の暴行も烈しかった。中国の学生も非常な辱しめを受けた者がいる。しかし、中国人一般は、空前の変災中の事として深く理解し、これを責めるつもりはない。だが、200余人の華工が殺され、共済会長王希天が警察に捕らえられたまま行方不明であるとするならば、事は重大で不問に付するわけにはいかない。……日本の官庁が知らないわけはないし、知れば検挙しないわけにはいかないだろう。日本で未だにこのことが伝わらないのは、それが事実無根だからではなく、故意の隠蔽によるものである。……隠蔽は如何なる意図によるのか。……不可解である。共済会長王が捕らえられたのは、まぎれもない事実である。其人尚ありとするならば、どこに居るのか。すでに殺されたとするならば何の咎によるのか。……日本政府は即刻発表すべきである。

 ……たとえ、ことごとく自警団の暴行であったとしても、日本当局は責任を負わなくてはならない。しかも王氏の報告の表(王兆澄の調査表「日本人惨殺華工の鉄証」のことであろう)によれば、軍隊、警察の手によったものがかなりある。震災の戒厳は暴民を取り締まるにある。もし被害華工たちが、殺人、放火をしたという事がなければ、軍禁を犯したことにはならないはずである。何故これを殺したのか。


……日本の新聞の最近の記事では、震災中の無数の暴行がだんだん暴露されてきた。その中、日本官吏の最も不名誉なものは往々にして殺人の後、これを隠蔽している。憲兵甘粕がほしいままに大杉栄夫妻及その7歳の甥を殺してその死体をかくしたように。……又、亀戸地方で、労働党14人を殺して軍警また死体をかくし、その家人に告げなかったのも同様である。青年団の種々の残虐、軍警の合法非合法の種々の拷問をみると、華僑の被害もあり得ることだと思われる。しかも日本軍警の度重なる隠蔽をみれば、華僑事件の隠蔽もうなずけるのである。吾人は誠意を以て日本国民に訴える。日本文明の名誉のために、中国国民の感情のために、人道と法規のために、世論の力を以て、東京当局を鞭撻し、速やかにこの事件を発表し、法によって責任者を追及し、以て寃魂を慰め、公道を明らかにされんことを。日本国民の令名が少数暴力者のために汚されることのないことをこいねがうのである。(『中華新報』10・17)

 上海にはじまるこの一連の報道は、中国各地へ飛火して世論をまきおこし、外交部への対日交渉要求となった。


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                4 日本のマスコミと探索

 まぼろしの読売新聞社説

 11月7日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、2面の社説と5面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。政府に強烈なインパクトを与えたといわれる「まぼろしの読売社説」は復原すると次のようである。

    支那人惨害事件
       1
 朝鮮人虐殺及びこれに伴うて我が日本人まで殺傷を被るものがあった事件は、大杉其他の暴殺事件と共に、日本民族の歴史に一大汚点を印すべきものであることは、繰返して此に言うまでもない。然るに朝鮮人以外に多数の支那人が同様の惨害を被っている事実があることは、それよりも大なる遺憾事である。しかもその事件の発生以後二ヶ月を経る今日まで我が政府は何らこれに関する事実をも将(ハ)たこれに対する態度をも明かにしていない。吾人はなるべく我が政府が自発的に行動をとらん事を希望して今日に至ったが、国民の立場として何時(イツ)までもこれを黙止するわけにはゆかぬ。


       2
 大地震の当時及びその以後、京浜地方に於て日本人のために惨害を被った支那人は、総数300人くらいにのぼるであろうとの事である。就中(ナカンヅク)最も著大に最も残虐な事実は、9月5日府下南葛飾郡大島町の支那人労働者合宿所において多数の支那人が何者かに鏖殺(オウサツ)され、また同月9日右支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天氏も亀戸署に留置された以後生死不明となったという事実である。これらの事実は主として支那人側、就中我が政府の保護を受けて上海に送還された被害者中の生存者から漏泄(ロウセツ)されたものである。したがってその内、どの点までが事実であるかはなお明確ではないが、とにかく多数の支那人が惨害を被って生死不明である事は事実である。

       3
 しかして右大島町の惨事は9月5日から9日前後までの間に起り、今日に至るまで既に2ヶ月を経過している。右の事実はこれを人道上、国際上より観(ミ)、就中我れと善隣の誼(ヨシ)みある支那との関係であるだけ、重大なる外交問題であることは言を俟(マ)たぬ所であるが退いてこれを我が国内における司法警察の眼より観ても、同様に否むしろそれ以上に重大なる内政問題である。しかるに右重大な事件が先ず相手国の支那において問題とせられるまで、我が内務及び司法の官憲は果してその知識を有していたか否かをも疑われ、乃至既に支那において問題とされた今日までなおその真相をも態度を明かにしていないという事実のあるのは実に一大失態である。


       4
 本事件は内政関係は鮮人事件、甘粕事件と同一の原則に依り、あくまで厳正なる司法権の発動を待ち、もって我が国内の法律秩序を維持回復する意義に於て最も重大である。同時にその外交関係はその事実を事実と認めて男らしくこれに面して立ち、出来得るだけ、自ら進んで真相を明らかにし、その犯行に対してはあくまで法の厳正なる適用を行い、もって内自らその罪責を糾正し、それによって、対支那政府と国民とに謝するの外はない。幸いにも支那政府国民は今回の惨害が天変地異と相伴うて起った不幸の出来事であるに対し、多少の寛仮(カンカ)と諒恕(リョウジョ)とをば有し、就中心ある者はこれによって震災以後折角(セッカク)湧起した両国の好感を根本から破壊することのないようにと考えてくれるものすらあるようである。

       5 
 吾人は本事件のため内外に向って困難の間に立たしめられた内務司法並びに外務の当局に対し十分にその苦心を諒とする。蓋(ケダ)しおよそ国民の中に起った事柄は先ずその国民自身が根本の責任を負うべきものであるからである。さりながら政府当局者としては、もちろんその当面の責任をば免れぬ。しかして本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。何となれば、これらの事件は、すべて戒厳令下に起った事柄であるからである。もし陸軍にして司法内務並びに外務の当局者と十分なる協調を保ち、共同の事件調査と共同の責任分担をなさざる限り、司法内務は行きづまりとなり、外務は立往生となる外あるまい。しからばその結果、最後の全責任は我が国民自身が直接にこれを負担せねばならぬことになる。故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する。
 ※ 文中9月5日とあるのは3日の誤植である。


 戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。前述した『中華新報』の情誼ををつくした社説に呼応するものであり、一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ。これは「要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜」と墨書されて、外務省外交史料館にひっそりとしまわれていたのであった。
 この文章を書いた小村俊三郎(1872-1933)は寿太郎のいとこ。外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日々など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者である。丸山伝太郎(松翠学寮主、中国人留学生をおく。北京滞在の経験をもつ牧師)らと共に王希天・大島町事件の探索をつづける。松井慶四郎外相に提出された現地報告書の記録「支那人被害の実状踏査記事」はかれの筆になるものである。

 

 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。

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