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忘れないが許す!

日本と米国の太平洋戦争に従事し、互いに命をかけて戦った兵士達の生き残った人達の一部がハワイに集まって野球の親善試合をしたという。NHKとBS2での放送を二度に亘って見ることになった。戦場で銃を持っての戦いは、野球場でボールとバットを持っての戦いへ。殆ど80歳以上の人たちで、互いに戦死した仲間達のことを思いながら、本当に本当に長い間、互いを憎みあい、自身はそれぞれの心に大きな傷跡を抱えたまま、67年の歳月を生きて来た。・・・

互いに球場で逢ったら、冷静で居られるだろうか?互いに思ってきたことを話せるだろうか?・・・体験した者にしか知りえない心の底ではある。延べ三日間の親善会で初日は真珠湾の記念塔を慰霊の訪問、日米双方の戦士達で献花、二日目、野球の親善試合、14-2でアメリカの勝利。始めはぎこちなかったが、互いにベンチを訪問し合い,長い間言えずに来た心のうちを語る機会を得、「今日これに参加してよかった」と一様に話していたのが印象的だった。

互いに上官の命令に従って戦闘を交えるしか無かった双方の戦士達は一生懸命に戦った結果生き延びて今日の再会を迎えたという。95歳の米人が80歳の日本の選手に向かって「まだまだヒヨコだ、お互いに頑張ろう!」と言っていた姿に共感を覚えた。

とはいえ、どうしてもわだかまりを消せずに、ハワイへ向かう3日前に参加を取り消した米国人も居たと言う。例え67年たっても思いは複雑なのだろう。三日目は自由時間、心打ち解けて話し合った米国の選手達は「真珠湾を忘れはしない」だが「真珠湾の事は許す」と言っていた。

ある米国選手の奥さんはハワイから帰ったご主人を車で迎えに行ったが
「何もかもに大満足だった」と言うセリフを残してハワイから帰ったその夜に、寝ながら静かに逝ったという。奥様は「何もかも」の中身を尋ねたがご主人は答えなかったと言う。

今回を『冥土の土産』と言っていた日本のある選手は、ハワイから帰って戦友たちの霊前に報告し、今回は80歳の背番号81で参加したが、俄然やる気が出てあと「10年頑張る」と背番号90のユニホームを新調したという。(91ならいいのだが)・・・

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