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上手すぎる

昭和38年7月下旬、初めての夏休みに住所をそのままにしていた宮城県で(満18歳になったので)普通車運転免許を取ろうと思い『まだ早いのでは?』と言う長兄の心配をよそに帰郷の途中、宮城野原にあった、宮城県自動車運転試験場に立ち寄った。自動二輪の免許があったので学科試験は免除され、実地試験のみ受ける事に成った。常々の練習の甲斐有って、私の前後の受験者〔試験車両のトヨペットには次と更にその次の二人の受験者が乗せられた.〕よりもだいぶスムーズに乗りこなした。

自分が一番『上手く走った』と思った。試験官は「上手いですね、とても昨日今日の運転とは思えません。大分練習したんでしょうね?」、『ハイお蔭様で』と答えると「どうもご苦労さん、つぎの人とかわってください」と言われ、
後は発表を待つのみと安心しきっていた。貰った免許証を最初父に見せるか、『まだ早いのでは』と言った兄に見せるのか、或いは知らぬ顔をして仏壇に供えて置き、ワザと家族の誰かに見つけさせるか、考えてみるとこんな楽しい事はない!

15時30分、掲示板に合格者の番号が発表された。ある筈と思った「私の番号が無い!」何故なのか試験官に訊きにいった。『自信を持っていたのですが何故不合格なんですか?』すると試験官は『今まで扱った受験者の中では三本指に入るほど上手かったよ。あれだけの運転をするからには相当期間無免許で走っていたに違いない!だからその罰と思いなさい。このまま免許証を与えれば、なめてかかって却って事故につながる。今までの三本指はそういう理由で皆不合格にした』。

(何だ、ここにも祖父のよな厳格な男が居るではないか!)当時は自動車学校なども少なく、小学校の校庭などに石ころを並べて練習していたが。「何処で練習したか」よりも、ハンドルを握ったそのものが無免許運転の解釈だった。人生の中で試験に落第した二度目の経験だった。

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