Wilhelm-Wilhelm Mk2

B級SFからクラシック音楽まで何でもあり

GODZILLA

2004-10-22 | Weblog
深夜放送で、日本のゴジラ(初作)をやっている。表向きの主人公は宝田明が扮する熱血青年なのだが、本当の主人公は宝田の婚約者のもと許嫁である科学者の芹沢である。若き天才の芹沢は戦争で片目を失明し、それがもとで許嫁から身をひき一人研究に没頭する生活なのだが、彼が偶然に発明したオキシゲンデストロイヤーだけがゴジラを倒せる兵器だった。芹沢はこの兵器が人間同士の争いに使われる可能性を恐れており、偶然訪ねてきた元許嫁だけに、絶対秘密の約束のもとその存在を明かすのだが、その元許嫁はあっさり宝田にこれを話してしまい(酷すぎ)、結局2人の直談判に屈した芹沢博士は、秘密を守るために単身海底で兵器を作動させ、ゴジラと共に海に消えるという話。科学の良心とは何かというのを考えさせられる映画。科学の世界に末席ながら加わっている自分としては、様々な面で心に響く。しかし、どうして最近はこういうSF映画がないのだろうか?CGを使いまくって、光線を飛ばし合えばそれでいいというSFはもう辞めて欲しいものだ。ちなみに芹沢役の平田昭彦氏は東大法学部卒のインテリ俳優。やはり博士役ははまり役だったのか、ウルトラマン等でも博士役で活躍した。(同じ東大の天本英世氏は死神博士でしたね。。)

Mahler 7

2004-10-22 | Weblog
久々に晩酌したので(3日ぶり)景気付けにマーラーの7番をかける。指揮はアバドで演奏はベルリンフィル、2001年5月のライブ録音だ。まず曲だが、私がこの曲を初めて聞いたのは高校生か中学後半だったと思う。演奏はインバル指揮のフランクフルト響だった(テレビ録画)。あのときは5楽章が異様に気に入った。というよりは5楽章だけが飽きずに聴き通せた。分かり易過ぎる!c-durだし。それにインバルが惚けたような表情した後、最後の渾身の一発を振り下ろすのが格好よかった。が何故か、大学に入ってからこの曲からずっと遠ざかっていた。CDもインバルのものを買ったが、結局殆ど聴かなかったような気がする。そして昨年、ひょんなことからこのCDを購入した。というのは、9番のCDをもってくるのを忘れ、適当にアバドBPOのライブCDを購入したのだが、この9番が思った以上に名演であり、同じライブシリーズの7番も評判がいいらしいことがわかった。実際、聴いてみると冒頭のテナーホルンの奏でるメロディーだけで心を奪われた。(やっとそれが分かる歳になったのだろうか?)まるで冴えた月を投影しているような響き。そして次々に繰り出される管弦楽の妙。カラヤン死後、ベルリンフィルを引き継いだアバドの評価は決していいものではなかった。私もアンチの一派だった。私の知っているベルリンフィルのアバドは、いつも70点くらいをうろうろする演奏で、突き抜ける感動を与えてくれなかった。しかし、このライブ録音はどうだ!1楽章コーダの爆発的な盛り上がり(これでもかというぐらいに重ねられる管弦楽)透き通るような2、4楽章の夜曲。そして弾け飛ぶ5楽章。(3楽章はいささかグロテスクさに欠けるか?)驚嘆すべきはベルリンフィルの恐るべきアンサンブル技術だ。ここまで巧かったか?この難曲をここまで完全に弾けるのは現在ではベルリンフィルだけだろう。勿論カラヤン時代も巧かったが、現在のほうが透明感や色彩感に溢れているように思う。そして何か吹っ切れたアバドが、この完全無欠のオーケストラアンサンブルに躍動感を与えた。ベルリンフィルを引退する際にもアバドはこの7番を振ったらしい。つまりアバドーベルリンフィルのコンビの回答がこの曲の演奏にある。
世間的にはマーラーの7番は難解といわれてるが、果たしてそうだろうか?私には6番のほうがよっぽど難解だ。(そして5番は媚び過ぎで嫌だ)7番は表題付きの6番と8番に挟まれているから目立たないだけなのではないだろうか?マーラーは物理的限界に挑むかのように大合唱付きの8番を書いた後、一転して大地の歌、9番、10番と内的な燃焼へと向かうのだが、そういう意味で7番は、洗練された作曲技法と音響上の輝かしさを備えた純粋オーケストラ曲の最終形態の一つといえるのかもしれない。最後に、フルヴェンがこれを振ったら一体どうなったかなあと妄想しつつ、もう一本いきます。

The Huntington Library

2004-10-22 | Weblog
翌日は、夕方に偶然にも学会でロスにくる友人と会う約束をしていたので、それまでダウンタウンから北東にあるPasadenaという町を散策してみた。昨年にダウンタウンの中心部から直通の地下鉄がつながった事から、私のように車をもたない人間には格段にアクセスしやすくなった。Pasadenaは閑静な高級住宅街であり、世界的に有名な理系名門大学のカルテックもこの町にある。当日は雨が弱まったこともあったので、そのカルテックの近くにあるThe Huntington Libraryを訪れてみる事にした。鉄道王だったハンティントンが、その多趣味さから様々な芸術品を収集し、現在はそれらを午後だけ一般に公開しており、広大な敷地に図書館と幾つかのギャラリーと様々な庭園を配置している。金持ちの道楽の庭といってもいいが、収集物は歴史的価値が高いものが豊富であり、その中でも私が一番興味を持ったのは、膨大な古い聖書群の展示だ。私はクリスチャンではないので、聖書そのものには興味はないのだが、古い時代の見事な装幀技術には心を奪われた。1000年も前の本が、本の形態できちんと残っているという事実だけでも感動的だ。またさらに感動的だったのは庭園内の南に配置されたJapanese gardenだ。西洋人が作る日本庭園というものは、得てして「的外れ」なことが多いのだが、Huntington Libraryの和式庭園は、ホームシックというものに無縁な私にさえ、日本への郷愁を感じさせるほど見事なものだった。太鼓橋やわび茶室、そして枯山水の禅ガーデン(写真)。当日の霧雨模様の天気もその風情に花をそえていた。またこの日本庭園に入ると、他の西洋建築は全く視界に入らず、和の情緒に浸る事が出来る。この庭園がどういう経緯で作られたのかは知らないが、設計した人の趣味の高さに驚かされた。結局、2時間程度の散策では全ての庭を見る事はできなかったが、ここには近いうちにまた来るに違いない(来月)。その後、大学時代の友人と会うために彼のホテルを訪れ、夕食をともにした後、再び3時間の電車とバスを乗り継いで帰宅。

Disney Concert Hall (3)

2004-10-21 | Weblog
前の書き込みで、ベルリンフィルに似ていると書いたが(設計思想は全く違う)、内部の印象も結構似ていると感じた。まず複雑な迷路のような階段。案内なしでは、自分がどこのドアから入っていいのか予想もつかない。外壁が複雑だから、それにあわせて内装も複雑なのだろうが、サントリーのように上下左右だけで空間把握ができる構造の方が好きだなあ。まあ、私の席はいわゆる合唱席で、ステージの裏手にあたるので、たどり着くのは結構面倒くさかった。客席全体としては、芸劇に似ているなという印象を受けた。さて、肝心の演奏だが、まず登場してきたPeter Serkinはなかなかのナイスミドルだった。細身でスラリとしており、眼鏡姿はちょっとブーニンを思い出させた(遠目だからだろうが)プログラムは、JosquinのAve christe, WebernのVariations(これらは近現代曲)、そしてBachのChorale、MozartのSonata K310で前半終了。私は現代曲はよくわかないが(Wevernあたりはまだ聴けるほう)、どうも息子ゼルキンは現代曲のほうが得意なようだ。Mozartはミスが少々目立った。それに私の席のせいもあるだろうが、どうも響きすぎる。特に早い楽章は音が潰れて(こもって)非常に聴きずらかった。ペダルを使いすぎてんじゃないのか?後半はさらに時代が古くなって、Bull, Dowland,Byrdという初めて名前を聴く古い作曲家の小曲の後に、MozartのロマンチックなRondo K511、そしてBachのItalian Concertoで締めだったのだが、前半より響き過ぎはいくらか改善されたものの、やはりイタリア協奏曲のような曲では細部は全くわからなかった。他の席ではどう聞こえたのかはわからないが、陽気なアメリカ人はなんでもブラボーするので、演奏会自体は大きく盛り上がった。(各楽章間で拍手を入れようとする客がいたのには閉口したが)そしてアンコールは、何か強烈に鍵盤を跳躍しまくる現代曲(奏者は紹介していたが聞こえなかった)だった。誰の曲かはしらないが、当日の演奏会でゼルキンが一番生き生きとして弾いていたのは確かだった。解説によれば、ゼルキンは最近の作曲家の初演も多く手掛けているようだ。次に彼の演奏会を聴く時は、現代物をやるときにしよう。取りあえず演奏会が終わった時点で、私は演奏会に来たのは正解だったと思ったし、Peter Serkinという新たな興味の対称ができたのは幸運だと感じた。緩除楽章では彼の音に暖かみを十分に感じられたし、誠実さも感じられた。ただ鳥肌はたたなかったな。しかし、バッハにしろモーツァルトにしろ、恐らくプロのピアニストならかなり幼少の頃から親しんでいるはずだが、それでも曲のポテンシャルを超えた次元での「聞かせる」演奏にするというのは難しいのだなと痛感した。ちなみに私の好きなモーツァルトのソナタは勿論、Wilhelm Backhausのものである。(結局これで締めですか)

Disney Concert Hall (2)

2004-10-21 | Weblog
8月9月はこのコンサートだけを心の支えにして実験に励んでいたといってもいい。(冗談です)しかし、ホテルも電車も予約し準備万端と思っていた矢先、なんとバレンボイムがベルリンの自宅で転んで、アメリカツアーは全部キャンセルになったという衝撃のニュースが!!なんてことだ、酷過ぎるぞ。代役としてPeter Serkinが弾くと言うが、オヤジの演奏はよく聴いたが、息子のことはよく知らん。といっても、今から演奏会からホテルまで全てキャンセルというのは面倒くさいし、折角だから新しいDisney Hallだけでも楽しんでこよう。息子ゼルキンもいいピアニストかもしれないじゃないか。と半分やる気レスながらも、学校を休んで(さぼって)ロスに行く事にしたのだった。日頃の心がけが悪いせいか当日は滅多に降らない雨に祟られ、電車は遅れるはで行くだけでくたびれてしまった。しかし、ロスの地下鉄を降りて視界に入ったDisney Concert Hallの第一印象は、
「銀色のベルリンフィルハーモニー!」
真似はいかんぞ、真似は。(あとで設計したFrank Gehryの本を読んで。全く的外れな意見だと反省しました。)取りあえず、ホテルに入り仮眠をとり、夕食をすませていざ演奏会へ。

Disney Concert Hall (1)

2004-10-21 | Weblog
私は演奏会を聴きに行くのが好きだ。学生時代オーケストラをしていたこともあり、東京にいた頃は、その日の実験が上手く行かないと当日券を仕入れて、憂さ払しに夕方からコンサートに出かけたものだった(主にサントリー)。そんな贅沢三昧な学生生活を送っていた私にとって、ここアメリカ西海岸での生活は音楽的には「牢獄」に等しい。といっても、私の住んでいる町は結構豊かなので、町の管弦楽団もあれば大きな移動公演も来るのだが、なにより演奏会の絶対数が少ない。それに生のコンサートは良いホールで聴きたい(休憩のワイン飲みも大好き)。私の町から一番近い都市はロスなのだが、近いといっても車で2時間以上、車の持っていない私は電車でいくしかなく(3時間)、夜の演奏会だと確実に宿泊せねばならない。そんなこんなで演奏会から遠ざかっていた私だが、帰国も見えてきた夏あたりに、一念発起してロスへ演奏会へ行こうと思いたった。そして、ロスフィルのHPを見ているとなんとDaniel Barenboim(バレンボイム)のピアノリサイタルが、ロスの新しいコンサートホールDisney Concert Hallで有ると言うではないか!それもプログラムは「平均率」と「熱情」! ベートーヴェン大好きで、バレンボイムのファンであった私は、これは天恵とすぐにチケットを申し込もうとした。しかし、こちらはまずシリーズの通しチケット(4枚)を前売りし、シングルチケットは1ヵ月前まで売らないという。もし、そのシングルチケット発売を待っていたら、完売してしまうかもしれない。ここは残り3枚は後で売るなり処理するとして、取りあえず押さえるしか無い!と結局LA phil subscriber(会員みたいなもの)になり、無事チケットは手に入れたのだった。(写真はDisney Hall内部)

シューマンのピアノ協奏曲(アルゲリッチ)

2004-10-15 | Weblog
なぜか、愛聴していたバックハウスVPO版を持ってくるのを忘れ、
この曲を聴きたいばかりに、こちら(アメリカ)で衝動的に買ってしまいました。
しかし、これは良いレコードです。さすがアルゲリッチというところでした。

例のごとく、アルゲリッチがしっかりオケの手綱まで握りしめ、
伴奏が弛緩してくると、彼女独特の推進力で音楽を引きずっていきます。
私が思うに、アルゲリッチは音楽の進行というものに極端に敏感であり、
音楽が停滞を始めると、それを回避させるべく本能的に体が動くと思うのです。
結果、うろたえた伴奏が乱れたり、アルゲリッチ自身も崩れたりするのですが、
それは音楽としては決してマイナスになるものでなく、
よりvividに(時にスリリング)してしまうところがアルゲリッチの魅力であり、
演奏芸術というものの面白いところだと思うのです。




両者の生没年

2004-10-15 | Weblog
Wilhelm Furtwangler (1886-1954)
Wilhelm Backhaus (1884-1969)

ほぼ、同年。
どちらもドイツ人で、ドイツを中心に活躍した代表的な音楽家。
レパートリーも、ベートーヴェン、ブラームスと被るのに
なぜに競演がない?
フルトヴェングラーの伝記・研究本はたくさんあるが、
バックハウスの伝記はいまだ見たことがない。

写真はピアノを弾くフルトヴェングラー。
彼はピアノ演奏も達者で、いくつか伴奏の録音を残している。

もう一人のWilhelm

2004-10-15 | Weblog
フルトヴェングラーと同時期に活躍したドイツのピアニスト、
Wilhelm Backhaus のことです。

この2人を尊敬してやまない私ですが、
何故かこの2人の競演ってないのですよね。
確かに、芸風は全く違うのですがね。

初めに

2004-10-14 | Weblog
記念すべき第1稿にフルトヴェングラーの写真を使っていることから
私の好みというものが一体どういうものかお分かりだと思います。
今年は没後50年ですね。
たった50年前には、フルヴェンの音楽がまだ生でこの地上で響いていたのですよ。
そう考えると、時の流れと変化というものは大きいものですね。