写真は寺田屋
坂本龍馬 神戸編
坂本龍馬 京都洛中編(HP)
坂本龍馬 長崎編(HP)
坂本龍馬 高知編
いよいよ、今週末NHK大河ドラマ 龍馬が行く が最終回を迎える。
龍馬終焉の地が近江屋-土佐編で復元した所を見てきたが
まさに九死に一生を得たのが「寺田屋」である・世に言う寺田屋騒動。
場所は京都 伏見だ。
以前に伏見散策に行った。酒蔵の町 伏見
慶応2年1月23日(1866年3月8日)、「寺田屋遭難」で知られる事件は、京での薩長同盟の会談を斡旋後に薩摩人として宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件。
龍馬や長州の三吉慎蔵らは深夜の2時に、幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれた。
いち早く気付いたお龍は風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり投宿していた龍馬らに危機を知らせた。
捕り方に踏み込まれた龍馬らは、拳銃や手槍を用いて防戦し、捕り方数名を殺傷するも、自らも手の親指(左右)を負傷。辛くも脱出して材木屋に隠れる。
三吉慎蔵は伏見薩摩藩邸に駆け込み、救援を求めた。
薩摩藩邸は川船を出し、救出された龍馬は九死に一生を得ることができた。
薩摩藩邸は龍馬に対する伏見奉行からの引き渡し要求を拒否し続けた。
龍馬はその後、伏見の藩邸から京の藩邸(二本松)に移ったが、
また伏見の藩邸に戻り、大阪から船で鹿児島に脱出した。そのしばらくの間は西郷隆盛の斡旋により薩摩領内に湯治などをしながら潜伏する。
このお龍との旅行が、一般的には日本初の新婚旅行とされている。
放送は、9/5だった。
当日11/23は寺田屋は大混雑だった。番組終了を迎え、盛り上がっていた。
世の中、紅葉見学真っ最中なのに。
お龍さんが風呂から裸のまま駆け上がった裏階段。
裏階段下のお風呂。ここまで揃うとマユにツバしたくなりますよね。
龍馬が投宿していた部屋。ピストルの跡や刀の跡もあり、完璧ですね。
庭には、龍馬の像もありました。
寺田屋の女将、お登勢さんは有名な人物です。
ドラマでは龍馬が亡き母を偲ぶシーンがありました。庭にはお登勢明神として祀られていました。
残念ながら
2008年に、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した。
今日、ここを訪れた人々には、「そんなことは、どうでもよろしい」でしょうね。
夢を見させてくれる場所です。雰囲気は十分あります。
寺田屋の隣に石碑が立っています。
「薩藩九烈士受難の碑」 史蹟 寺田屋 とあります。
ここに建っていたようです。この事件は同じ寺田屋を舞台にしているが、別の事件です。
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いよいよ、今週末NHK大河ドラマ 龍馬が行く が最終回を迎える。
龍馬終焉の地が近江屋-土佐編で復元した所を見てきたが
まさに九死に一生を得たのが「寺田屋」である・世に言う寺田屋騒動。
場所は京都 伏見だ。
以前に伏見散策に行った。酒蔵の町 伏見
慶応2年1月23日(1866年3月8日)、「寺田屋遭難」で知られる事件は、京での薩長同盟の会談を斡旋後に薩摩人として宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした事件。
龍馬や長州の三吉慎蔵らは深夜の2時に、幕府伏見奉行の捕り方百数十人に囲まれた。
いち早く気付いたお龍は風呂から裸のまま裏階段を2階へ駆け上がり投宿していた龍馬らに危機を知らせた。
捕り方に踏み込まれた龍馬らは、拳銃や手槍を用いて防戦し、捕り方数名を殺傷するも、自らも手の親指(左右)を負傷。辛くも脱出して材木屋に隠れる。
三吉慎蔵は伏見薩摩藩邸に駆け込み、救援を求めた。
薩摩藩邸は川船を出し、救出された龍馬は九死に一生を得ることができた。
薩摩藩邸は龍馬に対する伏見奉行からの引き渡し要求を拒否し続けた。
龍馬はその後、伏見の藩邸から京の藩邸(二本松)に移ったが、
また伏見の藩邸に戻り、大阪から船で鹿児島に脱出した。そのしばらくの間は西郷隆盛の斡旋により薩摩領内に湯治などをしながら潜伏する。
このお龍との旅行が、一般的には日本初の新婚旅行とされている。
放送は、9/5だった。
当日11/23は寺田屋は大混雑だった。番組終了を迎え、盛り上がっていた。
世の中、紅葉見学真っ最中なのに。
お龍さんが風呂から裸のまま駆け上がった裏階段。
裏階段下のお風呂。ここまで揃うとマユにツバしたくなりますよね。
龍馬が投宿していた部屋。ピストルの跡や刀の跡もあり、完璧ですね。
庭には、龍馬の像もありました。
寺田屋の女将、お登勢さんは有名な人物です。
ドラマでは龍馬が亡き母を偲ぶシーンがありました。庭にはお登勢明神として祀られていました。
残念ながら
2008年に、京都市は当時の記録等を調査し、同年9月24日に幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失しており、現在の京都市伏見区南浜町263番地にある建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると公式に結論した。
今日、ここを訪れた人々には、「そんなことは、どうでもよろしい」でしょうね。
夢を見させてくれる場所です。雰囲気は十分あります。
寺田屋の隣に石碑が立っています。
「薩藩九烈士受難の碑」 史蹟 寺田屋 とあります。
ここに建っていたようです。この事件は同じ寺田屋を舞台にしているが、別の事件です。
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