読売新聞の記事です
展覧会の後期を待っていきました
展覧会の前期は 奇才 ―江戸絵画の冒険者たち― あべのハルカス美術館 ここ
長澤芦雪 虎図襖 重要文化財
無量寺障壁画 和歌山県串本町、串本応挙芦雪館 蔵
長澤芦雪(ながさわ ろせつ、宝暦4年(1754年) - 寛政11年6月8日(1799年7月10日))は、江戸時代の絵師。円山応挙の高弟。
三十三歳の時、南紀串本にある無量寺障壁画の制作を師に代わって務めるため南紀に出向く。この年暮から翌天明七年(1787)春にかけて無量寺はじめ、成就寺、草堂寺、田辺の高山寺を廻って多くの襖絵や屛風を描いた。この時に蘆雪の奇才は一気に開花したとみられる。無量寺の障壁画に示された大胆なデフォルメと奇抜な構図や軽快に引かれる線の生き生きとした運びは、その後の蘆雪画を特徴づけるものだ。また、付け立てや墨のにじみを極端に使用して大画面を構成する見事さは、応挙から隔絶している。その一方で一寸四方の画幅に五百羅漢を描く超細密画も残す。
長澤芦雪 龍図襖 重要文化財
無量寺障壁画 和歌山県串本町、串本応挙芦雪館 蔵
狩野山雪「寒山拾得図」重要文化財
狩野 山雪(かのう さんせつ、天正18年(1590年) - 慶安4年3月12日(1651年5月1日))は、江戸時代初期の狩野派の絵師。京狩野の画人狩野山楽(光頼)の婿養子で後継者
画風では「寒山拾得図」にみられる無気味な造形だ、「雪汀水禽図屛風」にみられる幾何学的構図と工芸的手法による静謐さも山雪の資質である。
鈴木其一「紅葉狩図凧もみじがりずたこ」
寛政7・8年(1795・96)~安政5年(1858)
其一は職人としての自覚を強く持ち、見積り書では発注者の希望に応じ、工房制作を堂々と展開した。また「紅葉狩図凧もみじがりずたこ」の箱書に「金杦邑かなすぎむら画狂其一筆」と自署し、葛飾北斎同様に自らを「画狂」としている。
耳鳥斎 にちょうさい 別世界巻 べっせかいかん(部分)
一巻 紙本墨画淡彩 寛政5年(1793)頃 大阪府・関西大学図書館
耳鳥斎 生年不詳~享和2・3年(1802・03)頃
耳鳥斎は大坂京町堀三丁目界隈でもともと酒造業を営む家に生まれ、後骨董商に転じた。
耳鳥斎の戯画人物には蕪村ぶそんの俳画人物との類似が指摘され、両者の影響関係は今後の課題である。
耳鳥斎の傑作「別世界巻べっせかいかん」は、「烟草好たばこずきの地獄」に始まり「馬士の地獄」で終わる二十一の地獄が描かれる。鬼も地獄に落ちた亡者もどこかユーモラスで、耳鳥斎鳥羽絵の真骨頂を示す。なお、遺作は多くはないが、当時の耳鳥斎は扇面に役者を描いて人気があった。
展覧会の後期を待っていきました
展覧会の前期は 奇才 ―江戸絵画の冒険者たち― あべのハルカス美術館 ここ
長澤芦雪 虎図襖 重要文化財
無量寺障壁画 和歌山県串本町、串本応挙芦雪館 蔵
長澤芦雪(ながさわ ろせつ、宝暦4年(1754年) - 寛政11年6月8日(1799年7月10日))は、江戸時代の絵師。円山応挙の高弟。
三十三歳の時、南紀串本にある無量寺障壁画の制作を師に代わって務めるため南紀に出向く。この年暮から翌天明七年(1787)春にかけて無量寺はじめ、成就寺、草堂寺、田辺の高山寺を廻って多くの襖絵や屛風を描いた。この時に蘆雪の奇才は一気に開花したとみられる。無量寺の障壁画に示された大胆なデフォルメと奇抜な構図や軽快に引かれる線の生き生きとした運びは、その後の蘆雪画を特徴づけるものだ。また、付け立てや墨のにじみを極端に使用して大画面を構成する見事さは、応挙から隔絶している。その一方で一寸四方の画幅に五百羅漢を描く超細密画も残す。
長澤芦雪 龍図襖 重要文化財
無量寺障壁画 和歌山県串本町、串本応挙芦雪館 蔵
狩野山雪「寒山拾得図」重要文化財
狩野 山雪(かのう さんせつ、天正18年(1590年) - 慶安4年3月12日(1651年5月1日))は、江戸時代初期の狩野派の絵師。京狩野の画人狩野山楽(光頼)の婿養子で後継者
画風では「寒山拾得図」にみられる無気味な造形だ、「雪汀水禽図屛風」にみられる幾何学的構図と工芸的手法による静謐さも山雪の資質である。
鈴木其一「紅葉狩図凧もみじがりずたこ」
寛政7・8年(1795・96)~安政5年(1858)
其一は職人としての自覚を強く持ち、見積り書では発注者の希望に応じ、工房制作を堂々と展開した。また「紅葉狩図凧もみじがりずたこ」の箱書に「金杦邑かなすぎむら画狂其一筆」と自署し、葛飾北斎同様に自らを「画狂」としている。
耳鳥斎 にちょうさい 別世界巻 べっせかいかん(部分)
一巻 紙本墨画淡彩 寛政5年(1793)頃 大阪府・関西大学図書館
耳鳥斎 生年不詳~享和2・3年(1802・03)頃
耳鳥斎は大坂京町堀三丁目界隈でもともと酒造業を営む家に生まれ、後骨董商に転じた。
耳鳥斎の戯画人物には蕪村ぶそんの俳画人物との類似が指摘され、両者の影響関係は今後の課題である。
耳鳥斎の傑作「別世界巻べっせかいかん」は、「烟草好たばこずきの地獄」に始まり「馬士の地獄」で終わる二十一の地獄が描かれる。鬼も地獄に落ちた亡者もどこかユーモラスで、耳鳥斎鳥羽絵の真骨頂を示す。なお、遺作は多くはないが、当時の耳鳥斎は扇面に役者を描いて人気があった。