6/4 母校の大先輩 森脇聖淳さんから久しぶりにメールが来た。
明日6/5の産経新聞の夕刊の美術評論家の布施英利さんのコラム「美の解剖室」に
作品が載るとの連絡 「ご覧いただけたらより嬉しいです」
そりゃ是非見ないと・・・
明日、夕刊買おう・・・・
熊取駅に行けば買えるだろうと軽く考えたが、駅の売店の女性曰く、産経新聞の夕刊は長らく入荷してないとのこと。早速コンビニに行ったけれど・・どこも夕刊はない。
家に帰って、ネットで検索して産経新聞の販売所チエック
知り合いが出てるので今から買いに行くと電話。
販売所の人は、ご丁寧な応対で50円の代金で4部くれました。産経新聞いいね
新聞記事の内容は、小生には難しすぎたようですが、絵は森脇聖淳さんのホームページにも載っている作品でした 森脇さんのホームページは ここ
産経新聞6/5夕刊
金剛界曼荼羅 森脇聖淳 作
胎蔵界曼荼羅 森脇聖淳 作
日本密教の教えの中心ともなる大日如来を中央に配して、更に数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵界曼荼羅」、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」と称する。
高野山開創1200年記念 高野山の名宝 展 で大きな曼荼羅と出会いました ブログは ここ
高野山といえば「血の曼荼羅」で有名です
TVで見ました
平清盛は鳥羽院の命にて高野山の大塔の修理を行いました。修理完成時に参詣した清盛は、一人の老僧に出会います。その老僧は大塔の修理のお礼を述べ、荒れている厳島の修理を清盛に依頼しました。奥之院の方へ去る老僧の姿はしばらくすると、ふとかき消えてしまいました。清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと知り、ますます信仰を深め、金堂に曼荼羅を奉納しました。その時奉納した曼荼羅は、胎蔵界大日如来の宝冠に清盛自身の頭の血を混ぜて描いたとあります。
この曼荼羅が「血曼荼羅」として現在まで大切に伝えられています
如意輪観音 森脇聖淳 作
平成6年 (1994年) 和歌山市「ギャラリーけまり」にて森脇さんの個展があり
両親と共に訪れ、両親へのプレゼントとしてこの作品を買いました。
今は我が家にあります
森脇さんもしっかり覚えて下さってくれてる様です。
大先輩のご健康とご活躍を祈ります
*作品の掲載は森脇さんの了解を得てます
明日6/5の産経新聞の夕刊の美術評論家の布施英利さんのコラム「美の解剖室」に
作品が載るとの連絡 「ご覧いただけたらより嬉しいです」
そりゃ是非見ないと・・・
明日、夕刊買おう・・・・
熊取駅に行けば買えるだろうと軽く考えたが、駅の売店の女性曰く、産経新聞の夕刊は長らく入荷してないとのこと。早速コンビニに行ったけれど・・どこも夕刊はない。
家に帰って、ネットで検索して産経新聞の販売所チエック
知り合いが出てるので今から買いに行くと電話。
販売所の人は、ご丁寧な応対で50円の代金で4部くれました。産経新聞いいね
新聞記事の内容は、小生には難しすぎたようですが、絵は森脇聖淳さんのホームページにも載っている作品でした 森脇さんのホームページは ここ
産経新聞6/5夕刊
金剛界曼荼羅 森脇聖淳 作
胎蔵界曼荼羅 森脇聖淳 作
日本密教の教えの中心ともなる大日如来を中央に配して、更に数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵界曼荼羅」、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」と称する。
高野山開創1200年記念 高野山の名宝 展 で大きな曼荼羅と出会いました ブログは ここ
高野山といえば「血の曼荼羅」で有名です
TVで見ました
平清盛は鳥羽院の命にて高野山の大塔の修理を行いました。修理完成時に参詣した清盛は、一人の老僧に出会います。その老僧は大塔の修理のお礼を述べ、荒れている厳島の修理を清盛に依頼しました。奥之院の方へ去る老僧の姿はしばらくすると、ふとかき消えてしまいました。清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと知り、ますます信仰を深め、金堂に曼荼羅を奉納しました。その時奉納した曼荼羅は、胎蔵界大日如来の宝冠に清盛自身の頭の血を混ぜて描いたとあります。
この曼荼羅が「血曼荼羅」として現在まで大切に伝えられています
如意輪観音 森脇聖淳 作
平成6年 (1994年) 和歌山市「ギャラリーけまり」にて森脇さんの個展があり
両親と共に訪れ、両親へのプレゼントとしてこの作品を買いました。
今は我が家にあります
森脇さんもしっかり覚えて下さってくれてる様です。
大先輩のご健康とご活躍を祈ります
*作品の掲載は森脇さんの了解を得てます