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高野山開創1200年記念 高野山の名宝 展 あべのハルカス美術館

2015-01-23 | ア-トな話し
2015年1月23日(金)~3月8日(日)

今回の展覧会は、待ちに待っていました。
狙いは二つです。
まずは「八大童子」です。日頃高野山に行っても、8体同時に見れることはないと言われています。
2004年に和歌山県立博物館で出会いました。感動してホームページにしました。 ここ 国宝 八大童子立像

左から、指徳(しとく)、恵光(えこう)、矜羯羅(こんがら)、制多伽(せいたか)、烏倶婆ガ*ガの漢字は(言+我)(うぐばが)、清浄比丘(しょうじょうびく)、恵喜(えき)、阿耨達(あのくた)

指徳(しとく)、阿耨達(あのくた)は後年に補われたものと考えられます。後は運慶作


不動明王の眷属としての性格を超え、童子の彫刻としても非常に優れた像。もちろん不動明王も展示されています



重要文化財 不動明王坐像 不動堂本尊

弘法大師空海が、真言密教の根本道場として高野山の下賜を時の嵯峨天皇に願い出て、勅許を得たのは、弘仁7年(816)、43歳の時でした。標高千メートル級の山々に囲まれたこの地で、弘法大師は自らの理想を具現化した「壇上伽藍」の建立にとりかかりました。以来、1200年、幾多の盛衰を経ながらも、高野山は、真言密教の聖地として、今も人々の厚い信仰を集めています。

他に類を見ないこの山上の大宗教都市には、弘法大師ゆかりの宝物をはじめ、豊麗な密教美術、さまざまな人々からの寄進物などからなる、わが国屈指の仏教芸術の宝庫が形成されました。高野山開創1200年を記念して開催される本展では、運慶作の国宝「八大童子像」ほか、壮大な歴史のなかで、時には命がけで守り伝えられてきた高野山の名宝が一堂に集められます。空海の教えとともに連綿と受け継がれてきた至宝です。



「空海、少年の日、好んで山水を渉覧せしに、吉野より南に行くこと一日、さらに西に向かって去ること両日程にして、平原の幽地あり、名付けて高野という、計るに紀伊国伊都の郡の南なり、四面高嶺にして人蹤蹊絶えたり」と、初めて高野山の地に一歩を記した経緯を記している。

もうひとつの狙いは、これです。



重要文化財 孔雀明王坐像 快慶 作

フィギュアを持ってる程、いつかは本物を見たいと思っていました。
いろんな角度から何回も見てみました。いいですね。



弘法大師坐像(萬日大師)
弘法大師空海の肖像は多いが、顔を左に向けているのが、珍しい。

萬日大師の謂れは、弘法大師像に日々30年間(1万950日)参詣を続けた行者がいました。ある時、その人の夢に弘法大師が現れて、「万日の功、真実なり・・」と申され、東方を顧みられたというのです。その行者が夢からさめて弘法大師像に詣ってみると、お首が左(東方)を向いていたということです。



国宝 聾瞽指帰(ろうこしいき)空海 筆
空海24歳の真跡 797年
瑞々しく勢いのある筆致です 三筆と言われる空海の筆です

三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上の能書のうちで最もすぐれた3人のことであり、平安時代初期の空海・橘逸勢・嵯峨天皇の3人をさす。



国宝 諸尊仏龕(しょそん ぶつがん)

師・恵果から密教のすべてを伝授された空海は、多くの経典や文物を日本に持ち帰った。その内容は、帰国後朝廷に提出された『御請来目録』に記載されている。なかでも本品は、密教の第五祖のインド僧金剛智が中国に伝え、不空、恵果を経て空海に伝わった「密教正系の証」ともいえるものを集める項目に記される由緒深いもの。香木(白檀材)を縦に三分割し、蝶番でつながれる。高さ約23cm、中央には如来を中心に11尊、左右の龕には菩薩を中心に各7尊が緻密に彫り出されている。両扉となる龕を閉じれば、携帯できるように工夫されており、枕本尊とも呼ばれている




重要文化財 四天王立像 快慶作

*左から持国天立像、増長天立像、広目天立像、多聞天立像

広目天に快慶の銘があることから、快慶とその工房の作と考えられる。特に快慶の直接の手になる広目天は、険しい忿怒の表情を見事にあらわし、腰を左にひねって立つ体勢のバランスの良さや、衣文表現の巧みさはその中でも際立っている。
近くで見ると、本当に圧倒されます



両界曼荼羅

左が金剛界、右が胎蔵界

美術館のショーウィンドーには複製ながら「血曼荼羅」が展示されていました。
NHK 大河ドラマ 「平清盛」のシーンを思い出しますね。
清盛が頭に付いた血を 高野山の曼荼羅に塗るシーンでしたね。



清盛は鳥羽院の命にて高野山の大塔の修理を行いました。修理完成時に参詣した清盛は、一人の老僧に出会います。その老僧は大塔の修理のお礼を述べ、荒れている厳島の修理を清盛に依頼しました。奥之院の方へ去る老僧の姿はしばらくすると、ふとかき消えてしまいました。清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと知り、ますます信仰を深め、金堂に曼荼羅を奉納しました。その時奉納した曼荼羅は、胎蔵界大日如来の宝冠に清盛自身の頭の血を混ぜて描いたとあります。この曼荼羅が「血曼荼羅」として現在まで伝えられています。

次に高野山に行った時のポイントですね。

高野山は、我が家は高野山真言宗なので何回か参拝してます。

高野山 参拝記はここ

父は高野山 龍泉院に分骨しています 龍泉院のわらべ地蔵のブログはここ
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コメント
 
 
 
Unknown (☆☆☆)
2015-01-24 19:53:53
つぐみです。こんばんは。
そうだったんですか・・・。
全然興味がなくてパスするつもりだったんですが高野山でも8体同時に見られないなんて聞くとちょっとウズウズしますね(笑)
高野山に行くこともほとんどないんですけど。
検討しておきます。
貴重な情報ありがとうございました。
 
 
 
つぐみさん、ありがとうございます (kazu_san)
2015-01-25 17:48:10
是非、ウズウズしてワクワク(笑)して下さい。
こんなに近くでいいの・・て言うくらい、近くで見れます。運慶と快慶。さすがにすごい迫力です
「八大童子」一同の公開は10年ぶりと載ってました。2004年以来だから10年振りなのかな。
是非見ておいて下さいね。
 
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