無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回取り上げた内容もそうだけど、MUSICAのインタビューって、Amazonで配信されてない部分の方が広範な読者に興味を持たれそうな内容で、配信された部分はそれこそMUSICA読者に受けそうな各曲の解説で…ってなんだかプロモーションとしてはちぐはぐになってやしないかと余計な心配をしてしまってるんだけど、まぁ全部読んで全部楽しめばそれで何の問題もないやねうちらとしては。

最後の部分なんて特に目を引くよねぇ。

『でも時々、「え、待って、それって15歳の時の話じゃない?」とか「それは私の父がマネジメントとして決めてやってたことじゃない? 今の私はそう思ってないよ」っていうことがあるんですよね。最近は意識的にスタッフとそういうこと話すんですけど』

これ何の話かってーと「仕事の選び方」の話なのよね。スタッフが気ぃ遣って「こんなオファー、ヒカルに確認するまでもなく断ろう」としてる中に、今のヒカルならOKするかもしれない仕事があるかもしれない、って話だわさ。

そりゃま、そうだろうね。今と15歳では全然状況や環境が違う。成年と未成年ではやれる事が全く異なるし、東京に住んでる時とロンドンに住んでる今ではOKとNGも変わるだろう。子育てをしてるから出来ることも、こどもが居るから独身時代ならOKしてた事も出来ないかもしれない。昔の基準で考えてたら勿体ないわね。

…私がそれで真っ先に考えたのが「よし! なら今から水着写真集を出そうか!」だったのマジで救えないというか何というか。煩悩の塊ですかね。というか、あんた昨日【もう「アイドル」でもないかも?】ってタイトルで日記書いてませんでしたっけ? やってらんないよ全くもう。稀代の音楽家をグラビア・アイドルを見る目で見るんじゃないよ。…え?「稀代のグラビアクイーンになれるかもしれない」って? ……一体何の夢見てんの?(笑)

冗談はさておき(七割方本気だったんだけどな…)、上記のヒカルの言い方から導き出されるのは、

「そろそろ日本のフェスにも出るかもしれない」

ってことだよね。コーチェラにも出たんだし、ツイートでも触れるようになったし、サマソニやロッキンなんかならいつ出てもおかしくなくなってきたってこと。でも苗場は遠いから勘弁して欲しい…(ワガママ)。あ、苗場で水着になるんなら一も二もなく駆けつけますけど! ならなくても一も二もなく駆けつけますけどね!…ぶつくさ言いながら(笑)。

…夏も終わりなんだから水着から離れなさいな…。んでテレビ番組なんかもマツコの知らない世界やまつもtoなかいなんかに出てるし、杏さんのYouTubeに逆オファーしたのは衝撃的だったよねぇ。そのうち誰かのインスタライブのゲストにひょっこり顔を出すんじゃないかと気が気でなかったりな。その為だけにレコーディング・メンバーやツアー・メンバーのインスタをフォローしてますデスよ、えぇ。

て感じで、MUSICAのインタビューは今後更に活動の幅を拡げてくれる予感を綴って記事が締め括られているので、ますます今後への期待が高まるのでありましたとさ。早速ELLE CHINAで中国語圏に進出したりしてるし、いやはや今年はまだまだ何があるかわかりませんぜ。


しかしながら、上述の引用部分で押さえておかなきゃいけないポイントは、薄々そうだろうなとは思ってたけどやっぱり「照實さんがU3MUSICのマネジメント業務から手を引いているっぽいこと」よね。でないとこんな言い方しないよな。確定じゃないけどさ。なら彼はもう引退して隠居してるのか…? いやいや、まだ今後も「音楽プロデューサー」としては活動してくれるかもしれないので、そこは分けて考えておきましょうか。70代以上で現役のプロデューサーや音楽家、幾らでも居てくれてはるからね。U3のアイコンにサングラスかけさせて貰って「あんた昔からかけてるじゃん!」ってツッコみたいですよ、えぇ。

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ELLE CHINAの特集も興味深いけど、MUSICAのインタビューも頗る面白いぞ。

『そうやって意識的なことと無意識的なことのふたつの世界を常に行き来するというのが、私の生きている環境というか、クリエイティブなプロセスでもあって。そういう二つの世界の間を常に行き来しているのが私なんだなっていうことを最近凄く自覚しています。』
(MUSICA 2023年10月号より抜粋)

「無意識日記」としてはこの発言を取り上げない訳にはいかないだろう。無意識って単語使われちゃあねぇ。この最後の『最近凄く自覚しています。』が大事なのよね。自覚してないと言及することもなくインタビューアが聴くこともなく我々に届くこともないのだから。

意識的な行動は、記憶に残る。理由を話せる。ここで鍵を取り出したのは扉を開けるためだ、という風に。無意識的な行動は、その部分の記憶が欠落しがちだ。なぜそんなことをしたのかわからない。「何気なく」「何とはなしに」「思わず」「いつの間にか」─様々な副詞節が思い浮かぶが、兎に角「行動が先にある」。

その中には「失敗」も含まれる。印象的なのは、『FINAL DISTANCE』の時のエピソードだろう。

『色々ハプニングや失敗もあって、ほんとに完成させられるかすごく心配だったんだよね。でもなんとなんと!そういうことも全部、逆に歌がもっと良くなるきっかけとなっちゃってさ!素敵なエピソードたくさんありまっせ〜。その度に「誰かに守られてるんじゃねーかっ??」と思った。』
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_89.html

この「失敗が全部歌がもっとよくなるきっかけになった」という所。一つや二つなら偶然と片付ける事も出来ようが、『全部』と言われたら「お導き」としか思えない。それを神様と呼ぶか、自分の無意識の部分と呼ぶかは人それぞれだ。何しろ、行動したのは間違いなく自分の肉体なので、他者からしたら「私」が成したことでしかないからね。


この時は22年前だが、これが20年経った2年前の頃になるとこんな言い方になる。

『一番面白かったのは、「これで全部大丈夫だね」って彼から(完成)データを送ってもらって、私がそれをミキシングエンジニアのSteve Fitzmauriceに渡したら「あれ、この曲ってベース入ってないの?」と言われて。「あったと思うんだけど……おかしいな」となり、今回のストリーミングライブ『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』でも参加してもらっているJodi Millinerにスタジオでベースを弾いてもらったんです。

A.G. Cookにその話をしたら、「あっごめん、データにベーストラック入れるの忘れてたみたい」というのが発覚して(笑)。グルーヴがある生身のベースを加えたことで、この曲はもっと良くなったんです。ミスが良いかたちにつながる、今回はその代表的な例でした。』
https://kompass.cinra.net/article/202201-utadahikaru_iwmkr

『今回はその代表的な例でした』と、「よくあること」だとして語っている。『FINAL DISTANCE』の時は

『昔から言い伝えられてる儀式に立ち会ってるようなフッシギィ〜な感覚』

という風に非常に特別視していたのとは対照的だ。この差が20年の経験の差であり、また、「無意識の世界に対して凄く自覚的になった」証でもある。こうしてみても、やっぱりヒカルも大人になったんだなぁとしみじみせずにはいられない。デビューした頃は「15歳とは思えない大人っぽい歌詞を書く」と散々持て囃されていたから余計にね。

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