無意識日記
宇多田光 word:i_
 



8月2日に公開された(即ちこの夏最速になるのかな?)Spotifyインタビューからの抜粋。


『タイアップがあると「書き下ろし」というじゃないですか。だけどタイアップのある作品のために書くことはないんですよ。曲の内容を自分では選べないから、その時に考えていることや感じていることだったり、「これを書きたい!」と思ったことがタイアップに合わせられるかな?という感じでちょっと寄せるのか、自分から出てきたものと作品に多分に含まれている感情みたいなテーマとリンクする共通点が見えるとできるんです。』

『私の仕事は待つことだと思ってて、自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。だから、そこにとりあえず極力いて待つしかないから、まぁ何とかなるよなとは思っていて。』

https://spice.eplus.jp/articles/320799


文字起こししてくれてるとホント楽でいいなぁ…。

今年でデビュー25周年を迎える40歳時点での宇多田ヒカルの“実感”が言葉にされている。ここで杭を打っておく必要があるだろう。(今後のために覚えとこうねってことね)


『曲の内容を自分では選べない』



『自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。』

の2つの発言が同じインタビューの中で聴けるという点が興味深い。

この2つは自然に整合するなと思えるかどうかって、最近の「クリエイターとしての」ヒカルを理解できるかどうかの分水嶺になる気がする。

『選べない』と『よく知ってる』&『わかってる』は、一見すると相反するようだが、つまり、泳いでる魚を捕まえるコツはかなり身についてきたけれど、だからといって、自分の海原に「今欲しいタイプの魚」を見つけられるかどうかはまた別、ということなのだ。確かに魚は釣れるんだけど、どの魚を海に放すかまでは自分で決められることではないという話。ヒカルの海原は、釣り堀や養殖ではなくて、野生の海なのよ。誰かが魚を放したとしたならそれはまぁ神様の仕業よね。(and Nobody is God.)

ヒカルの曲作りは、電気回路でロボットを製作するような、総ての箇所での機能が把握された作り方ではなくて、神様が作って既に野生で生きて動いて泳いでる魚を釣って捕まえるような、そんな作り方をしているという訳だ。それを「作る」と言っていいかは置いといて、だけど。

地球人類の歴史は長いので、音楽の理論も深まっている。コード進行とメロディの組み合わせで様々なシチュエーションに対する「定石」が生み出されている。ホラー映画にはこのコード進行を、戦争映画にはこのメロディの運びを、という具合に。(※極度に単純化して書いてます)

だが宇多田ヒカルはそういうアプローチをとっていない。『待つ』。本人の言ってる通りまさにそれなのだ。そして、待ちぼうけは喰らわない。人より遙かにその『待つ』行為が成果を結ぶ。ここに違いが出る。

しかしながら、こう語るときの「音楽の実在感」が、どこまで共有されているのやら。音楽は、人が演奏する前に、歌う前に、既に、人類が繁栄してようが絶滅してようが変わらず大海原で魚が元気に生きて泳いでいる(人類は絶滅するとき大量に道連れにしそうだけどな)のと同じように、人の来し方行く末に関係なく、「ずっとそこで響いている」のだというこの感覚を持っているか、知っているかで、共感の度合いが全然違うのよな。

難しいこと云ってそうだけど、

「私、この歌初めて聴いてる筈なのになんだか懐かしい。初めて聴いた気がしない。」

とか

「初めて聴く曲なのに違和感なさ過ぎてすぐに馴染んだ。」

とか、そんな経験のことも指してるといえば、ちょっとは共感も広がるかな、なんて思う。ヒカルも、ピアノを弾いてるうちにそういう感覚に囚われて、それを捉えて曲を書いている。それに出逢う最初の人になるところが違いといえば違いなのだけど、音楽に触れて感じる所はそんなに僕らと違いはないんです。わかる? ……嗚呼、伝われ!と珍しく駄々を捏ねてみたくなってる私でしたとさ。もどかしい!

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アニメ「葬送のフリーレン」、主題歌が発表になったのね。OPがYOASOBIでEDがmiletってどんだけこの作品に賭けてるんだ日テレは。特にYOASOBIは目下「アイドル」が凶悪な再生回数を叩き出してる事から新曲への注目度は最高潮、なのだろう。知らんけど。

2021年「不滅のあなたへ」の『PINK BLOOD』の提供から宇多田ヒカルもいよいよテレビシリーズアニメ業界へ進出か、と思われたのだが多分そこは是々非々なので、ヒカルが気に入る作品がどれだけあるかにかかってるわね。そんな中実写映画「キングダム」への提供となったのだけど、こちらも漫画原作でテレビアニメシリーズも長年放映されてる作品なもんだからヒカルも原作漫画を読む機会があって結び付くことが出来た、という言い方が出来る。

こういうケースは初めてではなく、例えば『Show Me Love (Not A Dream)』を提供した山下智久主演の実写映画「あしたのジョー」(2011年公開)もまた「キングダム」と同じく漫画原作で長年テレビアニメシリーズが愛されていた作品だった。ただこちらは、明言はされていないものの、『嫉妬されるべき人生』を提供した2019年の「パラレルワールド・ラブストーリー」の時と同じケースで、既に仕上がっていた楽曲を映画に宛がったものだとは思われる。

漫画原作でいうなら『Time』を提供したテレビドラマシリーズ「美食探偵 明智五郎」もそれに当て嵌まるけれど、こうしてみるとシンプルに「漫画って強いなぁ」と思わずにはいられない。「パラレルワールド・ラブストーリー」は小説原作だけどね。

ヒカルは漫画で日本語を覚えた面も強いというし、なんなら漫画原作のテレビアニメシリーズの主題歌をもっと担当してもいいかとは思うが、こればっかりは巡り合わせとしか言えない、と私なんかでもそういう平凡なことしか言えないわ。

それを考えるとエヴァンゲリオンとの相性の良さ、タイミングの良さは奇跡的な必然だったとも言える。今日で関東大震災からちょうど100年だが、ヒカルが『Beautiful World』を提供した映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」が公開されて16年の記念日でもある。2023年現在は挙ってJ-popのトップ・アーティストがテレビや映画のアニメ作品に楽曲を提供しているが、16年前の2007年当時はそこまでそうではなかった。そこに宇多田ヒカルという日本歴代最高記録を持つアーティストが名乗りを上げたからそれはもう衝撃的だったのだ。ここらへんから「アニメはヲタクが観るもの」という認識が「誰でも観るもの」へと変化していったようにも思える。勿論本格的な変化はアニメサブスクチャンネルの普及を待たないといけなかったけどね。


漫画原作のテレビアニメシリーズ「葬送のフリーレン」の初回は本来劇場公開映画作品放送枠である金曜ロードSHOW!を乗っ取ってまるまる2時間放送される予定だ。そして主題歌は今年最も聴かれているアーティスト。思えば遠くへ来たもんだ、というのが老害側の正直な実感なのだが、ここに至る過程の中で重要な転換点の1つを宇多田ヒカルが齎したという事実は、ほんのちょびっとでいいから踏まえておきたいなと自分に言い聞かせてるまだまだクソ暑い9月1日の朝なのでありましたとさ。

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