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無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今回のプロモーションは大規模なのか草の根なのかいまいちよくわからない。今既に様々な家電量販店で『あなた』の2分ショートバージョンが試聴できるが、どれ位の人々がアクセスしているのだろう。HPにずらっと対象店舗の名前を羅列してくれれば「うわった、大規模なプロモーションだな」と驚ける事が出来るがそれをしていない為、どこか個々のファンがこっそり行って聴いて帰ってくる、みたいな雰囲気が強い。GPSスマホアプリと連動させるとか試聴店舗でQRコードを読ませるとかして店舗マップが埋まっていく擬似オリエンテーリング企画なんかをやったら面白かったかもしれない。一向に埋まらない地区が出たりするリスクが怖いからやるのは勇気要るけどな。

一方で渋谷では(たぶん)高い金を払ってSONYがヒカル出演のCMを打ってくれている。これはEPICが予算を割いている訳ではない、のか。SONYグループ全体では大きな企画なので大きくプロモーションを始めてるかと思いきやそれは新製品に対する話で今のところヒカルはそこに便乗しているだけだ。勿論SONYもヒカルの圧倒的な知名度をアテにしてる訳でもちつもたれつお互い様なんだけども。

つまり、まだまだヒカルの側はプロモーションに本腰を入れている訳ではない。店頭企画も渋谷の一角でこぢんまりと開催しただけだ。なぜ渋谷だけなんだと関東以外のファンは思っているだろうが、単純にまだその段階ではない、という事でな。本腰入れると『HEART STATION』ステッカー企画のようにそれこそ全国規模での企画が立ち上がるだろう。まだまだジャブを打って様子を見ている段階だ。『あなた』は映画の公開ともリンクさせていくのだから2ヶ月以上の長いお付き合いになる。そんな遠くまで出掛けられないよ、という皆さんも暫しの間お待ちうただければ幸いです。

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店頭での2分のショート・バージョンを聴いたのを経て、『あなた』について気がついた事があった―のはいいのだが、おいそれと書けるような話ではないのでフルコーラスを聴くまでは封印しておこう。

いつもならサンプルを聴いた時点で「妄想を繰り広げられるのも今のうちだ」とばかりにあれやこれやと何千字も費やすのが常なのだが、今回はもうそういうリズムになりようがない。すかさずヒカルによるオフィシャル・コメントが公表されたのも大きかった。別に悪い事じゃないが、テーマが限定される事でいつもなら「妄想の為の余白」である部分が「足りない情報」に変質している。なるほどこうなるのか。いい勉強になった。もう私の脳は"勝手な妄想"を拒絶して慎重になっている。こうなったら私の力ではどうしようもないのだ。

それはそれとして。

今気になるのは、リスナー側の盛り上がりである。今年の春に私は『次の次の新曲は名曲になる』と書いてそれは結局『Forevermore』だったのだが、その"名曲っぷり"は私のような偏ったリスナーに響くものだった。一言で言えばマニアック。立ち位置としては『Passion』に近い。一部の人は絶賛するがそれが"浅く広く"伝播しないタイプ。その曲調を一夏思い切り楽しんだ(この日記を読み返せばそれは明らかだろう)私にはそれこそ"言う資格が無い"のだが、「宇多田ヒカルにはもっとダイレクトにキャッチーな曲が求められてるんじゃないか」という思いがどうしても拭えない。

『大空で抱きしめて』も結構キャッチーだと思うが、ご存知のように楽曲全体の構成で唸らせるタイプの曲で、そういう意味では「ダイレクト」ではなかった。そして『あなた』だ。心に沁みるいい歌詞が並んでいるが、シンプルにメロディーとしてみた時には突出したものがない。それはつまりこの楽曲が『真夏の通り雨』から連なる"日本語を大切にした歌"の流れにある作風だからであって、アルバム全体の中では相応の役割を担うだろうがシングル曲としては弱い。

したがって、三者三様にマニアックな楽しみ方が出来る『大空で抱きしめて』『Forevermore』『あなた』という配信シングル曲3連発はどちらかというと昔でいえば『Be My Last』『Passion』『Keep Trying』三部作みたいな位置付けになりつつある。ただ、その時はそれは狙った上での作風だったのだろうが、今回はどうなのだろう。

昨年の『花束を君に』だって、そこまでダイレクトなインパクトはない。結構入り組んだメロディーで構成されていた歌だとは思うが、魅力の伝わり方はシンプルだった。どういう思いを載せた歌詞なのかが伝わり易かったから、メロディーの美しさも浸透したのだ。更にアルバム発売直前に『道』『二時間だけのバカンス』という正真正銘「シンプルでダイレクトでキャッチーな」楽曲が投入されて『Fantome』の売上に火が点いたのだ。「やっぱり宇多田はいい」と。


まだ3曲だ。時間はタップリある。寧ろここから巻き返した方が今大ヒットを出してしまうよりアルバムの売上は上がるだろう。ただそれによってライト・リスナーたちが宇多田ヒカルの存在を気に留めなくなるレベルにまでになったらちょっと危うい。大丈夫だと思うが。総てが「これでよかった」と言えるくらいにシンプルでダイレクトでキャッチーな楽曲が一曲来れば総て丸く収まるのだ。それが出てくるまでは他のアーティストの皆さんの繰り出すその季節毎のヒット曲の"後塵を拝す"事になるのが、何だかモヤモヤした気分になるけど。無論これは『Fantome』が予想を上回る大ヒットを記録したから生じる"贅沢"に過ぎない。ある意味幸せな感覚ですわね…。

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歌詞可視化全曲、取り敢えず1stアルバムの分を書いてみた。いや勢い余って2ndも大半を書いちゃったけど。やっぱりこの日記は2006年以降書き始めただけなので(fc2の方は2004年から)1stや2ndの曲について語っていない。特に楽曲『First Love』が皆無なのは笑った。余りに有名かつ代表曲だとあらためて触れるまでもない、とどこかで思っているんだろうな。確かに、そのきらいはある。

しかしそれも、15周年記念盤の発売があったお陰で全くの皆無でもなかった。キャリアの長いアーティストが「○周年記念盤」を出すのはファンの為にもよい企画だ。今後も2ndアルバム以降の展開に期待したい…

…と、長期的展望をもってそう言いたいところだが、そうそうのんびりもしていられない。いつまで「CD」というフィジカルが通用するかが不透明だからだ。幾ら規模が縮小していくとはいえCD生産工場自体がこの国から無くなるとしてもあと20年くらいは大丈夫な気がする。毎度言ってるがアナログレコードもカセットテープも元気に生産中なのである。CD世代だけが薄情とも思えない。何しろ分母が違うのだから。

それを考えると取り敢えず『Fantome』までの作品は「記念盤CD」のフォーマットでのリリースは可能だという見立ては出来る。それでも、そんなに余裕のある話じゃない。ヒカル自身が、今もって現役感全開で新しいマテリアル作りに取り組んでいるのだから記念盤の編集に携わるのは無理な話なのだ。

なので、もう別働隊をハナから組織しておいてもいいかもしれない。アーカイブスを管理して、ヒカルが休養を取ればいつでも動けるような。具体的にどうという案はないのだが、単価の高い記念盤事業は収益面でも手堅い筈。我々より上の世代は高い値段でもいいコレクションならぽんとお金を出すものなのだ。音楽作品にはそういう"ステイタス"があった。今はもうないかもしれないが。

歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』の第2弾が出版されるとしてもまた10年後20年後になるだろう。だったらそのフォーマットを各記念盤に移植して「ミニ・宇多田ヒカルの言葉』歌詞集をアルバム単位で記念盤に添付した方がいいかもしれない。20年経ったらまたそれを再編纂して第2弾を出版する、という計画で。

何がいいアイデアかはわからないが、検索が普通に溢れる世の中だからこそ先回りしてのアーカイブス整理が必要だ。今から考え始めても決して遅くはないだろう。

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当初は「へぇ、ファッション誌にHikkiがねぇ。久々だねぇ。」くらいにしか考えてなかったのだが、その後の展開からすると思っていた以上に「VOGUE JAPAN」の記事は意義があった事になる。

シンプルに2つの点においてだ。ひとつはフォトグラファーにマチェイ・クーチャを起用した事。当日記でも彼の「撮りっぷり」を絶賛し「このままオフィシャル・フォトグラファーになっちゃえばいいじゃん」とまで言っていたのだが、今回の『あなた』関連のフォト・セッションでも彼を起用、これまた美麗な仕事を披露し期待に応えてくれた。ここまで安定して美しければアピアランスで文句を言う輩は限りなく減るだろう。歌手なんだからそんな事に神経をすり減らしている暇はないんだがだからこそ彼のような強力なフォトグラファーが必要なのだ。彼の仕事によってヒカルのストレスがぐっと減る。これはとても大きい。あともちろん、女子としては綺麗に撮ってもらって悪い気はしないだろう。このマチェイの起用が「VOGUE JAPAN」の意義1点めだ。

もう1点は「言葉」である。ファッション誌だのに何故か内容は衣装でもなく新曲でもなく「言葉」。いやこちらとしてはこういう"落ち着いた"話をじっくり聞ける機会は少なかったから大変嬉しかったのだが、ここに来て歌詞集の発売が決まり更にこのインタビューの価値が増した。何しろ新しい書籍のタイトルが『宇多田ヒカルの言葉』ですからね。ストレートにも程がある。インタビュー時にどこまで歌詞集のコンセプトが決まっていたかはわからないが、随分厚そうな書籍だし構想は既にあったとみるべきか。このタイミングで『ヒカルの言葉』について聞けたのが、『VOGUE JAPAN』の意義のもう1点である。

見た目と言葉。メロディー書いてなんぼの作曲家としてはやや遠いが、衆人の目に触れる現役歌手としては見た目は大事だし(なんかさっきと言ってる事が違わないか)、作詞家としては当然言葉は核である。その2点の方向性を指し示したのがファッション誌の記事だった事は記憶に留めておきたい。多分、ついつい忘れる。誰とは言わないが、Hikkiがファッション誌に掲載されるのが何年ぶりかも把握出来ていなかったのだから本来ならそこまで重要な仕事じゃなかったんだろう、こういうのは。しかし結果的に、契機・節目としての掲載になった。まだ入手してない人は電子書籍版もあるから購入しておいては如何だろうか。

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さて週末はソニーストアが盛況になるのかな。私はまだどこで聴けるのか把握してないから調べてから、だ。

店頭に足を運んで貰えるSONYと、宇多田の新曲を試聴して貰えるEPICの思惑が一致した企画。そこに「DESTINY 鎌倉ものがたり」も絡んで…こないか、別に。ダブル・タイアップだからといっても世界観が違いすぎるから記憶が混乱することはないかな。

どういう経緯だったんだろう、と少し意地悪な事を考える。もともと『あなた』は映画の為に書き下ろされた曲なので、SONYの方があとづけなのは確実だ。SONYとしてはまっさらな新曲を用意して欲しかった所だったが、宇多田側から「そんなにすぐには曲はできない」と断られ、じゃあ『あなた』で、となったのか。或いは、12月9日に向けて「この曲一本でいきましょう」となったのか。つまり、同時期に2曲以上展開させる局面ではないという判断だ。

これのどちらかを選ぶには材料が乏しい。前者だとすれば、ヒカルは目下とってだしの真っ最中。曲ができたそばから発表していて一曲も余裕がない状況なんだと解釈できる。イメージとしてはこっちかな。でもSONYとしては宇多田のブランドとルックスが使えるなら曲のイメージなんぞどうとでもなる訳で、そこらへんは世界観の確立された映画とは違う。来た曲に合わせれば十分だ。とはいえヒカル自身がCMに出演するのだから事前の摺り合わせが必須なのは間違いないが。着てる服からすると撮影は随分前…2ヶ月以上前?のようだし。

いずれにせよ、ダブルタイアップとなった事で『あなた』という曲の存在感が抽出されるのが有り難い。異なる使われ方の中で曲の魅力が浮かび上がってくればしめたものだ。またもや配信限定でCDシングルなし(金輪際なし、の方向だろうな)だから売上と言ってもそう大きくはならないだろうが、末永く愛されて、映画やイヤホンの記憶が薄れてもなお愛される歌に育っていってくれれば好運だ。

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在処  


わたしのいう「しとふしのあうはて」としての「うた」と今世に溢れる歌はまだまだ全く別のものだ。ならば、何故我々は嘘をつけるのだろう。何故我々は"居れる"のだろう。

一炊の夢の如き人生。嫌がり世の総てがそうして儚い。その果てしなさに較べれば、あの偉大な『真夏の通り雨』ですら真夏の夜の夢の様に儚く忘れ去られる。シェイクスピアを驚かせるのは並大抵の事ではないのだ。

ふと気がついたのだが、抽象化が是とされ過ぎて、人は歌を忘れ始めているのかもしれない。完全なる具象が世に存在しないのと同じように完全なる抽象もまた存在し得ない。在り得るのはまさに真ん中の「うた」だけである。今の世は、割いて離してそれっきりである。どこかでまた合わさなければならないのに。

「本」は具象である。歌のような避け難さから遠ざかり自由を謳歌する。そう、御覧の通りそこでも"歌を謳う"のだ。我々の生きる『道』がそこにある。『あなた』に『You are every song』と歌う以上、『あなた』は存在そのものでなければならない。あの歌がそこまで行っている"予感"は果たして在り得るか? 待つと約束した以上待とう。

下から見上げればヒカルの歌はもう既に果てしない。しかし夢の果て、しとふしのあう"在処"はそこから途轍もなく遠い。ならば肩の力を抜いて歌おう。そちらを見よう、目指そうという訳だ。誰しも、ただ歌うだけである。吉良さんが「観客全員が歌ったら」と夢見ていた。マーラーは千人の交響曲(第8番の通称)を書いた。音楽家は夢をみる。でもまだ遠い。余りにも遠いのだ。

しかし、"在処"から眺めてみたらと想像する事は出来るかもしれない。"おぞましい"の一言だろう。

メモだけしておこう。漫画「ONE PIECE」にポーネグリフというアイテムが出てくる。簡単にいえば石に言葉を彫ったもの、なのだが本とはどう違うのか。抽象化の拒絶だと尾田栄一郎が気づいていればこれは本当に鮮烈なアイデアたり得る。それははじまりたる「本」以上のものでより「うた」に近い。

また"在処"から眺める。まだまだ遠い。遠い。遠い。しかしその幅こそ世界だ。はなされたよになかができるから世の中なのだ。あの世もこの世も、在処からみれば大して変わらない。同じ程に遠い。

遠くても目指す事はできる。しかしそれは遠くを眺める事ではなく今を今にする事だ。本当と嘘が重なり、合う。本当は嘘を追い払い、嘘は本当を包み隠す。どちらが優しい? 歌にはどちらもあるのだ。考えてみるに値する。


いい歌にはヒントがある。ちらりちらりと見え隠れする。その刹那がよさであり、その切なさがよさである。


***** *****


時々こういう話を書きたくなる。ヒカルにいちばん読ませたいのはこういう話だからだ。あなたは頂点なんか極めていない。あなたに出来る事はまだまだ沢山ある。感じた限界はただの甘い御褒美だ。死を掠めても不死が霞みを読んでくる。詞と節を合わせる仕事は今日もある。死後とも詞言も合う日が在る。果てしな過ぎて目眩がするなら深呼吸。世界との対話、よとのはなしは尽きない。月の無い夜は尽きの無い世を呼んでくる。名前は大事だ。『あなた』は名前の前に在るのか? それも知りたい。生きておこうと思えてくるのだ。知らずに死ねるか。

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@utadahikaru : ため息つきながらスーパー入ったら買い物カゴに素敵なシールがついてて、つけた子ども?の気持ちを想像したら急にワクワク気分に。楽しい買い物じゃった。 https://www.instagram.com/p/BZ1LSmpF03z/


ため息の理由が知りたいリプライが続出してる。まぁしゃあないが最終的にヒカルがワクワク気分になったのだからよかったのではないか。

でもおいらの脳裏に浮かんだストーリーはもうちょいほろ苦いものでな。こどもが宇宙船(?)のシールを黒い買い物かごに貼って「宇宙だ!」とはしゃぐ姿までは想像できたが、彼(或いは彼女)は、それが「家に持って帰れないもの」だとは気づいてなかったんではないか。で、剥がす事もできずにバイバイしたのではないかと。貼ったので満足してそれきり忘れてしまったのなら幸せなんだが。いずれにせよ自分は小さい頃シールの類を手に入れても一切どこにも貼らなかった人間なので、そもそも貼った人間の心理なぞ推測するしかない。『HEART STATION』のコラボステッカーも引き出しの中に眠ったままだわ…。

…という妄想にヒカルが至っていないのは確実である。ヒカルならしょぼんとしたこどもとワクワク気分の自分という対比的な構図にどうにも居心地の所在無さを感じるんじゃないか。『誰かの願いが叶う頃に』じゃないけれど、それに思い至らないのは余程疲れがたまっていたのか。お買い物で発散できてたらいいんだが。

でも日常のちょっとした事で気分がアガるのは事実で、そこに至って初めて自分が小さい事でクヨクヨ悩んでいた事に気がつくのだが、至っていないと悩みの大きさなんてわからない。自分の方が飲み込まれてしまっているので。それをたった2枚(?)のシールで成し遂げるとは。20年位経ったらあの時のシールは自分でしたって名乗り出てくんねーかな。なぜかNIRVANAのアルバムジャケットで泳いでた赤子が20年後に同じポーズで写真を撮った話題を思い出した。20年なんてあっという間なのだ。こんな歴史に埋もれるような一枚の写真だっていつどこで掘り起こされるかわからない。そうなった暁にはヒカルに小さくお礼を言われるのだろうか。ちょっといいな。

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歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』は352ページだそうなので88×4ページ。アルバム6.5枚分の歌詞なら1曲あたり4ページ程割ける事になる。見開きで歌詞を描いてもう2頁で解説、みたいな体裁だろうか。そこに各界の有名人のコメントが入る、と。出来ればヒカル自身に語って貰いたいがやや手間かな。あんまり作品の過去を振り返りたがらない人だし今は制作中だし。

ただ、『あなた』に関してはとっとと自主的にコメントを出しているのが他と違っているような気もする。穿っていえば、過去曲について語り尽くした流れで最新曲の『あなた』についても勢い余って語りたくなった、とかなら期待がもてる。妄想でしかないが。

ヒカルは1998年12月9日デビューだから20周年は2018年12月9日。即ち再来月の12月9日でデビュー19周年を迎えて20年目の活動に突入する事になる。そこからの「20年目イヤー」が1年続きそこから「20周年イヤー」が1年続く、なんて書くと詐欺みたいだが6年半も待ったんだから2年間祭りが続くのも悪くない。まぁこちらとしては特に盛り上げずに淡々とマイペースで毎日を紡いで欲しいのだがそれは最高の贅沢だからな。

そんなこれからの空気を考えた時に『歌詞集』って地味なんじゃあないだろうか。コンサートとかミュージックビデオ特集とかテレビラジオ出演とかの華やかさからは一定の距離がある。誰がどういった動機で企画を立ち上げたのか知りたいものだ。

『点』『線』はその多くが既出の記事・内容だった。もし『言葉』で歌詞が各曲見開き2頁ずつだとしたら200頁近くが"新情報"になる可能性がある。ちょっと待ってと言いたくなる量である。果たして消化できるのだろうか。発売と共に「20年目イヤー」が加速していくかもしれないのに、ちゃんと心ゆくまで味わえるだろうか。不安というか諦めというか、毎度ながら妙な気分である。新曲は嬉しいが、ちゃんと消化し切れないうちにもう次の曲が出る。私が『桜流し』を大好きなのは、時間をかけてゆっくり味わう事が出来たからなのかもしれない。時間が思い入れを深くしたのだ。『Fantome』の曲だって未だに「?」ばかりである。その「?」が、『大空で抱きしめて』によって、『Forevermore』によって、『あなた』によって次から次へと書き換えられていく。歌と歌がかかわり合いながら、過去の解釈を少しずつ変質させて『宇多田ヒカル』という四次元実体を構築していくのだ。まったく、ついていけている自信がない。あれ、なんか前
回(今朝)と同じ愚痴だな。(笑)


だから歌を聴いている時は本当に幸せだ。離れて較べるから惑うのだ。早く『あなた』を聴きたい。『あなた』そのものを聴きたい。ヒカルが「これで個体だ」「これで全体だ」と思えたその姿が見たい。今回ばかりは、話はそれからだ。待つ事でしか解らない、焦りも拭い不安や偏見も削ぎ落とした状態で歌に向き合えるように、後2ヶ月居るとしますか。

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今回は相当ややこしくてまだまだ混乱を引きずっている。SONY/EPICに移籍して系列会社の商品「ノイキャン・ワイヤレス」のCMに出演して流れる歌は自らの『あなた』で。その『あなた』は映画『DESTINY 鎌倉ものがたり』の主題歌でもありつまりはダブルタイアップで。主役の高畑充希は昨年『花束を君に』を起用したドラマ『とと姉ちゃん』の主役でもあり。でその『あなた』までの全曲の歌詞を掲載した歌詞集が『あなた』の配信開始翌日、『鎌倉ものがたり』の封切りと同時に店頭に並ぶ、と。でその歌詞集発売にあわせて例の『歌詞可視化』サイトがパワーアップして過去曲全曲(但し、Utada除く)に拡張されている。ほいで一連の動きに伴ってサイトがリニューアルされ新しいアー写は「VOGUE JAPAN」で好評だったクーチャによるフォトのようだ。

やれやれ。書いててアタマ痛くなってきた(笑)。最近のヒカルの動く姿が見れるのは、新しい方から順にSONYのWeb CMとそれに伴うインタビューとメイキングの3つ、更に『Forevermore』のコンテンポラリーダンスと笑む音、じゃない(笑)、M-onで放送されたメイキング番組。またM-onとは20周年コラボでMVを使ったスポットが流れていると。VOGUE JAPANに関してはメイキングの動画も存在していてそこでは『大空で抱きしめて』のカラオケバージョンと共に美麗なヒカルの姿が。当然サントリーのCMでは『大空で抱きしめて』をバックに元気なヒカルの姿が。それを言ったら『Forevermore』のストリングスのインストバージョンとアコースティックギターインストバージョンも流れたし…ってちょっと遡り過ぎて余計混乱したかな。ったく。

という感じでこちらは既にキャパオーバー。このままで2ヶ月後のデビュー記念日を迎えては間違いなくパンクするわ。これに雑誌掲載とか加わっていくんだぜ。年内かはさておき、アルバム制作が一段落したらラジオ出演だってある。うひー。嬉しい悲鳴だ。ダヌパ元気でやってるか。

まぁ落ち着いてひとつひとつ見ていこうか。幸い、急がなくちゃならんのは今月末締め切り設定の歌詞可視化ツイート企画位のものだろう。焦らすまずは一つ深呼吸でもしときましょうかね。

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先週「耳の聞こえない人たちに対する気持ち」を書いたが、宇多田ヒカルの歌詞集は彼女たちに届くのだろうか、という興味がまずある。音楽を聴く習慣がなくても、宇多田ヒカルという有名人が居るらしい事は知ってくれているかもしれない。我々の年代ならほぼ知っている。しかし、後天的であれ先天的であれ、歌詞なんてものに興味を持ってくれる人も居るかどうかは未知数だ。

それに、現実的な話だが、出版は先日から20周年コラボレーションを展開しているM-onの関連会社のようだ。となると流通が音楽系、即ち店頭販売がCDレコードショップに偏る可能性もある。街の本屋にふらりと立ち寄り平積を目にする、というのがないかもしれない。これは単純に私が知らないだけなので、あとで調べておこうかな。いずれにせよ今のうちに予約注文しておけばいい。本屋にいってスマホをみせたら受け付けてくれるよきっと。

余談2話でした。
では本題。

歌詞の本来の実体は声である。この基本にたてば、書籍に印刷された文字は歌詞ではない。歌詞を文字にした他の何かなのだ。歌詞はメロディーを伴って初めて歌詞になる。メロディーから外れれば散文詩の朗読と変わりがない。

なぜこれを強調するかというと、文字にした歌詞に「由来や理由のわからない言い回しや語尾や単語の選択」があるからだ。『光』のサビの冒頭が『ずっと』なのは音が跳ね上がるからだし『もっと』は音が下がる。英語で同じ場所を『When you walk away...』にした為メロディーが異なっている。

正確にいえば、順序や因果関係はわからない。恐らく、歌詞を『ずっと』にしたかったらメロディーを跳ね上げたのだろうと思うのだけれど、もしかしたらメロディーを跳ね上げた後で合う歌詞を探したら『ずっと』だったのかもしれない。しかしいずれにせよ"関係がある"のは間違いない。

勿論それらは総て"成り立ちの話"であって、「なぜここの歌詞はこうなっているのだろう?」という探究心を抱かない向きには用が無い。出来上がっている歌詞をただ味わうのに「それがどこから来たか」なんて考えるだけ野暮な話。ただ歌詞を読んで「いい言葉だな」「ぐっときた」「泣かせるぜ」と感情を吐露するのが全うな歌詞集の楽しみ方だろう。

それでもなお、やはりそれは歌そのものではないと強調しておこう。映画の脚本やドラマの台本、アニメの絵コンテのようなもので、命を吹き込む前の姿、或いはそこに命のあった残り香のようなものだ。「歌」という最終形態の、いち側面、いち射影を切り取った特殊なレシピなのである。或いはだからこそ新しい発見があるだろうし、それについても語る事が出来る。

12月9日土曜日発売というからもう編集・校正は終わっているだろうか。完成品から一部を切り取って貼り付けたものであるからこそ、遠慮なく「作者はこれについて語っていいんだ」と、私はヒカルに言いたかった。出来上がった歌の言い訳は見苦しい。伝える為の努力は総て音にして録音し、そのひとパッケージで伝えきるべきだそれが潔い、と私も思う。しかし歌詞集は不完全な裏レシピに過ぎない。それに対する補足を語るのは寧ろ必要だったんじゃないか、と。今回はもう間に合わないかもしれないが、また20年後位に『あなた』の次の歌以降の歌詞集が出版されるだろうから、その時はヒカルも大いに語って欲しい。いやまだ今回しっかり語られている可能性も残っているからそれには最後まで期待しつつ、ではあるけれど。有名人のコメントも悪くないんだけどね。まぁまずは再来月に歌詞集を手にしてからだ。こういう話はそれからでも遅くない。今の私が早まり過ぎ(笑)。

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うーん、盛り上がりに水を差すつもりは全く無いんだが、読者目線からすると後から「どうして先に言ってくれなかったんだ」案件になるのは確実なので、気は進まないけど記しておこう。SONYのCMでヒカルが身に付けているノイズキャンセリングワイヤレスイヤホン、WF-1000Xの事である。似た型番が並んでるので私は勝手に「Wi-Fi千点」と覚えてるんだけど。(点=TEN=10=X)

いやぁ、どこから突っ込んだらいいか迷う程買うべき理由が見つからない。最初は私も「ヒカルがつけてるんだから、ファンですアピール(?)の為にひとつ買っとくか」と思ったのだ。Bluetoothイヤホンは電池の寿命が短いので複数あったらあったで使いようもある。

しかしお値段をみて目を疑った。24880円。しかも税別ってこた税込み購入価格は26870円ですか。約27k円。ちょっとした価格である。こりゃ一応中身を確認してみないとな、と。

まずドライバーユニットが口径6mmだと!? こんなんで重低音鳴るんかいな…いや、ユニットの口径で音質が決まっちゃう訳じゃないけどSONYの癖にこれはみみっちすぎやしませんか。

まぁまぁ、サイズダウンの為には仕方無かったんだろう。Bluetoothで大事なのは何といってもバッテリーだ。本体連続再生時間3時間、ケースで2回充電可能という事で合計9時間か。突出している訳じゃないが悪くない。先達のAir Podsと較べてそこまで見劣りするでもなし。ただ、バッテリーケースが少々かさばりそうではある。ポケットに入れたらぷっくり膨らんじゃいそうですな。もう一周り小さくならんかったか。

まぁそこらへんはプラスとはいえないがマイナスでもない。いちばん目を疑ったのはBluetoothのコーデック(転送時の符号化)である。SBCとAACしかない…だと…っ!? 流石に目を疑った。2017年も暮れに差し掛かろうかというタイミングで、約27k円もの価格をつけ、先行機種のAir Podsから9ヶ月程遅れて登場しておきながら、aptXはおろかLDACにすら対応していない…っ…。

これは流石に駄目だろう。よくわからないアルファベットの羅列に戸惑う読者も居るかもしれないが、要はデジタルオーディオプレイヤーやスマートフォンで幾ら高音質のファイルを再生しようと総てMP3程度の音質にグレードダウンして再生されるという事だ。

いや別にイヤホンに音質なんて求めてないから、というご意見も多かろう。ハイレゾって言われても「ああ音が綺麗だね」としか思わない。気にする程でもない、と。だったらもっと安いイヤホンが幾つもある。27k円は高すぎる。

いや勿論音質がドライバーユニット口径やコーデックだけで決まる訳じゃない。これは本当に実機で聴いてみないとわからない。ただ、仕様を読む限りにおいては暴利と言って差し支えないだろう。お金を持ってるオトナならSONYのブランドとデザインを理由に買ってしまえばいいと思うが、例えばバイトで生活費を賄っているような苦学生が手を出す商品ではない。仕様を読む限りにおいては。

幸いなことに、既に予約超過で品切れ状態、今から買おうとしても難しい(10月7日発売)らしいので、購入を検討している人はもう一度考えてみた方がいい。ヒカルがつけてるからと欲しくなる気持ちはよくわかる。しかしイヤホンとしての性能は期待できないかもしれないのだ。いやはや、そらSONYのHP掲載のインタビュー動画で音質について触れない筈だわ…。

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話題が次から次へと継ぎ足されていくので、ちょっと立ち止まって「前から気になっている事」について書いておこうと思う。前作『Fantome』収録の『荒野の狼』の事だ。

同曲のクォリティーについては文句のつけようもない。アルバムでも屈指の名曲である(そんな曲だらけのアルバムだけどな)。位置付けとしてはアルバム後半の華。シングルカットはされないものの、(ファン以外にとっては)"隠れた名曲"としてヒカルのメロディーの泣き成分をストレートにぶつけたアップテンポの曲、という事で役割としては『First Love』でいう『Another Chance』(同時はシングル候補曲だった)、『DEEP RIVER』でいう『嘘みたいなI Love You』に近い―そう表現すれば長年のファンには共感が得られるのではないだろうか。

『Another Chance』では無自覚だったが、余りにストレートに切なさと青さを封じ込めたメロディーな為バランスをとる為に『嘘みたいなI Love You』ではデジタル・ロック風のヘヴィ・リフを、『荒野の狼』では華やかなホーンセクションとファンキーなベースラインをそれぞれフィーチャーしている。ヒカルの真っ直ぐな泣きメロを求めるのはどちらかといえばコアなファンであり、そちらをターゲットにした名曲群だといえる。

さて。そんな『荒野の狼』の何が気になっているかというと『高揚感の欠如』である。これは楽曲から直接的に感じ取った感覚というよりは、どちらかといえば間接的に"読み取った"感覚であると思ってうただきたい。曲を聴いてリスナーが高揚できない、という意味ではなく、曲から"作曲者の"高揚感が感じられないのである。

普通の作曲者なら、いや、一流の作曲者であっても『荒野の狼』のサビのような"一撃必殺のメロディー"が思い付けば&完成すれば興奮する筈なのだ。俺だったらする。天狗になる。「もしかして自分天才なんじゃないの? いや間違いないでしょ」って浮かれぽんぽんちきになる。人の人格や性格を破壊しかねない程のフックラインだと思う。しかし、恐らくヒカルは微塵も(は言い過ぎかもだが)そう感じていない。極端な書き方をすればまるで「私ならこの程度のメロディーいつでも書ける」という風に思っているように聞こえるのだ。アレンジの節々から、どこかそう醒めた感覚が伝わってくる。

なんてメロディーだ!と興奮した作曲者はアレンジにことのほか気をつかう。もっといえば「大事にする」のだ。「もう一生こんなメロディーは書けないかもしれないから最高のものにするぞ」と。それが感じられないのだ。ヒカルの仕事にやる気がないとか雑だとかそういう話ではない。そういう「一期一会の緊張感」みたいな方向性にそもそも進んでいないのですよ、「いつもみたいにまた書けたから今回はどうすりゃいいんだろ?」という方向に全力で悩んだ気がする。結果、ああいう風に変化球と豪速球のコンビネーションみたいな曲になった、と。


で本当に気になるのは次の点なのだ。これは「いつでもこういうのが書けるから曲毎の独自性を見いだすのに腐心している」のか、それとも「そもそもこういうメロディーに飽きてきた」からなのか。この種のストレートなメロディーは究極的にはヒカルに最も求められてきたものだ。時を超え土地を超えこの切ないメロディーを味わえるのが「核」なのだと特にコアなファンは信じてきた。いやさもう無意識レベルでそう思っているんじゃないか。

今のヒカルがそういう"無意識の期待"に応えるような切ないメロディーの曲を作るのに興味を失いつつあるとすれば一大事だ。能力がなくなったのではなく、興味がなくなった。それは能力を失う事より絶望的かもしれない。ここは本当にわからない。しかし、踏まえておいた方がいいだろう。ピカソほど極端じゃなくても、音楽家だって作風は変わる。いつまでも同じである保証はないし、変わる保証だってない。どちらに転ぶかなんてわからないが、今の私はこういう懸念を抱えて毎回新曲を迎えている、と思って貰っておいていい。それでもいい歌ならいいんだが。

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おやまぁまた月曜早朝から新情報。SONYのノイズキャンセリングワイヤレスイヤフォンのWeb限定CM公開が今日から、そして352頁(4×88頁)に及ぶ初の歌詞集『宇多田ヒカルの言葉』の発売発表と、ダブルでまぁ。また『あなた』がSONYのCMソングとして起用される、とな。一曲ダブルタイアップっていつ以来だろう。あれ、初めてなのかな…まぁいいや後で思い出しておこう。

歌詞集の発売とはまた思い切った企画だ。嬉しい。それは間違いないが「なぜこのタイミングで?」とはそりゃ思う。『あなた』まで、って『First Love』から『Fantome』までのフルアルバムと『大空で抱きしめて』と『Forevermore』と『あなた』、だ。次のアルバムの収録曲の一部、という。サービス精神なのだろうが、『Fantome』まで、或いは『SCv2』まで、でもよかった気がする。勿論、一曲でも多く収録されるのは有り難いのだが、今後第2弾を発売する時に既出曲が重複するのはどれ位まで許されるのかという問題が今から心配だったりするのです。きっと、それ考えてないんだろうね。どうなるかわからないから、まずは反応をみてみよう、と。今はまだ第2弾の事は考えられない。だったら出来るだけ収録してしまおう、という意図だろうかな。それならそれで。

『点』と『線』がそうであったように、横書きだろうかね。英語歌詞も多用してるし。となるとその部分の訳詞も掲載されるのであろうか。352頁という事で、既発曲全部を見開きで紹介しても半分も埋まらない。かなり様々なフォローが施された書籍になるだろう。

発売順ではなくレコーディング順という記事の記述も気にかかる。アルバム未収録曲(『はやとちり』)の処遇や、シングル曲の順序など掲載するにあたって悩ましい要素だが、それをレコーディング順で統一しようという事か。『Fly Me To The Moon (...in other words)』の日本語訳も気になるな。歌っている訳ではないが、『宇多田ヒカルの言葉』というコンセプトなら収録されていてもおかしくはない。

しかし、レコーディング順が文字通りの意味だとすると非常に意義がある。つまり、作詞家としての作風の変遷や成長がそこからダイレクトに浮かび上がってくるからだ。こういう歌詞を書いたから次はこう、という流れが掴めるのである。これは非常に、非常に大きい。それによって『宇多田ヒカルの言葉』はただバラバラの物語である歌の歌詞をパッケージ化しました、というにとどまらない、宇多田ヒカルの物語としての側面がみえるようになる。それまでそれぞれの歌に属していた"歌詞"という存在が、まさにタイトル通り『宇多田ヒカルの言葉』として再編纂・再構築されるのだ。これによってこの書籍の作品性はぐぐっと際立つ。同じく宇多田ヒカルの言葉を(基本的に)時系列に並べた『点』『線』の続編という位置付けも可能になるだろう。英断である。

ともあれまだ発表初日。まだまだこれから情報が追加されるかもしれないから推移を見守りますか。それにしてもクーチャの写真、又もぐっちょぶ。

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