無意識日記
宇多田光 word:i_
 



前回のタイトルを「こら、予算の話はよさんか」にし損ねた。だから何って話ですが。

制作費の捻出と回収はプロジェクトの主幹と言ってもいいのだが、音楽制作に於いてはあんまり重視されない。映画の売り文句が制作費なのとは対照的である。これは、音楽が個々人の創造力に依る所が大きいのに対し、映画はかなりの部分人海戦術で補える面があるからだろうか。ヒカルが行定対談の時に映像の現場は体育会系で内気な音楽制作の場とは雰囲気が違う、と言っていたが、つまり人数が居て組織立って手足を動かす事で映像の現場が回る~つまり、予算をかければクォリティーを上げられるセクションが多いという事だろう。

そういう実状を考えた時、映画はひたすら宣伝して収益の規模を拡大するのが大正義になる一方、音楽の場合は必ずしも経済的規模が創造性の一助になるとは限らない。人によっては、儲かれば儲かるほど上限なく意欲的になれる人も居れば、大成功によって追い詰められて自殺する人も出てくる。いやまぁ音楽家に限ったこっちゃないけどな、それは。個々の創造性に依拠する以上、ひとりひとりの価値観とモチベーションとそれに沿った環境作りは必須となる。

Hikaruの場合は、どこでどれくらいの規模でどんな結果を出せば"成功"といえるのか。それが話のテーマである。ここが明解であるかどうか、もっといえば、周囲のスタッフとどれだけ価値観を共有出来ているかが鍵となる。有名になっていい事があんまりなかった、と言いたくなったりしたのは、その"代わり"として得た資産にHikaruがあまり励まされなかった事を意味する。まぁ、それは見てりゃわかるんですけどね…長者番付に載った頃の"高い買い物"が卓上噴水ですから。

狂ったくまちゃんのように「富~名声~」と嘶ければ悪くないのだが、未だにそんなキャラじゃないし、これからもそうなりそうにない。ふぅむ。

モチベーションとはつまり、「また次も作りたくなる」とか「ずっとここに居たい」或いは「次はあそこに行ってみたい」とか人として意欲的な側面を見せる事なのだが、ここの母娘は揃って「今ある環境で物事を改善する」癖がついているから困ったもので。何が困るって、別にそこでなくてもよかったかもしれないのに周りに居る"同胞"たちをあっさり追い抜いてしまう事だ。場に対する執着が無いのにトップを取ってしまうというのは、事態を結構ややこしくするんだが、まぁその話は今はいいか。

何をすれば自分が満足するかを事前に見極めるのは案外難しい。手に入れてから初めて「私が欲しかったのはこれだったんだ」とか「私が欲しかったのはこれじゃなかった」とかわかる。やってみなければわからない。やってみてもよくわからないかもしれない。だから、「その結果次にどうしたくなったか」をみるしかない。その"サイクル"をどう助けるかが周囲の課題なのだが、"望ましい環境"作りは、果たして捗っているのだろうかな…。

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