トシの読書日記

読書備忘録

人間の業の肯定

2009-09-11 14:20:12 | た行の作家
立川談志「新釈落語咄」読了



少し前に「談志楽屋噺」を読んだあと、書棚を見たらこれがあったので読んでみました。

落語ファンにはおなじみの古典落語を20席取り上げて、その内容から「人間の業」というものを考え、立川談志流の演じ方を説き、果てはそのテーマをもっと鮮明にするために話を変えてしまうという荒業を繰り出すという、さすが立川流の家元面目躍如といった態の内容であります。



いわゆる立川談志の哲学といった部分、ちょっと引用します。


「…我が立川流家元は、その夢見心地の世界に入れる要素というか、別な注文とでもいうか、その中に「人間の業」という世にいう非常識の世界の肯定をするところに落語の妙があるのだと考えている。」


「落語てえなぁ、日本人の文化と、その文化の中に住んでいる安住に、何のかんのとクレームをつけてきた。それは日本人としての安住があるとはいえ、どっかに欠陥があったからだろう。だってしょせん世の中、かりの姿で、どっかで無理ィしてるのだし、安住という無理を揶揄し、突っつき、共感を得ていた、という歴史を持っている。しかし文明開化とともに、また戦争に敗けたトタンに、日本人的発送を軽蔑し、国際感覚などという、日本人を無国籍人種にでもしろ、というが如きの文化人や評論家。彼らにあおられイライラ、ソワソワ、落ち着かなくなって、四六時中騒ぎまくっている現代人にお伽ばなしの『桃太郎』そのものを語ってやる必要があるようにも思える。が、もう、それも遅まきだろう。」


「芸能なんてすべからく、その芸人の技芸でもって夢の世界に入れてやればそれでいい。ユートピアの世界に客を入れて夢心地にすればいいのだ、という意見もある。だが家元のいう落語という芸能は、それらも多少あるけれど、本質は人間が創った常識という、人間が生きていくためにこしらえた学習というものの無理をどっかで識っていて、たまにゃあ、それらから人間を解放してやれ、と語っているものと考えるがゆえ、どうも、この人情咄というものには抵抗があるのだ。」


立川談志の落語、一度聞いてみたいもんです。

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