トシの読書日記

読書備忘録

6月のまとめ

2015-06-30 17:50:59 | Weblog



今月読んだ本は以下の通り


佐藤幹夫「村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。」
佐江衆一「黄落」
T・カポーティ著 村上春樹訳「誕生日の子供たち」


と今月も3冊でした。まぁしばらくはこんなもんでしょう。佐藤幹夫の評論はなかなかに面白かったんですが、ほかは取り立てて言うほどのこともないですね。今は自分の中で、気持ちがあまり本に向いてないですね。最近本も全然買ってないし。仕事が落ち着くまではちょっとこんな状態が続くと思います。

今日はなんと、2か月半ぶりの休みで、昼間はたまりにたまった用事を片づけるのに奔走し、ちょと一息ついて、夜は姉と一杯やります。姉も本の話がしてくてうずうずしてるみたいです。



姉と文学談義をさんざんして、以下の本を借りる

吉田知子「お供え」講談社文芸文庫
村田喜代子「光線」文春文庫
倉橋由美子「蛇/愛の陰画」講談社文芸文庫
山尾悠子「増補 夢の遠近法」ちくま文庫
絲山秋子「妻の超然」新潮文庫
内田百「集成2 立腹帖」ちくま文庫
アンナ・カヴァン著 山田和子訳「氷」ちくま文庫


興味をそそる本だらけで、ちょっと読書の虫が動き始めました。




6月 買った本 0冊
   借りた本 7冊

イノセンスの持つ残酷さ

2015-06-30 17:12:09 | か行の作家


トルーマン・カポーティ著 村上春樹訳「誕生日の子供たち」読了


本書は2002年に文藝春秋から単行本として、2009年に文芸文庫から発刊されたものです。

自分の知人にカポーティの小説が一番好き、という人がいて、もう忘れましたが、何か1冊読んでぴんと来ず、ならば春樹訳ならどうなんだろうと思って手に取ってみました。


やっぱりぴんと来ませんでしたね。作品としては面白いんですが、自分の胸にはあまり響かなかったです。


子供の持つ純粋さ、これをテーマに同じような短編がいくつか収められています。生まれながらに世知にたけた人はいないわけで、人間は大体において10~12才くらいまでは無垢な心を持っているわけです。それが年を経るに従ってそのままの心を持ち続けるのは難しいと。世間と深く関われば関わるほど自分を傷つけないようにうまく立ち回ったり、うそをついたり、人を裏切ったりしていく。それを「成長」と呼んでいいのかどうかわかりませんが、多かれ少なかれ人はそうやって大きくなっていくわけです。


その無垢な心を失わずに大人になった人と、無垢な心を持つ少年とのふれあいのようなものが、カポーティの美しい文体によって綴られていきます。もちろん、それを読めば世間にもまれて汚れてしまったこんな自分でも、「あぁいいなあ」と思うわけですが、それ以上のものがありませんでしたね。しかし、この作品群の中で異彩を放っていたのが「無頭の鷹」という短編で、これは他の小説とは違って、主人公は大人なんですが、大人として生きていくために無垢な心を能動的に捨てた男の話です。ちょっとぞくりとする話でした。


今回もカポーティ、ちょっと残念でした。また機会があれば…。




人は老い、そして死んで行く

2015-06-17 00:25:18 | さ行の作家


佐江衆一「黄落」読了



ずっと以前に「ブ」で100円で買ったものを今、なんとなく手に取ってみました。本書は1995年に新潮社から発刊されたものです。


60に手が届こうとする夫と同い年の妻。その夫の父と母の介護の物語です。夫の父は93才、母は88才。母がある日、洗濯物を干しているときに転んでしまい、骨折するところから母の介護が始まる。手術、リハビリを経て2ヶ月後に退院するのだが、その頃から認知症が始まり、体もどんどん弱くなっていき、妻の手厚い看護も空しく、1年半後に亡くなる。そして、一人取り残された父を家に引き取るのだが、この父がまた自分勝手で、昔の人間であるために女がいろいろ世話を焼くのは当たり前という感覚があり、妻には感謝の言葉もない。


このあたりの妻の抱く不満、夫は自分の父のことなので、あしざまに言うこともなく、なにくれと父をかばう。それがまた妻の不満をかきたてるという悪循環。


まぁストーリーを言ってしまうとこんなお話なんですが、世間一般によくある話という気がして特に感銘を受けることもなく読み終えてしまいました。主人公とその親の年齢が自分のそれと似通っているので、そこは少し感情移入もあったのですが、全体になんということもない小説でした。


自分が好きな小説のタイプとは文体といい、扱うテーマといい、全く異なっているので…。


ま、こんな本もあるってことで。


反時代的批評

2015-06-11 00:28:49 | さ行の作家


佐藤幹夫「村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。」読了



本書は2006年にPHP新書として発刊されたものです。ちょっと前(2~3年?)に姉から借りていた本で、春樹好きの自分としてはずっと気になっていた本で、今回、やっと手に取ってみました。


なかなか興味深い批評でした。「日本の小説はほとんど読まなかった」「アメリカ文学にインスパイアされて小説を書き始めた」と語る村上春樹に懐疑的な目を向けることから論証が始まります。


本書は村上春樹←→三島由紀夫の本題に入る前に明治、大正の文学史から論説を説き起こします。太宰治は志賀直哉を激しく憎んでいて、志賀文学に挑戦するために「人間失格」を書いたと。その太宰を憎みつつも愛した三島由紀夫が「仮面の告白」を書いたと。そしてその三島に挑戦した村上春樹は「ダンス・ダンス・ダンス」「ノルウェイの森」を書いたという風に話の流れをもっていくわけです。そしてそのひとつひとつに佐藤氏独自の視点からそれを立証していくんですね。


なるほどとうなづかされる部分も少なからずあったんですが、後半になってくるとやや息切れの感も否めず、ちょっとこれこじつけじゃね?と思うところも散見されました。


しかし、この佐藤氏の小説に対する熱い思いが切々と伝わってきて、そこにちょっと感動してしまいました。ここまで小説を深く読み込むことは、並大抵のことではありません。


本書を読んだうえでもう一度、村上春樹の作品を読み返してみるのも一興だと思います。

5月のまとめ

2015-06-05 00:52:03 | Weblog



5月に読んだ本は以下の通り


伊丹十三「日本世間話大系」
嵐山光三郎編「文人御馳走帖」
J・Dサリンジャー著 村上春樹訳「フラニーとズーイ」


と、5月も3冊にとどまりました。まぁ5月はなんということもないですね。読書のペースは極端に落ちてしまいましたが、少しづつでも読んでいきたいと思っております。

閑話休題  
自分の敬愛する岡崎武志氏のブログを読んでいたら、「詩集を読まない人は読書人にあらず」というようなことが書いてあったんですが、これ、どうなんですかね。自分はもちろん詩というものを否定するつもりはさらさらないんですが、難しいんですね、詩は。どう感じていいのか、よくわからないんです。多和田葉子しかり、富岡多恵子しかり。それを「読書人にあらず」と決めつけられるのはちょっとつらいです。


諏訪哲史も「小説は詩の冗漫の形式である」というようなことを確か「ロンバルディア遠景」で書いていましたが、こういったことを言われるたびにちょっとつらい思いをします。もっと感性を磨かなければいけないんでしょうね。精進します。



5月 買った本0冊

   借りた本0冊

宗教を通しての反プラグマティズム

2015-06-05 00:17:48 | さ行の作家



J・Dサリンジャー著 村上春樹訳「フラニーとズーイ」読了



久々の更新となってしまいました。仕事の方がいろいろと忙しくて、更新がままなりません。本書は平成26年に新潮文庫から発刊されたものです。


たまには純文学をと思って本書を手に取ってみたんですが、どうなんですかね、これ。自分としてはちょっとピンときませんでした。

7人兄弟の末娘のフラニーと5男のズーイの物語なんですが、物語というより、宗教的な袋小路に入り込んでしまったフラニーを兄のズーイが救い出すという話が延々と続いていきます。このズーイの会話の巧みさというか、機知に富んだセリフがなかなか読ませるんですが、やはり話が宗教ということで、読み進めるのにちょっと苦労しました。


しかし、最後、ズーイが幼い頃、ラジオ番組に出演するとき、兄のシーモアに「太ったおばさんのために靴を磨いていけ」と言われて、当時はその意味がわからなかったが、今はそれがわかると言って、フラニーに「それは、キリスト、その人なんだ」と言い、そこでフラニーの宗教的な隘路に光明が差すというシーン、ちょっと感動的でした。意味はちょっとよくわかりませんでしたが。


ともあれ、この小説は、内容の宗教的な意味ということよりも、ズーイとかその母親なんかの知的でウィットに富んだ会話を楽しめれればそれでいいのかもしれません。