トシの読書日記

読書備忘録

2月のまとめ

2011-02-28 17:44:49 | Weblog
今月読んだ本は以下の通り



「ちくま日本文学 坂口安吾」
深沢七郎「生きているのはひまつぶし」
堀江敏幸「河岸忘日抄」
車谷長吉「文士の魂・文士の生魑魅(いきすだま)」
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳「象」


たったの5冊でしたか。今月は仕事のほうでごたごたしてまして、仕事場でほとんど読書ができなかったから、まぁしょうがないっすね。数読めばいいってもんでもなし。

今月は深沢七郎のエッセイ以外はどれもこれもよかったですねぇ。堀江敏幸の未読の文庫もみつけたし、今から楽しみです。

淡々とした凄絶さ

2011-02-28 16:55:24 | か行の作家
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳「象」読了



またまたカーヴァーであります。地元の小さな本屋に何の期待もなく立ち寄ったところ、なんと、同作家の春樹訳の本が5冊も並んでいて、一気に「大人買い」しようかと思ったんですが、前に読んだ短編がダブって収められているのも何冊かあったので、2冊を買うにとどめておきました。


本書はカーヴァーの最晩年の時期に執筆された短編、全七編が収録された短編集です。やはり、年を経るに従って文章が練れてくるというか、初期のころの「風呂」とか「ぼくが電話をかけている場所」なんかの文章を徹底的に削ぎ落とした、見方によってはぶっきらぼうなイメージは、なりをひそめております。


最初に収められている短編「引越し」のラスト部分、ガツンと胸に響きます。引用します。




《ジルはカタログのページを繰っているが、ふと手を止める。「これこれ、こういうのが欲しかったのよ」と彼女は言う。「まさにぴったりだわ。こんなに思いどおりってのもなかなかないわね。ねえ、ちょっと見てくれない?」でも僕はそんなもの見ない。カーテンがなんだっていうんだ。「ねえ、そこから何が見えるの?」とジルが尋ねる。「何なのよ?」
そう言われてもべつにたいしたものが見えるわけじゃない。ポーチの二人はしばらく抱き合っている。それから家の中に入る。電灯がつけっぱなしになったままだ。でもやがて彼らもそれに気づいたらしく、灯が消える。》



ものすごくネガティヴで引越し魔の母親と、それをうとましく思いつつそれでもあふれ出る親子の情を抑えられない息子の、もどかしいような心情がラストの数行で見事に表現されています。まさに短編の名手ですね。


あと、印象に残ったのは「ブラックバード・パイ」。老夫婦が郊外に家を買って移り住み、平穏な日々を送っていたはずが、ある夜、夫が書斎で書き物をしていると、ドアと床のすき間から手紙が差し入れられる。なんだろうといぶかしみつつその手紙を読んでみると、なんと妻からの三行半なんですね。びっくりしてドアをあけて居間の方へ行こうとするんですが、なんだか気後れがして足が進まない。また部屋に戻って手紙を読み返してみると、あるとんでもない事実に気がつくんです。その手紙は明らかに妻の筆跡ではない!どうしていいのかわからないまま、部屋を出て再び居間の方へ行くと、家中の明かりがすべて点けられていて、おまけに玄関のドアが開いていて、そこに着飾った妻がスーツケースを傍らにして立っている。びっくりして玄関の方へ行くと、庭に2頭の馬が現れる…


まぁシュールというか、不条理というか、好きですね、こういう小説。


訳者あとがきを読んでみると、村上春樹が、いかにカーヴァーを愛しているかということがよくわかります。そして、改めて村上春樹の小説を思い返してみると、春樹は、明らかにカーヴァーに影響されているということに気づかされます。



所用で出たついでに本屋に寄り、以下の本を購入。



内田百「ノラや」
堀江敏幸「ゼラニウム」

危険な読書案内

2011-02-28 16:19:11 | か行の作家
車谷長吉「文士の魂・文士の生魑魅(いきすだま)」読了


エッセイかと思って読み始めたらそうではなく、著者の読書遍歴というか、今までに感銘を受けた作家の作品を取り上げてその核心に迫るという、そんな体裁の本であります。


しかしこれは、いろんな意味で危険な本です。まず、買って読みたくなった本が一気に増えました。また作中、数は少ないんですが、痛烈な批判を加えている本もあり、そんなこと書いていいのかと、読んでいるこちらが心配になりるくらいのものでした。


この車谷長吉というし小説家、どこまでいっても「自分」というものから離れられない人ですねぇ。良くも悪くも「自分」というものを徹底的に見つめ、掘り下げ、そしてそこから浮かび上がってくるものを言葉にしていくという、ある意味非常につらい生き方を自らに強いた作家であると言えると思います。自分としてはその凄惨な姿に惹かれるんですがね。


以下に、本作品に出てくる本の中で読んでみたい本、読まねばと思う本を列挙しておきます。



深沢七郎「楢山節考」
幸田文「流れる」
三島由紀夫「金閣寺」「愛の渇き」
谷崎潤一郎「細雪」
瀬戸内晴美「遠い声」
井伏鱒二「川」
富岡多恵子「ハタチか二十一か二十二の男と三十五か六か七に見える女」
宇野千代「おはん」
野呂邦暢「諫早菖蒲日記」
樋口一葉「たけくらべ」「にごりえ」
富士正晴「どうとなれ」

ためらいつつ待機することの贅沢

2011-02-18 22:18:46 | は行の作家
堀江敏幸「河岸忘日抄」読了



「いつか王子駅で」の再読に触発されて、これも再読してみました。やっぱりいいです、堀江敏幸。以前読んだ永井荷風の「濹東綺譚」と内容はまったく違うんですが、この小説の形式が似ています。いわゆるフィクション=小説というのではなく、随筆のような流れになっているんですね。主人公である「彼」の心中に去来するさまざまな想念。それが小説のストーリーのそこここに頻出してくるわけです。

それをディノ・ブッツァーティの小説「K」であるとか、チェーホフの「スグリの木」であるとか、そういった小説を引き合いに出しながら「彼」は思索をし続けます。


印象に残ったところを引用します。


「他人の発言に対して『わかる』と意思表示をするのは、ある意味で究極の覚悟を必要とする行為であり、まちがっても寛容さのあらわれではない。」


「ためらうことの贅沢とは、目の前の道を選ぶための小さな決断の総体を受け入れることにほかならない。(中略)ためらうという刻々の決断を反復していく覚悟があるかぎり、戦闘的な寛容さと弱さの持続があるかぎり、ほんとうの芯が育つまではとにかく長大な猶予期間を与えてもいいのだ。」



フランスはセーヌ川と思われる河岸に繋留された船に住居をかまえ、ためらい、逡巡し、待機する「彼」の、人間の本質をまっすぐ見据える真摯な態度に深い感動を覚えます。

吟遊詩人(?)

2011-02-18 22:13:08 | は行の作家
深沢七郎「生きているのはひまつぶし」読了



「楢山節考」が書店で見当たらないので、同作家のエッセイを買って読んでみたのでした。


まぁ読まなくてもよかったですね。なかなか奇抜で辛辣なことをたくさん書いてはいるんですが、全然こちらの胸に響いてこないのはどういうわけなんでしょうか。本当はすごい人なんでしょうが、こうして文章になってしまうと、いささか陳腐の感をぬぐえません。


まぁこんなもんですかねぇ。残念でした。

無垢の魂

2011-02-18 21:28:41 | さ行の作家
「ちくま日本文学 坂口安吾」読了



筑摩書房から出ている「ちくま日本文学」全30巻のうちのひとつです。他の作家としては、内田百、芥川龍之介、三島由紀夫等々、日本文学を代表する作家がそろっています。

これも「百年の誤読」から触発されて「ブ」で250円で出ていたのでさっそく買って読んでみました。


坂口安吾、名前だけはよく知ってはいたんですが、実はただの1冊も読んだことがなかったのでした。安吾の代表的な作品が全部で14編収められています。小説あり、評論あり、随筆あり、旅行記ありと、なかなか多彩です。


「日本文化史論」という評論の中で、次の一節が安吾の文学に対する姿勢を表しているように思いました。


「美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて書きつくされなければならぬ。(中略)そうして、この『やむべからざる実質』がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。(中略)これが散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時にあらゆる芸術の大道なのだ。」


御説ごもっとも!と思わずひざを打ちたくなりますね。美しくするために細工を加えた瞬間、それは美しくなくなると。そうしなければならない必然があるからこそ、そこに美が宿ると、安吾は言いたいのでしょう。


もうひとつ、「堕落論」から。


「人間、戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。(中略)それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。(中略)人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。(中略)堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。」


堕落を肯定し、そこから真に生きる道を見出すのだという、坂口安吾の主張には、一種鬼気迫るものがあります。



そして、これは小説なんですが、「白痴」という短編の中から心に残るシーンを引用します。


「『馬鹿!』女の手を力一杯握ってひっぱり、道の上へよろめいて出る女の肩をだきすくめて、『そっちへ行けば死ぬだけなのだ』女の身体を自分の胸にだきしめて、ささやいた。『死ぬ時はこうして、二人一緒だよ。怖れるな。そして俺から離れるな。(中略)この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。分ったね』女はこくんと頷いた。その頷きは稚拙であったが、伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。ああ、長い長い幾たびかの恐怖の時間、昼夜の爆撃の下において、女が表した始めての意志であり、ただ一度の答えであった。そのいじらしさに伊沢は逆上しそうであった。今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に無限の誇りをもつのであった。」


戦時のさなか、東京大空襲の中、逃げまどう人々の中で主人公の伊沢と知能に障害をもった若い女とのやりとりです。極限状態の中で、一人の人間が一人の人間に心から信頼を託す瞬間が、疾走するような筆致で感動的に描かれています。



今まで坂口安吾というと、アナーキーで、退廃的なイメージを持っていたんですが、本書を読むことでそれが完全に覆されました。



素晴らしい作家に出会えたことを感謝します。

1月のまとめ

2011-02-01 15:37:11 | Weblog
1月に読んだ本は以下の通り



岡崎武志「古本病のかかり方」
車谷長吉「飆風(ひょうふう)」
永井荷風「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」
山口瞳「男性自身 これで最後の巻」
いしいしんじ「みずうみ」
堀江敏幸「回送電車Ⅱ 一階でも二階でもない夜」
堀江敏幸「いつか王子駅で」


以上7冊でした。1月にしてはまぁまぁ読めましたね。1月は、なんといっても「いつか王子駅で」ですね。何度読んでもいいです。また、車谷長吉、永井荷風もよかったし、いしいしんじの新境地の小説も堪能させてくれたし、非常に充実した月でした。

深沢七郎の「楢山節考」を読みたいと思っているんですが、なかなか書店になく、仕方なしにエッセイがあったので買ってみました。「生きているのはひまつぶし」。まずこれを読んでみようと思っています。あ~でも堀江敏幸の「河岸忘日抄」も再読したい!

文学に対する希望、そして情熱

2011-02-01 15:02:47 | は行の作家
堀江敏幸「いつか王子駅で」読了



先日の「回送電車」から自分の中で、にわかに堀江熱が高まり、3年程前に読んだものを再読したのでした。「回送電車」を読んで知ったのですが、この「いつか王子駅で」という本のタイトルは、ディズニー映画の「いつか王子様が」をもじったものなんだそうです。しゃれてますねぇ。

東京の北部、都電荒川線が走る王子を舞台に、主人公である「私」とそれをとりまく市井の人々。町工場のおやじさん、個人タクシーの運転手、いきつけの定食屋と居酒屋を兼ねる店の女将…。その店で知り合った印鑑職人の正吉さんという人が言った言葉が心に残りました。


「変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送る。」


多くの人は、前向きに何かを変えようとし、自分を変えようとするものですが、そうではなく、変わらない勇気こそが大事なのだと教えてくれているような気がします。


もうひとつ印象的なところがあります。引用します。


「なすべきことを持たずに一日を迎え、目の前にたちふさがる不可視の塊である時間をつぶすために必要な熱量は、具体的ななにかを片づける場合よりはるかに大きい(中略)なんの役にもたたない拱手(きょうしゅ)とは無縁の待機を『待つこと』の本質だとすれば、それこそ無為の極みなのであって、おなじ静止状態でも『待機』と『待つこと』の内実には天と地ほどの開きがある。(中略)ともすれば回復不能になる危険と隣り合わせのまま『待つこと』への憧れを捨てきれないからこそ、私の前には経済力と反比例して時間ばかりが堆積していくのだろう。」


これは、堀江敏幸の一番の傑作である「河岸忘日抄」につながりますね。「待つ」ということを無駄と考えない。そこにこそ人生の本質があるのだと著者は言っているようです。


「河岸忘日抄」でも同じ思いを味わいました。生きていくうえでの矜持というものを、堀江はここに見出しているのかも知れません。





所用で出たついでに書店に寄り、以下の本を購入


車谷長吉「文士の魂・文士の生魑魅(いきすだま)」
深沢七郎「生きているのはひまつぶし」
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳「象」
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳「ビギナーズ」