村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(下)読了
本書は昭和63年に講談社文庫より発刊されたものです。
博士が「私」の脳に細工をしたために、「私」には現実世界での「死」が訪れる。「ハードボイルド・ワンダーランド」の章では、「私」が現実世界で死ぬまでのことを書いてるんですが、「私」の心の動きが、時間の経過と共に刻々と移り変わっていく様が、村上春樹ならではの筆力で描かれていきます。
博士の孫である、ピンクのスーツの太った娘と朝を一緒に過ごしたあと、コインランドリーへ行ったり、ビアホールでビールを飲んだりしたあと、図書館の女の子と食事をする。そしてそのあとは、女の子の家へ行って一緒に過ごす。翌朝、「私」は日比谷公園の芝生に寝転んでビールを飲んだ後、港へ車を走らせ、そこで「私」に眠りがおとずれます。現実世界での「死」がやってくるわけです。
「世界の終わり」の方はというと、「僕」は自分の影と、今いる世界からの脱出を試みます。しかし、最後の最後、「僕」はその世界にとどまることを選びます。影と「僕」が離ればなれになってしまうと、「僕」は森の中にしか住めなくなり、そして森から永遠に出ることができなくなるんですが、それでも「僕」は森の中に住むことを決断します。なぜならその世界は「僕」の意識下で作った世界だから。「僕」自身の責任のためにも「僕」はそこを出ることはできないというわけです。そして影は「たまり」から出ていきます。
ここで、やっと「ハードボイルド・ワンダーランド」で現実世界での死を受け入れた「私」が「世界の終わり」に来たんだということが、遅まきながら自分は理解することができました。
一角獣の頭骨、光をまぶしいと感じる感覚、図書館の女の子等、二つの世界には呼応するものがいくつかあります。そのあたり、この小説のテーマとなり得るメタファーとして読んでいくと、なかなか味わい深いものがあります。表層意識とか深層意識とか、いろいろ難しく読む方もいらっしゃると思いますが、自分はもっと単純にこの世界を楽しませてもらいました。
いやぁほんと、この作品は何度読んでも面白い。先日、姉と会ってこの話をしていたんですが、この作品が生まれたのは、ほとんど奇跡といってもいいくらいのものであるとということで意見が一致しました。
次はちょっと寄り道して、またまた村上作品、いってみたいと思います。
今年もいよいよ押し詰まってまいりましたが、来週の火曜日はクリスマスということで、お店は営業いたします。そして翌週の火曜日は1月1日、お正月ということで、ここも営業。2週連続休みが飛んでしまうので、次のブログ更新は来年の1月8日になるかと思います。もし、毎週見ている方がいらっしゃるのなら、すみません、そんな訳ですので、よろしくお願いいたします。
どうぞよいお年を。