トシの読書日記

読書備忘録

殺人を犯して無罪になるという不思議

2010-06-29 17:12:28 | な行の作家
楡周平「陪審法廷」読了



いつも行くバーの飲み友達が「絶対面白いから読め」と言って貸してくれたんです。こういったミステリーというかサスペンスというか、この手のものは苦手なんですが、断るのも悪いので借りたのでした。それで、借りたら借りたで今度会ったときに「どうだった?」と聞かれるのは必定なので、仕方なく(?)読みました。


やっぱりだめですねぇ。もちろん面白いことは面白いんですが、こういったものよりも自分には純粋な文学の方が向いているようです。


舞台はアメリカ、フロリダ州。15歳の日本人少年が、性的虐待を受けている隣家の少女を助けるべくその父親を殺害するんですが、裁判でそれが無罪になってしまうんですね。アメリカという国は、なんとも不思議な国です。

これが日本なら当然有罪で、情状酌量の余地とか、そこらあたりを鑑みて量刑が決まると思うんですが。


日本に裁判員制度が導入される前後に刊行された本のようで、そこらあたりを当て込んだんでしょうね。

崩壊し、再生する自我

2010-06-26 17:55:25 | あ行の作家
ポール・オースター著 柴田元幸訳「最後の物たちの国で」読了



これも前回と同じく、柴田元幸の訳によるものです。ミルハウザーとオースターは、大体柴田氏が訳しているようです。


「幻影の書」、「ミスターヴァーティゴ」とオースターを読んできたんですが、本書の出来映えの良さに驚きました。すごい物語を拵えるもんです。感服しました。


時代も場所も特定されていないんですが、主人公のアンナは行方不明になった兄を追ってその地へ行く。そこは人々がすむ場所を失い、食物を求めてさまよう国。盗みや殺人がもはや犯罪ですらなくなっている。人が道で行き倒れると、わっとばかりに人が群がり、それこそ身ぐるみ全てはがされてしまう。

そんな場所で、アンナは兄を探そうとするのだが、見つけるのは奇跡に等しいと悟ることになり、とにかくそこで懸命に生き延びようとする。

そこでいろんな事件が繰り広げられるわけですが、話自体は非常に暗い世界を描いてはいるものの、なぜか読んでいて「希望」という言葉が頭を離れませんでした。


アンナの真っすぐな生き方に大きなシンパシーを感じました。素晴らしい小説です。

王国の行き着く先

2010-06-22 17:13:15 | ま行の作家
スティーヴン・ミルハウザー著 柴田元幸訳「三つの小さな王国」読了



「J・フランクリン・ペインの小さな王国」
「王妃、小人、土牢」
「展覧会のカタログ――エドマンド・ムーラッシュ(1810~46)の芸術」

の三つの中篇が収められた小説集です。


「ナイフ投げ師」「イン・ザ・ペニー・アーケード」とミルハウザーを読んできたんですが、本作品が自分には一番の出来だと思われます。素晴らしいです!


「J・フランクリン・ペイン――」は1920年代のニューヨークを舞台に、手作りのアニメーション漫画を作り続ける漫画家の話です。

「王妃、小人、土牢」は、時代も場所も特定されてはいないんですが、王の嫉妬が原因で無実の辺境伯との関係をめぐって苦悩する王妃の話。

「展覧会のカタログ――」は、19世紀前半、ニューヨーク州北部の田舎町で独自の世界を描き続けた画家の話です。


どれもこれも一貫して感じるのは、非常に精緻な描写でリアルな話に仕立て上げてはいるものの、どこかありえない感じ、現実社会から少しずつ逸脱している感じ。この「ありえなさ感」。これがミルハウザーの魅力なんですね。


特に最後の「展覧会のカタログ――」。これはアイデアが素晴らしい。エドマンド・ムーラッシュという画家の絵を順番に26点紹介しながら、その絵を描いた背景、前後関係等に焦点を当てつつ、ムーラッシュとその妹のエリザベス、ムーラッシュの無二の親友であるウィリアム・ピニー、その妹ソフィア・ピニーの4人の数奇な運命を語るという仕かけになっています。


ここのところ少し仕事が忙しくなったせいもあって、この本1冊読むのに5日くらいかかったんですが、その間、ずっとミルハウザーの世界に浸れるという、逆に至福の時を過ごすことができました。


まだこの作家の長編を読んでないので、是非また手にとってみたいと思っております。「エドウィン・マルハウス」(岸本佐知子訳)あたりをいってみようと思います。




ネットで以下の本を購入

安部公房「飢餓同盟」
安部公房「無関係な死・時の崖」
安部公房「友達・棒になった男」

安部公房、ちょっとはまってます。

信念の人

2010-06-15 16:49:44 | さ行の作家
パトリック・ジュースキント著 池内紀訳「ゾマーさんのこと」読了



本書は元々児童書として発売されたもののようですが、大人も含めて広い年代層に読まれている作品ということです。


主人公である語り手が、少年時代を回想する形で綴られた小説です。昔、住んでいた家の近くにゾマーさんという人がいて、このゾマーさんは、いつも外を歩き回っている。雪が舞い落ちようと、ドシャ降りの雨だろうと杖を振りかざしながら黙々と歩いている。いったいどこへ行くのか。

物語は、このゾマーさんを軸に、語り手の少年時代の思い出が綴られていきます。


なかなかおもしろい作品でした。しかし最後、ゾマーさんが湖に入水自殺してしまうとは思いませんでした。そしてその唯一の目撃者である少年。その時少年が何もせず、ただその光景を唖然としてみていただけだった、というその気持ちは、なんだかわかるような気もします。そしてその後、事の真相を、親にも警察にも言わなかったことも。

罰がなければ逃げるたのしみもない

2010-06-11 17:04:52 | あ行の作家
安部公房「砂の女」読了



「他人の顔」「人間そっくり」「箱男」「密会」と同作家の作品を読んできましたが、この「砂の女」も他の小説同様、非常に面白く読ませてくれました。


ネットで「安部公房」で検索して行き着いたある人のブログに、この「砂の女」が群を抜いた傑作であるとありましたが、自分の感想としては、もちろん傑作であることに異を唱えるものではありませんが、前回読んだ「密会」と同じくらいレベルの高い作品であるといっていいと思います。


昆虫採集を趣味とする男が砂丘の村に着き、一晩の宿を乞うのだが、案内された家は砂丘の中にあり、不審に思いながらそこに泊まるのだが、朝になってその穴から出る縄梯子が取り外されていて、男はそこに閉じ込められたことを知るわけです。


相変わらず不思議な比喩の多い文章で、これが安部公房の特徴なんですが、面白いですね。また、「密会」と違うところは途中、主人公が思い考えるところ、非常に観念的で何を言いたいのやらよくわからないんですね。まぁそれが安部公房といえばそうなんでしょうが…。


安部公房、他の作品ももっと読んでみようと思います。





ネットで以下の本を注文。


野坂昭如「エロ事師たち」
パトリック・ジュースキント著 池内紀訳「ゾマーさんのこと」

漱石に寄り添う

2010-06-11 16:41:54 | ま行の作家
水村美苗「続 明暗」読了



夏目漱石の未完に終わった遺作「明暗」を完結させようという筆者の試みです。「続」といっても文庫で409項もある立派なもので、漱石のオリジナルの方は597項で終わっているので、漱石は全体の6割まで書き上げた、と想像したということなんでしょうね。


「漱石の文体そのままで綴られて」と宣伝文のところにあったんですが、微妙に違いますね。読後、「あとがき」を読むと、似せながらあえて「漱石と似せないことをも選んだ」とありました。

まぁ、文体云々はそんなに大した問題ではないんですが、この結末はすごいですね。正直、ちょっとびっくりしました。でも、著者が「あとがき」で言っているように「筋の展開というものを劇的にしようとした」ということで、その結末に至るまでのストーリーも含めてなかなか面白かったです。


大半の読者の興味は、津田と清子はどうなるのか、そしてお延は?というところにあると思うので(自分もその一人)、この展開はそれに応えたものとして評価できると思います。


しかしすごいことを考えつくものです。あの文豪、漱石の未完の小説の続きを書くとは!大胆不敵というほかないですね。でも、その試みが陳腐なものに終わらず、充分読むに耐え得るというか、充分面白い作品になっているのはさすがです。



この水村美苗という方、全く知らない人だったんですが、ネットでちょっと調べてみました。


1951年東京に生まれ、12歳で家族と共に渡米。イェール大学仏文科を卒業したのち、プリンストン大学、ミシガン大学で日本近代文学を教える。とあります。才女ですねぇ。そして著書は、日本語に関する評論を何冊か出版しているようです。また、あの有名なエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を日本を舞台とした小説に仕立てて「本格小説」というタイトルで著したりと、大層な活躍ぶりです。


自分としては、この作家との接点が「明暗」であったので、多分、他の作品は読まないと思いますが、またちょっと世界が広がった感があってうれしいです。

人の世に生きるという矜持

2010-06-11 16:25:57 | あ行の作家
伊丹十三「再び女たちよ!」読了



前回「女たちよ!」で溜飲の下がる思いをした興奮もさめやらぬまま、続編を買って読んでみました。(これも昔読んだはずなんですが、書棚に見当たりません)


前作の「女たちよ!」は、いろいろな「モノ」についての伊丹氏のこだわりについて書かれていたものが中心であったんですが、「再び…」は「モノ」というより「生き方」についての指南というか、著者の考え方に多く紙面が割かれています。


印象に残ったところが一つあるので引用します。

「十代、二十代というものは、自分の中になにか牢固として抜き難いもの、確固として信じられるものを培うことが人生の主たる仕事であった。いかにして頑固たりうるか――これが若い頃の仕事であった。人生の後半にさしかかって思う。人生後半においては、これまで育んできた頑固さを、絶えずぶち壊すことが一番大きな仕事になるのではないかと。」

単純なようでいて、ずばり真理をついた言葉ではないかと思います。


しかし面白い。おもわず噴き出してしまうところが少なからずあり、公衆の場で読むのはちょっとはばかられます。

ずっと昔にこれを読んだとき、(多分高校生くらいだったと記憶してます)この本から、かなり影響を受けていたことを思い出しました。しかもそれをいまだに引きずっている!



晩年は、右翼に狙われているとか、浮気が発覚して写真週刊誌に追い回されているとか、ああいう人でもかなり精神的にまいっていたんでしょうね。



誠に惜しい人を亡くしたもんです。

旅をする言葉

2010-06-11 16:20:33 | た行の作家
多和田葉子「ボルドーの義兄」読了



去年の3月に刊行された同作家の長編小説です。しかし、これは長編小説というよりも、いくつもの断章の連なりといった方が良いかもしれません。


前回読んだ「文字移植」同様、非常に難解な小説です。読み通すのがちょっと辛かったです(笑)

この、多和田葉子の文字、言葉に対する一貫としたこだわりは、読んでいて鬼気迫るものがあります。それは素直に「凄い!」と思うのですが、いかんせん、ついていけません。


自分のレベルの低さを思い知らされます。いつもとは逆の意味で残念です。

質実剛健の人

2010-06-11 16:09:46 | や行の作家
山口瞳「忘れえぬ人」読了



著者が雑誌、新聞等に書いたもので、単行本未発表のものを集めたエッセイ集です。

これを読むと山口瞳の人となりが自ずと浮かび上がってきます。つまり、山口瞳という人は「正義の人」なんですね。人の懐をかすめ取ろうという気配がない。こすっからくない。悪い言い方をすれば愚直というか、常に正々堂々、まっすぐに歩いていく人です。


こんなエピソードがあります。

山口瞳が、山藤章二と銀座を歩いていると、前から野坂昭如がやって来る。野坂は、山口より少しだけ年少であるがゆえ、車道に少しはみ出して道を譲りながら、すれちがいざまに「へッ、よく描かれようと思って…」と捨て台詞を残して去っていく。

これをどう取るかということなんですね。山口は、これを山藤章二に対する野坂昭如の最大級の賛辞であると言うわけです。

ここに山口瞳のまっすぐなところ、人を見る目の優しさ、鋭さが潜んでいると思うんです。


やっぱり山口瞳…いいですねぇ。

コクーンを破って出ていく所

2010-06-11 16:01:27 | あ行の作家
井上荒野「学園のパーシモン」読了


3年ほど前に刊行された小説です。ということはあの直木賞受賞作「切り羽へ」の直前ということですかね。


井上荒野は大好きな作家の一人で、これを書店で見かけて、あ、これまだ読んでないやと買って読んだはいいものの、どうなんですかね、これ。


以前にもこのブログに書いたんですが、井上荒野という作家は、ひとつ間違えるとイタい小説を書いてしまう人で、そこのところが自分としてはいつもおっかなびっくりなんですが、これはちょっとやらかしてしまいましたねぇ。


いわゆる「学園もの」なんですが、登場人物に何のシンパシーも感じることなく読み終わってしまいました。で、何も心に残りませんでした。


この小説は、いいトシこいたおっさんが読むものではなかったっすねぇ。

まぁ、こんな読書もあるってことで。