トシの読書日記

読書備忘録

伊丹式育児と教育

2019-06-18 16:42:07 | あ行の作家



池内万平編「伊丹十三選集三――日々是十三」読了



伊丹十三選集全三巻の最後であります。本選集は硬軟取り混ぜた内容になっていて、抱腹絶倒物もあれば、うーんと考え込んでしまうようなものもあり、非常に芳醇な一冊になっております。


子育てのテーマのところで印象に残った部分、引用します。

水泳教室に子供を連れていった著者が水を怖がる子供に対して怒りにまかせて引っぱたいたところ…

<一体子どもにとって水泳とはなんなのか?水遊びをするつもりが「学習」の世界が待ち受けている。なぜ水遊びが学習の形をとらねばならぬのか?(中略)進歩しようとしない時、なぜ大人はあのように感情的になり、幼い者に向かって巨(おお)きすぎる力を振るってしまうのか?
 引っぱたいたことは、結果的には確かに親子の感情的な引きつれを一挙に解決し、なおかつ子どもには泳ぐ能力を、泳ぐ愉しさを残してくれた。私は子供を引っぱたいたことを正当化する理由を持っているようにも見えるが、もし持っているとしても、それはおそらく、引っぱたかなかったら続いたであろう、より陰惨な心理的暴力よりは肉体的暴力のほうが子供に与える傷が単純であろうという消極的なものにすぎぬのだろう。問題はそんなところにはなく、おそらくどのように真摯に子供を育てようと、子育てそのものが子供の虐殺という一面を孕んでいるという、子育ての底にひそむ根源的なジレンマからわれわれは逃れるすべを持たぬということにこそあるのだろう。
 かくして泳いでいる我が子の姿そのものが私にとっては物悲しいことをやめないのである。>


少し長くなりましたが、この子育てそのものが子供の虐殺という一面を孕んでいるという一節、逆説的に見えて実はものすごい真理をついていると、自分の何十年か前の子育ての経験を思い出して大きく納得したわけです。


最後の60項ほど、「日本人の精神分析」と題して精神分析学者の佐々木孝次氏との対談が掲載されているんですが、すみません、次元が高すぎて歯が立ちませんでした。


編者の池内万平氏は伊丹氏の次男なんですね。解説で、いろいろウラ話を披露していただいて面白く読ませていただきました。自分の父親のことを「伊丹さん」と呼ぶのにはちょっと驚きましたが。


こうして約一ヶ月ほど伊丹十三の文章にどっぷりつかって「伊丹イズム」というものをじっくり見てきたわけですが、まぁ月並みな感想で申し訳ないんですが、やっぱり伊丹十三はすごいなと。「自分」という、確固たるものを持って自分の信念、ポリシーを貫いている。それがどうしてあんな死に方をしてしまったのか。不可解ですし、ほんとに残念でなりません。
 

うまい物を食う喜び

2019-06-11 15:00:16 | Weblog



朝井リョウほか著「作家の口福――おかわり」読了



本書は平成28年に朝日文庫より発刊されたものです。



朝日新聞に連載されたリレーエッセイ(?)をまとめたアンソロジーです。朝井リョウのほか、川上弘美、桐野夏生、平松洋子ら20人の作家が食にまつわるエッセイを披露しています。姉が貸してくれたものなんですが、まぁなんてことないですね。こんなのもあるってことで。


がしかし、堀江敏幸の文章には魅せられました。言葉の使い方、構成がうまいですねぇ。さすがです。



先日、姉と「定例会」を行い、以下の本を借りる。


池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」新潮文庫
池澤夏樹「スティル・ライフ」中公文庫
ホルヘ・ルイス・ボルヘス著 堤直訳「アレフ」岩波文庫
ウィリアム・フォークナー著 加島祥造訳「熊 他3編」

5月のまとめ

2019-06-04 17:04:47 | Weblog



5月に読んだ本は以下の通り


村上春樹「海辺のカフカ」(下)
武田百合子「遊覧日記」
松家仁之編「伊丹十三選集一――日本人よ!」
中村好文編「伊丹十三選集二――好きと嫌い」


以上の4冊でした。5月は充実してました。深い深い感動とともに「海辺のカフカ」を読み終え、武田百合子の冷徹ともいえる眼差しにちょっと驚き、そしてそして伊丹十三の軽妙洒脱なエッセイに酔い、また、その慧眼に深く打たれたのでした。


5月 買った本0冊
   借りた本0冊



冒険じゃない人生なんて生きるに値しない

2019-06-04 16:19:29 | あ行の作家



中村好文編「伊丹十三選集二――好きと嫌い」読了



全三巻のうち二巻まできました。この「選集二」は、かなり柔らかい内容で編集されておりまして、もう抱腹絶倒、大笑いしながら読んでしまいました。


中でも「走る男」と題したエッセイ、もう面白いのなんの、筆者が飛行機の機中でマナーの悪い男と乗り合わせるんですが、伊丹氏、いらいらがこうじて最後は仕返しをするに及び、なんと「ざまあみやがれ、さぞ口惜しかろう。」と快哉を叫ぶあたり、もうその男と同レベルになってしまっているところがなんとも笑えます。もちろん、そんなことはわかって書いていると思うんですがね。


後半では伊丹十三の猫に対する熱い思いが縷々書き連ねてあり、このあたりも爆笑ものでした。


しかし、そんな中でふと目に止まった一節があったので引用します。

<人生の後半にさしかかって思う。
 人生後半においては、これまで育んできた頑固さを、絶えずぶち壊すことが一番大きな仕事になるのではないか、と。
 そうして、ぶち壊してもぶち壊しても最後まで壊れずに残る「なにものか」――そういう「なにものか」が果たして存在するか否かは知るよしもないが――それは一体私の場合何なのか?まあ、それが知りたくて生きてるようなもんじゃないですか、お互いに。ねえ。冒険じゃない人生なんて生きるに値しないじゃないですか――――人生をして刻刻の冒険たらしめよ!――――>

素晴らしいですね。自分を振り返ってみるに、なんとも恥ずかしい思いにかられてしまいます。それと同時に「よし、俺も!」という気にさせてくれる文章でした。


さて、最後の一巻、どんな風に楽しませてくれるんでしょうか、楽しみです。