池内万平編「伊丹十三選集三――日々是十三」読了
伊丹十三選集全三巻の最後であります。本選集は硬軟取り混ぜた内容になっていて、抱腹絶倒物もあれば、うーんと考え込んでしまうようなものもあり、非常に芳醇な一冊になっております。
子育てのテーマのところで印象に残った部分、引用します。
水泳教室に子供を連れていった著者が水を怖がる子供に対して怒りにまかせて引っぱたいたところ…
<一体子どもにとって水泳とはなんなのか?水遊びをするつもりが「学習」の世界が待ち受けている。なぜ水遊びが学習の形をとらねばならぬのか?(中略)進歩しようとしない時、なぜ大人はあのように感情的になり、幼い者に向かって巨(おお)きすぎる力を振るってしまうのか?
引っぱたいたことは、結果的には確かに親子の感情的な引きつれを一挙に解決し、なおかつ子どもには泳ぐ能力を、泳ぐ愉しさを残してくれた。私は子供を引っぱたいたことを正当化する理由を持っているようにも見えるが、もし持っているとしても、それはおそらく、引っぱたかなかったら続いたであろう、より陰惨な心理的暴力よりは肉体的暴力のほうが子供に与える傷が単純であろうという消極的なものにすぎぬのだろう。問題はそんなところにはなく、おそらくどのように真摯に子供を育てようと、子育てそのものが子供の虐殺という一面を孕んでいるという、子育ての底にひそむ根源的なジレンマからわれわれは逃れるすべを持たぬということにこそあるのだろう。
かくして泳いでいる我が子の姿そのものが私にとっては物悲しいことをやめないのである。>
少し長くなりましたが、この子育てそのものが子供の虐殺という一面を孕んでいるという一節、逆説的に見えて実はものすごい真理をついていると、自分の何十年か前の子育ての経験を思い出して大きく納得したわけです。
最後の60項ほど、「日本人の精神分析」と題して精神分析学者の佐々木孝次氏との対談が掲載されているんですが、すみません、次元が高すぎて歯が立ちませんでした。
編者の池内万平氏は伊丹氏の次男なんですね。解説で、いろいろウラ話を披露していただいて面白く読ませていただきました。自分の父親のことを「伊丹さん」と呼ぶのにはちょっと驚きましたが。
こうして約一ヶ月ほど伊丹十三の文章にどっぷりつかって「伊丹イズム」というものをじっくり見てきたわけですが、まぁ月並みな感想で申し訳ないんですが、やっぱり伊丹十三はすごいなと。「自分」という、確固たるものを持って自分の信念、ポリシーを貫いている。それがどうしてあんな死に方をしてしまったのか。不可解ですし、ほんとに残念でなりません。