トシの読書日記

読書備忘録

8月のまとめ

2016-08-31 14:56:51 | Weblog



今月読んだ本は以下の通り


岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美「『罪と罰』を読まない」
金井美恵子「砂の粒/孤独な場所で」
太田和彦「ひとり飲む、京都」
吉本ばなな「キッチン」
吉田知子「無明長夜」
町田康「実録・外道の条件」


以上の6冊でした。今月はなんといっても吉田知子「無明長夜」ですね。ほんと、すごい小説です。最初っから世界が完成されている、稀有な作家です。「吉田知子選集」の3部作、近々再読しようと思っております。

再読といえば、この間、名著を再読するとかなんとか、思い付きで言っておりましたが、買ってあって読みたい本も何冊かあるので、まぁあまり再読にこだわらずに好きなようにやっていこうと思っております。



姉から以下の本を借りる

ウィリアム・サローヤン著 柴田元幸訳「僕の名はアラム」新潮文庫
川端康成 三島由紀夫「往復書簡」新潮文庫
村上春樹「1973年のピンボール」角川文庫



8月買った本 1冊
  借りた本 4冊 

因果応報

2016-08-30 17:40:04 | ま行の作家



町田康「実録・外道の条件」読了



久しぶりに町田康を読みたくなって手に取ってみました。本書は平成16年に角川文庫より発刊されたものです。


これは、小説というより、実話に基づいたフィクションという感じがします。あ、それが小説か。まぁそれはいいとして、町田自身の身辺に起きたごたごたを、かなり話を盛ってでっち上げた話の数々。いつものなんともいえない脱力感に満ちた内容となっております。


主人公が芸能プロダクションから声をかけられ、契約を迫られるという話があるんですが、まぁ話が無茶苦茶ですね。その契約の内容というのが、まず仕事はすべてそのプロダクションを通すこと、そのたびにプロダクションに手数料を払う、その手数料については、その都度話し合って決める。その都度って…。

こんな類いの話がいくつかあるんですが、まぁレビューを書くほどでもないですかね。いつもの町田節は健在でありました。

諦観のあとにくる絶望

2016-08-23 16:46:15 | や行の作家


吉田知子「無明長夜」読了



本書は昭和45年に新潮社より発刊されたものです。


昭和45年といえば自分は中学生だったんですが、その時本書を読みました。まぁ右も左も分からない中学生に本書の魅力もわかるはずもなく、なんだか不思議な小説だなぁと思ったことを覚えています。


吉田知子の一番初期の作品が7編収められた短編集なんですが、表題作の「無明長夜」がとにかくすごかった。(これは80項ほどの中編)これは主人公の「私」(女性)の観念小説です。自分の思い、考え、見るものを延々と綴っていく。シンボリックな御本山。そこの寺の僧である新院。癲癇持ちの友人、玉枝。山道で玉枝が発作を起こし、自分に向って倒れてくるのを、身をかわして沢の淵に落とし、死なせた「私」。


もう、このなんともいえないすごい世界にからめとられて、読む者はなすすべもありません。印象に残ったところ、ちょっと引用してみます。


<私は子供の頃から赤いものを見ると特別な気分になりました。頭の中がカッと熱くなりました。どうにもならないものを引きずり歩いている。そういう不明瞭な不快感がありました。「どうにもならないもの」というのは私であり、また私の前にある途方もなく長い道なのです。>


<私は例によって考えているような、いないような状態で顔を外へ向けていました。そこに、ふいに壮んに燃えあがっている火が見えたのです。(中略)私はふるえながら火を眺めました。感動のための身震いでした。体中の血が奔流となって逆に流れだしたような鮮烈な苦しさを感じました。自分は生きているのだ、と私は思いました。それは極めて即物的な感動で、思考や精神の入りこむ余地は何もなかったのです。私は映画の手術の場面で、切り開かれた胸の中の血みどろな心臓が脈うっているのを見たことがあります。(中略)生きている、あの心臓のように生きている、と私は感じました。私は言葉にならぬ嘆声を発して軽便のデッキにうずくまりました。私の内部の、私とは別のところにいる生きものが生理的な涙を排泄していました。言葉や頭ではなく私でもないもの、私の存在そのものが闇の中の、いまはもう一点の光となった赤い火に揺り動かされて激しくおののいていたのでした。>


<周囲が幻覚ならば、それこそが私にとって現実と言うべきものなのでした。それが見えると、いつも私の体から力が抜けました。空間に不安定な恰好で宙吊りになっている自分の姿が見えるのです。ああそうか、やっぱり駄目か、と私は思い、憑きものが落ちたように平静になる。私は口の中に水が入ってくるおそれがなければ、このようなことを言ったでしょう。「そうですか。騙せませんか。それでは、しかたがありませんね。」>


全編こういった調子で主人公のモノローグが続いていきます。


最後、主人公は精神に破綻をきたすわけですが、この物語の描く世界にとにかく圧倒されます。この作品を読んでいると、生きることと死ぬことには何の差もない、といったような諦念にとらわれます。読んでいくのがこんなに重苦しく、辛い小説はありません。が、しかし読み終えるともう一回読みたくなる小説です。


今からもう一回読んでみます。

幸せの台所

2016-08-23 15:33:26 | や行の作家



吉本ばなな「キッチン」読了



本書は角川文庫より平成10年に発刊されたものです。6~7年前くらいに読んだものの再読です。


今、うちのかみさんが週に一度病院に通っておりまして、待ち時間に本でも読もうかと、普段あまり本を読まない人がそんなことを言い出し、何を勧めようかと本棚を物色していたら、本書が目に止まり、自分が読みたくなって先に読んだのでした。


この小説はいいですねぇ。何回読んでも感動してしまいます。自分のすぐ近くにいる人の突然の死。それをなかなか受け入れられない状態から、なんとか踏んばって前を向いて生きていこうという、美しい物語です。


併録されている「ムーン・ライト・シャドウ」という短編が本作家の処女作なんだそうですが、これも似たテイストで、なかなかよかったです。


吉本ばなな、一時期よく読んだんですが、最近はとんとご無沙汰でした。たまにはこういうの、いいですね。

一人、都に遊ぶ

2016-08-16 16:37:43 | あ行の作家


太田和彦「ひとり飲む、京都」読了



本書は今年4月に新潮文庫より発刊されたものです。


居酒屋評論家(本当はグラフィックデザイナー)の太田和彦が、最小限の仕事を持って一人で京都へ行き、一週間滞在して、朝は珈琲、昼はうどん、定食、そして本命の夜は居酒屋のはしごと、まぁ贅沢な時間を過ごしたという滞在記であります。しかも、夏、冬と、一週間づつ行くという、なんともうらやましい話です。


夜の居酒屋の話も、もちろんいいんですが、昼の、観光スポットでもなんでもない普通のうどん屋、定食屋で食べる料理のおいしそうなこと!これはもう京都へ行くしかないですねぇ。


太田氏のように一週間の休みなんてものは、どだい無理な話なので、せめて三日、いや二日でもいい、休みをとって京都へ行くことに、本書を読んで勝手に決めました。行くならやっぱり仕事があまり忙しくない時期、一月の終わりから二月の初めあたりかな。かなり先の話ですが。本書をテキストにして、じっくり研究して攻めたいと思います。


自分は日本酒があまり得意ではないので、太田氏の御教示に従い、同じように飲んでみるとしますか。


あー早く京都へ行きたい!

めくるめく映像の世界

2016-08-09 15:59:19 | か行の作家



金井美恵子「砂の粒/孤独な場所で」読了



本書は平成26年に講談社文芸文庫より発刊されたものです。金井美恵子自選短編集ということで、全部で16の短編が収録されています。


この作品群は金井美恵子のどの時期に書かれたものなのか、巻末の年譜を見ても、ネットで調べてもよくわかりませんでした。


まぁそんなことはいいんですが、今まで読んできた、金井美恵子の理詰めで人を追い込んでいくような小説とはまた違う、なんというか、別の世界を見せてくれました。


作品のテイストは全体に似ています。物語性はあまりありません。まるで映像を見ているような細かい情景描写、登場人物の心理描写が延々と続いていて、それが読む者の心臓をわしづかみにしています。


巻末の磯崎憲一朗氏の解説を読むと、この人は映像というより絵を見ているようだと言っています。以下、引用します。

<(前略)小説を読んだのではなくむしろ自分は絵を見たのではないか?もっと正確にいえば絵が描かれる過程の、色彩の選択、輪郭線の取り方、一筆一筆の運動を見たのではないか?じっさいそう表現するのこそが相応しい読書があるのだということを、私は思い知らされた。>


これですね。自分が漠然と考えていたことをこの磯崎さんは正確に言い当ててくれました。とにかく、読む者は金井美恵子の絵筆の運びに酔うほかはないわけです。


堪能しました。



ネットで以下の本を購入

吉田知子「無明長夜」新潮社


また、姉から以下の本を借りる

フリオ・コルサタル著 木村榮一訳「遊戯の終わり」岩波文庫

7月のまとめ

2016-08-09 15:18:48 | Weblog



先週やるはずだったまとめを、また忘れておりました。
7月に読んだ本は以下の通り


多和田葉子「海に落とした名前」
川上弘美「大きな鳥にさらわれないよう」
獅子文六「七時間半」
ジョルジュ・バタイユ著 生田耕作訳「眼球譚」
谷崎潤一郎「陰翳礼賛」
中村文則「王国」
NHKアナウンス室編「『サバを読む』の『サバ』の正体」
野呂邦暢「草のつるぎ/一滴の夏」


以上の8冊でした。


7月もいい本がたくさんありました。多和田葉子、バタイユ、谷崎潤一郎、どれもよかったです。が、なんといっても野呂邦暢でしたね。詩情あふれる作家です。姉に貸したままになっていると思い込んでいた、野呂邦暢の単行本、もう一回書棚を捜してみたら、なんと目の前にありました。年は取りたくないもんです。

豊田健次編「白桃―野呂邦暢短編選」です。またじっくり再読したいです。

ここのところ、ずっと目についた面白そうな本を買っては読むということをしてるんですが、再読の大切さを再確認するため、もう一度本棚を見て、名著を再読してみるということをやってみようと思います。


7月 買った本7冊
   借りた本0冊


「読まない」楽しみ

2016-08-02 16:28:51 | か行の作家



岸本佐知子 三浦しをん 吉田篤弘 吉田浩美「『罪と罰』を読まない」読了



本書は平成27年に文藝春秋より発刊されたものです。一時期、ちょっと話題になった本で、たまたま安藤書店にあったので買ってみたのでした。


世界的な名作、あのドストエフスキーの「罪と罰」を読んでないという著名な四人が、その内容をあーでもないこーでもないと推理し、語り合うという内容です。


まず驚いたのは、出版界において、こんなに有名な人たちが、なんと「罪と罰」を読んでいないということ。かく言う自分も何故か読む機会がなくて、そういう意味ではこの人達と同じレベルで、楽しく読ませて頂きました。


でもあれですね、これは本書を読む前に「罪と罰」を読んでおくべきでした。そうして読んでおいてから、この四人のしょーもない推理をほくそ笑みながら読むと、こういう読み方が一番面白かっただろうなと、今になって思うわけです。


しかし、「罪と罰」を読んでなくても充分楽しめる内容でした。なんといってもこの四人が、ほんとに楽しそうにしゃべり合っているのが面白かったです。


ただひとつ気になったのは、三浦しをんが妙にハイテンションで、「私ってこんなに面白い人なんです」的なオーラ出しまくりでそれがちょっとうざかったです。


本書を読みながら、これを読んだら「罪と罰」読もうと思ってたんですが、登場人物の人となり、またあらすじも巻末に全て書いてあったので、まぁそれでよしとしますか。


なかなか面白い企画ではありました。