トシの読書日記

読書備忘録

水の味と酒の味

2016-06-28 17:17:25 | や行の作家


吉田健一「金沢/酒宴」読了



本書は講談社文芸文庫より平成2年に発刊されたものです。初出は「金沢」が昭和48年、「酒宴」が昭和32年とのことです。



ずっと以前にFMラジオの「メロディアス・ライブラリー」で小川洋子が不思議な小説と形容していたのが気になっていて、やっと買って読んでみたのでした。


吉田健一の随筆は以前読んだことがあったんですが、小説は初めて読みました。しかしびっくりしましたね。この独特の文体はどうですか。最初は面喰いましたが、読み進めていくうちに、人間、何にでも慣れるもんですね。中盤くらいからはなんとか普通に読みこなせるようになりました。例えばこんなところ。


<確かにそこは解っているような眺めであり、時刻だった。どこまで人間が行っても時間が付いて廻るのならばそれがそういう時刻だったと言える。併し解るというのではまだ足りなくて本当に解れば人間はそこを通り越してそういうことを考えなくなる。ただ自分がいるその場所にいることになるのでその為にその間自分が何も考えていない気がしても凡ての考えがそこで終るのならばそれまで頭を労していたこともそこにあるのでなければならない。>


またはこんなくだり。


<凡そ自分が今までにしたこと、身に付けたことが全く自分の一部になって他の自分と区別が付け難くなればここの主人のようになるのではないかと思われてそれはそういうことがある前の自分に戻ることでもあった。又確かにそれはそこに戻ることだったが前ならば自分にどういうことがあって変るか解らなかったのに対してその今の自分がなくなるのは死ぬ時に限られていた。>


3回くらい読み返してやっと半分くらいしか理解できません。


物語は、東京に住む実業家が金沢という町を気に入り、そこに家を建て、しばしばそこを訪れるうち、出入りの骨董屋に導かれていろいろなところでいろいろな人と会い、酒を飲みながら、さながら禅問答のようなことを繰り返すといった話です。


思わず笑ったところもあります。酒と料理のあとで、お茶と菓子が出て、主人曰く「それを薄氷と言っているんです。」内山(主人公)が答えて「それを踏む感じじゃありませんね。」こんなギャグもはさむところ、吉田先生、なかなかお茶目なところもあります。


吉田健一は無類の酒好きだそうで、それは併録された「酒宴」のこんなところでよくわかります。


<本当を言うと、酒飲みというのはいつまでも酒が飲んでいたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどというのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み続けることなのだ、(中略)月が出て、再び縁側に戻って月に照らされた庭に向って飲み、そうこうしているうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛っているのに気付き、又庭の石が朝日を浴びる時が来て、「夜になったり、朝になったり、忙しいもんだね、」と相手に言うのが、酒を飲むということであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねている。>


文中に溢れる諧謔とウィットは、先回読んだ金井美恵子に通ずるところもあります。



吉田健一、なかなかな難敵でありました。



かみさんを病院に送った帰りに書店に寄り以下の本を購入


中村文則「王国」河出文庫
獅子文「七時間半」ちくま文庫
ジョルジュ・バタイユ著 生田耕作訳「眼球譚」河出文庫



また、姉から以下の本を借りる


川上弘美「大きな鳥にさらわれないよう」講談社
カーソン・マッカラーズ著 村上春樹訳 「結婚式のメンバー」新潮文庫

詩人を縊き殺す

2016-06-21 14:08:41 | ま行の作家


松浦寿輝「「そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所」読了


本書は平成16年に新潮社から刊行されたものです。全部で12の作品が収められた短編集です。自分の感覚では、本書のような作品とか「花腐し」とか「ひたひたと」といったものが初期の作品群で、それからのち「あやめ 鰈 ひかがみ」「半島」のような内田百閒を彷彿とさせるような作風に変遷していったと思っていたのですが、どうやらそうではなく、いろいろなテイストの作品をその時その時で書いている人のようです。例えて言うなら辻原登のようなタイプというところでしょうか。


まぁそれはいいとして、どれもこれも松浦寿輝らしい作品で楽しめました。自分が好きなのは「singes/signes」という短編。男と女がそれぞれの境遇でそれぞれの思索を凝らすのだが、昔の記憶として、居間のようなところに4人掛けのテーブルがあり、そのひとつの椅子に自分が坐っていて、その向かいに男と女が坐っている。明かりが点いてないので部屋はほの暗く、向かいに坐っているのも多分気配で男と女であろうことが察しられるくらい。自分の隣には誰も坐っていない。


この記憶が男の側にも女の側にも同様に表れる。そして向かいに坐っているのは人間ではなく、猿なのではないかという思いにとらわれていくあたり、読んでいてぞくりとさせられました。


全体に退廃と倦怠の空気が横溢していて、松浦寿輝特有の世界を作っています。


松浦寿輝、やっぱりいいです。

臆面もない実験小説

2016-06-21 13:35:41 | か行の作家


金井美恵子「文章教室」読了


ブログを更新しようとして、ふと画面を見るとブログの開設から3604日とありました。ほぼ10年やってるんですね。ちょっと感慨深いものがあります。


それはさておき…


本書は河出文庫より平成11年に刊行されたものです。初出」は昭和58年文芸誌「海燕」とのことです。以前、同作家の「軽いめまい」を読み、そのあとPCであちこち見ていたとき、本書の存在を知り、買ってみたのでした。


なんだかなぁと思いながら読み継ぎ、読了後「文庫本のためのあとがき」にある次の一節を読んでびっくり仰天しました。


<(前略)この小説を、ほとんど10年ぶりに読みかえして、作者である私が思ったのは、「傑作」というか「ケッサク!」という言葉でした。ですから(それほどの小説ですから)、私はこれが誰か別の作者によって書かれていて、それを初めて読む読者でありたかったと、溜息をついたほどです。>


どうですか、この堂々たる自惚れっぷり。金井美恵子面目躍如といった感があります。


小説の内容はというと、普通の(都心に住む、ややアッパー系の)主婦が、文章教室というカルチャースクールに通い、「自分を見つめ直す」ことにより、本当の自分に出会い、目覚めていく、といってもはたから見れば日常に退屈した主婦が単に浮気するといった体のものなんですが。そして結婚に向かってまっしぐらのその「娘」とか、頭の中の知識は膨大でも小市民で下世話な「現役作家」とか、まぁいろんな人のいろんな思いが交錯して物語の厚みを作っているわけです。


自分は元々金井美恵子の皮肉たっぷりの諧謔、シニカルなところが好きだったわけですが、ちょっとこの小説はどうなんですかねぇ。作り方も結構凝っていて、いろんな引用がはさまれ、一筋縄ではいかないようなところもあるんですが、まぁそれはいいとして、金井美恵子の持てる知識を総動員したような博覧強記ぶりにちょっと辟易したのでした。スノッブな臭いもするし、そこまでやらなくても、というのが正直な感想です。


好きな人にはそこがこたえられない魅力なんでしょうがね。自分にはちょっとついていけませんでした。


少し残念でした。

作家の想像力

2016-06-14 18:47:41 | か行の作家



講談社「群像」2016年3月号読了



文芸誌なんで、読了と言うのもどうかと思いますが。この雑誌をなぜ姉が買ったかといいますと、吉田知子の短編が掲載されているからなんですね。たった9項のために980円の文芸誌を買うという、これはもう吉田知子に対するすさまじい執念さえ感じてしまいます。 



「30年後の世界」というテーマで津島佑子、古川日出男、津村記久子、小池昌代、いしいしんじ等の作家が短編を書くというアンソロジーになっていて、吉田知子も「ケンのV生活」というタイトルで載っているわけです。なんだかいつもの吉田知子らしい切れ味が影をひそめてしまっていて、ちょっと食い足りなかったかな、というところでした。


他には町田康の長編の連載もあったんですが、それまでを読んでないので、さっぱりわかんないし、まぁこんな雑誌もあるってことで。

暴力と死

2016-06-14 17:48:35 | か行の作家


J・M・クッツェー著 くぼたのぞみ訳「マイケル・K」読了



本書は平成27年に岩波文庫より発刊されたものです。これは「決定版」ということで、初訳は平成元年とのことです。

いやぁ読んでよかったです。すごい小説ですね、これは。



内戦の続く南アフリカで国家の運命に翻弄されながら、自由に生き抜こうとする男の壮大な物語です。3部構成になっていて、第1部では主人公のマイケル・Kが母親と一緒に住んでいる所から二人の生まれ故郷へ行く内容になっているんですが、途中で母親は亡くなります。このあたり、マイケルの感情、心の動き等の描写を極力排して、事実のみを淡々と書いていくところ、すごい迫力でした。


第2部になると、収容された病院でマイケルを治療する若い医師の視点から物語は進んでいきます。これもなかなか興味深かった。マイケルはその病院から逃げ出すんですが、その医師も自分のやっている仕事に常日頃疑問を持っていて、マイケルを追って自分も病院から抜け出すことを夢想します。実際には行動に移さないんですが、その医師がマイケルに心の中で語りかける形で、それが延々8頁にも及んでいます。ここ、この小説のキモだと思いました。


あくまで自分に正直に、自由に生きようとするマイケルに、医師は自分の人生を重ね、自分もマイケルのように生きたいと切望するんですが、やはりそれはできないとあきらめるわけです。


そして第3部になると、またマイケルの視点に戻るわけですが、病院から逃げ出したマイケルは、結局、最初に住んでいた町へ帰ります。そしてかつての自分の家が誰のものにもなっていないことを確かめて家の中に入り、そこで眠るところで物語は終わります。食べることを一切拒否して骨と皮だけになってしまったマイケルですが、最後はかすかな希望を感じさせるエンディングになっています。


久々にガツンとくる小説を読みました。このときの南アフリカの時代背景等をきっちり勉強してから読めばもっと心に深く残るものがあったかもしれません。もちろん、そんな知識がなくても充分楽しめましたが。


ちなみに著者は2003年にノーベル文学賞を受賞しています。

いつもそこにある変わらない味

2016-06-07 17:03:40 | は行の作家


平松洋子「サンドウィッチは銀座で」読了



本書は平成25年に文春文庫より発刊されたものです。池波正太郎の食のエッセイという軽い物を読んだので、次は姉からずっと前に借りていて、この間「まだ読んでないの?めちゃ面白いよー」と言われていたクッツェーの「マイケル・K」を読もうと手に取ったとたん、アマゾンから本書が送られてきたのでした。それでついついそっちに手がのびてしまったというわけです。


前に読んだ平松洋子の「ステーキを下町で」にすっかり魅了されてしまい、本書もちょっとわくわくして開いたのですが、期待にたがわずほんとに面白く読ませてもらいました。この人の文章は、なんというか、リズムがあって迫力があるんですね。食べているときの描写の臨場感がすごくリアルです。


例えば、千葉県成田のうなぎの名店「川豊」のくだり。


<「あっ」
「おっ」
声にならない声を発して、ほとんど同時に居住まいを正した。うな重さまのお成りである。
「はい、お待たせしましたー。肝吸いもすぐ持ってまいりますね」
かたり。座卓のうえに塗りのお重がちいさな音を響かせ、鎮座する。よしよし、待っていなさい。すっかりおやじが憑依したふたり、にやついた笑いを浮かべながら、ついに手中に落ちたうな重を目を細めて眺める。
ふたを取る。
息を飲む。
そのあとあわてて、逃がしてなるものかと匂いを吸いこむ
お重いっぱい、こってりと脂が乗った蒲焼きが燦然と輝く。解き放たれた香りもぜんぶ、自分だけのもの。なにがあってもこのお重だけは誰にも渡さない。>


どうですかこの迫力。そしてこの、食に対する執念。かつての文士、吉田健一、獅子文六らに通ずるものがあります。ただ、紹介されている店が、すべて東京周辺、大阪に限られているところがなんとも残念でした。


2冊も中休みをしてしまいました。次はちゃんと小説を読みます。

死ぬために食う

2016-06-07 16:25:55 | あ行の作家


池波正太郎著 高丘卓編「酒肴日和」読了



本書も姉が貸してくれたものです。姉から借りた本はすぐ手をつけないことが多いんですが、こういった軽い読み物には飛びつきやすいんですね。


1990年に亡くなった池波正太郎が、生前著した食に関するエッセイを高丘卓が編んだものです。本書は池波正太郎の食のエッセイの集大成と言ってもいいと思います。


編集したものなので、自分も一度は読んだところがあちこちあるんですが、やっぱりいいですね。食べることに対する池波氏の優しい眼差しに満ちています。

印象に残った部分、引用します。


<しかし、小間切れ肉をつかうときでも、私なりに、
(念には念を入れて・・・)
食べているつもりだ。
死ぬるために食うのだから、念を入れなくてはならないのである。
なるべく、
(うまく死にたい・・・)
からこそ、日々、口に入れるものへ念をかけるのである。>


なかなか含蓄のある言葉ではないですか。


また、ロースハムのバターステーキ、一夜ソース漬カツレツ、池波式すきやき等、池波氏オリジナルの美味そうな料理がたくさん紹介されていて、これは自分ならずとも思わず作って食べたくなるのではないでしょうか。

異国に佇む人々

2016-06-07 16:07:41 | さ行の作家


ポール・セロー著 村上春樹訳「ワールズ・エンド(世界の果て)」読了



ずっと前に姉から借りたままでほっぽらかしになっていたものをやっと読んでみました。


全部で9編の短編が収められている作品集です。どの作品も主人公(アメリカ人だったりイギリス人だったり)が、様々な事情でドイツとかコルシカとかプエルト・リコへ行くことになり、そこでの異文化に対する戸惑い、相対する人々とのあつれき等で苦しむ姿を描いたものです。


なかなか面白かったです。物語のエンディングが、主人公が茫然と立ちすくすといったシーンが多く、そこが一種レイモンド・カーヴァーの世界を彷彿とさせます。


ちなみに著者はあの名作「極北」を書いたマーセル・セローの御尊父であります。

5月のまとめ

2016-06-07 15:42:59 | Weblog


5月に読んだ本は以下の通り


日本文藝家協会編「現代小説クロニクル1980➧1984」
日本文藝家協会編「現代小説クロニクル1985➧1989」
平松洋子「ステーキを下町で」
日本文藝家協会編「現代小説クロニクル2010➧2014」
伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」



と、5月は5冊にとどまりました。「クロニクルシリーズ」を何冊も読んできたんですが、ちょっと期待外れの感がなくもなかったです。しかし、他のエッセイ2冊がよかったのでまぁよしとしますか。



ネットで以下の本を購入

多和田葉子「海に落とした名前」新潮社
吉田健一「金沢/酒宴」講談社文芸文庫
松浦寿輝「そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所」新潮社
金井美恵子「文章教室」河出文庫
平松洋子「サンドウィッチは銀座で」文春文庫



5月買った本 7冊
  借りた本 0冊