トシの読書日記

読書備忘録

11月のまとめ

2011-11-30 17:03:04 | Weblog
今月読んだ本は、以下の通り



イサク・ディーネセン著 桝田啓介訳「バベットの晩餐会」
森田邦久「量子力学の哲学─非実在性・非局所性・粒子と波の二重構造」
山本夏彦「日常茶飯事」
瀬古浩爾「まれに見るバカ」
伊藤比呂美「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」
富岡多恵子「詩よ歌よ、さようなら」
山口瞳ほか「諸君、これが礼儀作法だ!」
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「悪童日記」


の8冊でした。今月は、小説あり、エッセイあり、評論ありと、なかなかバラエティに富んでいました。やっぱり伊藤比呂美ですかね。この人の小説にはいつも圧倒させられます。


毎年のことながら、12月は繁忙期を迎えるので、読書もままならないかと思われます。ちりあえず、今読みかけの3冊は終わっときたいなと思っております。

事実とは何か

2011-11-25 16:13:11 | か行の作家
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「悪童日記」読了



前から気になっていた本で、先日FMの「メロディアス・ライブラリー」でも紹介されていたので買ってみたのでした。


まず、この文体がすごい。作中で主人公の二人の子供に言わせているんですが、ちょっと引用します。


<ぼくらには、きわめて単純なルールがある。作文の内容は、真実でなければならない、というルールだ。(中略)たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「おばあちゃんは魔女と呼ばれている」と書くことは許されている。>



といった具合に、全編感情を極力削いだ構成になっていて、それがかえってすごい迫力を醸し出しているわけです。


戦争で都会から「小さな町」へあずけられた双子の子供の、したたかに生きる様子が、事実のみを淡々と連ねて描かれていきます。餓え、貧困、殺人、レイプ、ユダヤ狩り等、内容だけ見ると、かなり殺伐としてはいるんですが、それをこのクリストフの筆力が「読ませる」ものに仕立て上げています。


本書の続編ともいうべき「ふたりの証拠」そしてそれに続く「第三の嘘」、これでもって「悪童日記」3部作ということらしいです。いつか機会をみて読んでみようと思います。

これぞダンディズム

2011-11-25 11:03:28 | や行の作家
山口瞳ほか「諸君、これが礼儀作法だ!」読了



山口瞳が、毎年1月15日の成人の日(今は第2月曜日となってしまいましたが)の朝刊に載せていたサントリーの広告文の他にいろいろな雑誌等に掲載されていたものを集めた、いわゆる訓話集とでもいうべき本であります。


初出が1978年のものからあり、まぁはっきり言って時代遅れという感がなきにしもあらずなんですが、でもしかし礼儀作法の心というものは、今も昔も変わらないものであります。


人を不快にさせない、要するに人に対する思いやりというのが礼儀なんだと思います。いろいろと勉強になりました。





久しぶりに名古屋・栄に出て、ロフトのジュンク堂へ行き、以下の本を購入


アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「悪童日記」
堀江敏幸「本の音」
魯迅著 藤井省三訳「阿Q正伝」
曲亭馬琴「南総里見八犬伝」
目取真俊「虹の鳥」

詩と訣別した詩人の覚悟

2011-11-25 10:42:23 | た行の作家
富岡多恵子「詩よ歌よ、さようなら」読了



詩人で小説家の伊藤比呂美の作品を読み、そういえばと思い出して本書を手に取ったのでした。


ずっと詩を書いてきた富岡多恵子が、詩から小説へと転身を図ったときの心境を中心に「ことば」にとことんこだわる同作家のエッセイ集であります。


読んでいて、自分は単なる読み手であるのに身の引き締まる思いがします。「ことば」というものに対して、自分の信念をいささかも揺るがせにしない富岡多恵子の覚悟にたじろがざるを得ません。


また、この作家は、そういった覚悟を全く悲壮感を漂わせず、素っ気なく、軽く言い放ちます。 引用します。


<15年もつれそった詩という相手にイヤ気がさし、アキがきただけのことである。もうわたしはいかに相手がいい条件を出してひきとめようとも、どれほど贅沢三昧させてやろうといってくれても(中略)下着をつつんだ風呂敷づつみひとつでヒトリになりたいのである。ながの年月、お世話になりました。それではおヒマをいただきます。(中略)そのわたしは腹かっ切る心得などもちあわせるはずもない下賤の生れであるから、死ぬ気遣いなんてないどころか、なんとしてもヨレヨレでくたばるまで生きていたいのである。>


どうですか、このニヒリズム。この、ユーモア漂う軽い言い方が、実は富岡の本気の覚悟の裏返しなんですね。詩(ことば)に立ち向かう厳しい態度に打たれます。


また、ミヤコ蝶々、ミス・ワカナ等の漫才に関するエッセイも、深い洞察でなるほどと納得させられる部分も多かったです。



やっぱり、富岡多恵子という作家、すごい作家です。改めて感じ入った次第です。

生きる、祈る

2011-11-14 18:08:58 | あ行の作家
伊藤比呂美「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」読了



これは、未読本の棚にずっと前からあったもので、ふと思いついて手に取ってみたのでした。


いやーすごい作品です。伊藤比呂美という作家は、以前にも「日本ノ霊異(フシギ)ナ話」という本を読んで、度肝を抜かれたことがあるんですが、ほんと、すごいですね、この作家。

自伝的なフィクションという体裁をとった小説で、主人公「シロミ」の日常が描かれています。


アメリカはロサンゼルスに住みながら、日本の熊本の病院で寝たきりの母、痴呆が進行する父を、度々日本に帰っては世話を焼き、極端な鬱に陥った長女の心配をし、価値観の全く違う夫と対立し、果ては自分も病を得て手術をする羽目になるという、もう、苦労を絵に描いたような日々であります。


しかし、「シロミ」が日本に帰っては、巣鴨のとげ抜き地蔵に詣で、長女のこと、次女のこと、父、母のこと、夫の苦労のとげを抜いて下さいますようとお祈りするようすには、すごくポジティブなものを感じます。


著者は、元々詩人なんですが、やはり詩人ならではの表現がそこここに見受けられ、それが読む者に深いインパクトを与えるわけです。例えばこんな箇所。


<わたしは認識する、それを、
 自分はみぢんの存在であると、そして
 わたしは信じる、この巨大な存在を、(中略)
 わたしは信じる、煙を
 わたしは信じる、「とげ抜き」の「みがわり」を、
 わたしは信じてそして認識する、自分は、
 この巨大な存在とひとつになり、ちらばった、みぢんの存在である、とわたしは夫に申しました。>



冬のアメリカ、セコイア国立公園に家族で出かけ、樹齢何千年という巨木を前にして「シロミ」が夫に語る場面です。会話というより、ほとんど自分に語り、祈っているような文章です。



生きていくことの辛さ、虚しさ、そして歓びを伊藤比呂美流に描ききった、渾身の作であるといえると思います。

バカなやつほど可愛いか?

2011-11-09 18:02:45 | さ行の作家
瀬古浩爾「まれに見るバカ」読了



ブックオフで100円で出てたので買ったんですが、これ、ずっと前に読んでましたねぇ。でも、もう一回読んでみて、また楽しめました。


田嶋陽子、田原総一朗、左高信、田中康夫あたりをめっちゃくちゃにやっつけてるところ、非常に面白いです。


最後の章で、「愛すべきバカ」として、こういうバカなら愛すべきという内容でバカをフォローしてるところは、さすがにぬかりないです。


いや、楽しめました。

頑固一徹の一言居士

2011-11-09 17:28:53 | や行の作家
山本夏彦「日常茶飯事」読了


昭和30年代に出版されていた雑誌「室内」に連載したエッセイをまとめたものです。


まぁなんと骨太なエッセイなんでしょう。すごいですね、この人。世の中がだんだん便利になって、昔の良いものが失われつつあるのを単に嘆くだけのじいさんかと思いきや、それがかえって世のため、人のためにならないという論拠を堂々とくりひろげるさまは圧巻です。


この山本夏彦という人の根底にあると思われるもの、本文から引用します。

<私のつむじは、曲るべくして曲っているのである。こんな世の中に生まれて、生きて、これを礼賛せよ、謳歌せよと言われても、私はことわる。少年のころから私はことわり続けてきた。(中略)私は独自な理論と感覚を以って、柄のないところに柄をすげる。世論の意外に出没して叛旗をひるがえす。(中略)私は何でも巨大なもの、えらそうなもの、権威ありげなものなら疑うだけである。大勢が異口同音に言うことなら、胡乱(うろん)だとみるだけである。>


ただ何でもかんでも反対するのでなく、自分の矜恃に従って論陣を張るという態度。溜飲の下がる思いです。


まぁ見方を変えれば単なる頑固爺ということも言えましょうが。

未来が現在に影響を及ぼす可能性

2011-11-09 17:18:17 | ま行の作家
森田邦久「量子力学の哲学―非実在性・非局所性・粒子と波の二重性」読了


新聞で「素人でもわかりやすい」と紹介されていたので、買って読んでみたのですが、なんのなんの、めっちゃ難しいです。ちんぷんかんぷんでございました。


「ヤングの二重スリット実験」とか「シューレディンガーの猫」とか「マッハーツェンダーの干渉計」とか、なかなか面白い実験を紹介しているんですが、その解釈となると、もうお手上げです。


残念無念です。

現代の神話

2011-11-09 17:05:09 | た行の作家
イサク・ディーネセン著 桝田啓介訳「バベットの晩餐会」読了



これも、少し前に姉が「なかなか面白いよ」と言って持ってきてくれたものですが、正直言ってどこが面白いのか、さっぱりわかりませんでした。読み方が浅いのか、どうなんですかねぇ…。


解説の一部を引用します。

<料理が重要なのではない。それが芸術であるとき料理という手段は意識されず、しかし世界が変わってしまうのである。芸術家はそこにおのれを賭けるのだ。(中略)芸術の女神は、パリの料理(あるいはオペラや恋や音楽や贅沢)に降り立つのではなく、芸術家の「悲願の叫び」を受けとめる者にのみ、降り立つのである>



なんだかわかったような、わからないような文章であります。しかも、この小説に当てはめて考えても、ちょっとピンときません。


充分に理解できずに読み終えてしまったことは非常に残念でした。