トシの読書日記

読書備忘録

倦怠と焦燥

2009-10-27 16:00:38 | か行の作家
開高健「夏の闇」読了



軽いものばっかり読んでるとバカになってしまいそうなんで、また重いやつを読んでみました。(最早手遅れかも知れませんが 笑)


読後、解説を読んで知ったんですが、「輝ける闇」というのを読んでから本書を読んだほうが順番としてはよかったようです。以前、大江健三郎の「さようなら、私の本よ!」を読んだときにも同じことがあって、そういう運が自分にはないんですねぇ。


しかし、いきなり本書を読んでも充分素晴らしさは伝わりました。素晴らしいという表現は、ちょっと似つかわしくないかも。圧倒されたというか、読後、しばらく茫然自失状態でした。


ベトナム戦争の従軍記者として戦地を駆け回っていた主人公が休暇をとって(辞めて?)安旅館で毎日寝るだけの生活を送るところから話は始まります。


恋人(他人)はおろか、自分すらも愛せない主人公の鬱屈した心情がやるせなく読む者の心を揺さぶります。すごい小説でした。「輝ける闇」、是非読んでみます。




またまた所用で出たついでに「ブ」に寄って以下の本を購入。


夏目漱石「こころ」
夏目漱石「三四郎」
開高健「パニック・裸の王様」
町田康「きれぎれ」
万城目学「鴨川ホルモー」

慧眼の人

2009-10-27 15:53:00 | さ行の作家
斎藤美奈子「あほらし屋の鐘が鳴る」読了


気になる斎藤美奈子センセイです。「pink」という雑誌に「オトナのやり方」というコラムの連載をまとめたもののようです。

今どきの大人(おっさん)を徹底的にからかったエッセイですね。面白いことは面白かったんですが、買って読むほどではなかったかなぁ…。

「国家」とは何か

2009-10-27 15:14:52 | ま行の作家
丸谷才一「裏声で歌へ君が代」読了


先日読んだ「笹まくら」に触発されてまた丸谷才一を読んでみました。約600項に及ぶ大長編であります。

構成の冴えは相変わらずで、見事と言うほかないです。テーマは、この記事のタイトル通り「国家」とは何か、です。


主人公の梨田雄吉をはじめ、何人もの登場人物に「国家」を語らせているんですが、それを引用しようと思ってその箇所に付箋を貼ったんですが、40箇所くらいありまして(笑)もちろん全てを引用するのは無理なので、主だったところを引いてみます。



「国民は、個人を犠牲にしない以上、自由ではあり得ない。国民が自由になればなるほど、個人はいよいよ拘束される。」


「国家が成立するにはある程度の不合理なものが必要かもしれない…そんな気がするんですよ。合理性だけでは国が作れない。大衆がついて来ませんから…。日本人はそこのところで成功したから、近代日本が出来あがつた。さう思ふことがときどきあります。」


「国家の目的、ないし存在理由は、自我と対立するためにある…われわれが自我といふものを切実に感じるために国家がある。」




まだまだ山ほどあるんですが、ちょっと面倒になってきました(笑)梨田雄吉は、台湾民主共和国準備政府の大統領やスーパーマーケットの店長や予備士官学校時代の中隊長らと「国家」について話すうち、自分にとっての「国家」とは何か、という問いに答を見出す。その答というのは、一見なんでもないように見えながら、よく考えると非常に恐ろしい思想であることに読者は気づくわけです。そしてそれに怖れをなして恋人の朝子は別れを切り出すという、皮肉な結末になってしまうんですね。


ともあれ、自分にとっての「国家」とは何か、ということを深く考えさせられた一冊でした。

「私」「わたし」とは何か

2009-10-20 10:14:46 | か行の作家
川上未映子「わたくし率イン歯ー、または世界」読了


いつも行くバーに読書好きの友人がいて、たまたま川上未映子の最新刊「ヘヴン」の話になり、(二人共未読)そこから本書の話になって、じゃぁ貸すから読んでごらんと言って、貸す前にもう1回読んでみようと思って再読した次第。


以前読んだ時、これは小説という名を借りた哲学書である、とブログに書いた記憶があるんですが、まぁそれは間違いないと思うものの、著者は、本書の中の言葉ひとつひとつを本当に自分のものとして、自分の言葉として記述しているのかという疑問が湧いてきました。


それほど難解です、この本は。「私とは何か?」というのが本書のテーマだと思うんですが、それを考えるのは普通、脳で考えるのが一般的な訳で、だから「私」は脳の中にあると思われがちなんですが、実は「私」はどこにあってもいいのではないかと本書は言っているわけです。で、この小説の主人公は、「私」の「わたし」は奥歯にあると、こう思うわけですね。だからなんなの?と言われても私は答えられませんが(笑)


まぁ、しかしとにかく鮮烈な作品です。再読してまた圧倒されました。





《購入本》

庄野潤三「ガンビア滞在記」
浅倉かすみ「ともしびマーケット」
斎藤美奈子「妊娠小説」
斎藤美奈子「あほらし屋の鐘が鳴る」


以上アマゾンにて購入。


追記

所要で出たついでに「ブ」で以下の本を購入

斎藤美奈子「趣味は読書。」
小林信彦「名人--志ん生、そして志ん朝」
佐江衆一「黄落」

稀代の論客

2009-10-16 13:28:21 | さ行の作家
斎藤美奈子「読者は踊る」読了


雑誌「鳩よ!」に連載されていたコラムをまとめたもの、ということで253冊の本を俎上に乗せ、辛口の書評をしています。


「ごくごく一般的な、そんじょそこらの読者代表」とあったので、軽い読み物のつもりで項を繰り始めたら、いやいやとんでもない、かなり硬派というか、論旨のきっちりした書評ばかりで、思わず姿勢を正した次第です。


とはいえ、自分の期待する文芸書(小説)の類は一つもなく、まぁあまり興味のない分野ばかりの内容で、そういった意味では自分にとってはあまり面白くない本でした。


しかし、この斎藤美奈子という人、自分は全く知らない人で、何の予備知識もないまま読んだんですが、かなりの手練れです。今、話題になっている本を取り上げ、どこにもおもねることもなく、自分の好き嫌いを明確に述べ、その理由を非常に論理的に展開するあたり、なかなかのものです。


かといって全然内容は堅苦しいものではなく、かなりざっくばらんな、時にはミーハーな記述もあり、かなり笑わせてくれました。


この斎藤美奈子という人、ちょっと注目ですね。ネットで捜してほかの本も買ってみよっと。




そしたら出てきました。忘れないようにここにメモっておきます。


「妊娠小説」「あほらし屋の鐘が鳴る」「モダンガール論」

このへんからいってみます。

恥を知れ!

2009-10-16 13:10:43 | な行の作家
西村賢太「瘡瘢(そうはん)旅行」読了



「どうで死ぬ身の一踊り」「小銭をかぞえる」ときて、同作家の小説を読むのは3冊目です。

さすがにもう飽きました。「私小説」なので、主人公は筆者自身と思われますが、著者(作中は賢太をもじったのか貫太になっている)と同棲相手の女性との日常を主に綴った内容なんですが、前に読んだ2作とシチュエーションも全く同じ、主人公が藤澤清造に固執するのも同じ。まぁ、「私小説」なんですから当たり前といえば当たり前なんですが、そこへいくと車谷長吉なんかの「私小説」は西村賢太とは完全に一線を画している感があります。車谷の「私小説」は芸術として昇華しているのに対して、西村のそれは単なる愚痴を連ねているだけという思いが否めません。(これ、前にも書いたような…)


まぁ、この単行本に1500円も投じた自分が馬鹿でした(笑)今の気持ちをこの記事のタイトルにしてみました。

金と時間を返せ!と言いたいです。あ、時間のほうは読むのに2時間もかからなかったんで、そっちはいいです(笑)

阿吽の呼吸

2009-10-16 12:57:05 | や行の作家
山口瞳対談集「1」読了



会話の妙というものを存分に堪能させてくれる1冊でした。


対談の相手は、池波正太郎、沢木耕太郎、司馬遼太郎、長嶋茂雄、吉行淳之介、高橋義孝、大山晴康、土岐雄三、壇ふみ、野坂昭如、野平祐二、丸谷才一、佐治敬三の13名。


中でも、根っからの大阪人である司馬遼太郎と東京っ子の山口瞳が、「大阪のここがダメで…」「いやいや東京こそ…」と論争(?)するところがなかなか面白く、見応えがありました。また、この対談の中で山口瞳が「東京人は決して通ぶったりしませんよ。通ぶるのは、それこそ田舎の人なんですよ。東京人は、むしろ野暮を心がけるんです。」と、野暮が通であると言っているところが面白いですねぇ。

通だから野暮にふるまっているのか、またはほんとに野暮だけなのか…そこんとこははた目に見てちょっと難しいでしょうけどね(笑)



対談する相手によって自分はどういった態度で臨もうか、という姿勢がどの話にもよく表れていて、さすが気配りの山口瞳の面目躍如といった感があります。



「2」も近々刊行されるようです。楽しみです。

戦争と戦後の意味を問う

2009-10-08 18:03:20 | ま行の作家
丸谷才一「笹まくら」読了



太平洋戦争に徴用されるのを拒んで逃亡する男の物語です。

いつ捕まるかわからない、不安と恐怖、そして絶望感。

逃亡中の生活の様子が非常に細かく描写されているのと、全国を転々する中で、その土地土地の様子もかなり詳しく書かれているのが、まず印象に残りました。


主人公である浜田庄吉の現在の生活と、戦争中の徴兵忌避のときの生活とが交互に描かれる形なんですが、普通、こういったものを書き分ける場合、一行アキを使ってわかりやすくするのが一般的な手法なんですが、この小説にはそれがないんですねぇ。いつのまにか現在から過去へ、過去から現在へ戻ってきているという、最初は少しとまどいましたが、これも筆者が、戦中と戦後は8月15日で区切られているわけではなく、ずっとつながっているんだという思いのあらわれではないかと思います。

また、文章の末尾が未完のままで終わっていて、ひとつ先の章でその続きが始まるというところがあって、ちょっとびっくりしました。まるで筒井康隆の実験小説ではないかと(笑)

こういった、丸谷才一にしてはかなり斬新な手法を使うというのは、ひとつには「意識の流れ」というものがあるのではないかと思います。行を空けないで、また文を完結させないでそのまま次へ移っていくことで、読み手はこの戦前、戦中、戦後のストーリーを流れるように区切りのない状態で読み進んでいくことができるわけです。

もうひとつ、この小説の手法について。この作家は、いつも旧仮名遣いで文章を書くことで有名な人なんですが、「笹まくら」はなぜか現代かなづかいなんですね。なぜでせう(笑)不思議です。



なんだか小説のテクニックのような話ばかりになってしまいましたが、徴兵忌避の終わり頃、知り合った女、阿貴子との生活、そして終戦と共に別れた二人。戦争が終わったことで、もう逃げる必要のなくなった庄吉が、また同じ理由で阿貴子と別れなければならないというのは、なんと皮肉な運命なんでしょう。ここのところ、読んでてすごくせつなかったです。


以前読んだ「横しぐれ」そしてこの「笹まくら」。どちらもタイトルが非常に大きなキーワードになっています。ここにも丸谷才一の小説の構成のうまさを感じてしまいます。


素晴らしい作家です。





《購入本》

ベルンハルト・シュリンク「逃げてゆく愛」

柏木ハル子の漫画をどこかのブログで絶賛してたのでアマゾンで注文するついでに買ってみました。漫画だけだとなんだか恥ずかしいので(笑)

孤独と絶望の果てに

2009-10-08 17:32:15 | は行の作家
橋本治「巡礼」読了


著者初の純文学長編とどこかに書いてありましたが、そんなに長編ってわけでもないです。単行本で230頁くらいです。


橋本治の小説を何冊も読んできて気づいたんですが、この作家は、自分の描く作中の主人公にできるだけ強烈な個性を持たせないようにしているんですね。この小説もそう。主人公である下山忠市もいわゆる市井の人で、荒物屋の長男として生まれ、中学校のときに終戦を迎え、ほかの大きな荒物屋へ住み込みで働き、結婚して家業を継ぐ…人生に対して特にこれといったビジョンも持たず、ただ生きていくという毎日。

でも、考えてみると、世の中そんな人がほとんどかも知れないと思うんですね。僕は人生を半分降りてますから論外ですが(笑)

しかし、この下山忠市という男、結婚して子が産まれ、離婚してその子が死に、老いた母と何も変化のない毎日を暮らすんですが、この、どうということのない人生が非常に物悲しいんです。

この小説のキモとでもいうべき部分を引用します。


「人は悲しいと泣くという。しかし、深く埋められた悲しみは、それが悲しみであることさえも忘れさせてしまう。人の感情をぶれさせる悲しみが悲しみとして機能しなくなった時、人の感情は動かなくなる。かろうじて持ち堪える自分自身に介入してそして発動されるのは、驚きと、そして怒り。驚き、怯え、怒って揺り動かされたものは、見えなくなった悲しみを増幅させる。しかし、それがいくら増幅されても、見えないものは見えない。」



妻を失い、子を失い、母も失って孤独と絶望の果てに彼はその空っぽになった心を埋めるためにゴミを集めだしたのだと思います。そのゴミは、愛のメタファーであると思います。


相変わらず、まわりくどいというか、同じところをぐるぐる回ってるような独特の文体でしたが、素晴らしい小説です。堪能しました。