トシの読書日記

読書備忘録

私たちを救ってください

2017-06-27 16:55:18 | ま行の作家



町田康「ホサナ」読了



本書は今年5月に講談社より発刊されたものです。雑誌「群像」に平成24年から28年にかけて、不定期に連載されていたものが単行本として刊行されたものです。


正直、やられました。すごい小説です。単行本で700項近い大長編なんですが、途中だれるところもなく、時には抱腹絶倒、時には緊迫した場面をぞくぞくしながら全編読み通しました。


本作家の既刊「告白」「宿屋めぐり」にも言えることなんですが、本作の主人公(名前が一度も出てこない)は、親の遺産で苦労を知らない男で、胡散臭い者たちに翻弄、蹂躙されながら悶え、苦しむわけです。



愛犬家たちが集まるバーベキューパーティーの最中、突然光の柱が迫ってくる。そこから「私」の艱難辛苦が始まるんですが、「私」はあまりにもいろいろなことが起こりすぎて、そして達観します。「抜け作」になろうと。そこに人生の真実を見出し、そのように生きようとするんですが、中途半端な意識改革なので、自分が常に意識してそうしようとしなければならず、なかなか「抜け作」になりきれません。


光柱、犬との会話、億単位の毒虫の群れ、死んで腐って折り重なっている大量の「ひょっとこ」達…。普通では思いもつかないような光景が次から次へと息をもつかせぬ展開で、もうとにかくすごいです。そして最後、「私」は小舟に乗ってどこまでも流されていきます。それを読む自分は、只々呆然とするばかりでした。


ちなみに「ホサナ」というのは「救い給え」という意味のヘブライ語とのことです。


真実とは何か、人間の幸福とは何か。それらの根源的な問いを問う、町田康、渾身の長編でありました。いや、すごかった。

逆行性迷走症候群

2017-06-20 17:03:59 | あ行の作家



安部公房「飛ぶ男」読了



本書は平成6年に新潮社より発刊されたものです。


この作品は、平成5年に亡くなった安部公房が、その数年前より本書を執筆してい、その亡きあと、本書のタイトルが表書きされたフロッピーディスク(なつかしい言葉!)が見つかり、発刊に至ったという経緯があります。


作品は、もう完全に安部公房の世界です。公房ファンとしては、面白く読ませてもらったんですが、でも、どうなんでしょうねぇ。これは未定稿ということで、安部公房にしてみれば、まだまだ推敲を重ねて決定稿とするつもりだったんでしょうが、こんな形で本作品が世に出るということは、無念やるかたない思いではないかと察します。


ともあれ、出てしまったものはしょうがない、読んでしまったものはしょうがない、ということでしょうか…。


そういった意味で、少し残念ではありました。

生きることへの敬意

2017-06-20 16:38:17 | は行の作家



堀江敏幸「アイロンと朝の詩人―回送電車Ⅲ」読了



本書は平成19年に中央公論新社より発刊されたものです。

未読の棚を眺めていたら、なんと堀江敏幸のエッセイ集がありました。自分の3本の指に入る好きな作家の本をずっと読んでいなかったことを自分に恥じ、あわてて読んだ次第です。


いろいろな文芸誌やら新聞やらに書いたものがまとまった量になると、「回送電車」シリーズとして刊行しているようです。




相変わらずのトーンで安心して読めますね。決して声高ではなく、静かに、しかし力強く自分の思いを語るこの作家には共感するところが非常に多いです。



例えば木山捷平の文章。さらりと書いているような力の抜き方が、それがむしろ強い意志を感じるという、読み方の深さ。こういった記述にふれるたび、自分の本の読み方の浅さに恥じ入る次第です。しかし、こうやって先達に学びながら読書を続けていけば、自分の読書力も少しは向上するのでは、と思っております。


「私」という語の意義(センス)

2017-06-13 18:36:58 | あ行の作家



大場健「私はどうして私なのか」読了


本書は平成21年に岩波現代文庫より発刊されたものです。


本書は何年か前に一度読んだんですが、あまりに難しすぎて歯が立たず、悔しい思いをしていたので、捲土重来、再度チャレンジしてみました。


がしかし、やっぱり難解でした。でも、論旨は大まかですがわかったつもりです。この哲学者は言語で攻めてきます。


本書のキモであると思われる部分、すこし長くなりますが、引用します。

<生きるということは、木石・水雲が現れているということではない(もし、掛け値なしにそれだけなら、その人は数日で死ぬ)。生きるということは、時の間・人の間として、私の振舞いを何らかの行為として受けとめる他者にたいして、選択的に行為するということである。こうした実践的な文脈においては、「私」という指標語は、いかにデリケートな心理的な述語をともなうにせよ、私のことばを真に受けた相手が、「あなた」という語で指しているもの、を指す。指標語「私」の指示対象は、あなたが言う「あなた」として与えられる。これこそが、「私」という指標語の意義(センス)の基底である。>


「私」というものは、いわゆる「内なる自己」というものがあるというのは、思い込みであると。


そして最後に著者は、こう結びます。


<「私」という指標語が指示しているのは、まさに、こうした呼応可能性という意味での、責任の主体としての、この私である。(中略)呼応可能性=責任を担っている私とは、他者からの跳ね返りにおける脱―現在として、自分を意識して―いる、という存在にすぎない。(中略)私は、あなたが「あなた!」と呼びかけ・応じてくれる存在として、その呼びかけに応じうる存在として、私でありえている。そして、あなたも、である。>


「私」とは、無数の「あなた」という存在があって初めて成り立つものであって、自分だけの世界、いわゆる「内なる自己」というものは、語の意義(センス)の違いを指示対象の違いへとスリかえた所産でしかないと。


とまぁ、わかったようなわからないような読後感でちょっとモヤモヤしておりますが、たまにはこういった小難しいものを読んで、急速に白痴化していく頭に多少なりとも歯止めをかけねば、と思っております。


ネットで以下の本を注文


町田康「ホサナ」 講談社



輪廻転生?

2017-06-13 18:23:35 | さ行の作家



佐藤正午「月の満ち欠け」読了



本書は今年4月に岩波書店より発刊されたものです。


本書もNHKラジオの「ラジオ深夜便」の書評氏が推していたものです。しかし、前の髙村薫ですっかり信用して勧められるままに買って読んだのはいいんですが、ちょっとだまされましたね。


佐藤正午という作家は髙村薫同様、名前だけは知っていたんですが(ジャンルは全く違いますが)、一度も作品を読んだことのない作家でありました。


まず言いたいのは、文章というか、プロットの立て方がこれ、どうなんでしょうね。話が非常にわかりにくいです。途中まで読んで、こりゃ読み終わったらまた最初からもう一回読み直そうと思って読み進めていたんですが、それもなんだか馬鹿らしくなってやめました。


いわゆる「生まれ変わり」というのがテーマなんですが、何というか、読了しても深い感動が得られないんですね。もっと違う書き方だったらまた味わいは変わると思うんですが。じゃどうすればいいんだと言われても自分は作家ではないので、何とも言えないんですが。


「小説の読み書き」という有名な小説の佐藤正午なりの解説を著した本があるんですが、良い読み手は必ずしも良い書き手ではないということでしょうか。


残念でした。

育苗一箱の重み

2017-06-06 16:15:58 | た行の作家



髙村薫「土の記」(下)読了


伊佐夫の農作業を中心とした毎日が綿々と綴られていきます。田んぼの見回り、畑の世話、墓の掃除…。


しかし米を作るという作業は大変なものですね。本書を読んでその苦労を始めて知りました。育苗を入れる箱に新聞紙を敷き、深さ15mmの床土を入れる、種籾は比重1.13の塩水で洗って浮いた籾を取り除き、ネットに入れて水温10℃の用水路に7日間浸す、それを催芽のために30℃の風呂の残り湯に1日浸し、ゴザの上に広げて1日乾燥させる、これを手動式の播種機に入れ、籾が床土の上に均等に落ちるように播いていく。これがまず苗床作りということのようです。そこから出た芽というか苗を田に植え直して(田植えです)、成長させていくという、なんだかとほうもない作業ですね、これは。


まぁそれはともかく、淡々とした毎日でも小さなイベントがちょいちょいあります。墓石を買ってきて(石板のようなもの)ドリルで奥さんと自分の名前を彫って墓場に据え付けたり、娘の陽子が孫の彩子と仕事のため渡米し、そのまま住みつき、そこで知り合った開業医の獣医と結婚したり、自分の認知症の程度が強くなり、1週間入院したりと…。


妻の昭代の事故は本当のところどうだったのか、はっきりとは書かれてはいませんが、昭代が浮気をしていたと匂わせるようなところがあり、伊佐夫もそれを半分認めたようなかっこうになっています。そして一番最後のところ、伊佐夫は心の中で叫びます。

<みんな知っていたんだろう!うちの昭代が半坂へ通っているのを陰で見ていたんだろう!気の毒な亭主だと憐れんでいたんだろう!それだけではない、みんな昭代の事故は自殺だと知っていたんだろう!知っていて黙っていたんだろう!>

しかし真実は闇の中です。


そしてまた一番最後の1ページで愕然としました。あぁこういう終わり方なのかと。


ここは多分賛否別れるところでしょうね。自分としてはもう少し書いてほしかった。しかし、普段読むことのない作家に触れることができ、深い感動を得ることができました。「ラジオ深夜便」の書評氏に感謝です。

5月のまとめ

2017-06-06 16:06:48 | Weblog



5月に読んだ本は以下の通り

奥泉光「バナールな現象」
伊丹十三「女たちよ!」
イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳「さすらう者たち」
大森望 豊崎由美「村上春樹『騎士団長殺し』メッタ斬り!」
髙村薫「土の記」(上)


と、5冊読めました。奥泉光は、機会があればまた別の作品もトライしてみたいです。イーユン・リーもいいですねぇ。通俗的な表現ですが、深く静かな感動という言葉がぴったりです。


そして髙村薫。これは発見でした。(下)が楽しみです。



5月 買った本 3冊
   借りた本 0冊