トシの読書日記

読書備忘録

高度成長期の代償

2017-09-19 11:57:52 | Weblog



「小説新潮」「すばる」「文學界」9月号読了



雑誌なんで読んだ本1冊に数えていいものかどうかと思うんですが、まぁ読んだということで。中日新聞の夕刊に月一回、文芸時評というコーナーがあり、1面近くにわたって本、文芸誌の紹介をしているんですが、先日読んだ同欄で「小説新潮」「すばる」「文學界」のそれぞれ9月号の中の作品をひとつふたつ取り上げていて、それがなかなか面白そうだったので、3冊全部買ってみたのでした。


「小説新潮」に掲載されている町田康の「湖畔の愛」(200枚)を読んだんですが、がっかりでしたね。あの「ホサナ」を読んだあとでは、なまなかなことでは驚きません。


あと、橋本治の「草薙の剣 昭和編」(350枚)というのも読んでみました。橋本治は、自分がリスペクトする作家の一人なんですが、この作品を読んで思ったんですが、今までの作品のどれもこれもが類型的な感じで、ちょっとこれはどうかなと思ったんです。いやそれが橋本治なんだと言われればそれまでなんですが、作風も一貫して変わらないところも、少しあきてきた一因かなと思います。決してつまらなくはないんですがね。ちょっとあきました。


あと掲載されているのは柴崎友香、円城塔らなんですが、自分には興味のない作家なので読み飛ばしました。


それから「すばる」9月号は青木淳悟の「プロ野Qさつじん事件」というのが文芸時評で「面白い!」とあったので読んでみたんですが、全然面白くない!途中で投げ出しました。他に書いているのは朝吹真理子とか温又柔とか、やっぱり自分のエリアの人ではないので読みませんでした。こんな雑誌、950円も出してひとつも光るものがなく、全く残念至極であります。


それと「文學界」9月号は目玉は筒井康隆の「漸然山脈」(ぜんぜんさんみゃくと読んでいいのか?)だと思うんですが、これもちょっとどうかなと。やってることはなかなかアバンギャルドで筒井康隆らしさ満載なんですが、うーん…。筒井氏の肩を軽くたたきながら「筒井さん、もういいって」と言ってみたい気持ちです。また、この間の芥川賞を受賞した沼田真佑の受賞後第1作の「廃屋の眺め」というのがあったんですが、これも可もなし不可もなしといったところで、なんだかなぁという感じでした。


おしなべてこの文芸誌3冊、収穫もなく、淋しい限りでありました。残念。







現代のお伽話

2017-09-12 16:11:06 | か行の作家



フランツ・カフカ著 池内紀 編・訳「カフカ短編集」読了



本書は昭和62年に岩波文庫より発刊されたものです。


カフカは小難しいイメージがあって、敬して遠ざけていたんですが、以前「変身」を読んで大いに笑ってしまい、カフカって意外に面白いと思い直した経験から、本書も諏訪哲史氏のおすすめに従って手に取ってみたのでした。


諏訪哲史の「偏愛蔵書室」の中で紹介されていたのは「流刑地にて」という作品だったのですが、これももちろん、いろいろ考えさせられ、面白かったんですが、なんといっても本書の最後に収められている「万里の長城」が出色でした。


中国の万里の長城が造られる経緯があれこれいろんな角度から描かれているんですが、なんとも面白い。壮大なホラ話という感じで、あれです、スティーブン・ミルハウザーもかくやと思わせるような、微に入り細を穿つ内容で、楽しめました。


万里の長城の話から、次第に中国の民衆の皇帝に対する考え方というようなものに話が変わっていき、著者の筆が我知らずすべっていくようなイメージで、非常に面白く読みました。もちろんそれは意図しての構成でしょうが。


解説を読んで、カフカの長編「城」「審判」は是非とも読まねばと思った次第です。




ネットで以下の本を注文

「小説新潮」9月号 新潮社
「すばる」9月号 集英社
「文學界」9月号 文藝春秋社
夢野久作「ドグラ・マグラ」(上)(下)角川文庫
諏訪哲史「岩塩の女王」新潮社

家に帰る苦労

2017-09-05 17:00:05 | あ行の作家



色川武大「生家へ」読了



本書は平成13年に講談社文芸文庫より発刊されたものです。初出は昭和50年といいますから自分が23才のときですね。色川武大、50才のときの作品です。


以前「怪しい来客簿」を読んで、こ奴は只者ではないと思っていたんですが、本書を読んでその思いを一層深くしました。


色川の生家(一応フィクションの形を取ってはいますが)、東京の牛込区矢来町80の家を出て、文字通り路上で生活をし、ふいに家に戻る。その所在ない風情が、行間からしみじみと伝わってきます。それには父、武夫との間に確執があったことが大きな要因となっているわけです。


この、事実ともフィクションともつかぬそのあわいのあたりで話を綴っていくところが、先に読んだ「怪しい来客簿」同様、色川の作品の大きな特徴になっています。


主人公の眼前に広がる不思議な光景。目を開けていてもつぶっていても見える。それは幻視だとわかっていても甘美な気持ちにさせられる。こういった描写がそこここにあり、シュールな雰囲気を醸し出しています。


一番最後のところ、少し引用します。

<私は小説というものから逃げるようにばかりして来た。小説ばかりでなく、あいかわらず、自分自身からも遠ざかろうとしていた。
 私は転々と居所を変えた。そうして、気がついてみると、自分の来し方すらよくわからなくなってきている。もうひと息だ、という気がどこかでする。>


もうひと息だという気持ち。自分と色川氏のそれとは全く違うものかも知れませんが、自分なりによくわかる気がします。


併載の「黒い布」、これは色川武大とその父、武夫との親子の確執を父の視点から見せた作品で、なかなかの佳作であると思いました。