トシの読書日記

読書備忘録

4月のまとめ

2009-04-30 12:52:25 | Weblog
今日中に読み終わりそうな本もないのでまとめてみます。

今月読んだ本は以下の通り。



ポール・オースター著 柴田元幸訳「幻影の書」
村上春樹「1973年のピンボール」
大庭みな子「三匹の蟹」
小島信夫「抱擁家族」
庄野潤三「夕べの雲」
チャールズ・ブコウスキー著 青野聰訳「町でいちばんの美女」
町田康「おっさんは世界の奴隷か」
辺見庸「もの食う人びと」
富岡多恵子「仕かけのある静物」
中島義道「哲学の道場」
ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂訳「朗読者」
大庭健「私はどうして私なのか」
小池昌代「裁縫師」



以上13冊でした。今月も読まなきゃよかった!みたいなひどい本には出会わずにすみました(笑)突出してよかった本はないんですが、「幻影の書」、「夕べの雲」、「もの食う人びと」、「仕かけのある静物」、「朗読者」あたりが秀逸でした。


3月末に書いた積読本の中から11冊も読むことができました。そういえば今月は、1冊も本を買ってないような…こうしてはいられない、今から本屋へ行ってきます!(笑)

立ち昇る官能のゆらめき

2009-04-30 12:27:19 | か行の作家
小池昌代「裁縫師」読了


私の大好きな作家の一人、小池昌代を久しぶりに読んでみました。

雑誌「野性時代」に掲載した4編に書き下ろし1編を加えた短編集。

読み始めてすぐ「あれ?」と思いました。いつもの小池昌代とちょっと違うんですね。もちろん、あの「タタド」で見せたような読み手を突き放すような乾いた感じは残ってはいるんですが、それが、かなり薄まった感じとでも申しましょうか…

物語も、子供を主人公にしたものがいくつかあり、それがどうにもおもしろくないんですねぇ。奥付を見ると、これを書いた時期は「タタド」の執筆とほとんど同時期なんですね。ちょっとびっくりです。何年か前とか、逆に何年か後とかだったら、作風がかわったのかと納得もできるんですがね。

静かに始まった物語を、いきなりエロティックな展開にもっていって、驚かそうみたいな魂胆が垣間見えてしまって、ちょっと興ざめしてしまったところもあったり。

小池昌代、次作に期待です。

「私」が「私」であることの責任

2009-04-30 12:05:30 | あ行の作家
大庭健「私はどうして私なのか」読了


たまには中島義道以外の哲学書も読まねばと思い、読んでみたのですが…

いやぁ難しい難しい(笑)書いてあることの半分も理解できませんでした。お恥ずかしいかぎりです。あとがきで「本書は大学の新入生くらいのレベルに合わせて、誰でも理解できるよう、できる限りかみくだいた内容にした。」とありましたが、それすら理解できない僕って(笑)


ただひとつ、言いたいことがあります。同じくあとがきの中で、解説の香山リカ氏の内容に対して、「そもそも哲学は(中略)もともと修羅場から何歩も何歩も退いて、退いたがゆえに見えてくることを凝視し、退いたがゆえに行使できる能力を駆使してひたすら考える、というこの上なく非実践的”な虚学であるはずだ・・・」

哲学が「非実践的な虚学」とは!驚きました。自分が、考えて考えて考え抜いたことを、ただそれだけで終わるのでなく、それを自分の人生にあてはめる、さらに言うならそれを自分の毎日の生活において実践していく、このことこそが「哲学」をする真の意味であると、私は中島義道から教わり、またそれを至極もっともと信じておりました。


本書をずっと読んできて、著者の考え方、「私」という語のもつ意味、「私」であることの責任というものをおぼろげながらではありますが、理解しかけたつもりだったんですが、最後のあとがきでがっかりさせられました。


安部公房の「箱男」とか村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」等、自分の好きな小説を引き合いに出して言及している部分もあり、おもしろく読めたところもあったんですが、最後でこけました。

残念です。

戦争の落とす影

2009-04-24 14:33:08 | は行の作家
ベルンハルト・シュリンク著 松永美穂訳「朗読者」読了


あちこちの書評ブログで推してたんで、読んでみました。これ、読み終わってから知ったんですが、「愛を読む人」とかいうタイトルで映画化されてて、日本でも近く上映するらしいんです。主演が、あの「タイタニック」のケイト・ウィンスレットで、この作品で、先のアカデミー賞主演女優賞を獲ってるんですね。

へ~ってなもんで、びっくりしたんですが、映画は、見に行かないと思います(笑)だって、なんだか安っぽいラブストーリーに仕立て上げられちゃってるような気がするんで。


まぁ、原作のほうもラブストーリーではあるんですが(笑)15才の少年と37才の女性の物語であります。最初、ちょっと前に読んだラディゲの「肉体の悪魔」とシチュエーションがちょっと似てるなと思ったんです。「肉体の悪魔」には、そんなに動かされるものがなかったんで、似たような話だったらどうしようかと思ったんですが、ところがどっこい、全然違う方向に話は展開していって、なかなかおもしろく読めました。

おもしろいとはいうものの、物語は、かなり重いテーマであります。戦争中のナチスドイツに関わった人達の裁判を通じて、人の愛というものはどこまで真摯に貫き通せるものなのかと、要約すると、そんなお話です。


日本人好みの、純愛みたいな、そんな簡単な図式な小説ではないんですが、ドイツの人達は、かくも戦争という重い鎖をいまだに引きずっているのかと、ちょっと考えさせられました。

哲学なんて!

2009-04-24 14:07:59 | な行の作家
中島義道「哲学の道場」読了



辺見庸「もの食う人びと」に触発されて、久々の中島先生の登場であります。

この本は、いつも読む中島本とはかなり趣きを異にしております。哲学というのは、「やさしい哲学」みたいな入門書が巷にあふれているけど、決して簡単なものではなく、おまけに哲学は、あなたの精神にも、思考にもなんの役にも立たないものであると、このように中島先生は仰せになっておられるわけです。

では、なぜそんな役に立たないものを真剣になってやるのか。それは、この語につきると思います。


「自分が今、生きており、まもなく死ぬ」ということはいかなることなのか。




今まで中島義道の著作をたくさん読んできましたが、ある種の強迫観念に似た気持ちで読んでいたようなところがありました。人間としてこのテーマは避けて通ってはいけない、考えないような奴は生きていく資格がない、というような。


しかし、この本を読んで、かなり楽になりました。本書のあとがきに「・・・本書は自分が哲学者になれないことを自覚するためのガイドブックでもあるのですから。哲学者になれないことを自覚しながら、哲学にしがみついて自分をごまかしている人を解放してあげるガイドブックなのですから。・・・」


もう、これから真剣にああでもない、こうでもないと考えるのはよしにします(笑)これからは中島氏の本を書店でみかけたら、あぁ、またやってらぁくらいの感じで見ると思います。でも、きっとまた買って読むんでしょうがね(笑)

饒舌で、それでいて簡素で

2009-04-21 16:23:15 | た行の作家
富岡多恵子「仕かけのある静物」読了


昭和の女流作家シリーズです(笑)今、書棚を見たら、以前にこれ、読んでましたねぇ。まぁ、ずいぶん前だと思います。全然覚えてませんでしたから(笑)


表題作を含む7編の短編集。いいですねぇ、富岡多恵子。登場人物の感情の説明を極力排除して、客観的な情景、それだけを淡々と描写していく。いつもの本作家のお得意の手法であります。なので、読み手は行間から滲む彼らの心の動きを読まないといけないんですが、その作業(?)が、なんとも心地いいんです。ほんと、うまい作家です。どの作品もいいんですが、特に際立っていたのは…と書いて、今、選ぼうと思ったんですが、どれも甲乙付け難い!(笑)強いて挙げるなら、最後の「中央公園」ですかね。 

舞台は、アメリカのニューヨークなんですが、この中央公園というのはマンハッタンのセントラル・パークのことです。例によって、淡々と流れていく話の中に一種、空恐ろしい感じを想起させるんです。そんなこと思わせる小説ではないんですが、なぜか、そんな風に感じるんですね。ひょっとして、そんな風に思うのは僕だけかもしれませんが(笑)


富岡多恵子、やっぱりいいです。

ジャーナリズムが排除するもの

2009-04-21 15:52:29 | は行の作家
辺見庸「もの食う人びと」読了


以前、FMの「メロディアス・ライブラリー」で小川洋子が紹介していて、すぐ買ったんですが、しばらく積読本の中に埋もれておりました。


世界各地を駆け巡り、「食」を通して人間の持つヒューマニズム、または残虐性、または死生観に触れようという、文字通りの渾身のルポルタージュであります。


以前、芥川賞受賞作となった「自動起床装置」と併載されていた、「迷い旅」を思い出しました。その時にも同じ思いをしたんですが、「人は、なぜ生まれて、そして死んでしまうのか、どうせ死んでしまうのに、なぜ豊かな人生を送らなければいけないのか、またはなぜ、そう思わせようとするのか。」そういった問いが虚しくなるような内容で、最後には哲学って一体、なんなのか、明日食べる物がある、その安定の上に成り立っている軟弱なものなのか…


ソマリアのモガディシオの大学校舎に避難民があふれ返っている。その中に栄養失調と結核でなにも食べられず、ただ死を待つだけの少女がいる。誰も彼女を救えない。また、そういう瀕死の人たちはソマリアには山ほどいる。この事実を前にして、先ほどの問いのなんと虚しいことか!こういった思いを踏まえて、また中島義道を読んでみたいと思います。

アナーキーで、そして切なくて

2009-04-21 15:14:24 | は行の作家
チャールズ・ブコウスキー著 青野聰訳「町でいちばんの美女」読了



以前、読んだ町田康の「外道の潮騒」で、町田康が尊敬する作家とあったので(本当のところはどうかわかりませんが)手に取った次第。


表題作を含む全30編の短編集なんですが、なんといいましょうか、すごいんですね。こんなに下品で粗野で惨めな小説、初めてです。これを果たして文学と呼んでいいのでしょうか。という思いで読み進めていったんですが、進むに従って、段々となんともいえない感情が湧き上がってくるんですね。酒と女に溺れる、どうしようもない男ばっかりなんですが、その妙に乾いた文体を通じて、切ないような、また逆に温かいエッセンスを感じるんです。不思議な小説でした。

日本人には、とてもこんな小説、書けないでしょうねぇ。

家族の絆

2009-04-13 11:11:51 | さ行の作家
庄野潤三「夕べの雲」読了


岡崎武志の「読書の腕前」の中で、この作家を自分の「読書の水準器」であると言っていたので、ちょっと興味をひかれて手に取ってみました。

先回読んだ「抱擁家族」同様、家族をテーマにした長編であります。しかし、「抱擁家族」とは対極にあるような内容で、こうも違うものかと、ちょっとびっくりしました。

主人である大浦氏(名前は出てきません)と奥さん(細君としか書かれてません)と長女・晴子、長男・安雄、次男・正次郎の5人家族の物語であります。特に取り立てて大きな事件が起きるわけでもなく、淡々と過ぎていく日常を鮮やかに切り取って描いています。岡崎さんが紹介していた、例の父と安雄がお弁当を食べるシーンは、小説の後半に出てくるんですが、やっぱりじんわりきますねぇ。

作中、自分が一番印象に残ったところは、大阪に住む、主人公の兄が上京してきて、二人で甲府へ1泊の旅行に出かけるんですが、その晩、東京はものすごい雷雨に見舞われるんです。で、かれらの家は、丘のてっぺんに建っているので、落雷は避けられそうにないと思われ、実際、台所に雷が落ちるんです。残された家族は、子供の部屋で、みんなうつぶせになって震えていたんですが、あとで、主人が帰ったとき、奥さんは、「あなたがいなくてほんとによかった」と言うんですね。なぜかというと、雷が鳴っている最中、台所のステンレスの器具がいっせいにカタカタ鳴り出したときがあり、その後、雷が落ちたわけで、「その時、あなたがいたら、必ず台所に様子を見に行ったと思います。そして次に落ちた雷が頭に当たったかも知れません。ほんとうにいなくてよかった」と夫の不在を僥倖として捉えるんです。
自分たちが死の恐怖に直面したというのに、そんなときこそ一家の大黒柱である夫にそばにいてほしいと思うのが普通の感覚なのに、このセリフです。この妻の夫に対する、たとえようもないほどの深い愛を感じずにはいられません。素直に美しいです。


庄野潤三、いいですねぇ。ほかにも読んでみたくなりました。こんなふうにどんどん興味が広がっていくから未読本がいっこうに減らないんですねぇ(笑)