大江健三郎「さようなら、私の本よ!」読了
ようやっと大江健三郎の三部作、読み終えました。ずっしりと重い手応えを感じています。思い返してみると、第一部の「取り替え子(チェンジリング)」は飛び降り自殺した無二の親友であり、義理の兄でもある塙吾良との生前のエピソードを連ね、吾良と共に生きた来し方、また、吾良という大切な人を失っての行く末というものを今一度考え直すという内容でありました。
第二部の「憂い顔の童子」は、舞台を東京(とベルリン)から松山の「森の家」に移し、土地に古くから伝わる「童子」の伝説をモチーフに、「自分の木」から幼い頃、自分といつも一緒だった(と固く信じていた)コギーの姿をもう一度見る、という体験を通して、小説家である自分の役割を見つめるものでありました。
そして第三部は、北軽井沢での自分の山荘を舞台とし、新しいキャラクターとして、幼なじみで、国際的にも有名な建築家の椿繁が登場します。古義人は、戦争の体験を通して、世界の先進国が保有する「核」に対して強烈な批判精神を持っていて、それをテーマに講演をしたりもしているのですが、そこへもってきて、椿繁が、その核を保有する国々にテロを仕掛けるという話を持ち掛けます。このあたりの古義人の対応が、読んでいてなかなかすっきりしないんですね。それに真っ向から反対するわけでもなく、積極的に加担するのでもないという態度に終始します。まぁ手段がテロというんですから及び腰になるのもうなづけないわけではないんですが。
そして、繁とその配下の若者(武とタケチャン)との間で、ちょっとした考え方の行き違いがあって、北軽の山荘を爆破する際、タケチャンの目に鉄パイプが突き刺さり、死亡するという事故が起こります。その後、警察が介入し、結局、この計画は頓挫してしまうわけです。
そして古義人は、松山の「森の家」に蟄居し、小説も書かず、本も読まず、世界中の新聞を購読し、その中から世界が悪しき方向へ向かう「徴候」をチェックし続けるという生活を送ります。
なにか最後は、矢尽き、刀折れた落ち武者の様相を呈しているわけですが、世界中の新聞から「徴候」をチェックし続けるというところに、古義人の、まだ燃え尽きない情熱の焔のようなものを感じます。
久々に大江健三郎をじっくり読ませてもらいました。大江の小説の書き方が、他の誰にもない独特な手法であるというのが、読んでいて非常に興味深いところです。私小説の体裁をとっていて、過去の自分の作品にも触れ、他の作家(エリオット、ダンテ、ナボコフ等)の作品を引き合いに出し、またそれを自分の人生に重ね合わせるという、非常に重厚な読み応えのある方法をとっています。
この三部作を読了したのを機に、大江健三郎フェアを開催しようと思い立ちました!以下に発表年順に主な作品を並べて覚え書きとし、順番に読んでいくつもりです。
まだまだ未読本、姉借り本が山とあるのに…。
◎「死者の奢り」 1958
「飼育」 1958
「芽むしり仔撃ち」 1958
「個人的な体験」 1964
◎「万延元年のフットボール」 1967
「遅れてきた青年」 1970
「日常生活の冒険」 1971
「洪水はわが魂に及び」 1973
「みずから我が涙をぬぐいたまう日」 1974
「同時代ゲーム」 1979
「新しい人よ眼ざめよ」 1983
「懐かしい人への手紙」 1987
「治療塔」 1990
◎「燃えあがる緑の木」 1993
「宙返り」 1997
「二百年の子供」 2002
◎「取り替え子(チェンジリング)」 2000
◎「憂い顔の童子」 2002
◎「さようなら、私の本よ!」 2005
◎「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」2007
◎「水死」 2009
◎は既読(もちろん再読します)
名古屋市内へ出て以下の本を購入
堀江敏幸「なずな」
大江健三郎「みずから我が涙をぬぐいたまう日」
大江健三郎「同時代ゲーム」
大江健三郎「洪水はわが魂に及び」(上)(下)
また、姉から以下の本を借りる
大江健三郎「個人的な体験」
大江健三郎「万延元年のフットボール」
大江健三郎「遅れてきた青年」
大江健三郎「日常生活の冒険」
大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」
大江健三郎「懐かしい人への手紙」
大江健三郎「治療塔」
大江健三郎「燃えあがる緑の木」第一部
大江健三郎「宙返り」(上)(下)
大江健三郎「二百年の子供」
大江健三郎「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」
ようやっと大江健三郎の三部作、読み終えました。ずっしりと重い手応えを感じています。思い返してみると、第一部の「取り替え子(チェンジリング)」は飛び降り自殺した無二の親友であり、義理の兄でもある塙吾良との生前のエピソードを連ね、吾良と共に生きた来し方、また、吾良という大切な人を失っての行く末というものを今一度考え直すという内容でありました。
第二部の「憂い顔の童子」は、舞台を東京(とベルリン)から松山の「森の家」に移し、土地に古くから伝わる「童子」の伝説をモチーフに、「自分の木」から幼い頃、自分といつも一緒だった(と固く信じていた)コギーの姿をもう一度見る、という体験を通して、小説家である自分の役割を見つめるものでありました。
そして第三部は、北軽井沢での自分の山荘を舞台とし、新しいキャラクターとして、幼なじみで、国際的にも有名な建築家の椿繁が登場します。古義人は、戦争の体験を通して、世界の先進国が保有する「核」に対して強烈な批判精神を持っていて、それをテーマに講演をしたりもしているのですが、そこへもってきて、椿繁が、その核を保有する国々にテロを仕掛けるという話を持ち掛けます。このあたりの古義人の対応が、読んでいてなかなかすっきりしないんですね。それに真っ向から反対するわけでもなく、積極的に加担するのでもないという態度に終始します。まぁ手段がテロというんですから及び腰になるのもうなづけないわけではないんですが。
そして、繁とその配下の若者(武とタケチャン)との間で、ちょっとした考え方の行き違いがあって、北軽の山荘を爆破する際、タケチャンの目に鉄パイプが突き刺さり、死亡するという事故が起こります。その後、警察が介入し、結局、この計画は頓挫してしまうわけです。
そして古義人は、松山の「森の家」に蟄居し、小説も書かず、本も読まず、世界中の新聞を購読し、その中から世界が悪しき方向へ向かう「徴候」をチェックし続けるという生活を送ります。
なにか最後は、矢尽き、刀折れた落ち武者の様相を呈しているわけですが、世界中の新聞から「徴候」をチェックし続けるというところに、古義人の、まだ燃え尽きない情熱の焔のようなものを感じます。
久々に大江健三郎をじっくり読ませてもらいました。大江の小説の書き方が、他の誰にもない独特な手法であるというのが、読んでいて非常に興味深いところです。私小説の体裁をとっていて、過去の自分の作品にも触れ、他の作家(エリオット、ダンテ、ナボコフ等)の作品を引き合いに出し、またそれを自分の人生に重ね合わせるという、非常に重厚な読み応えのある方法をとっています。
この三部作を読了したのを機に、大江健三郎フェアを開催しようと思い立ちました!以下に発表年順に主な作品を並べて覚え書きとし、順番に読んでいくつもりです。
まだまだ未読本、姉借り本が山とあるのに…。
◎「死者の奢り」 1958
「飼育」 1958
「芽むしり仔撃ち」 1958
「個人的な体験」 1964
◎「万延元年のフットボール」 1967
「遅れてきた青年」 1970
「日常生活の冒険」 1971
「洪水はわが魂に及び」 1973
「みずから我が涙をぬぐいたまう日」 1974
「同時代ゲーム」 1979
「新しい人よ眼ざめよ」 1983
「懐かしい人への手紙」 1987
「治療塔」 1990
◎「燃えあがる緑の木」 1993
「宙返り」 1997
「二百年の子供」 2002
◎「取り替え子(チェンジリング)」 2000
◎「憂い顔の童子」 2002
◎「さようなら、私の本よ!」 2005
◎「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」2007
◎「水死」 2009
◎は既読(もちろん再読します)
名古屋市内へ出て以下の本を購入
堀江敏幸「なずな」
大江健三郎「みずから我が涙をぬぐいたまう日」
大江健三郎「同時代ゲーム」
大江健三郎「洪水はわが魂に及び」(上)(下)
また、姉から以下の本を借りる
大江健三郎「個人的な体験」
大江健三郎「万延元年のフットボール」
大江健三郎「遅れてきた青年」
大江健三郎「日常生活の冒険」
大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」
大江健三郎「懐かしい人への手紙」
大江健三郎「治療塔」
大江健三郎「燃えあがる緑の木」第一部
大江健三郎「宙返り」(上)(下)
大江健三郎「二百年の子供」
大江健三郎「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」