トシの読書日記

読書備忘録

おかしな「二人組」

2012-05-31 20:26:34 | あ行の作家
大江健三郎「さようなら、私の本よ!」読了



ようやっと大江健三郎の三部作、読み終えました。ずっしりと重い手応えを感じています。思い返してみると、第一部の「取り替え子(チェンジリング)」は飛び降り自殺した無二の親友であり、義理の兄でもある塙吾良との生前のエピソードを連ね、吾良と共に生きた来し方、また、吾良という大切な人を失っての行く末というものを今一度考え直すという内容でありました。


第二部の「憂い顔の童子」は、舞台を東京(とベルリン)から松山の「森の家」に移し、土地に古くから伝わる「童子」の伝説をモチーフに、「自分の木」から幼い頃、自分といつも一緒だった(と固く信じていた)コギーの姿をもう一度見る、という体験を通して、小説家である自分の役割を見つめるものでありました。


そして第三部は、北軽井沢での自分の山荘を舞台とし、新しいキャラクターとして、幼なじみで、国際的にも有名な建築家の椿繁が登場します。古義人は、戦争の体験を通して、世界の先進国が保有する「核」に対して強烈な批判精神を持っていて、それをテーマに講演をしたりもしているのですが、そこへもってきて、椿繁が、その核を保有する国々にテロを仕掛けるという話を持ち掛けます。このあたりの古義人の対応が、読んでいてなかなかすっきりしないんですね。それに真っ向から反対するわけでもなく、積極的に加担するのでもないという態度に終始します。まぁ手段がテロというんですから及び腰になるのもうなづけないわけではないんですが。


そして、繁とその配下の若者(武とタケチャン)との間で、ちょっとした考え方の行き違いがあって、北軽の山荘を爆破する際、タケチャンの目に鉄パイプが突き刺さり、死亡するという事故が起こります。その後、警察が介入し、結局、この計画は頓挫してしまうわけです。


そして古義人は、松山の「森の家」に蟄居し、小説も書かず、本も読まず、世界中の新聞を購読し、その中から世界が悪しき方向へ向かう「徴候」をチェックし続けるという生活を送ります。


なにか最後は、矢尽き、刀折れた落ち武者の様相を呈しているわけですが、世界中の新聞から「徴候」をチェックし続けるというところに、古義人の、まだ燃え尽きない情熱の焔のようなものを感じます。


久々に大江健三郎をじっくり読ませてもらいました。大江の小説の書き方が、他の誰にもない独特な手法であるというのが、読んでいて非常に興味深いところです。私小説の体裁をとっていて、過去の自分の作品にも触れ、他の作家(エリオット、ダンテ、ナボコフ等)の作品を引き合いに出し、またそれを自分の人生に重ね合わせるという、非常に重厚な読み応えのある方法をとっています。


この三部作を読了したのを機に、大江健三郎フェアを開催しようと思い立ちました!以下に発表年順に主な作品を並べて覚え書きとし、順番に読んでいくつもりです。


まだまだ未読本、姉借り本が山とあるのに…。



◎「死者の奢り」                1958   
 「飼育」                   1958
 「芽むしり仔撃ち」              1958
 「個人的な体験」               1964
◎「万延元年のフットボール」          1967
 「遅れてきた青年」              1970
 「日常生活の冒険」              1971
 「洪水はわが魂に及び」            1973
 「みずから我が涙をぬぐいたまう日」      1974
 「同時代ゲーム」               1979
 「新しい人よ眼ざめよ」            1983
 「懐かしい人への手紙」            1987
 「治療塔」                  1990
◎「燃えあがる緑の木」             1993
 「宙返り」                  1997
 「二百年の子供」               2002
◎「取り替え子(チェンジリング)」       2000
◎「憂い顔の童子」               2002
◎「さようなら、私の本よ!」          2005
◎「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」2007
◎「水死」                   2009

◎は既読(もちろん再読します)



名古屋市内へ出て以下の本を購入

堀江敏幸「なずな」
大江健三郎「みずから我が涙をぬぐいたまう日」
大江健三郎「同時代ゲーム」
大江健三郎「洪水はわが魂に及び」(上)(下)


また、姉から以下の本を借りる


大江健三郎「個人的な体験」
大江健三郎「万延元年のフットボール」
大江健三郎「遅れてきた青年」
大江健三郎「日常生活の冒険」
大江健三郎「新しい人よ眼ざめよ」
大江健三郎「懐かしい人への手紙」
大江健三郎「治療塔」
大江健三郎「燃えあがる緑の木」第一部
大江健三郎「宙返り」(上)(下)
大江健三郎「二百年の子供」
大江健三郎「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」



 

不条理の鎖

2012-05-31 20:09:05 | ま行の作家
村上春樹「TVピープル」読了



そういうわけで読んでみました。オリジナル版を。「眠り」と「ねむり」、全くといっていいくらい違いはなかったですねぇ。新たにエピソードを挿入したわけでもなく、大幅に削った箇所があるわけでもなく、ただ、ちょっと言い回しを変えてあるところは、かなり目につきました。まぁそんなところです。


この作品集は、「眠り」のほかに五つの短編が収められているんですが、村上春樹は、もうこの時期から自分の世界を確立していたことがよくわかります。中でも表題作の「TVピープル」、それに「我らの時代のフォークロア ― 高度資本主義前史」が面白かったです。でも、やっぱり「眠り」、これが一番ですね。


春樹ワールド、堪能致しました。

傾向と是正の綱引き

2012-05-31 19:18:30 | ま行の作家
村上春樹「ねむり」読了



ずっと前に姉から借りていたもので、なんとなく手に取ってみました。


1990年に短編集「TVピープル」に収録されていた「眠り」を20年ぶりにバージョンアップして改稿したものです。


もちろん「眠り」は読んではいるんですが、ほとんど内容は忘れているわけで、まぁ再読みたいな形で読むことになりました。一読、面白いです。まったく眠れなくなってしまった30才の女性の話んなんですが、単なる不眠症と全然違うのは、とにかく四六時中眠くないんですね。夜といわず昼といわず、ずっと意識は覚醒していて、それで全く疲れも感じないし、むしろそうなってからは体調が良くなったくらいの状態なわけです。


それで主人公は、長い夜を「アンナ・カレーニナ」を毎晩読んで過ごすわけですが、また、色々なことに思考をめぐらします。以下、引用します。


<眠りなんかいらない、と私は思った。眠れないことで私が「存在基盤」を失うとしても、仮に発狂するとしても、それでもいい、かまわない、私はそう思った。私は傾向的に消費なんかされたくない。それは私の求めていることではない。そしてその傾向的消費のもたらすかたよりを正すために、眠りが定期的に訪れ、一日の三分の一を私に要求するのだとしたら、そんなものはいらない。私には私自身の方法がある。私は本を読む。私は眠らない。>


<もし死という状況が休息でないとしたら、我々のこの疲弊に満ちた不完全な生にいったいどんな救いがあるというのか?でも結局のところ、死がどういうものかなんて誰にもわかりはしない。(中略)死が休息であるべきだなんて、そんなものは理窟にもなっていない。それは死んでみなければわからないのだ。それはどんなものでもあり得るのだ。>


とまぁ思考はぐるぐる回るわけです。でも、これはフィクションであって、いわゆるクンデラのような小説ではないわけですから、そんなに深く考える必要もないのかもしれません。


こうして17日間全く眠らずに過ごした彼女、最後はどうなるのかと読み進めていったんですが、ラストはちょっと期待はずれでしたね。まぁでもどうやって終わらせるか、春樹氏も相当苦労したと思います。


オリジナルの「眠り」、も一回読んでみます。



出逢いの妙

2012-05-31 19:04:36 | や行の作家
山口瞳「木彫りの兎」読了



昭和50年代の文芸誌に発表された短編集です。山口瞳、やっぱりいいですね。


人との出逢い、絆が人間関係に多大な影響を及ぼすことは、それは当たり前のことなんですが、それを小説に仕立て上げる山口瞳の温かい眼差しが心に染み入ります。中でも表題作の「木彫りの兎」は秀逸でありました。


編集者が家にやって来て1時間半ばかり話し込む。そして「ちょっと出ましょうか」ということになって外へ出る。二人で骨董屋へ入るとそこに木彫りの兎がある。主人公の「私」は一目でそれを気に入って欲しいと思うのだが、編集者もそれを気に入っている様子。しかし、それは「私」が3千円で買うことになる。後に「私」は思い返す。以下、引用します。

<あのとき、Mさん(編集者)は娘のために兎を買ってやりたいと思ったのではなかろうか。私はそのことを訊くべきであった。そのことがはっきりとわかっていれば、譲ってやってもよかった。どうも私は言葉が足りなくていけない。>

ここですね。人の気持ちを慮る「私」の心根の優しさ。これが山口瞳の小説の根底を流れるものであります。


山口瞳、やっぱり時々は読まないといけませんねぇ。

永遠の夢の時の「童子」

2012-05-21 16:17:04 | あ行の作家
大江健三郎「憂い顔の童子」読了





三部作の第二部であります。主人公の古義人は故郷の松山へ一時帰ります。そこでのいろいろなエピソードを中心に話は進んでいきます。実際の大江健三郎もそうなんですが、作中の古義人も私小説家であって、故郷の松山のことを作品の中でいろいろ書いているんですが、それが松山に住む人達にとってはあまり面白くない内容のことばかりで、そのため、土地の人間と古義人の間には、かなりの軋轢があるわけです。


それが、事あるごとに衝突して、殴り合いの喧嘩になったりして、まぁエピソード満載の作品であります。


古義人が17才の頃、アメリカとの講和条約が締結する前夜、古義人の父を師と仰ぐグループが米軍から武器を盗み出し、米軍基地を襲撃する計画を立てていて、それに関連して米軍将校のピーターという若い男が殺され、それに自分と吾良が関与したという古い記憶が古義人にはある。


しかし、それは確かなことかどうかがはっきりせず、また、自分と吾良がそれに加担したという思いもあり、それが何十年も古義人の思いを鬱屈とさせるものであった。


この小説では、こういった潜在的な思いを下敷きに、古義人の松山での文学的生活が描かれています。


しかし、なんと含蓄のある言葉が多く挿入されていることでしょう。常人には、なかなか理解しづらい部分もあるんですが、古義人と、その父、母を通して村に古くから伝わる「童子」の伝説をモチーフに、物語は自在に飛び回っていきます。


さて、完結編となる「さようなら!私の本よ」、楽しみに読むことといたします。

人生の彩り

2012-05-21 16:08:43 | あ行の作家
稲葉真弓「唇に小さな春を」読了



これも姉が貸してくれた本です。この作家は以前、「海松(みる)」という長編を読んでその筆力に感服した記憶があるんですが、この短編集はどうなんですかねぇ。ぬるいというか、甘いというか…。姉もたまにははずすこともあるんですね。


「色」をテーマに18の短編が収められているんですが、そのどれもこれもがいわゆる「ハートウォーミング」な物語で、読んでいて背中がこそばゆくなってきます。読みかけた本は、よっぽどのことがない限り読了するという、自分のルールに従い、なんとか読み終えましたが、なんにも残りませんでした。残念。

プロット重視の短編群

2012-05-11 14:56:25 | か行の作家
小林信彦「侵入者」読了


もう何年も前にブックオフで買った本なんですが、なぜか急に読む気になって読んでみました。


六つの短編(中編)から成る作品集で、表題作の「侵入者」がなかなか面白かったです。閑静な住宅街に出没する変質者に対して、それを追う側と追われる側の両方の視点から描いた作品で、最後にあっと言わせるどんでん返しが用意されていて、なかなか読み応えがありました。

また、大阪の若手芸人の売れない頃から人気絶頂に至るまでの、エリート同級生との確執を絡ませた、その葛藤を描いた「悲しい色やねん」も出色でした。


小林信彦という人は、もちろん小説も書くんですが、映画はもちろん、落語、漫才、といったコメディの世界にも深く通じていて、それが小説の中に色濃く反映されていて、作品に深みを増しているんですね。


ただ、巻末の「創作の内幕」と題したあとがき。この小説集を刊行するに至るまでのエピソードが並べられているんですが、これがいけない。特定の編集者を攻撃したり(名前はさすがに伏せてありますが)、自分がいかに先見の明があるかということを自慢たらたら書いてみたり…。せっかくの作品が色褪せてしまいました。




姉に以下の本を借りる


久生十蘭「十蘭レトリカ」
山尾悠子「ラピスラズリ」
ウィリアム・フォークナー著 瀧口直太郎訳「フォークナー短編集」
G・ガルシア・マルケス著 鼓直訳「族長の秋」
平田俊子「二人乗り」
アヴィグドル・ダガン著 千野栄一・姫野悦子訳「宮廷の道化師たち」
レベッカ・ブラウン著 柴田元幸訳「若かった日々」

またまたたくさん貸してくれたもんです。ふぅ~…

血と性の濃密な空気

2012-05-07 14:51:54 | た行の作家
田中慎弥「共喰い」読了



買って読むほどの気はなかったんですが、姉が文藝春秋の3月号をくれたので、そこに収められているのを読んだのでした。

あの「もらっといてやる!」発言で一躍有名になった第146回芥川賞作家の、その受賞作であります。この作家は、自分も前から注目していた人で、「切れた鎖」、「図書準備室」、「犬と鴉」を読んで、その並々ならぬ才能に同賞受賞の予感を感じとっていたのでした。


北九州の田舎町を舞台に、父の、セックスの時、相手の女を殴らずにはいられない性癖を疎み、しかし自分にもその血が流れていることに抗いようもなく鬱屈とした日々をやり過ごす17才の息子の心情が、田中慎弥独特のタッチで描き出されています。


冒頭の海に近い川の澱んだ描写から一気に引き込まれます。その空気が全編に流れ、季節も梅雨から夏に移り変わる時期というのも相まって、重く、気だるく、じっとりとした世界が広がっていきます。文中に頻出する方言(下関弁?)も作品の強烈なイメージを更に盤石なものにしています。


芥川賞受賞に文句なしの作品であったと言えると思います。

4月のまとめ

2012-05-01 16:05:54 | Weblog
4月に読んだ本は以下の通り


大江健三郎「読む人間」
大江健三郎「取り替え子(チェンジリング)」
小川内初枝「緊縛」
伊藤比呂美「ラニーニャ」
リチャード・ブローディガン著 青木日出夫訳「愛のゆくえ」


以上の5冊でありました。仕事の方はぼちぼち落ち着いてきたんですが、まだ本格的に読書ができる状態ではないですねぇ。


4月は、なんといっても大江健三郎です。いま、2冊目の「憂い顔の童子」を精読中であります。面白いです。

ビートジェネレーションの功罪

2012-05-01 15:19:46 | は行の作家
リチャード・ブローディガン著 青木日出夫訳「愛のゆくえ」読了



これも姉が貸してくれた本です。「アメリカの鱒釣り」という作品でヒットを飛ばしたブローディガンが、その数年後に発表したのが本書です。


ストーリーといってもそんなに劇的なものはなく、なんだかなぁという思いで読み終わったんですが、なんだかあとからいろいろと考えさせられる小説でした。


主人公の「わたし」は図書館員。といってもそれは普通の図書館ではなく、いろいろな人が書き上げた、たった1冊の本をそこで預かるという、閲覧も貸し出しもない風変わりな図書館なんです。そこで「わたし」は、一人でそこに住み込み、そしてその仕事を気に入っているという設定になっています。

ある日、事件が起こります。ヴァイダという若い、美しい娘が本を持ってくるんですが、自分の完璧なまでのプロポーションゆえに、世の男どもは、その肉体にしか興味を示さず、自分の内面を見ようとする者は皆無であると。それを嘆く内容の本ということなんですが、「わたし」が彼女を慰めるうち、二人は意気投合してその夜からなんと、一緒に暮らし始めるんです。


ほどなくして彼女は妊娠します。二人が相談した結果、二人には子供はまだ早すぎるし、とても育てていく自信がないということで、堕胎を決意します。友人に紹介してもらった産科医を訪ねて二人はメキシコへ飛びます。そして無事手術を終えて帰ってきた二人にまた新たな事態が持ちあがります。図書館を留守にしている間に、一人の女が図書館に入っていて、これからは自分が管理するからあんた達は出て行きなさい!と告げられるんです。


仕方なく二人は、近くのヴァイダの家へ行き、新しい生活を始めます。…というところでこの小説は終わっています。


主人公である「わたし」は、3年間その図書館から1歩も出たことがなく、社会や世間から完全に隔離された生活を送っていたわけです。そしてそれを気に入ってもいたわけですが、一人の女性の出現により、自分の価値観を大きく転換させていくところは、非常にドラマティックでありました。作品全体に劇的な効果を狙う記述が一切なく、またそれはもちろん意図的なものであると思うんですが、だからこそ、「わたし」の内面の変化がくっきりと際立って見えたのでした。


小説の書き方が非常に老練で心憎い作家であります。なかなか面白い作品でした。