トシの読書日記

読書備忘録

11月のまとめ

2016-11-29 18:57:38 | Weblog


今月読んだ本は以下の通り


アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「ふたりの証拠」
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「第三の噓」
エイモス・チュツオーラ著 土屋哲訳「薬草まじない」
北村薫・宮部みゆき編「とっておき名短篇」
辻原登「籠の鸚鵡(おうむ)」


と、今月は5冊にとどまりました。

今月はなんといってもアゴタ・クリストフの3部作を読めたことが僥倖でした。この作家はすごいです。そしてそしてチュツオーラ。ほんと、やってくれます。あとの2冊はたいしたことなかったんですが、なかなか内容の濃い読書ができました。


さて、1年で一番忙しい12月がやってきます。あまり読書はできないかもしれませんが、本は読めなくてもブログは週一のペースで更新していきたいと思っておりますので、どうかよろしくお願いします。



11月 買った本2冊
    借りた本0冊

欲望の行き着くところ

2016-11-29 18:34:04 | た行の作家


辻原登「籠の鸚鵡(おうむ)」読了



本書は今年9月に新潮社より発刊されたものです。辻原登、待望の新刊です。新聞の書評で見つけ、即アマゾンで購入しました。


がしかし、これはどうなんですかね。ちょっと自分の趣味に合わなかったかな。この作家は非常に器用な人で、歴史物からミステリー、人情話と、多彩な作品を送り出してくるんですが、本書はクライムノベルと言っていいジャンルに入ってくると思います。


はっきり言ってこういうのはあまり好まないですね。文章はうまいです。辻原登ですから。でも、こういう小説は桐野夏生あたりにまかしといたらいいんじゃね?と思うのは私だけでしょうか。


和歌山県の、とある町役場の出納長が偶然立ち寄ったスナック。その名刺を見たママのヒモが、こいつは金づるになると、出納長を陥れて役場の金を横領させる。これにヤクザの抗争がからんで…という内容なんですが、なんだかなぁ。喜び勇んで買っただけに落胆は小さくなかったですね。


単行本で316頁もある長編なのに、なんだかもったいない感じです。そのエネルギーをほかに回してほしいもんです。


残念でした。

玉石混交

2016-11-22 18:39:47 | か行の作家



北村薫・宮部みゆき編「とっておき名短篇」読了



本書は平成23年にちくま文庫より発刊されたものです。小川洋子の「メロディアスライブラリー」で同じシリーズの「名短篇、ここにあり」を紹介していて、ネットで見てみたら本書の方が面白そうだったので、こちらを買ってみたのでした。



しかし、残念なことにあまり見るべきものはなかったですね。深沢七郎の「絢爛の椅子」、岡田睦(ぼく)の「悪魔」くらいですかね。選者二人が自分の興味とは埒外の作家ゆえ、選ばれた作品に対して惹かれないのかも知れません。


でも深沢七郎はいいですね。まず文体が面白い。以前読んだ「楢山節考」ほか、タイトルは忘れましたが、いくつかの作品でも同じことを感じました。


まぁこんなアンソロジーもあるってことで。

艱難辛苦を乗り越えて

2016-11-22 15:41:26 | た行の作家



エイモス・チュツオーラ著 土屋哲訳「薬草まじない」読了


本書は岩波文庫より平成27年に発刊されたものです。以前、同作家の「やし酒飲み」という作品を読んで、あまりの面白さに飛び上がった覚えがあるんですが、姉が「相変わらずだよ」と言って貸してくれたのでした。


作品のシチュエーションは「やし酒飲み」とどこかしら似ているんですが、でもやっぱり面白い。神託を司祭する者たちの頭領の父をもつ「わたし」はその町の創始者であり、父の親友の娘、ローラと結婚することになる。


しかし、結婚したのはいいんですが、なかなか子宝に恵まれず、ついに「わたし」は<さい果ての町>に住んでいる<薬草まじない師>のところへ子供が必ず産まれるという薬草を調合したスープをもらいに旅に出る。


ここからがすごいんですね。まぁありとあらゆる魑魅魍魎、妖怪変化が現れ、「わたし」は勇猛果敢にもそれらと戦い、打ち負かし、ついに<さい果ての町>へたどり着くわけです。そして<女薬草まじない師>に調合してもらったスープを頂き、勇躍帰るんですが、途中、食べ物がなくなり、あまりのひもじさに、そのスープを少し飲んでしまいます。


何年もかかってやっと我が家へたどり着いた「わたし」は、さっそく妻にそのスープを飲ませます。そして3ヶ月もするとあらふしぎ、奥さんは懐妊します。ここまでだったらめでたしめでたしなんですが、それだけでは終わらないのがチュツオーラのすごいところで、なんと「わたし」も妊娠してしまうんですね。男が妊娠するという、神の摂理に反することが起こったということで、「わたし」は村人から嘲り、笑われます。


まぁ、結局最後はハッピーエンドなんですが、とにかく抱腹絶倒、面白いのなんの。巻末の解説では、このチュツオーラの文学性を、異民族に対する激しいバイオレンスとか、現代アフリカの問題点を主題として、奴隷的な主従関係とか、民族集団のしきたりを重んじた旧弊な世界とか、難しいことをおっしゃっていますが、自分としては素直にこのエンターテイメントを楽しめばいいのでは、と思うわけです。もちろんこれは大きい声では言えませんが。


とにかく面白かった。楽しめました。



祖国との別離の痛み

2016-11-15 16:06:58 | か行の作家


アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「第三の噓」読了



本書はハヤカワepi文庫より平成14年に発刊されたものです。「悪童日記」シリーズ、いよいよ完結編であります。がしかし、読んでいて「あれ?」と思うところがいくつも、というか、全体に前作からの整合性がなく、非常に戸惑いました。


リュカとクラウスがそれぞれの過去を回想しているんですが、前作のそれとは違う過去を生きてきたことになっているし、登場人物の一人、ぺテールは「ふたりの証拠」に出てくるぺテールとは明らかに別人だし、双子の二人の父と母も「悪童日記」のお父さんとお母さんとはどう考えても違うし…。


これはあれですね、タイトルから考えて「悪童日記」は第一の噓、「ふたりの証拠」は第二の噓ということなんでしょう。要するにこれは一つの物語を主人公達の成長に合わせて三つのバージョンで描いた、と理解する方向が正しいのでは、と思います。


1956年、ハンガリー動乱の折にスイスへ亡命した当時21才のアゴタ・クリストフの心中は、日本に生まれ、日本でしか暮らしたことのない自分にとってなかなか推し量れないものがあります。


最後の最後にちょっと肩すかしを食った感もなくはないですが、この三部作、全体を眺めてみると、祖国、愛、絶望など、深い深いテーマが流れている大作でありました。


感動しました。



ネットで以下の本を注文

北村薫・宮部みゆき選「とっておき名短篇」ちくま文庫
辻原登「籠の鸚鵡(おうむ)」

彷徨する魂

2016-11-08 17:12:27 | か行の作家



アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「ふたりの証拠」読了



本書は平成13年にハヤカワepi文庫より発刊されたものです。「悪童日記」のシリーズ第2弾であります。


「悪童日記」で双子の「ぼくら」は離れ離れになります。それはあまりに唐突で、そのわけも読む者に全く説明がありませんでした。ちなみに双子の名前が本書で明らかにされます。一人はリュカ、もう一人はクラウス。これをハンガリー語にすると「LUCAS」「CLAUS」と、アナグラムになってるんですね。まぁそれはさておき。


リュカが、おばあちゃんの家に残り、クラウスは父親を地雷の犠牲にして、その屍を乗り越えて西側の国へ去ります。本書は国に残ったリュカの物語です。しかしまぁ登場人物が多いですね。そしてそれぞれの人物が大きな問題をかかえていて、それだけで小説が一つづつできそうです。


とにかくいろいろなエピソード盛りだくさんなんですが、最後、ついにクラウスが登場します。この、リュカの残った地へ帰ってくるわけです。がしかし、それと入れ替わるようにリュカは誰にも何も告げずにどこかへ去ってしまいます。


リュカを取り巻く人々、それぞれの孤独、絶望、不毛な愛が、アゴタ・クリストフの独特の文体で精緻に描かれていきます。最後、再開がかなわなかった二人はこのあとどうなるのでしょうか。次、「第三の噓」いきます。

10月のまとめ

2016-11-01 18:22:44 | Weblog


10月に読んだ本は以下の通り


吉田知子「吉田知子選集Ⅱ―日常的隣人」
J・M・クッツェー著 鴻巣友季子訳「恥辱」
吉田知子「吉田知子選集Ⅲ―そら」
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「どちらでもいい」
J・M・クッツェー著 鴻巣友季子訳「遅い男」
「アンソロジー そば」
「アンソロジー カレーライス!!」
J・Mクッツェー著 土岐恒二訳「夷狄(いてき)を待ちながら」
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「悪童日記」


以上の9冊でした。前半は吉田知子にうならされ、後半はクッツェーに酔い、非常に充実した月でした。11月もアゴタ・クリストフの残りの2冊が待っています。楽しみです。



10月 買った本 9冊
    借りた本 2冊

反感傷的小説

2016-11-01 17:12:32 | か行の作家


アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「悪童日記」読了


以前読んだものの再読です。ネットでクッツェーの本を捜しているとき、アゴタ・クリストフの「ふたりの証拠」「第三の嘘」を見つけ、これが「悪童日記」の続編ということで読みたくなり、ならばその大元をもう一度読んでからと思った次第。

やっぱり再読してよかったです。すごい本ですね。


時代、地域は特定されていないんですが、これは第二次世界大戦下のハンガリーの物語と考えるのが妥当なようです。


<大きな町>から<小さな町>に母親に連れられて疎開してきた双子の「ぼくら」。二人はおばあちゃんの家に預けられるのだが、近所の人から「魔女」と呼ばれているおばあちゃんは、二人の面倒を全く見ない。


二人は互いに切磋琢磨しあって強くなっていくわけですが、途中、色々なエピソードが盛り込まれているこの小説は、最後、なんと父親を間接的に殺してしまうところで終わっています。


全体に戦争を通して人間の醜い部分をあぶり出し、非常に強い皮肉を込めた作品になっています。しかし、この双子の「ぼくら」は最後、離れ離れになってしまうんですね。続編の「ふたりの証拠」でどんな展開が待っているのか、今から楽しみです。

暴力とフィクション

2016-11-01 15:24:42 | か行の作家



J・M・クッツェー著 土岐恒二訳「夷狄(いてき)を待ちながら」読了



本書は平成15年に集英社文庫より発刊されたものです。いやぁつらい読書でした。今まで読んできたクッツェーとはかなり毛色の違う作品なんで、読むのに難渋しました。意味のよくわからない展開、ちぐはぐな会話、挫折しそうになりながら持ち前の粘り(?)でなんとか読了しました。

例えばこんなところ

<目が覚めると心があまりにも空白なので恐怖心がこみあげてくる。つとめて努力しないと私は時間と空間の中へ――ベッドの中へ、テントの中へ、世界の中へ、東西を指している肉体の中へ、自分を再挿入できない。(中略)私としては、朝になったらテントをたたんでオアシスへ引き返し、民政官の日当りのいい館でこれからの生涯を、この若い女と暮らし、その横に平静な気持ちで眠って、その子供たちに父親の義務をはたしながら、季節が移ろい巡るのを見守って生きて行くなどという図は、一瞬たりとも脳裏にえがきはしない。>


いつの時代ともどこの国とも特定できないところで、主人公の「私」は民政官を努めています。前半はこの「私」のモノローグとでもいうような心情の吐露がえんえんと続きます。もうここで参りましたね。しかし、中盤あたりから「私」が夷狄の娘をその部族に返すために長い旅に出るあたりからやっと面白くなってきますが、最後の方はまた「私」のモノローグに戻ります。


恥ずかしながら自分にはかなり難解な小説でした。解説の言葉を借りるなら


<外部の者が異民族の土地へと侵入し、暴力によってその内部を破壊する、それが「夷狄を待ちながら」全体の枠組みとなっている。(中略)ジョル大佐の拷問と夷狄の娘の負傷によって、彼は帝国のふるう暴力のなかに引きずり込まれてしまう。彼はいわば暴力の目撃者とされ、目撃者である事実から逃れることができない。さらに言えば、読者もまた、その目撃者の一人となるのである。>


ということなんですが…。やっぱり難しいです。


自分の力が及びませんでした。