トシの読書日記

読書備忘録

そう、妄想も嘘

2015-11-24 18:12:42 | か行の作家


岸本佐知子 編・訳「居心地の悪い部屋」読了



柴田元幸と並んで今、売れっ子翻訳家の岸本佐知子が選び、訳した短編アンソロジーです。いかにも岸本氏が好みそうな作品がずらりと12編並んでおります。自分が知っているのは、先日「氷」で知ったアンナ・カヴァンのみで、あとは未読の作家ばかりでした。


1番最初の短編、ブライアン・エヴンソンの「へべはジャリを殺す」でいきなり強烈なパンチを食らいました。ヘべがジャリのまぶたを縫い合わせてしまうんですが、その先をどうするんだったか、ヘべが忘れてしまうんですね。ジャリは、それを非難するでもなく、「大丈夫」とか言って元気づけるわけでもないんですが、まぁ二人であれこれ考えても事態は進展しません。

で、ジャリが「彼らに電話したらどうだろう」と提案し、ヘべが「もっと早く思いつけばよかったよ」と答え、1階の公衆電話に行こうとする。ヘべが出ていったと思ったジャリは、ドアの鍵をかけ、鍵のかかった抽斗を口の中に隠しておいた鍵で開け、鋏を探り当てて、縫い合わされたまぶたの糸を切る。半分ほど糸を切ったところで指でまぶたを開けてみると、目の前にヘべがいたと。

ジャリはまんまとだまされたわけです。そしてジャリはもう一度ヘべにまぶたを縫い合わされます。話はここで終わります。もう、なにがなんだか感満載です。でも、こういうの、好きです。


まぁ、こんなような作品がぞろぞろと並んでいるわけですが、中にはちょっとあざといというか、薄っぺらな印象を受けたものも少なからずありました。不条理な話というのは誰でも思いつけるもので、それをいかに深みのある作品に仕上げるかが作家の腕の見せどころなわけで、それがちょっと残念でしたね。


他にもレイ・ヴクサヴィッチという作家の「ささやき」というのも面白かったです。妻(恋人?)に「あなたのイビキにはもううんざり!!」と捨てゼリフを残して去っていった彼女。主人公の「俺」は自分はイビキなんかかかないと確信しているが、念のためと思い、高価なテープデッキを買ってきて寝るときにそれの録音スイッチを入れる。朝、スイッチを切ってすぐ聞きたいのだが、出かけるのに忙しく、そのまま仕事に出かけ、帰って来てから再生ボタンを押すと男と女が話している声が聞こえる…。


それの正体を突き止めようといろいろな事を試みるんですが、それがめちゃくちゃ面白く、抱腹絶倒でありました。しかし、最後の最後、ぞくりとする終わり方になっています。このへん、うまいですねぇ。


とにかく楽しませてもらいました。ヘンな小説愛好家の岸本女史に感謝です。





久しぶりにネットで以下の本を購入


戌井昭人「まずいスープ」新潮文庫
リュドミラ・ペトルシェフスカヤ著 沼野恭子訳 「私のいた場所」河出書房新社
野坂昭如「妄想老人日記」
イーヴリン・ウォー著 富山太桂夫訳「大転落」岩波文庫
太田和彦「居酒屋を極める」新潮新書(ダブりでした)



家族を破壊する不安

2015-11-24 17:02:48 | た行の作家



富岡多恵子「動物の葬禮/はつむかし」読了



本書は平成18年に講談社文芸として発刊されました。富岡多恵子自選短編集とのことです。全部で9編の短編が収められているわけですが、以前に読んだものもいくつかあり、それはついこの間読んだものばかりなので、そこは飛ばしました。


印象に残ったのは「立切れ」という作品です。二度離婚して三度目の女房にも先立たれ、ひとりで暮らしている70代の元噺家。最初の女房が世話を焼きにちょいちょいそのアパートへ行き、自分のアパートに越して来ないかと誘うのだが、<めんどうだ、ここにいるよ>とにべもない。


読んでいると、浮世のしがらみを断ったアウトローのようにも見えるんですが、ある日アパートの裏のドブ川に小さい子供が落ちて死ぬという事件があり、菊蔵(噺家)はそれからそのドブ川のふちを歩くたび<また子供が落ちて死んでいないかな>と思うとあります。ちょっとぞっとします。ここにこの老人の屈託、諦観といった屈折した心理が写し出されているんだと思います。本作品は川端康成文学賞を受賞しています。


また、自分の子を放置して死に至らしめ、あげくの果てに親をも殺すという「未黒野(すぐるの)」という短編もすごいものがありました。これは、主人公の米雄という男は、はなから家族とか家庭という概念がないんですね。そういった男が家族を作ってしまうとどうなるか、という、これはある意味実験的な作品ではないかと思います。



あれやこれや読んできましたが、次、別の1冊をはさんで富岡多恵子、最後の1冊を読もうと思っております。

恋人同士でもなく、友人同士でもない関係

2015-11-17 20:11:10 | た行の作家


富岡多恵子「水上庭園」読了



平成2年に岩波書店から発刊された長編小説です。


「わたし」と「E」との物語です。「わたし」は夫のいる日本人女性。「E」は独身のドイツ人男性。二人は20年前、シベリア鉄道の列車食堂で出会います。短い時間を「わたし」の夫と三人で過ごしたのですが、「E」は「わたし」にもう一度会いたいと、手紙のやり取りを始めます。当時「E」は22才、「わたし」は35才でした。徴兵制のあるドイツで「E」は兵役を拒否し、それが認められて兵役につく代わりにアメリカへ渡り、奉仕活動をすることになります。


その間に「E」は何度も「わたし」に手紙を書き、「わたし」もそれに応えて返事を出します。1年半のアメリカでの奉仕活動を終える頃、「E」は南米旅行へ「わたし」を誘います。しかし「わたし」は仕事の都合がつかず、それを断ります。


それから二人は音信不通になり、そしてある日突然「E」から手紙が舞い込みます。今、東京に来ていますと。なんと二人は18年ぶりに再開するんですね。二人は再開するんですが、「E」はなんとなく元気がない。18年ぶりに会ったわけですから当時の若者のようなはつらつさはもちろんないんですが、それにしても覇気がないというか、沈んでいる感じなんですね。「E」は東京で仕事を探すんですが、なかなか見つからず、結局ドイツへ帰ることになります。


そしてその2年後、今度は「わたし」が「E」に会いにドイツへ渡ります。ドイツでの「わたし」は妙にはしゃいでいます。はしゃぎながらいろいろなことを考えます。


例えば、この二人の関係について、以下、引用します。


<二日前の昼にフランクフルトの空港で会ってから20年くらい経ったように感じられます。二日余で、Eとわたしは「20年」を過したのだと思います。恋人同士のような暑くるしい密度ではありませんが、友人同士というには男と女の情緒があります。>


<ドイツでEとこうして過しているのを、わたしは夫に悪いと思っていません。夫もわたしも、わたしがEに会うのをガマンする理由がないと思っている点は同じです。わたしがドイツでEに会うのは夫の他に知りませんから、日本人が最も悩まされる「世間」も無関係です。わたしは、Eと会って、もし「恋」の気分がもりあがれば離れまいとするかもしれない、とはまったく思っておりませんでしたし、実際にその通りでした。わたしのこの確信を夫は知っています。夫もわたしも、相手が男女にかかわらず人間として興味をもったり、男や女として興味をもったりして交流しようとするのを、「夫と妻」であるがためにとどめねばならないとは思っていません。「夫と妻」という一組は個人の生に対してそんなに権威的、権力的なものだとは思っていないのです。>


少し長くなりましたが、これが「わたし」の「E」に対する思いをよく表していると思います。しかしそれを「E」にかたことの英語で説明することは非常に難しく(お互いは英語でしか話せない。)、「わたし」は徒労感を覚えながらそれを断念せざるを得ません。このもどかしさが「わたし」にいつもつきまとうわけです。


で、読み終えて考えたんですが、この長編小説は何をテーマにし、富岡多恵子は何を言いたかったのだろうと。夫と妻という、世間からがんじがらめにされている枠に疑問を投げかけているのか、はたまた「わたし」と「E」の、この微妙な関係を通じて読む者に何か問題を提示したかったのか、そこいらがよくわからないんですね。


ストーリーの展開とか、「E」からの手紙と現在の話とを交互にもってくる構成とか、なかなか面白く読ませるんですが、ちょっと消化不良の感は否めません。


次に用意してある富岡多恵子に期待です。

異界からの声

2015-11-17 17:01:38 | や行の作家
山田太一「遠くの声を捜して」読了 


久々の山田太一です。自分の敬愛する作家の一人です。本書は平成元年に単行本、平成4年に文庫として新潮社から刊行されました。この本は家の近くの文房具、CD等も売っている本屋さんの古本コーナーで見つけたものですが、自分が住んでいる地域で山田太一の本を読んでいる人がいるのかなと思うと、ちょっと嬉しいですね。まぁしかしどんな経緯で本書がその店に置かれたのかはわかりませんが。


この小説も山田太一得意の展開ですね。死んでしまった父親に寄席の小屋で声をかけられ、一緒に親のアパートへ行き、そこで死んだ母親とも対面するという「異人たちとの夏」とか、最初会ったときは老婆だったのが、会う度にどんどん若返っていく「飛ぶ夢をしばらく見ない」等、いわゆる「異界」の世界を、本書も山田太一独特の会話のリズムとテンポで読む者をどんどん引きずり込んでいきます。


主人公は笠間恒夫、29才。不法就労の外国人を摘発する入国管理局に勤めている。婚約した相手がいて、結納を間近に控えている。


そんなある日、あるアパートに不法入国しているバングラデシュの男たちが6人いるという情報を受け、早朝、そのアパートに踏み込むが、一人が窓から飛び出して逃げ出す。それを恒夫が追いかけようとするのだが、突然、自分に今まで経験したことのないような途方もない性的な快感が嵐のように襲ってき、不覚にも恒夫は射精し、その場にへたり込んでしまう。   


どうしてそんなことになったのか、自分でも分からないまま、幾日か過ぎ、ある夜寝ようとしてベッドに横になると、どこからか女の声が聞こえる。最初は「ダレ、ナノ?」という声だったのが、それに反応すると会話になっていく。これはすべて恒夫の心の中での会話なのだが、つい実際に声を出してしまい、隣の部屋で寝ている同僚を起こしてしまったりもする。


まぁ物語はこんな風にして続いていくんですが、婚約者との結納の最中に自分の感情をコントロールできなくなり、突然笑い出してしまったり、そのあと今度は泣き出してしまい、結局この結婚は破談になってしまう。これもすべてあの「声」のせいなんですね。


途中、恒夫が若い頃、アメリカを貧乏旅行していたときのエピソードがはさまれるんですが、エリックという古道具の店をやっている男に雇われてそこで働くんですが、その男を間接的に殺すことになってしまったという事件をその「声」に告白するんです。恒夫はこのことが大きなトラウマになっていて、人生に対する希望を失いかけている。結婚のことも相手とは見合いで知り合ったのだし、さしてそんなに強い気持ちもなかったのだ。


こういった主人公の人生模様を織り交ぜながら「声」の主との距離をだんだんと近づかせていく手法はさすがと思わせます。



最後、その「声」の主と会うことになるんですが、相手は会うことに一旦承諾するものの、なぜか会うのが怖いということで、結局相手の姿かたちを見ることができなかったんです。


アメリカでの事件以来、自分の感情を抑え込むことをし続けた恒夫だっただけに、そういった声が聞こえてきたのかもしれません。それを巻末の解説の今江祥智氏は、<それを「たましい」と呼ぶこともできよう。いっそ、愛と呼んだほうがよいかもしれない。>なんて言ってますが、それはちょっと違うんじゃねーのと言いたくなります。


とにかく楽しませてもらいました。山田太一、やっぱりいいなぁ。



家族の肖像

2015-11-17 16:42:35 | た行の作家

富岡多恵子「新家族」読了



平成2年に學藝書林より発刊された短編集です。自選短編集ということで、富岡氏自身の手によって選ばれた作品が9編収められています。


やはり、どれもどれも富岡多恵子ならではの世界ですね。


結婚前にパイプカットをし、それを相手に伝えずに結婚した男(「名前」)。同棲している男の母親から「それで子供はまだなの?」と迫られる理不尽さ(「環の世界」)。


男と女が出会い、結婚することで相手の親、兄弟等、さまざまなしがらみを女の視点でとらえ、また、そのしがらみが世間一般の常識とは少しずれたところにある、その不条理。それに打ちのめされる女がいたり、また別の作品ではそれを巧みにかわして生きていく女がいたりと、うまいもんですねぇ。


富岡多恵子、もう少しいってみましょう。

10月のまとめ

2015-11-10 18:27:30 | Weblog


10月に読んだ本は以下の通り


富岡多恵子「白光」
半村良「忘れ傘」
吉田健一「私の食物誌」
富岡多恵子「丘に向って人は並ぶ」
富岡多恵子「砂に風」
西木正明「凍(しば)れる花火」
富岡多恵子「仕かけのある静物」
絲山秋子「ラジ&ピース」
富岡多恵子「冥途の家族」


と、なんと9冊も読んでしまいました。びっくりです。10月はなんといっても富岡多恵子再発見の月でありました。しょうもない2冊(半村、西木)をのぞいては充実した読書でした。今月も富岡多恵子、もうちょっとじっくり攻めてみたいと思っております。

12月、1月と年間を通じて一番忙しい時期になるので、その前の11月、実り多い月にしたいと思います。



あの安藤書店へ行って、小一時間もじっくり見て回ったあげく、やっと1冊だけ購入



岸本佐知子 編訳「居心地の悪い部屋」

岸本佐知子お得意の「ヘンな」小説を集めた短編アンソロジー




10月 買った本2冊
    借りた本0冊

わけがわからない生き死に

2015-11-10 18:08:25 | た行の作家


富岡多恵子「冥途の家族」読了



昭和51年に講談社文庫から発刊されたものです。この文庫本は巻末に年譜がついていたり、11頁に及ぶ長い解説がついていたりと、これは多分講談社文芸文庫の前身のような体裁で出版されたのではないかと推察されます。しかし約40年前の文庫とはいえ、260円という破格の値段!ほんと、昔はよかった…。

それはさておき…


またまた富岡多恵子得意の「家族」をテーマにもってきました。四編の中・短編からなる作品集なんですが、連作の形をとっています。


解説を読むと分かるんですが、物語は多分に富岡自身の幼少期の頃のことを下敷きにしているようです。まだ小説家としてデビューして間もないこともあってか、自分のことを題材にした方が書きやすいんでしょうね。


とまれ、主人公のナホ子、その母、二人の弟、腹違いの姉達とのあれやこれやが、例の富岡多恵子独特の文体で、闊達に描かれています。


なかなかの佳作でした。

歪んだ自己愛

2015-11-10 18:06:25 | あ行の作家


絲山秋子「ラジ&ピース」読了



富岡多恵子の合間にちょっとはさんでみました。

先日読んだ「妻の超然(に収められている「作家の超然」)」に驚愕し、絲山秋子を見る目がかなり変わってきました。もちろん初期の頃の「イッツ・オンリー・トーク」あたりからずっと好きな作家ではあるんですが、こないだみたいな「不愉快な本の続編」みたいなものを読まされるとちょっと…ね。


群馬のFM局でパーソナリティをしている相馬野枝(そうま のえ)は、自分の容姿に大きなコンプレックスを感じている。

<野枝はいつも警戒していた。いつ他人に攻撃されるのか、その前に身をかわすことができるかどうか。どうやって自分を守り続けたらいいのか。
 自分のことを厭になればなるほど、他人の目が気になるのだった。>


これ、よくわかります。そして野枝はいつも不機嫌なんですね。例えばこんな感じ。

(局で女子アナの)<富田ひとみからロッカーで声をかけられた。
「相馬さんと石田さん(局のプロデューサー)って別れたの?」
「つき合ってませんが」
「でも石田さんの車が相馬さんちの前に停まってたって聞きましたよ、ある人から」
「知りません」
「じゃ、石田さんの片思いかな?」
野枝はロッカーを閉めて、
「そういうこと言われるの、迷惑なんです」
と言う。>


こんなぶっきらぼうな会話されたら誰だっていやんなると思うんですが、とにかくこの主人公は自分と世間を隔絶して生きているように思われてなりません。


が、しかし彼女はラジオの番組をやっているうちに大きな転換を迎えます。

<一つ一つのメッセージは大事だ。メッセージには心がある。でもラジオネームの意味を考えたことはなかった。
 ばかばかしいようだが、それは突然のことだった。
「またバイアス33か」
そう呟いた瞬間、野枝は息をのんだ。
全てが一瞬にしてつながったのだ。
今まで文字でしかなかったラジオネームが全県に散らばり、地図を作った。(中略)
 停電が終わって突然夜景が目の前に広がったようだった。野枝の胸の中にきらきらと無数の灯りがともった。>

リスナーに自分から発信するのではなく、人が集まるところにたまたま野枝がいるという感覚。リスナー達の心に自分が寄りそっていくような感覚。ここはちょっと感動的なシーンでした。まぁ絲山秋子らしくないといえばそうなんですが。


人との距離のとりかたが臆病なほど細心な性格の野枝が、FMラジオの番組のリスナーを通じて自分の生き方に目覚めていくといった内容です。


なかなか面白かったです。

言い知れぬ不穏な空気

2015-11-10 16:25:21 | た行の作家


富岡多恵子「仕かけのある静物」読了



久しぶりの更新となってしまいました。毎週火曜日は定休日で、いつもブログを更新するんですが、先週は祝日ということで休みがなく、1週伸びてしまいました。普段、仕事の日は、帰ってくるのが12時くらいで、寝るのが2時半くらい。その間に一杯飲んでご飯を食べてお風呂に入るので、ブログを更新するのはどうしても火曜日になってしまうわけです。それはさておき…


本書は昭和48年に中央公論社から発刊された7編の作品が編まれた短編集です。全編に何ともいえない不穏な空気が漂っています。これはある意味、吉田知子に通じるものがあります。作風は全く違いますが。


印象に残ったのは表題作の「仕かけのある静物」です。カネコとジロキチは夫婦で小さな古いアパートに住んでいる。そこへヤマダさんが仕事を持ってくる。いわゆるワジルシと呼ばれるもので、墨だけで線描きした春画に色付けをしていくのである。そしてカネコは、ジロキチがこの仕事を始めるいきさつを回想する。数年前にふとしたきっかけで会ったミナミ老人という60過ぎの爺さんにワジルシを描くのをすすめられたのだった。


ミナミ老人は仕事を持ってくるときは、いつも速達か電報であらかじめ来意を告げ、日も時間もぴったりに部屋に現れるのである。そんなこんなで何年かそういった付き合いがあったのだが、ミナミ老人から何ヶ月も連絡が来なくなり、心配になって電報を打ったところ、奥さんから病気だという返電が来た。それから何ヶ月しても何も連絡がないのでまた電報を打ってみると、主人はひと月前に亡くなりましたという返事が来た。


ジロキチとカネコは、以前ミナミ老人から来たハガキの住所をたよりに線香をあげに家を訪ねるのだが、なかなか家が見つからない…


まぁストーリーはこんな風なんですが、この富岡多恵子独特の文体で、なんとなく不穏な空気なんですね。大体、ワジルシなんて違法なことをやってるわけですから。


他にも「恋人たち」という作品もなんというか、うまく言葉で言い表すことのできない短編で、これがやっぱり富岡多恵子なんですね。これも強く印象に残りました。


富岡多恵子、何冊か読んできましたが、やっぱりすごいですね。自分の世界を持ってます。ちょっと1冊別の小説をはさんで、富岡多恵子フェア、まだまだ続きます。