トシの読書日記

読書備忘録

孤独と触れ合い

2011-06-30 17:22:55 | か行の作家
レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳 「必要になったら電話をかけて」読了



半年ほど前に同作家の本を読んで、のめり込んでしまったのですが、最近は、姉の方がかなり熱を上げていて、この短編集も姉が買ったのを借りたものです。姉は、これからもカーヴァーの未読本を買いあさるようで、自分としては買う手間が省けてうれしい限りです。


さて、この作品集は、今までに刊行されたカーヴァーの小説以外に、未発表の原稿が見つかったとかで、それをまとめたものであります。「薪割り」「どれを見たい?」「夢」「破壊者たち」「必要になったら電話をかけて」の5作品が収められています。



どれもこれもいかにもカーヴァーらしい短編で、じっくり読ませてもらいました。訳者の村上春樹が、巻末の「解題」で言っていることを引用します。




「我々の人生にとって大事なのは、自分にとってまっとうと思える姿勢をどこまでも継続することである。(中略)我々の人生の営為は基本的には、あくまで累積的なものなのだ。我々は時代の波に振り回されることなく、自分の道をみつけ、それを一歩一歩前に進んでいくしかない。僕らは僕らなりの個人的な「秘蹟」を探し求め、そこで見いだされたものを心から大事にしていかなくてはならない。たとえとるに足りないように見えるささやかなことであったとしても、それはしっかりと、誠実に護られなくてはならないのだ。それが僕がレイモンド・カーヴァーという作家から、そしてまた彼の全作品を翻訳するという作業から学んだ、もっとも大事なことであるような気がする。」



ここまで自分はカーヴァーを理解することはできませんが(当たり前ですが)、この、村上春樹のカーヴァーに対する熱い思いには、非常に強いシンパシーを感じます。




この本を読んで知ったんですが、カーヴァーの全集が出ているようです。もちろん、訳はすべて村上春樹とのこと。ちょっと姉をそそのかしてみましょうかね(笑)

人がいうほどではないけれど時はたつ

2011-06-20 19:55:04 | や行の作家
山田太一「冬の蜃気楼」読了



久々の山田太一であります。平成7年発行ということですから、割合新しい方に出た小説ですね。


時代は昭和33年、入社したての22才の助監督が、新人女優の16才の美少女に心を奪われる。そこに絡んでくる演技の下手な俳優。その二人に翻弄されながら、主人公は少しづつ成長していく。そして34年後、54才の主人公と48才の元美少女は再会する…


とまぁ、いかにも山田太一らしいプロットで話は進んでいくわけです。相変わらず面白いですねぇ。印象に残った部分を引用します。



瑠美が私の方にかがみこんだ。「たしか」と思い出すような目をしている。
「ええ」
それから瑠美は英語でなにかいった。よく聞きとれない。
「ガーデン?」
聞きとれた言葉をくりかえすと、
「メイラー」と瑠美がいう。「ノーマン・メイラー」
思いがけない名前が出て来たが、瑠美がいま口にした英語の見当はついた。
「鹿の園?ディア・パーク?」とメイラーの小説の書名を口にすると、瑠美は「ガーデンでなくパークだった?」と私の目を見る。
「たしか」
「ザ・ディア・パーク」
「イエス」
少し妙だが、つられてそんないい方をすると、
「石田さんにすすめられて」という。
「私に?」
「読みました」
「そんなことをいったかなあ」
「いいました」
「忘れているなあ」
「さっきから、その中の言葉が浮んでいます」
「こっちは一行も憶えていない」
「私も一行だけ、本をあまり読まないので、読んだ本が少し長く残るのでしょう」
そんな理屈が、外国人の日本語のような口調のせいで、自然に耳に入る。
「どんな一行です?」
「人がいうほどではないけれど」と身体(からだ)を起しながら瑠美はいった。「時はたつのね」
「そう」
憶えていなかった。
「その言葉が」と瑠美は自分の頭を人さし指でつついた。「頭にとりついて、自分を取り戻せないでいました。」
「ほんとうはそうじゃないでしょう」と私は苦笑した。
「そうじゃない?」
瑠美は分らないという顔をする。
「人がいうよりもっとでしょう。私を見て、人がいうよりもっと時はたつと思った」
瑠美は、声を立てずに笑った。
「かもしれない。ごめんなさい。でも私は、人が、どのくらいに、時が早いといっているかを、知りません」
「光陰矢の如し」
いってから、説明を要するような気がしたがそんなことはなかった。
「それなら」と瑠美は微笑した。「やはり、人がいうほどではないけれど、です」
私は瑠美の視線に耐えて、微笑を維持した。瑠美も、私ほどではないだろうが、やはり私の視線に耐えている。お互い、いまの姿に馴れるまで、いくらか辛いのは仕方がなかった。




34年ぶりの邂逅に際して、この二人の、遠慮しながらしかし、相手の心情をおもんぱかる気遣いが非常に細やかに描かれています。やっぱり会話の描写がうまいですねぇ。

「おんな文化」の一大絵巻物語

2011-06-20 19:17:15 | た行の作家
谷崎潤一郎「細雪」読了



厚さにして4.5cm、上、中、下巻合わせて929頁の大長編を、やっとこさ読み終えました。しかし、期待にたがわず面白かったです。


蒔岡家の四姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子。物語は、主にその次女、幸子の視点から語られていきます。三女、雪子の何度もある見合いの話を軸に、春の花見、夏の蛍狩り、観劇、旅行等々、優雅な行事を散りばめ、長女、鶴子夫婦の東京への引越し、大雨の後の大洪水、幸子の流産、妙子の勘当と妊娠発覚、そして死産と、いろいろな事件を勃発させていきます。


相手の言うことも一応は受け入れながらも、言いたいことはちゃんと伝え、婉曲に相手を批判する…これが関西の女性特有の処世術とでも言いましょうか、そこらあたりの会話、姉妹それぞれの胸の内を、谷崎は実に見事に描いています。


いやぁ、実に素晴らしい、堪能しました。谷崎潤一郎の代表作を以下に書き出して、今後の指針にしようと思います。





明治43年(24才 「刺青(しせい)」
大正13年(38才)「痴人の愛」
昭和3年(42才)「卍(まんじ)」「蓼喰う虫」
昭和6年(45才)「吉野葛」
昭和8年(47才)「春琴抄」
昭和11年(50才)「猫と庄造と二人のおんな」
昭和17年(56才)「細雪」
昭和25年(64才)「少尉滋幹の母」
昭和31年(70才)「鍵」
昭和35年(74才)「夢の浮橋」
昭和36年(75才)「瘋癲老人日記」


妖かしの姫

2011-06-07 17:52:42 | は行の作家
ポプラ社百年文庫「妖」読了



少しづつ買いそろえているポプラ社の百年文庫です。しかし、全部(100冊!)そろえるつもりはありませんが。本書は、坂口安吾、檀一雄、谷崎潤一郎の短編がそれぞれ一つずつ収録されています。


どれもこれも「妖」というタイトルにふさわしい、怪しい小説ばかりであります。坂口安吾の「夜長姫と耳男」、まだ少女といっていいほどの夜長姫の、その笑顔がら残忍な言葉が発せられるこの物語は、その姫に恐れおののきながらも慕う若い匠の心のふるえが見事に描き出されています。

檀一雄の「光る道」も、安吾の作品とテイストはよく似ております。最後に若い農夫婦を殺すシーンに戦慄をおぼえました。

そして谷崎潤一郎の「秘密」。女装して町を歩くことに快感をおぼえる男が、3年ぶりに出会った女との邂逅。この短編は、その女と出会ったあとの話をもっとふくらませたらさらに怪しい、耽美な小説になったのではと思われました。しかし、これもすごい小説でした。



近代文学の文豪の短編を気軽に読むことのできるこのシリーズ、いいですねぇ。充分に堪能いたしました。

恐怖と耽美

2011-06-07 17:52:26 | は行の作家
レイ・ブラッドベリ著 小笠原樹訳「とうに夜半を過ぎて」読了


これも姉が貸してくれた本です。読み始めて、姉がなんでこんな本を買ったのか、さっぱりわからなかったんですが、だんだん読み進めていくうちに、「なるほど」と思わせるものがあり、姉貴もなかなかやりおるわいと思った次第であります。


SF作家として、つとに知られたレイ・ブラッドベリの短編集なんですが、SFっぽい小説は、ほんの2~3編程度で、あとは、恐怖、幻想、耽美…そういったものをテーマとして、それにアイロニーとフェティッシュをまぶしたような味つけになっております。


淡々と話が進んでいくんですが、最後の「オチ」で、ぞっとさせる話が多く、非常に楽しめました。文学的な意義は、あまり見出せない作品集ではありますが、エンターテイメントとして楽しむには充分な1冊でありました。