トシの読書日記

読書備忘録

時代のライブ感

2020-08-31 21:36:12 | た行の作家

坪内祐三「一九七二――『はじまりのおわり』と『おわりのはじまり』」読了



本書は2000年から2002年にかけて雑誌「諸君」に掲載された長編評論です。ネットで時々配信される「書評のメルマガ」というのに紹介されていて、ちょっと興味が湧いて買ってみたのでした。


1972年という年は坪内氏いわく、エポックメイキング的な年だったようで、社会現象、流行、大事件等々いろいろな事があったようです。でも、考えてみたら毎年いろんなことはあるんですがね。まぁそれはさておき…



連合赤軍、日活ロマンポルノ、横井庄一のグアム島からの帰還、情報誌「ぴあ」創刊と話題に枚挙にいとまがないんですが、自分が一番興味を持ったのは、やはり音楽関係の話で、この年、アメリカのハードロックバンド、グランド・ファンク・レイルロードが来日し、東京水道橋の後楽園球場で、あの伝説の雷雨のライブを繰り広げたこと、日本版ウッドストックと言われた「箱根アフロディーテ」という野外フェスでピンク・フロイドが幻想的なステージを披露したこと、このあたりに激しく食いついてしまいました。



そしてローリングストーンズの幻の初来日という話題から「スター誕生」で誕生した森昌子の話まで、筆がどんどん横すべりしていくのが誠に面白くもあり、これが本書の醍醐味でもあると思うのです。


それから当時のロックシーンを日本に目を向ければ、フラワー・トラベリンバンド、ブルース・クリエイション、ゲッセ・マネ、頭脳警察等、なつかしい名前が次々と登場し、感慨深いものがありました。


また、いろんなトリビアもあり、たとえば村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」という題名は、1971年12月号の「ニューミュージックマガジン」に寄稿したはっぴいえんどの松本隆の一文にそのフレーズがあり、春樹はここからデビュー作のタイトルを思いついたのではないか?とか、さっきの頭脳警察というバンド名はフランク・ザッパ率いる「マザーズ・オブ・インベンション」(このバンド名も(必要は)発明の母というふざけた名前なんですが)のアルバムの中の1曲から採っているなんていう豆知識(何の役にも立ちませんが)も得ることができました。


そして自分の敬愛する高田渡が自伝「バーボン・ストリート・ブルース」の中で、べ兵連の小田実のことを「なにしろ俺がこの世の中でいちばん嫌いな男のひとり」と語っているのも初耳でした。アメリカ帝国主義がどうの、北爆がどうのと言う前に高田渡は言う。「うちの中には飯粒がひとつもない」と。これは後の井上陽水の有名な「傘がない」という、多分にアイロニーを含んだ曲にもつながるのではないかと思うんですが、そのあたりを坪内祐三は「社会性の欠如」と斬り捨てます。しかし自分はそうは思わないですね。明日食べる米がなくて、どうして世界の平和を願うことができるんでしょうか。どうしてアフリカで餓死していく子供たちを救うことができるんでしょうか。と私は思うんですがね。それはともかく…。


ただ本書は連合赤軍のあさま山荘たてこもり事件に多くの項を割いており、そこをじっくり読みこまなければ本書の価値は半減するぞよという声が聞こえてきそうですが、まぁいいじゃないですか。人それぞれということで…。とお茶を濁しておきましょう。


お店の方は6月いっぱいで閉店し、店を明け渡すのに家主がフルスケルトンにしてくれということで、その工事が先日終わりました。相当費用はかかりましたね。しかし共済という、個人事業主とか中小企業の社長を対象にした積み立てを何年か前からやっており、その解約金が返ってくるので、それでトントンというところです。ガンの治療費も生命保険からおりるのでこっちも心配ないです。しかし、仕事もしなくてこれから無収入でやっていけるのか(ちなみにかみさんは専業主婦です)、まぁ年金は少しですがもらえるんですが、どうなんですかね。病気が治ったらバイトでもしましょうか。しかしこんな爺さん、どこか雇ってくれるところはあるんでしょうか。まぁ今はガンを治すことが先決ですね。


久しぶりにブックオフへ行き、以下の本を購入


原宏一「天下り酒場」祥伝社文庫
筒井康隆「残像に口紅を」中公文庫
いとうせいこう「想像ラジオ」河出文庫


過去と未来を行き来して

2020-03-10 15:35:41 | た行の作家



高山羽根子「オブジェクタム」読了



本書は2018年に朝日新聞出版より発刊されたものです。


ずっと以前に中日新聞の「大波小波」で紹介されていて、最近、読みたい本のリストの中から見つけて買ってみたのでした。


これはちょっとしんどかったですね。読みやすいことは読みやすく、独特の世界を作っているところはうまいなぁと感心したんですが、どうも自分にはピンとくるものがありませんでした。


読後、アマゾンの本書のレビューを見ていたら、評論家の小谷野敦氏の記事がありました。この方、アマゾンの他の小説のところでも投稿しているのをちょいちょい見かけるんですが、本書のレビューで「何が言いたいのかわからない」とあったんですね。びっくりしましたね。小谷野氏の他のレビューを見る限り、結構鋭いところを突いていて、なかなかの論客だと思っていたんですが、この人はこんな小説の読み方をしていたんですね。


「何が言いたいのかわからない」小説なんてのは山ほどあります。思い付くだけでも村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」、吉田知子「ユエビ川」、小池昌代「怪訝山」、坂口恭平「けものになること」等々、枚挙にいとまがありません。自分が思うに、およそ小説というものは、「何が言いたいのか」ではなく「何をどう表したいのか」ではないかと思うんですね。そこに自分の感覚(生理的なものも含めて)やら感性にマッチするものを「面白い」というのではないでしょうか。


そういった意味で考えると本作品は自分にはちょっとどうだったかな、という感じです。しかし、併録されていた「L.H.O.O.Q](なんでこんなタイトルなのか、さっぱりわかりませんが)という短編、これは面白かった。不思議な空気が漂う作品で、「へぇー」と思いながら読みました。


最近は、なんだか、読書力というものがもしあるとするなら、それが落ちてきているようで、ジョゼ・ルイス・ペイショットの「ガルヴェイアスの犬」とか、カルロ・ロヴェッリの「時間は存在しない」(これは小説ではないんですが)なんかを少しだけ読んでどうにも読み進められず、放り出してしまってあります。以前の自分なら、多少面白くなくても、いつかこの苦境から脱出できるだろうと期待をもって頑張るんですが、辛抱できないんですね。困ったもんです。

稀有な極東の国のポストモダニスト

2020-02-25 15:55:07 | た行の作家



高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」読了



本書は1997年に講談社文芸文庫より発刊されたものです。初出は1981年といいますから、今からおよそ40年前に書かれた小説ということになります。


しかしすごいですね、これは。っていうか、ブローディガンの影響をまともに受けていると感じるのは私だけでしょうか。それほどブローディガンを読んだときのインパクトと同等のものを受けました。目指すものは全く違うと思うんですが。


かなりポップなタッチで書かれた断章の積み重なりでできた作品なんですが、最初はこれをどう受け止めたらよいものやら少し戸惑いましたが、読み進むにつれ、これはこの世界を楽しめばいいんだと思い、そして充分楽しませてもらいました。


詩人の「わたし」と恋人の「S・B(ソング・ブック)」と猫の「ヘンリー4世」の二人と一匹が繰り広げる数々の出来事が綴られていくんですが、読んでいて思ったのはこの小説は「死」という概念が一般的に自分達が思うものとは少しずれたところにあるということ。「わたし」と「S・B」の間にキャラウェイという女の子が生まれるんですが、その子が幼いうちに亡くなってしまうんです。しかし、死んでもまだお話ができるという不思議。


また、途中にギャングたちが出てくるんですが、その中の一人、「美しいギャング」がナイフを自分の体に突き刺し、心臓を取り出して放り投げる場面があって、「あれえ?まだ胸の中がドキドキしてらあ」と言わせるシーン。


死に対する概念をくつがえし、読み手に登場人物の死に感傷的にさせないような企みをしているかのようです。もしそうであるとするならば、そういった意味でもかなり斬新な作品といえるのでは」ないでしょうか。


しかし、こういったアヴァンギャルドなやつを読むと楽しいですね。こういうの、好きです。


てなわけで次もそんなようなテイストのやつをいってみたいと思っております。

ネイティブと移民

2019-11-12 17:09:23 | た行の作家



多和田葉子「地球にちりばめられて」読了



本書は平成30年に講談社より発刊されたものです。


多和田葉子、好調ですねぇ。いや面白かった。主要となる登場人物が6人位いて、そういった関係性を把握するのがちょっと苦手な自分としては、その点は読み進めるのに若干苦労しましたが、それでもやっぱり面白かったです。


Hirukoという(多分)日本人、デンマークのコペンハーゲン大学の院生、クヌート、グリーンランド出身の鮨職人のテンゾことナヌーク、ナヌークと一時一緒に暮らしていたノラ、インド出身で性別は男だがサリーをまとって女装しているアカッシュ、そしてHirukoと同じ国の出身と思われる、やはり鮨職人のSusanoo。この6人が織りなす群像劇です。


メインテーマは「言葉」です。本当の言葉を探しに彼らはヨーロッパ大陸を北から南へ転々と旅をします。


最後の方に出てくるSusanooが自分の半生を振り返るところがあるんですが、これがなかなか波乱万丈の人生で、興味深かったですね。


印象に残ったところ、引用します。

<「何語を勉強する」と決めてから教科書を使って勉強するのではなく、まわりの人間たちの声に耳をすまして音を拾い、音を反復し、規則性をリズムとして体感しながら声を発しているうちに、それが一つの新しい言語になっていくのだ。>

<終止符の後にはこれまで見たこともないような文章が続くはずで、それは文章とは呼べない何かかもしれない。なぜなら、どこまで歩いても終止符が来ないのだから。終止符の存在しない言語だってあるに違いない。終わりのない旅。主語のない旅。誰が始め、誰が続けるのか分からないような旅。遠い国。形容詞に過去形があって、前置詞が後置されるような遠い国へでかけてみたい。>


以前読んだ同作家の「献灯使」にも見られたんですが、言葉の語呂合わせのような、地口のような言葉遊びがちょっと鼻に付くところがいやなんですが、しかし、ネイティブがどうのとか、規則性を重要視しなければとか、そんなことではなくて言葉はもっと自由でいいんだという多和田の叫びが聞こえてくる、そんな小説でした。ストーリーだけ追っていっても十分楽しめる作品でもありました。




世界を見る目

2019-05-23 00:07:55 | た行の作家



武田百合子「遊覧日記」読了



本書は平成7年にちくま文庫より発刊されたものです。


「ことばの食卓」に続いて本書を読んだわけですが、著者の文章の魅力をなかなかうまく言葉に表すことができず、もどかしい思いをしていたんですが、あれですね、著者は、自分が見るものに対して、少なくとも表現される文章には何の感情移入もないということなんですね。むしろ冷徹な眼差しさえ感じます。


しかし、武田百合子は物事に対して、そんな冷たい眼差しを向けているわけでもなんでもなくて、ただ、著す言葉としてそんな表現になってしまう、そこのところなんとも魅力的なんですね。


小川洋子もお気に入りの「藪塚ヘビセンター」が、中でも出色です。まぁ、ただでさえ気色悪いヘビを武田さんは物好きなんですかね、わざわざ見に行くわけです。このヘビの様子を淡々と書いているところがなんとも気味悪く、いかにも武田百合子らしい文章になっています。


さてお待たせしました(誰を?)。次は「伊丹十三選集」全三巻にとりかかろうかと思っております。

食べることは哲学すること

2019-04-16 14:41:37 | た行の作家



武田百合子「ことばの食卓」読了

本書は平成3年にちくま文庫より発刊されたものです。


ずっと以前FM愛知の「メロディアスライブラリー」で小川洋子が紹介していて気になっていた作品でした。本作家は前に「富士日記」「犬が星見た」を読んで、普通の作家とは違う視点、感じ方をしていると思っていた人なのでした。


本作品も期待に違わず、エッセイとは言うものの、一般的なそれとはまたちょっと違う味わいになっています。


匂いの描写がすごいですね。例えば…


<「いかがすかあ。おとうさん用のホットウィスキーとビール」生温かいお酒の蒸気をふりまいて、売子がやってくる。黒革ジャンパーの兄(あん)ちゃん風のとうさんが「おう」と、めざましい声をあげて呼びとめ、ホットを二つ買い、友達の赤ジャンパーのとうさんに一つ奢った。おでんとうどんとソーセージの匂いに、ウィスキーの匂いが混じる。うしろの席で袋をまわし食べているポプコーンの匂いも加わる。>(「後楽園元旦」より)


また、


<いろんな匂いがしてきた。匂いがだんだん濃くなってきた。この匂い、―ゆで玉子に日本酒におでんに海苔に御飯に夏みかん、まだある、―靴と靴下の関係の匂いに頭の匂い。>(「上野の桜」より)


決してかぐわしい香りではなく、外でハレの場所であるのに生活に密着したような、ちょっと汚らしいとでも言いましょうか、うまい表現が見つからないんですが、そのあたりの書き方がうまいですねぇ。


野中ユリさんという方がさし絵を描いてるんですが、これがまたちょっとシュールな感じで武田百合子の文章に素晴らしくマッチしているんですね。感心しました。


また、解説の種村季弘氏も、さすが、我が敬愛する諏訪哲史氏がリスペクトする作家だけあって鋭い文章を披露しています。この解説だけでも本文に負けず劣らず読む価値があると思います。


このあと、村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでから武田百合子の本、もう一冊買ってあるので、それを読むつもりです。そのあと、例の「伊丹十三選集」にとりかかろうかと思っております。



来週はちょっとよんどころない事情がありまして、多分ブログの更新はできないと思われます。その翌週、4月30日は今年は祝日ということで、お店は営業するのでここも更新できず。ですので、つぎの記事は5月7日になると思います。悪しからずご了承くださいませ。

ディストピアの果てに

2019-03-12 16:59:43 | た行の作家



多和田葉子「献灯使」読了


本書は平成29年に講談社文庫より発刊されたものです。今、「震災文学」なるジャンルがあるそうで、本書はその金字塔とも言われている小説なんだそうです。


震災文学なんぞというくくりで本作品を語ってほしくないという思いはありますが、しかし、内容としては自分は今一つでしたねぇ。


近未来の日本、東京に住む無名という小学生(?)の男の子とその曾祖父の話なんですが、その時代の背景とか人々の暮らしぶりの説明が延々と続き、また、駄洒落のような、地口といったかな?まぁそんなような言葉遊びのようなのがいくつも出てきたりと、これ、多和田葉子が書くべき小説なのか?といった思いを抱きながら読んでいったんですが、最後までその思いを拭い去ることができませんでした。


この「献灯使」の次に掲載されている「韋駄天どこまでも」、この方がよっぽど面白かったですね。しかしこの作品も前半は漢字の語呂合わせなんかが頻出しており。そこにはちょっと辟易しましたが。


まぁ全体にちょっと残念でしたね。かなり期待して読んだんですがね





読むよろこび

2019-02-05 17:17:40 | た行の作家



谷口ジロー「描くよろこび」読了



本書は平成30年に平凡社より発刊されたものです。


言わずと知れた「孤独のグルメ」の原作の漫画を描いた作家です。何年も前に「犬を飼う」という作品を読んで、市井の人々の何でもない日常に妙に感動してしまった記憶があったんですが、本書はその谷口ジローの生涯の仕事と、それにかかわった人達の追悼文で構成されたものです。そう、谷口ジローは約2年前に69才という、あまりにも早い生を閉じたのでした。


やっぱりこの人の絵はいいですねぇ。「孤独のグルメ」の主人公、井之頭五郎が物を食べるとき、その口に入れる瞬間の目がすごい。ちょっと他の漫画家にはあれは描けないと思います。ちょっと変な表現ですが、目が泳いでるんですね。それが何とも言えない味を醸し出している。これが計算なのかそうでないのか、知る由もありませんが。


本当に惜しい人を亡くしました。もう一度家にある彼の作品を読み返してみたいと思います。確か、「散歩もの」と「犬を飼う」があったはず。

無知の人

2018-09-04 14:14:08 | た行の作家



つげ義春「近所の景色/無能の人」読了



本書は平成21年にちくま文庫より発刊されたものです。ちくま文庫からは「つげ義春コレクション」と銘打って全9冊が発刊されているんですが、本書はその中の1冊で、姉が貸してくれたものです。自分もこの9冊4のうち、どれか1冊くらいは読んだような記憶があります。




まぁ好きな人にはたまらない、このつげ義春の世界です。自分も昔は一時ハマったことがあるんですが、今となってはまぁ、それほどでもって感じです。


出てくる男がダメ男ばかりで、こういう男に女性は魅せられるのかと、ちょっと勇気づけられたりもするんですが、自分は無能に加えて無知なんで、これはもう救いようがないですねぇ。


久しぶりにつげワールド、楽しませてもらいました。

小説家の運命

2017-11-07 17:16:09 | た行の作家



辻原登「Yの木」読了



本書は平成27年に文藝春秋より発刊されたものです。「新潮」「すばる」等の文芸誌に掲載されたものをまとめた作品集で、三つの短編と表題作の中編が収められています。


以前、名古屋 栄の丸善へ行った折、丸谷才一「エホバの顔を避けて」等と一緒に購入したものです。


短編に関しては、はっきり言ってどれもこれもあまり印象に残る作品はありませんでした。まぁいかにも辻原登らしい、上手く書けた短編という感じで、悪くはないんですが、はっとするような作品はありませんでした。


表題作の「Yの木」は、44才で作家デビューした小説家が主人公なんですが、その後、いろいろ紆余曲折があり、童話で少し売れたこともあったんですが、その後は、ぱったりと芽が出ず、苦しい生活を強いられるという、およそ辻原登本人らしくない設定となっております。


最後、飼っていた犬を知人に預け、Yの木で自殺を図るわけですが、その瞬間、飼い犬の鳴き声が聞こえた気がして思いとどまり、自宅へ帰るわけです。


そして自分がさんざん推敲して書き直した時代劇の原稿を読み、「おもしろい…――≪一同脱帽!≫」とつぶやいて眠りに落ちます。


これが一番最後の場面なんですが、これは小説家にとって救いのある話なのかどうなのか、ちょっと計りかねるところがあります。不思議な終わり方なんですが、この小説は主人公の葛藤が行間ににじみ出ているところなどは、いかにも辻原らしい巧みな筆さばきで、思わず引き込まれましたね。


なんだかなぁという作品もたまにありますが、辻原登も目が離せない作家の一人です。