トシの読書日記

読書備忘録

1月のまとめ

2013-01-30 15:12:04 | Weblog
今月読んだ本は以下の通り


大江健三郎「懐かしい年への手紙」
大江健三郎「治療塔」
黒井千次「高く手を振る日」
大江健三郎「治療塔惑星」
小川洋子編「小川洋子の偏愛短篇箱」
武田百合子「犬が星見た――ロシア旅行記」
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」
大江健三郎「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」


以上の8冊でありました。今月は珍しくたくさん読めました。大江も4冊読めたし、小川洋子の短編アンソロジー、多和田葉子の不思議な世界、武田百合子のなんともいえない旅行記と、今月も楽しませてもらいました。


今日は、これから愛知県美術館へクリムトの絵を見に行きます。それと丸善が、すぐ隣の丸栄スカイルに移転して新しくなったのでちょっとのぞいて来ようと思っております。


1月買った本3冊、借りた本3冊

新生の暗喩(メタファー)

2013-01-30 14:51:02 | あ行の作家
大江健三郎「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」読了



初出は昭和55年~57年の文芸誌「文學界」と「新潮」ということですから同作家の後期に入ったところの作品という位置づけになるかと思います。

5編の短編(中編)から成る連作という体裁になっていて、トータルでひとつの物語になっています。


物語としては面白く読んだのですが、テーマがよく理解できません。何を問題として提起しているのか、何を結論として言いたいのか、それがなかなか難しく、そういった意味では読むのに難渋しました。ちょっとネットで本作品の感想を書いている人のブログをのぞいてみようと思います。


客員教授として招かれたメキシコでの話、シンポジウムに参加するために訪れたハワイでの話、そして日本で泳いで体を鍛えるために通うプールでの話と、シチュエーションは様々なんですが、それぞれに男を支える女のエピソードが挿入されています。


しかし、最後の「泳ぐ男――水の中の雨の木(レイン・ツリー)」の挿話は、ちょっとどうなんでしょうね。
猪之口さんという30代半ばの女性がプールの乾燥室で、水着を脱いで性器を露出させ、玉利君という若い男にそれを見せ、その気にさせて、夜、公園のベンチで自分をロープで縛らせて強姦させるという…。それが殺人事件につながってしまうわけなんですが、あまりにも荒唐無稽な話で、ちょっとびっくりしました。


またいつか再読すれば違ったものが見えてくるかもしれません。ちょっと消化不良ですが、今回はこんなところです。

変幻する言葉の魔術

2013-01-22 18:23:39 | た行の作家
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」読了



これも姉から借りた本です。本作家については、以前「犬婿入り」を自分が読んで驚愕したのを姉に貸したところ、姉の方がこの作家にハマってしまい、今では姉の方がせっせと買っては貸してくれるようになりました。大変ありがたいことです。


さて本書は表題作(短編)の他に「無精卵」(中編)と「隅田川皺男」(短編)の三作品が編まれています。どれもこれも多和田ワールド満載で、面白く読むことができました。


特に「無精卵」は出色で、これはもう多和田葉子にしか書けない小説であると、感嘆した次第です。でもどこか、富岡多恵子に似た空気も感じます。今まで読んだ多和田作品の中では「犬婿入り」に次ぐ快作であると思います。難しすぎて歯が立たない作品も読んできましたが、多和田葉子、やっぱり面白いです。


ただ、解説の室井光広氏。難解な言葉を書き連ねて訳知り顔するのはやめてほしいものです。言ってることが的外れで、なんだかなぁという感じ。こういう解説、よく目にしますが、せっかくの作品が色あせてしまうので、勘弁してほしいです。



以下に多和田葉子の未読の作品を列挙して、今後の読書のよすがとします。


「容疑者の夜行列車」(青土社)
「ヒナギクのお茶の場合」(新潮社)
「ふたくちおとこ」
「光とゼラチンのライプチッヒ(講談社)
「変身のためのオピウム」(講談社)
「旅をする裸の眼」(講談社)

活写する力

2013-01-22 18:08:22 | た行の作家
武田百合子「犬が星見た――ロシア旅行記」読了



以前、FM愛知の「メロディアス・ライブラリー」でも紹介されていたものです。この前に読んだ小川洋子のアンソロジーに収められていた同作家の「薮塚ヘビセンター」のなんともいえないユーモアに触発されて本書を手に取ってみました。


武田泰淳、百合子夫妻と、泰淳の親友でもある中国文化研究家の竹内好氏との三人のロシア旅行記であります。


一行は船で横浜を出航し、太平洋を北上、津軽海峡を通ってソビエト連邦(当時)のナホトカへ着きます。そこからユーラシア大陸のど真ん中、中央アジアを横切り、レニングラード、モスクワを経てストックホルムに入り、コペンハーゲンまで行き、帰りは飛行機でアンカレッジを経由して日本に帰ってくるという、一ヶ月近い大旅行なのであります。


これが日記風に綴られているのですが、武田百合子の観察眼がすごいですね。以前読んだ「富士日記」で、それは充分に感じてはいたんですが、本書もすごい。なんというか、身も蓋もない感じの文章なんですね。そこが妙におかしく、またリアルで思わず笑ってしまいます。


面白い本を読ませてもらいました。

珠玉の秘密の箱

2013-01-22 17:51:31 | あ行の作家
小川洋子編「小川洋子の偏愛短篇箱」読了



ちょっと銀行かなにかへ行って、待っている間に読む本としては、大江健三郎の単行本はちょっと仰々しい感じで、やっぱり文庫がいいわけで、そんなことで本書を選んでみました。


小川洋子が愛して止まない短編が16作品収められています。しかし、こんな本を読んでしまうと、知らない作家が何人もいて、また自分の読書の網が広がっていってしまいますねぇ。うれしいやら困るやらでちょっと複雑です。


印象に残ったのは内田百「件(くだん)」、尾崎翠「こおろぎ嬢」、川端康成「花ある写真」、横光利一「春は馬車に乗って」、武田百合子「薮塚ヘビセンター」、吉田知子「お供え」と、もう大収穫でありました。


特に尾崎翠の「こおろぎ嬢」。これはなんとも不思議な小説です。こんなすごい本を読む機会を与えてくれた小川洋子に感謝です。

ちょっとネットで尾崎翠を調べてみることにしましょう。

向こう側の宇宙からの交信

2013-01-22 17:35:38 | か行の作家
大江健三郎健三郎「治療塔惑星」読了



やっぱり「治療塔」を読んだ以上、本書も読まねばと思い、手に取った次第。結果、読んどいてよかったかなと。


これは、主人公で語り手であるリッちゃん、その夫の朔ちゃん、そして二人の子であるタイちゃんの家族の物語であります。


「新しい地球」に何百基と据えられた治療塔。そのメカニズムの解明のため、朔ちゃんはある賭けに出ます。現在の人類の科学では解明できないのであれば、自分の脳にある処置をして、(詳しくは書かれていない)治療塔を造った「あちら側」の知性体と交信する。その内容を治療塔に入ったことのある親を持つ子供に信号として伝える。その情報が将来、子供が成長したときに解明されるのではないかと。すごい計画です。


大江健三郎の(多分)最初にして最後のSF小説であるんですが、破綻しているところもなく、面白く読めました。また、リッちゃんの朔ちゃんへの強い愛、また、タイ君へのこれも強い愛情にも心打たれるものがありました。彼女は若い頃、スイスに在住し、荒廃した町で少女奴隷のようなことをさせられた暗い過去があるわけです。だからこそ、今の境遇に甘んじることのない、一種冷めた目で物事を見つめるのでしょう。


さて、大江健三郎フェアもそろそろ終盤にさしかかってきました。ちょいちょい寄り道をしながらゆっくりいこうと思います。

美しく老いるということ

2013-01-11 15:02:35 | か行の作家
黒井千次「高く手を振る日」読了



大江健三郎「治療塔惑星」をどうしたもんかと思いつつ、書店でこんな本を見つけ、手にとってみました。


70代の老いらくの恋。若い世代の情熱的な恋とは違い、慎ましく、おずおずと、また時にはふてぶてしいところがなかなか味わいがあります。


主人公の嶺村浩平は70代後半の一人暮らし。妻は10年以上前に亡くなっている。そろそろ身辺の整理をしないと、という思いにとらわれ、ある日、2階の押入に入れてあったトランクを開けてみる。中から思いもかけない写真が出てきて彼は驚く。自分と妻との大学の同期生で、同じゼミ仲間の瀬戸重子の写真。ここから物語が動き出します。


浩平の一人娘の夫の関係から重子とのつながりが生まれ、二人は会うことになるんですが、まぁちょっと陳腐といえば陳腐ですね。いかにも作りましたというストーリーです。


それと、いくら携帯電話を持たない70代の老人とはいえ、メールがなにかということすら知らない、という設定はいくらなんでもあり得ないでしょう。老人が、若者が普段当たり前に使っているツールを全く知らないということで、世代間のギャップを際立たせようとする意図はわかるんですが、いかにもこれは安易と言わざるを得ません。


内容は、面白いといえばそうなんですが、黒井千次という作家は、以前「日の砦」という作品を読んで、感銘を受けた覚えがあるんですが、こういう、いかにもっていう体裁のものを見せられると、少しがっかりします。


まぁ、息抜きにはなりました。次、やっぱり大江、いきます。

悲しみの通奏低音

2013-01-11 14:47:03 | あ行の作家
大江健三郎「治療塔」読了



軽いものを読むとか言いながら、また大江に手を出してしまいました。著者初の近未来SF小説ということで、ちょっと興味津々で読んでみました。


はっきり言って、大江健三郎にSFは似合わないですね。面白いことは面白いんですが、読んでいる間中、ずっと違和感がぬぐいきれない思いでありました。


地球上の「選ばれた者」たちが、核で汚染された地球を脱出し、「新しい地球」を目指す。過酷な環境の中で生きる彼らは、ある日、「治療塔」なるものを発見する。それは「かまくら」のような形態で、中にベッドがあり、そこに入って横になっていると、病気やケガが治り、肉体そのものも10歳くらい若返るというものだった。しかし、ついに厳しい環境に耐えられなくなった彼らは、やむなく元の地球に帰還するのだが…という話です。


随所にアイルランドの詩人、イェーツの詩を引用し、それがひとつのメタファーとなって小説に深みを増しています。


しかし…ですね。なんだかしっくりきませんでした。本書の続編ともいうべき「治療塔惑星」というのがあって、それを姉が昨日、貸してくれたんですが、どうすっかなぁ…。



姉から以下の本を借りる


大江健三郎「治療塔惑星」
大江健三郎「雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち」
多和田葉子「ゴットハルト鉄道」

祈りと再生の物語

2013-01-07 16:41:44 | あ行の作家
大江健三郎「懐かしい年への手紙」読了



クリスマスから年末、年始にかけて毎年のことながらバタバタとずっと仕事をしておりまして、今日、やっと休みがとれました。それはさておき…



「万延元年のフットボール」、「同時代ゲーム」に続く、いわゆる「四国の村の森」シリーズ、第3弾であります。

四国の山深い村に生まれ育った「僕」が大学入試のため、東京に移り住み、在学中から作家活動を始め、そして結婚し、いよいよ東京に居をかまえ、その間にも「村」の敬愛する「ギー兄さん」とのつながりを保ち続け、心の交流を図るという、これはもう完全に自伝ですね。多分にフィクションは混じえてありますが、事実に即しているエピソードもかなりの量、含まれているものと思われます。


その「ギー兄さん」というのが、まずは架空の人物なんですが、著者のあとがきで言うように、これは大江健三郎の理想の姿なわけですね。小説家などにはならずに、大学で語学と歴史の勉強をし、故郷の森へ帰って村の歴史を研究し、伝承していく。これが大江健三郎のとるべき道であったのではないか、という思い。このあたり、ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」と通底するものがあります。これがまた本書のテーマでもあると思います。


印象に残った部分を引用します。


〈僕は自分がやがてはまるごとそこに入って行く、ひとつの大きな夢を前方にひかえている、とも感じていた。(中略)僕がというより人間がこれまでに書き・現に書いている、また将来に書くはずのすべての小説の内容は、その夢につくされているのだ。(中略)僕の生も仕事も、すべてはその夢を見つくす日に向けてしらふの眠りを積みたてるための、自分になしうるかぎりの準備であったのだから。つまり人はそのように生き・そのように仕事をするのだと、究極の夢があきらかに知らしめるのでもある…〉


〈Kちゃんよ、本当に人の心をうつ私の遍歴を小説を描きうるとするならば、それはきみの自己の死と再生の物語でなくてはならないのじゃないか?しかしひとりの作家がそれを書きうるのは、生涯ただ一度のことにちがいない。それよりほかは、みな途中で山登りを断念する物語になるのじゃないか?ダンテにしてからがそうだよ。〉


自分が理想とする架空の人物から、自分自身に向けて批判の矢を放つ。なかなか手の込んだ手法であります。大江は、自分の子、妻、また肉親を巻き添えにしながら私小説を書き続けることに、いくばくかの逡巡があるのでしょう。でもしかし、自分は書かなければならないという使命感にも似た気持ち。小説家とは、かくも苦しい仕事なんだと暗澹たる気持ちにおそわれます。


年の初めにちょっと重いものを読んでしまいました。次はちょっと軽めのものをいってみます。



書店で以下の本を購入


黒井千次「高く手を振る日」
古井由吉「木犀の日」
ジャネット・ウィンターソン著 岸本佐知子訳「さくらんぼの性は」