開高健「輝ける闇」読了
以前読んだ「夏の闇」の前段にあたる小説です。作品は小説(フィクション)の体裁をとっていますが、限りなくノンフィクション(ルポルタージュ)に近いものとなっています。
ベトナム戦争にアメリカ軍の従軍記者として戦地に赴き、作戦の最前線でベトコンの機銃攻撃を受け、骨の髄まで死の恐怖を味わった「私」。これは著者自身であると考えていいと思います。
しかしすごい小説です。今までそれこそ多種多様な本を読んできましたが、これほど腹にズシン!と衝撃を受けた作品を他に知りません。
印象に残った箇所をいくつか引用します。
「数時間後、荒涼とした丘の頂上にある小さな三角陣地の有刺鉄線の原に入って人声と火を見た瞬間、全身に汗がふきだして、あやうく私は倒れそうになった。なぜかわれわれは射たれなかった。二梃か三梃の重機関銃で一斉掃射したら五分でこの玩具(おもちゃ)の兵隊のようなパトロール隊は全滅するはずであったが、われわれは射たれなかった。私は覚悟していたのだ。(中略)塹壕にたどりついた瞬間、眼のなかで何かが炸裂した。足が藁のように崩れた。私は汗にまみれ、口をあけて喘ぎ、しばらくものがいえなかった。」
「革命、反革命、不革命。革命者は反革命者に殺される。反革命者は革命者に殺される。不革命者は、あるいは革命者だと思われて反革命者に殺され、あるいは反革命者だと思われて革命者に殺され、あるいは何ものでもないというので革命者または反革命者に殺される。」
「自分がどんな様子でいるか、いえそうであった。何度も鏡で見て知っている。すくんで、けわしく、魚のような眼をし、どこか正視したくない卑賤さのある顔だ。孤独はなぜあのような賤しさを蠅の卵のように人の顔に産みつけるのだろうか。一人でいるときにも人まじわりしているときにもふいにいっさいの意味と時間が私から剥落する。理由もなく、予兆もない。慣れることもできず、飼うこともできない。」
「窓をカーテンですっかり覆い、まっ暗にして寝たのだが、直射日光が薄いまぶたにギラギラ照りつけるようだった。どこか明るい川のなかを漂っているようでもあった。何の形も像も光景もない、ただギラギラとまばゆい透明さ、輝く霧、夏の海岸の陽炎のようなもの、投光器の残像なのだろうか。どこか深みの退避壕の蓋があいたのだろうか。何度かはげしい衝撃波がきた。《止め(とどめ)の一撃》のそれである。眠りながら体が跳ね、足がつっぱった。全身がねっとりした汗で濡れている。まっ暗な部屋のなかで私は体をタオルでぬぐい、枕にしがみついて眼を閉じる。ふたたびギラギラ輝く空無があらわれた。落ちるでもなく、昇るでもなく、漂っていくうちにとつぜんショックが走りぬける。私はとびあがり、眼をあけて落ちた。」
「徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。運ばない。煽動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、眼を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。だとすれば私はすでに半ば死んでいるのではないか。事態は私の膚のうちにとどまって何人にも触知されまい。徒労と知りながらなぜ求めて破滅するのか。戦争は冒険ではない。(中略)憎悪は彼らの薄い肩から発散して原野を蔽う。彼らは憧れたものを行動ののちに手に入れる。憧れの半ばから大半を損なわれ、深刻な疑いに苦しめられながらもまだ誇りで影を蔽えるようなものを手に入れる。または完全な幻滅を味わってこんなはずではなかったと絶望してもとのジャングルへもどろうとしてもいっさいの抵抗権を奪われつくしたことに気づき、大地へうずくまってしまうよりほかないようなものを、手に入れる。そしてまた棒を手にして蜂起して殺されるのかもしれない。指一本、私は触れることができない。私は見る。そうなのだ。それだけなのだ。じつにそれだけなのだ。」
「私はまちがっていたようだ。ひどい過ちを犯していたようだ。これまでずっと彼らのことをいじらしかったり、残忍だったりする藁人形だと思いこんでいたのは過ちであった。彼らには信念、自己滅却の信念しかないのではあるまいか。これほどの傷を呻きひとつ洩らさずに耐える克己と無化を誰に教えられたのか。生れてきたことがまちがいだったと背骨の芯から感じているのならそれもまた強大な信念である。」
「瞬間、最後の一滴が踵からかけあがって髪から揮発した。ポケット本とタオルしか入っていないバグが一トンの石炭袋のようであった。銃もナイフも地図もない私はほかにしがみつくものがないばかりに、ただ射たれれば眼を閉じたり、あけたりし、それを捨てれば鎧が剥落するような気がしてならないばかりに、バグをつかんだり、握ったり、撫でたりしてきたのだったけれど、一滴が揮発した瞬間に自尊心が崩壊した。人を支配するもっとも隠微で強力な、また広大な衝動、最後の砦は自尊心であった。(中略)右、左を凶暴な、透明な力がきしったり唸ったりしつつ擦過し、木の幹が音をたてた。私は閉じて、硬ばった。耳いっぱいに心臓がとどろき、私は粉末となり、闇のなかで潮のように鳴動していた。私は泣きだした。涙が頬をつたって顎へしたたり落ちた。(中略)まっ暗な、熱い鯨の胃から腸へと落ちながら私は大きく毛深い古代の夜をあえぎ、あえぎ走った。
森は静かだった。」
ベトナム戦争という、不毛な戦いを通じて、主人公である「私」は自己を見つめ、世界を見つめる。そして人生とは泡沫(うたかた)の夢であるという悟りにも似た境地に至り、何者をも愛せなくなってしまう。自分すらも。
これが、この作品の続編ともいうべき「夏の闇」へと引きつがれていくわけです。
この小説は今年のベストワンかも知れません。いや、今まで読んだ全ての小説の中でのベストといってもいいくらいの衝撃でした。