トシの読書日記

読書備忘録

11月のまとめ

2009-11-30 13:01:24 | Weblog
11月に読んだ本は以下の通り



エイミー・ベンダー著 菅啓次郎訳「私自身の見えない徴」
町田康「きれぎれ」
浅倉かすみ「ともしびマーケット」
矢川澄子「兎とよばれた女」
夏目漱石「こゝろ」
万城目学「鴨川ホルモー」
夏目漱石「三四郎」
開高健「パニック・裸の王様」
庄野潤三「ガンビア滞在記」
開高健「輝ける闇」



の10冊でした。今月はとにかく最後に読んだ「輝ける闇」ですね。ほんと、すごい本でした。読後二日ほど経ってますが、まだ頭の中がざわざわしてます。


頑張って頭を切り替えて次、夏目漱石、いってみます。

死の恐怖 ―― そして自己への回帰

2009-11-30 11:13:14 | か行の作家
開高健「輝ける闇」読了


以前読んだ「夏の闇」の前段にあたる小説です。作品は小説(フィクション)の体裁をとっていますが、限りなくノンフィクション(ルポルタージュ)に近いものとなっています。


ベトナム戦争にアメリカ軍の従軍記者として戦地に赴き、作戦の最前線でベトコンの機銃攻撃を受け、骨の髄まで死の恐怖を味わった「私」。これは著者自身であると考えていいと思います。


しかしすごい小説です。今までそれこそ多種多様な本を読んできましたが、これほど腹にズシン!と衝撃を受けた作品を他に知りません。


印象に残った箇所をいくつか引用します。



「数時間後、荒涼とした丘の頂上にある小さな三角陣地の有刺鉄線の原に入って人声と火を見た瞬間、全身に汗がふきだして、あやうく私は倒れそうになった。なぜかわれわれは射たれなかった。二梃か三梃の重機関銃で一斉掃射したら五分でこの玩具(おもちゃ)の兵隊のようなパトロール隊は全滅するはずであったが、われわれは射たれなかった。私は覚悟していたのだ。(中略)塹壕にたどりついた瞬間、眼のなかで何かが炸裂した。足が藁のように崩れた。私は汗にまみれ、口をあけて喘ぎ、しばらくものがいえなかった。」


「革命、反革命、不革命。革命者は反革命者に殺される。反革命者は革命者に殺される。不革命者は、あるいは革命者だと思われて反革命者に殺され、あるいは反革命者だと思われて革命者に殺され、あるいは何ものでもないというので革命者または反革命者に殺される。」


「自分がどんな様子でいるか、いえそうであった。何度も鏡で見て知っている。すくんで、けわしく、魚のような眼をし、どこか正視したくない卑賤さのある顔だ。孤独はなぜあのような賤しさを蠅の卵のように人の顔に産みつけるのだろうか。一人でいるときにも人まじわりしているときにもふいにいっさいの意味と時間が私から剥落する。理由もなく、予兆もない。慣れることもできず、飼うこともできない。」


「窓をカーテンですっかり覆い、まっ暗にして寝たのだが、直射日光が薄いまぶたにギラギラ照りつけるようだった。どこか明るい川のなかを漂っているようでもあった。何の形も像も光景もない、ただギラギラとまばゆい透明さ、輝く霧、夏の海岸の陽炎のようなもの、投光器の残像なのだろうか。どこか深みの退避壕の蓋があいたのだろうか。何度かはげしい衝撃波がきた。《止め(とどめ)の一撃》のそれである。眠りながら体が跳ね、足がつっぱった。全身がねっとりした汗で濡れている。まっ暗な部屋のなかで私は体をタオルでぬぐい、枕にしがみついて眼を閉じる。ふたたびギラギラ輝く空無があらわれた。落ちるでもなく、昇るでもなく、漂っていくうちにとつぜんショックが走りぬける。私はとびあがり、眼をあけて落ちた。」



「徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい。私はたたかわない。殺さない。助けない。耕さない。運ばない。煽動しない。策略をたてない。誰の味方もしない。ただ見るだけだ。わなわなふるえ、眼を輝かせ、犬のように死ぬ。見ることはその物になることだ。だとすれば私はすでに半ば死んでいるのではないか。事態は私の膚のうちにとどまって何人にも触知されまい。徒労と知りながらなぜ求めて破滅するのか。戦争は冒険ではない。(中略)憎悪は彼らの薄い肩から発散して原野を蔽う。彼らは憧れたものを行動ののちに手に入れる。憧れの半ばから大半を損なわれ、深刻な疑いに苦しめられながらもまだ誇りで影を蔽えるようなものを手に入れる。または完全な幻滅を味わってこんなはずではなかったと絶望してもとのジャングルへもどろうとしてもいっさいの抵抗権を奪われつくしたことに気づき、大地へうずくまってしまうよりほかないようなものを、手に入れる。そしてまた棒を手にして蜂起して殺されるのかもしれない。指一本、私は触れることができない。私は見る。そうなのだ。それだけなのだ。じつにそれだけなのだ。」



「私はまちがっていたようだ。ひどい過ちを犯していたようだ。これまでずっと彼らのことをいじらしかったり、残忍だったりする藁人形だと思いこんでいたのは過ちであった。彼らには信念、自己滅却の信念しかないのではあるまいか。これほどの傷を呻きひとつ洩らさずに耐える克己と無化を誰に教えられたのか。生れてきたことがまちがいだったと背骨の芯から感じているのならそれもまた強大な信念である。」



「瞬間、最後の一滴が踵からかけあがって髪から揮発した。ポケット本とタオルしか入っていないバグが一トンの石炭袋のようであった。銃もナイフも地図もない私はほかにしがみつくものがないばかりに、ただ射たれれば眼を閉じたり、あけたりし、それを捨てれば鎧が剥落するような気がしてならないばかりに、バグをつかんだり、握ったり、撫でたりしてきたのだったけれど、一滴が揮発した瞬間に自尊心が崩壊した。人を支配するもっとも隠微で強力な、また広大な衝動、最後の砦は自尊心であった。(中略)右、左を凶暴な、透明な力がきしったり唸ったりしつつ擦過し、木の幹が音をたてた。私は閉じて、硬ばった。耳いっぱいに心臓がとどろき、私は粉末となり、闇のなかで潮のように鳴動していた。私は泣きだした。涙が頬をつたって顎へしたたり落ちた。(中略)まっ暗な、熱い鯨の胃から腸へと落ちながら私は大きく毛深い古代の夜をあえぎ、あえぎ走った。
森は静かだった。」



ベトナム戦争という、不毛な戦いを通じて、主人公である「私」は自己を見つめ、世界を見つめる。そして人生とは泡沫(うたかた)の夢であるという悟りにも似た境地に至り、何者をも愛せなくなってしまう。自分すらも。

これが、この作品の続編ともいうべき「夏の闇」へと引きつがれていくわけです。




この小説は今年のベストワンかも知れません。いや、今まで読んだ全ての小説の中でのベストといってもいいくらいの衝撃でした。

隣人への愛

2009-11-30 10:50:34 | さ行の作家
庄野潤三「ガンビア滞在記」読了



先日逝去された庄野潤三の追悼の気持ちで買いました。書評家の岡崎武志さんがこの本がいいとブログにあったので。みすず書房から出てるんですが、この出版社の本は装丁とか表紙の紙質とか非常に上質で好感がもてるんですが、やっぱりお値段もそれなりで、一冊なんと2500円もするんですね。文庫本が5冊は買えます(笑)ま、それはいいとして。


昭和32年、庄野潤三夫妻がロックフェラー財団の計らいで、アメリカのオハイオ州ガンビアという人口600人の小さな町で1年留学した時の生活を記したものです。


相変わらずの庄野潤三です。小説というより日記ですね。作中のエピソードはすべて実際にあったことではないかと思われます。


以前読んだ「夕べの雲」「せきれい」と全く同じテイストで、庄野氏のすべての人、物に対する慈愛に満ちたまなざしが読んでいて非常に心地よかったです。

圧倒的なエネルギー

2009-11-23 17:25:17 | か行の作家
開高健「パニック・裸の王様」読了



「ブ」で同作家の「輝ける闇」を探していたら、それはなくてこの本があったので読んでみました。


昭和33年刊行というからもう半世紀も前の本なんですね。自分は2才の赤ん坊でした(笑)


「パニック」「巨人と玩具」「裸の王様」「流亡記」の4編からなる初期短編集です。


いやぁ圧倒されました。なんだかすごいパワーです。話の内容がそうだという訳ではないんですが、この筆力というか、文章の勢いというか、ブルドーザーで根こそぎもっていくような凄まじい力を感じました。


一番印象に残ったのは「パニック」です。120年に一度、いっせいに開花する笹の実を求めてネズミが異常繁殖し、農民がパニックに陥るという訳なんですが、そこにネズミを退治する役人とそれを請け負う業者との癒着、利権争いがからんで、社会派サスペンスのような様相も呈しております。ラストがすごかったですね。


あと、「流亡記」もすごい短篇でした。中国の秦の始皇帝が万里の長城を築いた歴史を筆者流にアレンジし、そこに暮らす一人の男を主人公に立て、その男の視点から激動の中国の移り変わりを記したもの。殺戮の場面など、かなり凄惨なシーンも克明に描写し、そういった意味でも強く印象に残りました。



開高健、すごい作家ですね。次に読む「輝ける闇」が楽しみです。

無意識の偽善

2009-11-17 15:15:35 | な行の作家
夏目漱石「三四郎」読了



これは恋愛小説というよりも青春小説として読まれるべき内容だと思われます。


九州は熊本から上京し、東大に入学した小川三四郎が、先輩、同輩に囲まれ、生き生きと学園生活を送る様子が描かれています。

がしかし、恋愛の色が薄いとはいえ、これも重要なテーマであります。

同い年くらいの女性、美禰子に心惹かれる三四郎、そして美禰子も無意識の内では三四郎に惹かれていながら、意識の上ではその愛を否定している。そこに彼女の言動の上での矛盾が生まれてくるのだが、若い三四郎はそれが理解できず、悩み苦しむという訳です。


そして最後、美禰子が他の男との縁談がまとまり、三四郎に「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」とつぶやく。これが聖書「詩篇」の中の詩句ですが、これを引用することで三四郎に詫びているわけです。


ここらへんは、著者の二人に対する心理描写を敢えて細かく書くことをせず、読者の想像に委ねている感じがします。



いろいろ考えさせられる小説でした。それにしてもこの文章の華麗なこと。うっとりしますね。三四郎の美禰子に対する思いを描写しているところがあり、この文章には唸らされました。ちょっと引用しましょう。



「三四郎は美禰子をよそから見ることができないような目になっている。第一よそもよそでないものもそんな区別はまるで意識していない。ただ事実として、ひとの死に対しては、美しい穏やかな味わいがあるとともに、生きている美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎はこの苦悶を払おうとして、まっすぐに進んで行く。進んで行けば苦悶がとれるように思う。苦悶をとるために一足わきへのにながめて、夭折の哀れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しいはずのところを、快くながめて美しく感じたのである。」


往来を歩いていて、子供の葬式に出くわし、その弔いと美禰子に対する思いとを並べて見せた訳です。

どうです、この言葉の選び方、この文章のリズム。うまいなぁ。





そんな訳で夏目漱石熱が高まってきたところで、以下の本をアマゾンにて購入致しました。



夏目漱石「虞美人草」
夏目漱石「抗夫」
夏目漱石「それから」
夏目漱石「門」
夏目漱石「彼岸過迄」
夏目漱石「行人」
夏目漱石「硝子戸の中」
夏目漱石「道草」
夏目漱石「明暗」
開高健「輝ける闇」
堀江敏幸「正弦曲線」
フリップ・クロデール「リンさんの小さな子」


ずっと続けて夏目漱石ばっかり読むと、ちょっと頭がおかしくなりそうなので(笑)他の読書の合間に挟んでいこうと思っております。

京大青竜会ブルースの闘い

2009-11-13 11:49:36 | ま行の作家
万城目学「鴨川ホルモー」読了



本作品を皮切りに、「鹿男あをによし」、「プリンセス・トヨトミ」とヒットを飛ばし、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの人気作家、万城目学のデビュー作であります。


自分は、普段こういった“エンタメ系”の本はあまり好まないんですが、夏目漱石で凝り固まった頭には、こんなのもいいんじゃないかと手に取ってみた次第。


まぁ毒にも薬にもならないと言ったらちょっと失礼ですが、でも中味は文句なく「おもろい!」の一言に尽きます。



舞台は京都です。京都大学に入学した安陪という若者が、京大青竜会という、指定広域暴力団のような名称のサークルに入会するのですが、そこに「ホルモー」の秘密が隠されているわけです。


10人が1チームとなって、一人々がそれぞれの「オニ」10人(匹?)を従えて他の大学のチームと対戦するという、まぁそんな競技があるわけです。で、負けたチームの主将が、その勝負が決まった瞬間、「ホルモーーーーーー!!!」と叫ぶ(叫ばざるを得なくなる)という、どこからそんな奇天烈なことを考えるんだと思わず突っ込みたくなるくらいのもんです。


まぁそこは大学1年の若者ですから恋あり、友情ありというフレーバーもうまくまぶして読む者を飽きさせません。


最新刊「プリンセス・トヨトミ」もちょっと読んでみたくなりました。“万城目マジック”にはまりそうです(笑)

エゴイズムをぎりぎりまで追いつめる

2009-11-13 11:19:10 | な行の作家
夏目漱石「こゝろ」読了



たしか8月に「夏目漱石月間」と題して、読みまくりますかなんか言っておきながら「草枕」1冊で撃沈してしまい、忸怩たる思いでいたのですが、意を決して再度挑戦してみることにしました。


挑戦などと大仰に構えるほどむずかしい本ではなかったんですが。


本書「こゝろ」のテーマはエゴイズムであります。また、「善と悪」というテーマも含んでいます。この「善と悪」というのは小説にとって永遠のテーマなんでしょうね。古くはドストエフスキーの「罪と罰」から町田康「告白」「宿屋めぐり」、また最近では川上未映子「ヘヴン」等、数え上げたらきりがないくらいです。



主人公の書生から「先生」と呼ばれる人が、昔、学生の頃下宿していた家のお嬢さんを好きになり、一人で悶々としているところへ、一緒に下宿している親友「K」もそのお嬢さんのことが好きだと打ち明けられる。「先生」は自分の気持ちを親友に伝えようとするが、躊躇してなかなか告白することができない。そうこうする内、「先生」は、先にお嬢さんのお母さんに「娘さんを下さい」と談判してしまい、母親から承諾を得る。その後、事情を知らない娘のお母さんは「先生」の親友に事の顛末を話して聞かせるのだが、程なくしてその親友は自殺をしてしまうと、ストーリーを追えばこんな内容です。


そして「先生」は、そのお嬢さんと結婚するんですが、その後一生良心の呵責に苛まれ、ついには自分も自殺してしまうんです。



これは難しい問題です。これをエゴイズムと言うべきなのか。今の時代では同じケースで思い悩む人などいないような気もするのですが、やはり時代なのか、またその人、人間の問題なのかも知れません。


ここまで厳密に自分を律することが果たして必要なのかどうか…。「先生」は、この自分の苦悩を当の奥さんにも言わず、主人公に宛てた遺書にも自分の妻には絶対このことは言わないで欲しいと書くんですね。この覚悟は恐ろしいくらいです。



エゴイズムを追求した自己批判、自分を振り返って「先生」の爪の垢でも煎じて飲ませてもらわなければいけないのかも知れません。




ちなみに巻末に年譜がついていたので、刊行順に漱石の主な作品を並べ、今後の読書の指針にしたいと思います。



 「我輩は猫である」
 「坊ちゃん」
○「草枕」
○「虞美人草」
○「坑夫」
○「三四郎」
○「夢十夜」
○「それから」
○「門」
○「彼岸過迄」
○ 「行人」
○「こゝろ」
○「硝子戸の中」
○「道草」
○「明暗」


とりあえずこれくらいは読んでおかなければと思ってます。○印は既読本です。

メタフィクションに翻弄されて

2009-11-13 11:02:40 | や行の作家
矢川澄子「兎とよばれた女」読了


女性作家が続きます。なんとも不思議な小説でした。 


精霊のような女性が、男の運転する車に乗り込み、自分の身の上話を語り始めるかと思えば、かぐや姫に関する著者の考察に頁を費やし、ただ1匹の兎と神との交接を描いた物語が登場し、最後にはその兎が神に向かって念ずると、肉体は消え失せ、魂のみが大気に紛れ込むという…。


訳わかりません(笑)ただ、全体を通して感ずるのは、女が男に従う、尽くすということはどんな意味を持つのか、女という生き物は、男の行き方次第でいかようにも変化してしまう儚いものである、ということなんでしょうか。



この小説は、ちょっと格調が高すぎて自分の手には負えませんでした。澁澤龍彦の奥方であったと聞き、さもありなんとうなずいた次第です。

またいつか挑戦してみます。残念。

市井の人をスケッチする

2009-11-07 18:15:57 | あ行の作家
浅倉かすみ「ともしびマーケット」読了



久しぶりに浅倉かすみを読んでみました。この作家の小説は「タイム屋文庫」「田村はまだか」「ほかに誰がいる」「肝、焼ける」のたしか4冊を読んできたんですが、本作品も含めて、うまいですねぇ。話の作り方が。手練れの技です。「ともしびマーケット」は、テレビ「王様のブランチ」でも紹介されたようです。


北海道のある町にある(地下鉄の「大通り駅」が出てくるんで札幌のようです)「ともしびマーケット」というスーパーに買い物に来る客、そこで働く人々が織り成す人情劇とでもいったらいいでしょうか。形式は連作の短篇になっていて、前の話で脇役だった人が次の短篇で今度は主役になるという、よくあるパターンです。


最初、読み始めて、ちょっとなんだかなぁと思ったんです。じわっとさせてほろりとさせて、あざといなぁと。でも、読み進めていくうちにそんな気分はどこかにいってしまって、かなりのめり込んで読んでしまいました。文章がうまいんですね。このぽきぽきした感じが。

最終話はちょっといらないかなと思いました。グランドフィナーレよろしく、それまでの登場人物が全員出てきてつながっていなかったものをつなげていくという。そのまんまのあやふやな感じを残して終わったほうが、読後の余韻は遥かによかったと思います。


とまれ、浅倉かすみ、いいですね。トヨザキ社長ベタほめというのもうなずけます(笑)

時空を超えた憤慨と自嘲

2009-11-07 17:42:28 | ま行の作家
町田康「きれぎれ」読了



再読です。第123回芥川賞受賞作品です。前に初めて読んだときはすげぇ!とぶっ飛んだんですが、2回目ともなると、ちょっと慣れてきて「なんでこれが芥川賞なわけ?」と思ったりもしました(笑)


いわゆる町田康らしい記述…


「波トタンと角材で自ら増築した台所はいたるところに隙間が空いていて歪んでいて、また時間を経て破れたり、泥や落ち葉がへばりついたりしていた。木崎は、プロパンボンベに護謨ホースでつながった鉄製焜炉に載った金色の鍋に茶碗を突き込んでしゃくり、俺に差し出した。よくわからない味がするので、なんすか?これ?訊くと、木崎は、雑炊と簡単に答え、なにかに耐えるような顔をして箸を動かし、難解な飯を、喉にぐい、と流し込んだ。台所にも蠅が多かった。野菜屑や肉、また、ここにも半顔や腕が散乱して、あたりは乱雑をきわめていた。」


このなんともいえない汚らしい感じ。町田康らしいです。


町田康の小説に登場する主人公は、大抵が没落者です。その没落した男が、こんなはずじゃなかったと嘆き、自嘲し、足掻くんですね。そこが滑稽で、また悲しいと。


町田康の最新刊が待たれます。