トシの読書日記

読書備忘録

珠名姫の初恋

2013-06-25 16:33:03 | さ行の作家
澁澤龍彦「ねむり姫」読了



本書はたしか、堀江敏幸の書評集「本の音」に出ていて、それで買ったものと記憶しております。澁澤龍彦というとものすごく難解というイメージがあって、敬して遠ざけていたんですが、意を決して読んでみました。


ところがなんということ、全く難解どころではなく、すらすら読めてしまいました。物語の時代設定が鎌倉時代であったり、江戸中期、末期であったりで、時代物に弱い自分としてはここでも躊躇するところがあったんですが、それもなんなくクリアして大変面白く読めました。


表題作を始め、全部で六編の短編が収められているんですが、これは多分あれですね、澁澤龍彦本来のスタイルではなく、ちょっと息抜きというか、軽い読み物として書いたのではないかと思われます。


いずれ澁澤の、まともなむずいやつに挑戦してみましょうかね。

自らの精神の源流

2013-06-25 15:58:40 | あ行の作家
大江健三郎「水死」読了



大江健三郎フェアもこれで最後の一冊となりました。大江文学の締めくくりに相応しい読み応えのある作品でした。


コギー(大江)の小さい頃、父親が嵐で川が氾濫しているところへ短艇で乗り出し、程なく船は転覆し、父が水死したという過去を検証するための小説を執筆する準備に古義人が「四国の森」を訪れるところから話は始まります。


その検証のために重要なアイテムとなる「赤革のトランク」を妹のアサから受け取り、中身を調べるわけですが、意外にもそこには確たる手がかりもなく、古義人は執筆を断念せざるを得なくなります。


そこに「穴居人(ザ・ケイブ・マン)」という劇団を主宰する穴井マサオ、その劇団の中心となるウナイコがからみ、物語は例によって重層な様相を呈してきます。


父が短艇に乗り出すとき、本当はそこにコギーも一緒に乗り込むはずだったのですが、ちょっとした手違いでそれができなくなったわけで、そこにまた一人、重要な人物がからんできます。今までの小説にも度々登場する大黄さんです。大黄さんはコギーの父を師と仰ぎ、ずっと師事してきたわけですが、その父の精神をコギーが受け継いでくれるのを期待していたところを、コギーは小説家になり、それを果たすことができなかった。大黄さんはそういった忸怩たる思いをずっと胸に秘めてきたわけです。


その大黄さんの思いが引き起こしたラストがあまりにドラマティックで、ちょっと驚いたんですが、大黄さんの胸の内をよくよく考えてみればそれもむべなるかなという気がします。


本書は小説というより、自分(大江)の生きていく様をドキュメントにしたような作品で、例によってどれが事実でどれがフィクションなのか、曖昧ではありますが、概ねこれは実際にあったことではないかと自分は思いたいです。もちろんラストシーンはフィクションでしょうが…。


大江作品の集大成といっていいような重層かつ重厚な内容で、読む者を圧倒しました。この小説を読むのにはかなり体力がいります。


さて、約一年にわたって大江健三郎を中心に読んできたわけですが、やっぱりノーベル賞作家というだけあって、すごい作品ばかりでした。軽いものは一冊もなく、一つ一つが胸にずしんと響く、読み応えのあるものばかりで、ほんとうに充実した一年でありました。大江健三郎に心からお礼を申し上げたい気持ちです。


さてさて、これからどんな作家との出会いがあるのか、どんな作家が自分を興奮の坩堝に叩き込んでくれるのか、今後の読書生活がますます楽しみです。

運命を支配される男

2013-06-19 15:06:09 | な行の作家
中村文則「掏摸(スリ)」読了



第四回大江健三郎賞受賞作ということで読んでみました。大江健三郎賞というのは、たしか賞金とかそういったものはなく、受賞作品が英語、仏語、独語のいずれかに訳され、世界で出版されるというもの。そして本作品は英訳され、ウォール・ストリート・ジャーナル紙で2012年のベスト10に選ばれ、さらに2013年のロサンゼルス・タイムズ・ブック・プライズのミステリー・スリラー部門で最終候補5作にも残ったという、今までの大江賞の中でも一番話題をさらった小説ではないかと思います。


と、前置きはこれくらいにして、さて中味なんですが、まぁ期待したほどではなかったですね。中村文則は「土の中の子供」という作品があるんですが、その小説のインパクトがかなり強くて、どうしてもそれと比べてしまいます。もちろん、アメリカであれほど評価が高かったくらいですから、面白いは面白いんですが…。


作中、母子家庭の子供がすさんだ環境にいるところを、スリの主人公が施設に入れるような配慮をするところに中村文則の優しさを感じました。


しかしスリの手口ってすごいもんですね。まさにプロの技です。これからは自分も電車に乗るときは気をつけます。




ネットで以下の本を注文


野呂邦暢「白桃――野呂邦暢短編選」
小山田浩子「工場」
グレアム・グリーン著 高橋和久訳「見えない日本の紳士たち」

メイスケ母とコールハース

2013-06-11 11:44:56 | あ行の作家
大江健三郎「臈(ろう)たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」読了



本書の初読の時の記事を見てみたら、読みやすかったとか言っておきながら、全く内容にふれてない!わかったような顔をして、実は全然わかってなかったんですね。お恥ずかしい限りです…


でも、この小説は構成がちょっと分かりにくく、何度も行きつ戻りつしながらという読書になりました。主人公(大江自身)の友人の映画プロデューサー、木守有(こもりたもつ)が国際的な映画女優であるサクラ・オギ・マガーシャックを起用して大江にシナリオを書かせ、16世紀のドイツの作家、クライストの「ミヒャエル・コールハースの運命」を映画化しようという計画をする。事は順調に進んでいくのだが、カナダの撮影チームのカメラマンの一人が、あるシーンのためのバレーの少女たちのスチール写真をポルノ目的で撮り、それが元でこの計画は頓挫する。


それから30年。再会した子守と大江は、再びサクラさんを主演とする映画を撮ろうとする。今度は、「ミヒャエル・コールハースの運命」を下敷きに、大江の「万延元年のフットボール」のメイスケ母の一揆を重ね合わせようというもの…。


というのが大まかな筋なんですが、大江が高校生の時、四国の松山のアメリカ文化センターで見た映画、「アナベル・リイ」の少女役がサクラさんでそのラストシーンが非常にむごたらしいものになっていて、当のサクラさんはその撮影シーンは、睡眠薬(?)を飲まされていたため、そのことを知らないでいる。それを、いつ本人が知る時がくるか、というのがこの小説のスリリングな仕掛けになっているわけです。


非常に複雑な構成になっているわけですが、再読してやっと全体をつかむことができました。なかなか面白い話ではありましたが、やっぱりその「アナベル・リイ」のラストのむごたらしいシーンのことが頭から離れず、ちょっと後味の悪い読後感ではありました。


また、前回の三部作同様、かなり私小説的な内容なんですが、どこまでがフィクションで、どこからが事実なのか、これも曖昧模糊としておりました。まぁ小説の手法としてはそういうのもアリなんだと思いますが、書いている大江自身のことを考えると、ちょっとなんだかなぁという思いがつきまとってしまいます。


とまれ、こんな重層な小説を書けるのは大江しかいないわけで、いろんな意味で楽しませてもらいました。



さて、大江健三郎祭り、いよいよ残すところあと1冊となりました。ちょっとその前に寄り道しますが。


三杯目にはそっと出し

2013-06-05 15:25:54 | あ行の作家
内田百「居候々(いそうろうそうそう)」読了



これも姉から借りたものです。内田百は以前、自分が「内田百フェア」を開催しまして、その面白さに唸った次第なんですが、それを姉に教えたところ、姉も百にはまってしまい、今では百の未読の本を見つけると、買ってきては貸してくれるという、喜ばしい状態になっております。


本書は新聞に連載した小説ということなんですが、連載途中で当の新聞社が倒産してしまい、結局、この小説は未完のまま終わるという、珍しいケースであります。それで内容はというと、それほどのものでもなく、まぁこんなものもありましたという程度でありました。