トシの読書日記

読書備忘録

夫婦の殺意

2020-05-26 17:34:54 | か行の作家



小暮夕紀子「タイガー理髪店心中」読了



久しぶりに普通に本を一冊読んだ気がします。アマゾンで飲み残しのワインを真空にする栓を買おうとネットを開いたら、本書が「おすすめ」になっていて、ちょっと興味がわいてついでに買ってみたのでした。


表題作と「残暑のゆくえ」という二編の中編が収録されています。何の予備知識もなく読んだんですが、「タイガー理髪店心中」、これは老夫婦の物語で、二人は昔、辰雄という一人息子を6才の時に亡くしています。その妻、寧子(やすこ)が辰雄が山に登って落ちて死んだ穴に自分も落ちてしまいます。この場面がこの作品のキモだと思うんですが、そこが弱いんですねぇ。いかにも弱い。ここはもっと読む者をどきりとさせるような、もっとこっちへ迫ってくるような迫真の描写がほしかった。惜しいです。


しかし、この小説の主人公、寅雄の心根はわかる気がします。先日、ガンセンターで検査の前に長い長い問診票を渡されて、その中に「自分が困ったとき、助けてほしいとき、頼れる人がいますか」という質問に「いません」に丸をしようとしたのですが、ふと妻の顔が目に浮かび、「この人を忘れちゃいけないよな」と思いつつ、その項目の「妻」の欄に丸をしたのでした。


でも、そうやって思う人に対してさえ、ふと「この人が先に死んだらいろいろ面倒だな」とか、そういう思いが頭をよぎったりするんですから困ったもんです。本作品でも寅雄が穴に落ちた妻を助けようとする反面、「これで老老介護が終わる、そうだ、楽になるのだ」と呟いてみたり、自分には生涯無縁と思われていた「殺意」というものが「決して彼方にあるわけでなく、実は身近に案外親しげに転がっていること」に気づいてみたりするわけですね。これが「人間の闇」ということになるんでしょうか。このあたり、強くシンパシーを感じました。


また、併録されている「残暑のゆくえ」、これはよかった。「タイガー理髪店心中」より数倍よかったですねぇ。よくできた作品です。商店街のロウソク屋の主人が何故か「子殺し」と呼ばれていて、そのわけは冒頭では明かされず、最後、その主人が亡くなったあと、息子がある古い資料を持って主人公の日出代のところにやって来るところでその伏線が回収されるわけですが、その「子殺し」が日出代の夫、須賀夫につながり、そしてさらに自分の母親につながっていくという、この鮮やかさ。


うなりましたね。デビューしたての作家とは思えないしたたかなうまさです。デビューといっても50代後半の方のようなので、そのあたりは、ぽっと出の若い子とはもちろん違うとは思いますが。久しぶりに面白い物語を読ませてもらいました。


そういえばこの2作品、以前読んだ若竹千佐子の「おらおらでひとりいぐも」にけっこうテイストが似ている感じがするんですが、若竹さん、芥川賞をとってからどうしてしまったんでしょうか。あの作品も面白かったのに。



現実の向こう側にあるもう一つの現実

2020-03-17 15:12:59 | か行の作家
アンナ・カヴァン著 佐田千織訳「あなたは誰?」読了



本書は2015年に文遊社より発刊されたものです。


アンナ・カヴァンといえばずっと以前に「氷」という作品を読んで、その冷徹で不条理な世界に息を呑んだ覚えがあるんですが、本書もそれに負けず劣らず濃い内容の長編でした。


その「氷」とは反対に今度は場所は特定されていないんですが、灼熱の南国が舞台です。うだるような暑さの中、無数のチャバラカッコウが「WHO  ARE YOU」と泣き叫び、夜になるとカエルが盛大な大合唱を始めるという、なんだか読んでいてこっちの頭がおかしくなりそうでした。


しかし、そういったシチュエーションとは裏腹に、カヴァンの筆致は極めてクールです。そこがいいですね。月並みな解釈かも知れませんが、女が男に屈服させられるという、性差別のようなものからの解放というものをテーマにしていると解するのはあまりに短絡的かも知れませんが、そんな風に読めるところは多々ありました。


いずれにせよ、このカヴァンの鋭利な刃物のような文章に酔いしれたのでした。


ネットで以下の本を購入

牧野信一「父を売る子/心象風景」 講談社文芸文庫

素晴らしくおかしな愛のかたち

2020-01-28 17:22:23 | か行の作家



岸本佐知子編「変愛小説集」日本作家編読了



以前、岸本佐知子が編んだ同名の海外版があったんですが、今回は日本の作家の変愛小説のアンソロジーです。しかもすべて書き下ろし!寄せられた11作品のうち、女性作家が8人です。やはり恋愛の話は女性のほうが得意なんでしょうか。


自分の好きな作家、吉田知子とか小池昌代とかも入っていたので期待して読んだんですが、その期待に違わずどれもこれもなかなか面白かったです。でもやっぱり吉田知子、小池昌代が一歩抜きん出ている印象ですね。もちろん、ひいき目だと自覚してますが。


まぁこれは岸本佐知子のちょっとわがままなお遊びということなんでしょう。なかなかいい企画でした。

その記憶の一瞬

2019-10-08 15:09:40 | か行の作家



岸政彦「図書室」読了



本書は今年6月に新潮社より発刊されたものです。著者は本業は社会学者で、今年で52才になられる方です。前作の「ビニール傘」が芥川賞候補になっています。 


新潮社のメールマガジン「考える人」というのが配信されているんですが、その中に岸政彦の「にがにが日記」というのがあって、これが滅法面白くてそれで興味が湧いて手に取ってみたのでした。


がしかし、この小説、出来としては今ひとつですねぇ。主人公の40才の女性の小学校時代の回想シーンが延々続くんですが、これがあまりにも長すぎる。これをもっとコンパクトにまとめて、現在の心の移ろいのようなものを書いていったらもっと心に沁みる作品になったのでは、と思いました。


なんて偉そうに突っ込んでみましたが、まぁこの方、物書きが専門ではないのでこんなもんですかね。


ちょっと残念でした。


ネットで以下の本を購入


阿部昭「天使が見たもの」中公文庫

文学の可能性

2018-08-07 17:00:06 | か行の作家



群像編集部編「群像短篇名作選 2000~2014」読了



本書は今年5月に講談社文芸文庫より発刊されたものです。以前読んだ「現代小説クロニクル」のような企画で、2000年から2014年に発表された短編のうち、これはと思われるものを集めたアンソロジーです。


名を連ねる作家は辻原登、村田喜代子、古井由吉、堀江敏幸、町田康、松浦寿輝、筒井康隆と、自分のリスペクトする人達ばかりで、それだけでうれしくなってしまいます。


内容は、予想に違わず、それぞれの作家らしい持ち味を発揮し、充分堪能させてもらいました。


中でも印象に残ったのは松浦寿輝の「川」ですかね。これは同作家の「不可能」の中のある部分を抜き出して掲載したものですが、「不可能」という作品自体、章ごとにある程度独立した構成になっているため、そのうちの一章を短編小説という一つの作品であると、いうようにとらえても決して遜色ないものと思われます。鋭い切れ味の、なかなかに読ませる作品でした。


また、堀江敏幸の「方向指示」もよかった。理髪店の女店主、修子さんと常連客の三郎助さん、三郎助さんの髪を切りながらの二人のやりとり。修子さんの細やかな心の動きが堀江敏幸の、その美しい筆致で語られていきます。秀作です。


やっぱり、「O嬢の物語」とか「ソドム百二十日」なんかより、こういった小説群の方が自分は好きですね。実は本書を読む前、澁澤龍彦の「少女コレクション序説」を読みかけていたんですが、内容もいまいちなのと、澁澤先生のちょっと高みから見下ろしたような物言いが我慢できなくて途中で止めたのでした。


諏訪哲史氏に勧められるままにあぶない系の著冊を何冊か読んでみたんですが、ちょっとなんだかなぁという感じでした。残念。



読み方の問題

2018-07-03 16:52:52 | か行の作家



「群像」6月号読了


月に一度掲載される中日の夕刊の「文芸時評」という、ほぼ1面を使ったコーナーがあるんですが、それに、この文芸誌に掲載されている北条裕子という新人作家の「美しい顔」というのと乗代雄介「生き方の問題」が取り上げられていて、どちらもかなり絶賛の体であってので、気になって購入してみたのでした。ちなみに評者は佐々木敦です。


まず北条裕子「美しい顔」。本作品はことしの群像新人賞を受賞しています。3・11の東日本大震災を扱った小説です。しかし、あの震災を扱った小説で、こんなにその震災に対して真正面から、まともにぶつかっていった作品ってのは今まであったんでしょうか。自分は寡聞にして知りませんが、まぁ新人ならではというところなんでしょうね。


主人公の17才の少女サナエが語り手で、7才の弟と避難所での生活を余儀なくさせられながら、行方不明のの母を探し歩き(しかしその時点で母は亡くなっていることを確信している)、そして母の遺体と対面したあと、弟と共に新しい人生を歩み始めようという、ストーリーとしてはそんな展開なんですが、作中」の「私」ことサナエの心情がずっと綴られていく中で感じたこと、以下に述べてみます。


被災した人達が暮らす避難所にマスコミのテレビカメラが入るわけですが、「私」のマスコミに対する痛烈な批判の目がまずすごいです。そして、テレビに紹介されるたびに救援物資がどんどん届くようになって、「私」は逆にマスコミを利用するようになります。「母とまだ対面できないかわいそうな少女」の役を演じながら。このあたりの裏返しの皮肉な感じ、その筆力がすごいです。


被災して何もかも失ってしまった人とそうでない人。その「そうでない人」が被災者を支援する時の「自分は関係ないけど、これだけの施しをしたんだから許されるよね」的な感覚を、これでもかというくらい暴いています。読んでいて「自分も多分にそんなところあるよなぁ」という思いもあり、非常に辛かったです。


そしてなんと、読後に知ったんですが、この著者は被災者でもなんでもなく、しかも被災地に行ったこともないと言うじゃありませんか。ほんと、びっくりしました。ということは、「そうでない人」を筆者自身も含めて断罪するくらいの気持ちで書いたんでしょうか。


とにかくすごい作品でした。これ、次の芥川賞候補になるんじゃないでしょうかね。


と、ここまで書いて、ついこの間の新聞を読んでびっくり仰天です。本作品が既刊の震災を扱ったルポルタージュの書籍の中に記載されている文章とそっくりな部分があり、それで盗作ではないかというんですね。まぁ参考文献を明示してなかったのはよくないとしても、そのルポに書かれている文章と全く同じ文章が使われているとあっては、「参考」にとどまっていないどころか、盗作と言われても仕方がないかと思います。


芥川賞のノミネートは取り消しになるにしても、群像新人賞はどうなるんでしょうか。今後の動きを見守っていきたいと思います。


そして乗代雄介「生き方の問題」。この作家、名前はなんとなく聞いたことはあったんですが、作品を読むのは初めてでした。


2才年上の従姉妹へ宛てた手紙というスタイルで小説は進んでいくんですが、この作家、うまいですね。子供の頃からの親戚づきあいを経て、24才になった「僕」が「会いに来てほしい」と従姉妹に請われるままに行った、その顛末が書簡形式で綴られていきます。


まぁ内容としては自分はどうということもない感想を持ちましたが、プロットの組み立てといい、作中のいろんな場面での言い回しといい、なかなかの使い手であるなと。


「群像」という文芸誌にふさわしい作品であると、思いましたね。

絶望の形而上学

2018-06-26 18:16:42 | か行の作家



フランツ・カフカ著 辻ヒカル(変換できず)訳「審判」読了



本書は昭和41年に岩波文庫より発刊されたものです。カフカの代表作と言われている長編です。


本作品を読んでまず思うのは、理不尽、不条理という言葉が頭の中をよぎるんですが、どうしても滑稽な感じがつきまとってしまうのは何故なんでしょうか。「変身」しかり、「流刑地にて」しかりです。目的のための手段に拘泥するあまり、本末転倒になってしまうというのもあると思います。


カフカは、むしろそこをねらっているのかもしれません。


主人公のヨーゼフ・Kは、ある日突然逮捕されて裁判にかけられるわけですが、何故自分が裁判にかけられるのか、そこが一番知りたいところなんでしょうが、「K」はそこにはあまりこだわらないんですね。ここも不思議でした。そして裁判所のいいかげんさにも驚きました。


カフカを何冊か読んできましたが、なんというか、カフカの本質に今ひとつ迫れない自分にもどかしい思いをしております。まぁ自分にカフカのなんたるかを理解する力がないということなんでしょうが。

いずれ、「城」を読んでみようと思います。

生きることの寂しさ

2018-06-12 17:15:44 | か行の作家



幸田文「おとうと」読了



本書は昭和43年に新潮文庫より発刊されたものです。自分は当時小学生でした。「流れる」「黒い裾」等、その独特の文体で読む者を魅了する、幸田文の長編小説です。


しかし、本作品は、あの「流れる」のようないわゆるパキパキした文体とはまた一味違った感じで、なんというか、姉の弟を思う心情の描写がなんとも細やかで情感にあふれ、これはこれでまたいいですねぇ。


姉、げん、弟、碧郎。父は高名な文筆家で、悪意はないのだが、子供に対する挙動が冷たい継母。この一家四人の話なんですが、姉のげんの目線で物語は語られていきます。


不良グループに入って万引きをしたり、ビリヤードに凝って父からお金を借りてばかりいる弟の碧郎に、姉のげんは不満を抱いたり、弟なのに自分より年上の大人の男のように感じて驚いてみたりと様々な感情を読む者に見せます。


そしてある日碧郎は結核にかかって入院します。ここから話の流れは大きく変わっていくわけですが、この、姉の弟に対する看病の健気さに思わずほろりとさせられます。約一年の闘病ののち、碧郎は若くして亡くなってしまうのですが、そのシーン、ちょっと引用します。

<「御臨終です。お悼み申し上げます。四時十分でした。」
こんな、そぼんとした、これが臨終だろうか。死だろうか。見るとみんなが立っていて、母だけに椅子が与えられていた。父は合掌し、母は祈りの姿勢をしてい、誰も動かず、ざわめきもあり、しんともしていた。これが死なのだろうか、こんな手軽なことで。>

万感迫ったようなお涙ちょうだいの文章にしないところがさすが幸田文です。実に上手い。


こんな幸田文もいいですね。



現代のお伽話

2017-09-12 16:11:06 | か行の作家



フランツ・カフカ著 池内紀 編・訳「カフカ短編集」読了



本書は昭和62年に岩波文庫より発刊されたものです。


カフカは小難しいイメージがあって、敬して遠ざけていたんですが、以前「変身」を読んで大いに笑ってしまい、カフカって意外に面白いと思い直した経験から、本書も諏訪哲史氏のおすすめに従って手に取ってみたのでした。


諏訪哲史の「偏愛蔵書室」の中で紹介されていたのは「流刑地にて」という作品だったのですが、これももちろん、いろいろ考えさせられ、面白かったんですが、なんといっても本書の最後に収められている「万里の長城」が出色でした。


中国の万里の長城が造られる経緯があれこれいろんな角度から描かれているんですが、なんとも面白い。壮大なホラ話という感じで、あれです、スティーブン・ミルハウザーもかくやと思わせるような、微に入り細を穿つ内容で、楽しめました。


万里の長城の話から、次第に中国の民衆の皇帝に対する考え方というようなものに話が変わっていき、著者の筆が我知らずすべっていくようなイメージで、非常に面白く読みました。もちろんそれは意図しての構成でしょうが。


解説を読んで、カフカの長編「城」「審判」は是非とも読まねばと思った次第です。




ネットで以下の本を注文

「小説新潮」9月号 新潮社
「すばる」9月号 集英社
「文學界」9月号 文藝春秋社
夢野久作「ドグラ・マグラ」(上)(下)角川文庫
諏訪哲史「岩塩の女王」新潮社

美味しい話

2017-08-22 18:09:08 | か行の作家



神吉拓郎「たべもの芳名録」読了



本書は今年4月にちくま文庫より発刊されたものです。


筆者の名前は聞いたことだけはあったんですが、著作を読むのは初めてでした。この人は評論家というか、エッセイストというか、そっち方面の人と思っていたんですが、小説も書くんですね。しかも寡聞にして直木賞も受賞していたことも知りませんでした。


まぁしかし本書は当たり障りのない、食に関するエッセイです。可もなし不可もなしといったところでしょうか。でも文章はなかなかのものです。なんというか、あっさりとした味わいで、食べ物に関してはとかく蘊蓄を傾けて嫌味なエッセイをよく読まされるんですが、その点、本書はそんないやらしさもなく、さらりとしていて、面白く読めました。



ネットで以下の本を注文する


富岡多惠子「湖の南」新潮社