トシの読書日記

読書備忘録

バカよ、さようなら

2020-09-18 14:08:12 | さ行の作家



瀬古浩爾「まれに見るバカ」読了



本書は洋泉社より2006年に発刊されたものです。


前にも読んだものの再読なんですが、それが9年前で、その時のブログを探し出して見てみたら、そこに再読とあったんですね。ってことはもっと前に一度読んでるわけで、探したんですが、見つかりませんでした。とにかく3回目のようです。


まぁそれくらい面白い本かといえば、そこまででもないんですが、いろんな著名人をばっさりと斬り捨てているのがなかなか痛快で、そんな気分を味わおうと体が欲するということなんでしょうか。前に読んだ「思想なんかいらない生活」と相通ずるものがあるんですね。


まぁいろんなバカを列挙して散々こき下ろして、そこが面白いんですが、バカのテーマからちょとはずれた話で、なんだかなぁと思ったところがあって、以下、引用します。

<「天一」の1万円の天ぷらと御茶ノ水明治大学裏にある「いもや」の650円の天ぷら定食といったいどれほどの差があるというのか。むろん差はあるだろう。だがその美味(ママ)さの満足度に1万円分と650円分の差なんかあるはずがないのである。>

いやいや、絶対ありますって。なにをおっしゃいますか、と瀬古氏に言いたい。そうでなければ「天一」が1万円の天ぷらコースをやる意味がないし、そこに価値を認めてお客が行くわけがないじゃないですか。そしてその値段の差は決して美味しさの満足度だけではない、ということも付け加えたい。飲食業にン十年携わってきたものとして、ここは断固反論しておきたいですね。まぁそれはともかく…。


しかし、本書を読んで自分も反省するところ大です。「思想なんかいらない生活」を読んでも思ったんですが、自分はやっぱり教養のある人に対するコンプレックスというのがあって、自分の教養の低いところ、このブログの文章の稚拙なところをいろいろ言葉を弄して糊塗しているところが多々あるというのに気づかされました。今後、自戒したいところです。


本書は読んでいて痛快なんですが、だんだん身につまされるというか、ちょっと恥ずかしくもなります。やっぱり自分はバカなんだと。しかしこれも瀬古氏に言わせると、「気どってんじゃねーよこのバカたれが!」という言葉が飛んできそうですが。

「ふつう」に生きるという思想

2020-08-05 16:02:19 | さ行の作家



瀬古公爾「思想なんかいらない生活」読了



本書は2004年にちくま新書より発刊されたものです。


これも何年も前に読んだものの再読なんですが、これもいいですねぇ。いわゆる「知識人」をこき下ろし、お前達のの言ってることなんか何の役にも立ってないという主張には、いっそ胸のすく思いでした。しかもこの瀬古さん、生半可な知識であげつらってるわけじゃないんですね。昔からかなりの哲学書、思想書を読みこんでいて、その上での反論なわけで、これはなかなかのものであると感じました。


最期の方にこんなくだりがあります。ちょっと引用します。

<なにが「思想」か。なにが「存在的」でなにが「存在論的」か。「思想」や「哲学」は、学者先生や評論家にとっての「仕事」にすぎないのではないか。そうならばすっきりする。コンビニの弁当開発やラーメンのスープ作りとおなじ仕事ではないか。「思想」従事者は不満だろうが、新製品開発や売込みで必死の会社員とおなじ仕事ではないか。一般大衆の仕事を舐めてはいけない。>

<一生ひとの頭を刈り続ける理髪店の仕事があり、一生ひとの口のなかばかり見ている歯医者の仕事がある。野菜や米を作り続ける仕事があり、下着ばかりを作る仕事があり、配達する仕事があり、歌ばかり歌っている仕事があり、将棋を指したり、本ばかり読んでいたり、ビルや橋を作ったりする仕事がある。「思想」もそれらと変わらぬただの仕事ではないのか。>


そうなんです。思想家も評論家もそれは床屋のおやじとラーメン屋の店主とおんなじなんだと。偉そーにするんじゃねーよ、と瀬戸さんは言いたいのでしょうね。全面的に賛同するものではないんですが、言いたいことはよくわかります。


蓮見重彦、大槻隆寛、小熊英二、大江健三郎、小浜逸郎らの知識人をばっさりと斬り捨てる論調はかなり小気味いいものでした。しかし、それでいてすべての知識人を一律にやっつける訳ではなく、ホッファー、シモーヌ・ヴェイユ等、自分の信条に沿う人は認めるんですね。ここはなかなか肝が据わってます。


これはちょっと人に勧めたい本だなと思いましたね。勧める人を選ぶ気はしますが。


昨日、ひまだったので久々に安藤書店へ行き、「奥の院」に並べてある本をなめるようにたっぷり味わってきました。今はもう新たに本を買う気はないんですが(この間、友人にお見舞いにもらった5000円分の図書カードも姉にあげてしまいました。)、1時間以上も居て何も買わずに出るのは申し訳ないので以下の本を購入する。

古井由吉「山操賦(さんそうふ)」講談社文庫
幸田文「男」講談社文庫



今日、がんセンターで放射線科と消化器内科、それぞれの診察を受けてきました。先日のCTの結果を見ての話だったんですが、ガンは治療の効果があって、かなり小さくなっているとのこと。今後の治療にかなりの希望がもてるそうです。こういった医師の見解というのは、患者をぬか喜びにさせないために結構控えめなことを言うんですが、それを考えるとこれはすごいことなんじゃないかと、一人で喜んでおります。あと5年以上生きられるかもしれないという希望がわいてきました。


このあと、今月の19日から新しい治療が始まります。治験というやつで、19日から始めて3週間に一回の点滴を行い、随時CT、胃カメラで検査して効果を見ていくものということです。人生ひまつぶしとか言ってますが、自分はしょってるものがあるので(家族)、そう簡単には死ねません。また親父より自分が先に死んでしまうと、相続の問題で非常にややこしいことになるので、少なくとも親父より先に死ぬわけにはいきません。ちなみに親父は今年96、めっちゃ元気です。

妄想・共犯者・疑似家族

2019-07-02 15:17:39 | さ行の作家



先週は更新をさぼってしまいました。昼過ぎに映画を見に行って、そのまま飲んで帰って来てしまいました。「エリカ38」というのを観てきたんですが、まぁ観なくてもよかったですかねぇ。浅田美代子主演、樹木希林プロデュースという触れ込みだったのでちょっと興味があって、足が向いたんですが、浅田美代子が生き生きと悪事を重ねて動き回るところは、もっと若作りのメイキャップにし、捕まったあとは、ぐっと老け込む感じの雰囲気にするなどしてもっとメリハリを利かせないと面白くないんじゃないですかね。タイだかフィリピンだかの若い男に貢ぐところなども、なんだか必然性が感じられませんでした。


全く違う映画なんですが、もう少し前に観たクリントイーストウッドの「運び屋」。これはよかったです。



それはともかく…



ミランダ・ジュライ著 岸本佐知子訳「最初の悪い男」読了



本書は平成30年に新潮クレストブックより発刊されたものです。ミランダ、初の長編小説とのことです。


以前、同作家の「いちばんここに似合う人」を読んでこの人面白い!と思った記憶があるんですが、今、自分のブログをひっくり返してみたら、なんと7年も前に読んでるんですね。たしか、洗面器一杯の水で老人に水泳を教える女の子の話とか、そんなのがあったような。「孤独」というテーマで、なんとも切なく、そして温かい世界を作り上げていた作品という記憶があります。


さて本書です。


主人公はシェリル・グリッグマンという43才の独身女性。これがミランダ・ジュライの得意とするキャラクターで、シェリルが9才の時にクベルコ・ボンディという赤ちゃんに出会い、この子が自分の運命の子供だと信じ込み(実は全く赤の他人)、街で見かける赤ちゃんに誰彼構わず話しかけ(脳内会話)、その子がクベルコ・ボンディかそうでないか見分ける、とまあほかにもいろいろな妄想癖があるわけですね。このシェリルが同じ職場の65才の男に片想いするんですが、このあたりのくだり、さすがミランダ・ジュライという筆致でユーモアたっぷりに描かれていきます。


そしてある日、職場の上司夫妻の娘、20才のクリーを預かることになるんですが、ここから話は大きく展開していきます。クリーは超のつく美人、巨乳の持ち主なんですが、衛生観念ゼロ、家は散らかし放題、おまけに凄まじい足の臭いもあり、シェリルは閉口します。クリーは、シェリルの築いた、家で快適に過ごす「システム」をいともたやすく壊していきます。


かなり話を端折ってしまうと、しかし、やがて二人は最後にはレズビアンの関係になってしまうんですが、ここにも二人の孤独、というものが浮き彫りになっているわけです。


そしてクリーは父親の分からない子供を身ごもり、シェリルの家で出産します。クリーは子供を残して他のアパートに移り、シェリルはクリーの子供を育て始めます。ここでシェリルは母性にも目覚めるんですね。


最後の方はそれまでにまき散らかしたエピソードの回収にかかるわけですが、このあたりのちょっと取って付けた感、少し興ざめでした。


全体にどうなんでしょうか、感動の大巨編というほどでもないんですが、「いちばんここに似合う人」同様、都会に住む孤独を抱える人達の悲しくもおかしい物語と、なんだか紋切り型の表現になってしまいましたが、とにかくミランダ・ジュライの独特な世界をたっぷり味わうことができ、読後感は悪くなかったです。


蛇足ですが、「エピローグ」はそれこそ蛇足だったかな、と思いました。

勝つことの寂しさ

2018-10-23 16:10:56 | さ行の作家



坂口安吾「勝負師」読了



本書は平成18年に中公文庫より発刊されたものです。本書をなんで知ったのか、ちょっと思い出せません。諏訪哲史の「偏愛蔵書室」にも紹介されてなかったし。新聞か何かで見たのかもしれません。それはともかく。


昭和22年、木村名人に挑む塚田八段の将棋、名人戦の様子を活写した短篇、「散る日本」から始まる、囲碁、将棋にまつわる小説、観戦記、エッセイを収録した作品集です。


「散る日本」の中で、千日手を避けて負けた木村名人に対して安吾は以下のように批判します。

<名人戦の第6局だかで、千日手になるのを名人からさけて出て、無理のために、破れた。自分を犠牲にして、負けた。その意気や壮、名人の大度、フェアプレー。それは噓だ。勝負はそんなものじゃない。千日手が絶対なら、千日手たるべきもので、それが勝負に忠実であり、即ち、わが生命、わが生き方に忠実なのである。名人にとっては将棋は遊びではない筈で、わが生命をささげ、一生を賭けた道ではないか。常に勝負のギリギリを指し、ぬきさしならぬ絶対のコマを指す故、芸術たりうる。(後略)」


勝負に自分を犠牲にするだの、フェアプレーだの、そんなものは噓だと、ばっさり斬り捨てます。このあたりの感覚、よくわかります。自分も勝負の世界にはフェアプレーもなにもあったものではないという考えですね。


正々堂々と戦うのがスポーツマンシップとか言いますが、例えばサッカーの国際試合なんかを見ていると、全員がそんなことを微塵も考えていないことがよくわかります。勝つためには何でもする、反則でもなんでもそれがレフリーにバレなければOKという考えでやってるし、自分もスポーツなんてものはそんなもんだと思ってます。


坂口安吾の「堕落論」とか「白痴」とか読んできて、俗世とは縁のない孤高の人というようなイメージがあったんですが、将棋も指すし、碁も打つんですね。ちょっと意外でした。


「勝負」というものを改めて考えさせられた一冊でした。



姉から以下の本を借りる

カートヴォネガットジュニア著 飛田茂雄訳「母なる夜」早川書房
山田風太郎「死言状」ちくま文庫
村田紗耶香「コンビニ人間」文春文庫
村上春樹「意味がなければスイングはない」文春文庫
三田誠広「源氏物語を反体制文学として読んでみる」集英社新書
辻原登「抱擁―この世でいちばん冴えたやりかた」小学館文庫
朝井リョウほか「作家の口福」朝日文庫
アントニオ・タブッキ著 須賀敦子訳「逆さまゲーム」白水Uブックス


姉の読書のスピードには驚かされます。姉借り本、たまる一方です。





匂いによる愛の奇跡

2018-09-25 18:03:37 | さ行の作家



パトリック・ジュースキント著 池内紀訳「香水―ある人殺しの物語」読了



ずっと以前、同作家の「ゾマーさんのこと」という絵本(といっても中高生向けくらいの)を読んで、作中のゾマーさんという人物を通して人間の孤独というものをしみじみ考えさせられたことがあったんですが、それ以来、その作品のほかに「香水」という小説があることを調べて知ってはいたんですが、なかなか読む機会がなく、今回、やっと手に取ったのでした。


なかなか面白い小説でした。主人公は孤児のグルヌイユ。この男の一代記ということなんですが、この男、並外れた嗅覚を持っていて、これがこの男を破滅へと追いやる結果になってしまうわけです。


皮なめし職人の徒弟として仕事をスタートさせるんですが、ある日、商品を届けに行った調香師の工房で、香水に使っている材料と、その分量をぴたりと言い当て、それでその調香師の弟子となる。そこから頭角を現し、ついにはその店はパリ一番の香水店として繫盛するようになります。


しかしグルヌイユはそれだけでは飽き足らず、その店を飛び出して流浪の旅に出ます。そして何故か洞窟に7年暮らすことになるんですが、このあたり、何の伏線なのか、ちょっとわかりませんでした。グルヌイユはその後、世界最高の香水を作ろうと思い立ち、それには処女の体臭がぜひとも必要で、それも大量に必要ということで、そのために25人もの若い娘を殺してしまうわけです。その先は、もう驚くことばかりで、グルヌイユは処刑されるんですが、そこで匂いによる愛の奇跡が起きてしまうんですね。


そしてそして、一番最後のシーンにもとにかくびっくりさせられました。この作家、なかなか一筋縄ではいかない人のようです。このパトリック・ジュースキントの他の作品もちょっと調べて読んでみようかと思っております。

砂の行方

2018-09-11 14:29:58 | さ行の作家



坂口恭平「現実宿り」読了



本書は平成28年に河出書房新社より発刊されたものです。以前、「けものになること」を読んで、難解この上なく、かなり手を焼いたものでしたが、本書もそれに負けず劣らず滅茶苦茶難解でした。


ネットで日和聡子という人が、本書のレビューを書いているんですが、そのタイトルが「まだわからない。しかし、きっといつかわかる。」というんですからふるってます。自分も同じ心境であります。


<わたしたちは止まってはいけない。動かなくてはいけない。しかし、それは無駄な動きではいけない。わたしたちにできることは、なまけないことだ。なまけずに、常にいまここで、動くことである。時間は常にここにいる。止まったまま。わたしたちはそのために道具をつくっている。誰が笑おうがそれは問題ではない。問題なのは、これが時間だ、とわたしたちが知ることである。>


全編こんな調子です。


いとうせいこう氏が「これはベケットだ」とどこかで言っていたんですが、自分はベケットのなんたるかすらよく知らないので、まぁ読む資格がなかったのかも知れません。


坂口恭平、もう読まないと思いますが、名前だけは憶えておきます。


なんにせよ、貴重な読書体験でした。

青春は軽蔑の季節

2018-08-21 16:32:13 | さ行の作家



最果タヒ「星か獣になる季節」読了



本書は今年2月にちくま文庫より発刊されたものです。


姉から借りた本なんですが、自分もちょっと気になっていた作家で、どんなものかと読んでみたのでした。


一読、どうなんですかね、これは。まぁラノベとまではいかなくとも、それに近いようなそんな印象で、自分のようなじいさんが読むものではないように思いましたね。まぁこういったたぐいは若い方にまかせておけばいいのではないでしょうか。


しかし、じっくり考えながら読むと、意外と深い味わいがあるような気がします。もう一回読もうとは思いませんが。

バスティーユの遺産

2018-07-24 17:23:57 | さ行の作家



マルキ・ド・サド著澁澤龍彦譯「ソドム百二十日」読了



本書は平成3年に河出文庫より発刊されたものです。初出は昭和41年とのことです。


ルイ14世治下、殺人と汚職によって莫大な私財を築き上げたブランジ公爵と三人の仲間が繰り広げる大饗宴と、裏表紙のキャッチコピーにあったのですが、その四人の中心人物と八人の、いわゆる遣り手婆あと四人の強蔵の紹介に紙数を費やし、それでこの小説はそこで終わっています。なんだかストリップの見物に来て、さあこれから、というところで踊り子が袖に引っ込んでしまったような、「え?」という感じです。


ちょっと調べてみたんですが、その先の120日に及ぶ大饗宴と、繰り広げられる痴態の数々というのは、小説の体をなしていないようなことが巻末の澁澤氏の解説にありました。


2作続けてちょっと危ない小説を読んでみたんですが、いずれも不発に終った感じで、なんだかモヤモヤしています。


残念でした。

心理小説の真髄

2018-04-17 15:11:30 | さ行の作家



ヘンリー・ジェイムス著 蕗沢忠枝訳「ねじの回転」読了



本書は昭和37年に新潮文庫より発刊されたものです。かなり古い作品なんですが、名著と言われているという話をどこかで聞いたことがあったので読んでみました。姉借り本です。


イギリスの片田舎の古い屋敷に、両親と死別してしまった幼い兄妹が暮らしてい、そこに家庭教師として赴任してきた「わたし」。


「わたし」はそこで二人の亡霊を見るわけです。一人は昔、この屋敷で働いていた執事。もう一人は「わたし」の前任の家庭教師。執事は兄を、前任の家庭教師は妹をそれぞれ悪の世界に引きずり込もうとするのですが、「わたし」はそれを阻止すべく立ち向かう…。


とまぁこんな話なんですが、「わたし」は幼い兄と妹に見えている亡霊を、二人はそれがまるで見えていないかのように振る舞っていると思っていて、あれこれと考えをめぐらすんですが、自分が思うには、この幼い二人には、本当に亡霊は見えていなかったのではないか。だとすると「わたし」の思考というのは完全に空回りしているわけですよね。このあたりの心理描写が実に面白い。


しかし、最後の最後、「わたし」はマイルズ(兄)をしっかり抱きしめるあまり、殺してしまうんですね。ここはびっくりしました。


ネットでちょっと見てみたら、小谷野敦が、本作品は凡作で、これを読んでヘンリー・ジェイムスを判断しないでほしいと。この人、なんだかいつも奇をてらってる感があって、好きになれません。




姉から以下の本を借りる


G・ガルシア・マルケス著 木村榮一訳「迷宮の将軍」新潮社
レオ・ペルッツ著 垂野綜一郎訳「アンチクリストの誕生」ちくま文庫
村上春樹「羊をめぐる冒険」(上)(下)講談社文庫



また、ブックオフで以下の本を購入


三島由紀夫「仮面の告白」新潮文庫
又吉直樹「第2図書係補佐」幻冬舎よしもと文庫
古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」文春文庫
町田康「権現の踊り子」講談社文庫
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか?」文藝春秋



おれはドゥルーズだ

2018-01-30 16:21:23 | さ行の作家



坂口恭平「けものになること」読了



本書は去年の2月に河出書房新社より発刊されたものです。


ネットで本作家のことを知り、興味がわいて手に取ってみました。この人は作家であると同時に建築家、音楽家、画家でもあるという、非常に多才な方のようです。



で、読んでみたんですが、びっくりしましたね。調べてみたところ、哲学者ドゥルーズが書いた「千のプラトー」という、その筋ではかなり有名な著作、それを本作家が書き直すというもののようなんですが、まぁとにかくこの言葉の羅列!まるでマシンガンのように言葉が読む者めがげて飛んできます。


ちょっと引用してみます。こんな感じです。


<それは最期ではない。彼らは生きている。完全に。肉体もまた完全に。何もかも完全に。再現するのではなく完全に。彼としてではなく、彼で。男で。女で。ねずみで。水で。われわれはまだ最期ではない。それはぎりぎりに接近した限りなく最期に近い、生である。>


とりあえずドゥルーズの「千のプラトー」なるものを全く知らないので、何とも言いようがないのですが、まぁ知らなくても面白い人には面白いんでしょう。自分はというと、面白いとかつまらないとか言う前に只々啞然としてしまって、面食らってしまいました。


でもこの作家の他の著作を読んでみる気にはちょっとなりませんね。


いや、でもすごかった。