トシの読書日記

読書備忘録

痛烈な文明批評

2010-10-22 16:26:59 | な行の作家
夏目漱石「吾輩は猫である」読了



去年の暮れから今年の初めにかけて夏目漱石の小説を十数冊読んだんですが、一番有名な本作品をあえてはずしておりました。何故か。自分がへそ曲がりだからです(笑)


しかし、以前、小林信彦の「名人――志ん生、そして志ん朝」の中で「猫」がいかに落語的ユーモアにあふれた作品であるかという評論を読み、それでやっとこの小説を読む気になったというわけです。


いや、これ、べらぼーに面白いっすね。早く読んどきゃよかったなぁ。ちょっと小むずかしい内容ではありますが、このユーモア、好きです。ストーリーらしいストーリーはありません。猫の飼い主である「主人」の家の書斎にいろんな友人が訪れ、どうでもいいような馬鹿っ話を繰り広げるんですが、中には、その時代の社会を痛烈に皮肉ったり、憂いたりする場面もあり、そこが読ませどころであります。

以下、印象に残った箇所を引用します。


「…心の落着は死ぬまで焦(あせ)ったって片付く事があるものか。寡人(かじん)政治がいかんから、代議政体にする。代議政体がいかんから又何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける。山が気に喰わんと云って隧道(トンネル)を掘る。交通が面倒だと云って鉄道を布(し)く。それで永久満足が出来るものじゃない。去ればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。(中略)山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。」



「死ぬ事は苦しい、然(しか)し死ぬ事が出来なければ猶(なお)苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりも甚(はなはだ)しき苦痛である。従って死を苦にする。死ぬのが厭(いや)だから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。」



「私の考では世の中に何が尊(たっと)いと云って愛と美程尊いものはないと思います。吾々(われわれ)を慰藉(いしゃ)し、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのは全く両者の御蔭(おかげ)であります。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗練するのは全く両者の御蔭であります。だから吾人はいつの世いずくに生れてもこの二つのものを忘(わすれ)ることが出来ないです。(後略)」
「なに芸術だ?芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個性の発展というのは個性の自由と云う意味だろう。個性の自由と云う意味はおれはおれ、人は人と云う意味だろう。その芸術なんか存在出来る訳がないじゃないか。芸術が繁昌するのは芸術家と享受者の間に個性の一致があるからだろう。君がいくら新体詩だって踏張(ふんば)っても、君の詩を読んで面白いと云うものが一人もなくっちゃ、君の新体詩も御気の毒だが君より外に読み手はなくなる訳だろう。鴛鴦歌(えんおうか)をいく篇作ったって始まらないやね。(後略)」




明治という時代に入って、恐ろしいくらいのスピードでいろんなものの価値観が変わっていく中、大事にしなければいけないもの、失ってはいけない心といったものを警句のようにあちらこちらに散りばめています。


本作品読了後、以前読んだ夏目房之介「孫が読む漱石」とか吉本隆明「夏目漱石を読む」を読み返して更に理解が深まりました。



「夏目漱石を巡る旅」は、やはりここから始めなければいけなかったのかも知れません。まぁ、今となっては遅きに失したんですが。

次のカタストロフがやって来るまで

2010-10-22 16:19:12 | あ行の作家
内田百「冥途/旅順入城式」読了



ごく短い短編が50近く収められた短編集です。


内田百の小説を初めて読んだわけですが、ちょっと期待はずれでしたね。面白いは面白いんですが、みもふたもない言い方をしてしまえば、ちょっと怖い話を思いついて、それをそのまま文章にしただけのような感があります。


その「空恐ろしい感じ」は百独特の世界を充分形づくってはいるんですが、これだけ似たような世界を見せられ続けると少し辟易させられてしまいますね。

中には、表題作にもなっている「旅順入城式」等、きらりと光る小説もあるんですが、他の凡百の作品に埋もれてしまっているといった感じです。


内田百、他の小説も、もう少し読んでみます。

スポーツで語る人生

2010-10-15 17:52:56 | や行の作家
山際淳司 「スローカーブをもう一球」読了



毎週日曜日に東京FM系でやっている「メロディアスライブラリー」で本作品が紹介されていて、確かあったはずと未読本の山の中から捜し出し、読んでみたのでした。


これはあれですね、上原隆の例の「ノンフィクション・コラム」のスポーツバージョンといったところでしょうか。


いやぁ、なかなか面白かったです。第8回日本ノンフィクション賞を受賞したというのもうなずけます。


全部で八つの話が収められています。登場するのは、高校野球のピッチャーだったり、ボートのシングルスカルの選手だったり、また、スカッシュ、ボクシング、棒高跳びと、なかなか多彩です。そして特筆すべきは取材が実に丁寧であること。話の主人公はもちろんのこと、その周りの人達に対するインタビューもまったく手を抜いていないというのが、読んでいてよくわかります。


一番心に残ったのは「江夏の21球」です。1979年のプロ野球日本シリーズ。近鉄と広島が3勝3敗の五分で迎えた第7戦。7回からリリーフで登板した江夏が9回裏のマウンドに立っている。スコアは4-3。広島1点のリード。攻める近鉄はワンアウト・フルベースの絶好のチャンス。1打サヨナラの場面です。

ここから江夏が近鉄のバッターに投じた21球が克明に描かれているわけです。もう、読んでいて手に汗握りましたね。結果は、この絶体絶命のピンチを見事切り抜け、江夏はこの回、無得点に抑えてこの年の日本シリーズを広島が制するわけです。


ほかにも、スカッシュとか、棒高跳び等の無名な選手にスポットを当て、その人の人生を浮き彫りにしていきます。


この山際淳司という人は、こういったいわゆる「スポーツ・ノンフィクション」とでもいう分野の草分けなんだそうです。しかし、1995年、46才の若さで亡くなられたとのこと。惜しいひとを亡くしました。

どこでもない遠いところ

2010-10-07 20:02:46 | か行の作家
小池昌代「わたしたちはまだ、その場所を知らない」読了



詩人で小説家である本作家の最新長編であります。僕の大好きな作家の一人であるので、わくわくしながらページを繰ったのですが…。


ちょっと期待外れでしたね。もちろん面白いんですが、あの短編集「タタド」のような、ぞくぞくするような興奮は味わえませんでした。


陳腐な言い方を敢えてするならば、学園物の教師と生徒の淡い恋(女性同士の)といった話なんですが、もちろん小池昌代ですからそんな甘ったるいラブストーリーにはしてません。そこに「詩」というモチーフが大きく介入していて、ここいらへんが小池昌代らしいというか、やっぱり詩が本当に好きな人が書いた小説であるということがよくわかります。


でもしかし…。自分にはあの「タタド」の衝撃が忘れられないのであります。



次作に期待!です。

稀代まれな人道主義者

2010-10-07 19:40:21 | あ行の作家
内田百「間抜けの実在に関する文献」読了



久世光彦の「百先生 月を踏む」を読んで、百熱が高まり、何冊か買った中でさて、どれから読もうかと思いをめぐらし、タイトルに惹かれてまず本書を選んでみました。


この本は、エッセイというか、内田百のいわゆる交遊録とでもいうべきものです。学生時代の級友、先生、また、自分が大学の講師になってからの同僚、盟友等々。亡くなってしまった方を悼むものが多いのですが、わけても最後に収められている森田草平との長年に亘る交友には胸を打たれるものがあります。


お互いによく飲み、議論を戦わせた仲であるのに、大学の騒動に巻き込まれ、期せずして敵対関係に陥ってしまった経緯が綿々と綴られています。決してそんなはずではなかった、森田草平は、学生や他の先生に担ぎ上げられて自分とやむなく敵対することになってしまったのだと、百は、あくまで森田をかばう立場で語っています。ここに百の森田に対する真の友情を見る思いがします。



そして白眉は百の息子の話です。若くして病死した百の息子が、病の床で父親に「メロンが食べたい」と言う。百は「ぜいたくを言うな、夏蜜柑でいいよ」と、それに応じなかったという話があり、その二日後に息子は亡くなるんですが、その思い出に百は「父として堪え難い」と言い、「それにつれて、あの時買って食べさせればよかったなど繰り言みたいな事を思っても、考えても意味はない」と述懐する。


死の床にあった息子にメロンを買ってきて食べさせてやることは、子供が、もうじきに死ぬということを認めることになると百は考えたのではなかったか。それは、父親として絶対認めたくないことであり、元気になってからメロンを食べさせてやりたい、その思いが「ぜいたくを言うな、夏蜜柑でいいよ」よいう言葉になって出たのではないか。その時の百の心中を思うと、胸がふさがれる思いがします。



全体としては、内田百がちょっとした奇人、変人の人であるので、その周りに集まってくる人も、やっぱりちょっとどこかおかしい人ばかりで、そのエピソードの数々に笑わせられました。



次は、小説を読んでみます。

人を赦し、強く生きる力

2010-10-07 19:14:33 | さ行の作家
志賀直哉「暗夜行路」読了



こんな有名な小説を未だ読んでなかったことがちょっと恥ずかしく、こっそり読んでみました。

しかし、これほどの長編とは思ってませんでした。文庫で564頁。ちょっとした厚さです。そして、本作品が志賀直哉、唯一の長編小説ということです。


読後、まず感じたのは、父と子の葛藤とか、主人公と妻の感情のすれ違いとかいろいろあるんですが、それよりもこの主人公であるところの時任謙作という男、職業は小説家ということなんですが、作中では自分の生い立ちを長編小説にしようと試みるものの、途中で挫折したり、雑誌に掲載するはずの小説を書けずに他の人に穴を埋めてもらう等、仕事らしい仕事を全くやってないんですね。にもかかわらず、あちこち旅行に行ったり、結婚してから京都に住むんですが、なんだか気軽に実家のある東京へちょいちょい行ってみたりと、どうやってお金の工面をしてるんでしょうかねぇ。いわゆる「高等遊民」というやつで、親の資産かなにかで食べているんでしょうか。

当時(大正時代)の庶民の生活というものが、どんな風なのか知る由もないんですが、この主人公は、案外気楽な立場のようです。



この小説を読んでいて、主人公である謙作が、悩みに悩み抜いて苦しんでいる様子を見ても、結局、金持ちのぼんぼんじゃん、みたいな気持ちがどうしても拭えず、感情移入することがなかなかできませんでした。


これは、去年から今年にかけて集中して読んだ、夏目漱石の一連の小説にも言えることで、自分の心の中でずっとわだかまりになっていました。




まぁ、それを抜きにして考えて読んでみると、なかなか深いテーマを包含した小説ではあります。


自分の出生の秘密を大人になってから初めて知らされたときのショック、結婚後、妻とその従兄とが過ちを犯し、それを知ったときのショック。しかし、謙作は、これを強い意志で乗り越えていくわけです。その心の動きは読み応えがありました。妻である直子に対する決意は胸に迫るものがあります。以下、引用します。


「直子を憎もうとは思わない。自分は赦す事が美徳だと思って赦したのではない。直子が憎めないから赦したのだ。又、その事に拘泥する結果が二重の不幸を生む事を知っているからだ。」


主人公である謙作が、いろいろな困難に直面しながらも、強く、またしなやかにそれを乗り越えて生きていく様が見事に描かれている物語です。これを「恋愛小説」であるという見方もあるようですが、なるほど直子を妻にめとるまでの様子、また、それ以前の謙作の何人かの女性に対する思い等、「恋愛小説」として読んでも、充分読むに耐え得る名作であると思います。


まぁ「しょせん金持ちのぼんぼん」というのは、到底それに近づけない私のひがみということにしておきます(笑)

9月のまとめ

2010-10-07 19:02:14 | Weblog
9月に読んだ本は、以下の通り




山口瞳「男性自身シリーズ――英雄の死」
岡崎武志編「夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選」
久世光彦「百先生 月を踏む」
久世光彦「むかし卓袱台(ちゃぶだい)があったころ」
中島義道「エゴイスト入門」
ガブリエル・ガルシア・マルケス著 鼓直/木村栄一訳「エレンディラ」
山崎ナオコーラ「浮世でランチ」
古川日出男「ハル、ハル、ハル」
小林信彦「昭和が遠くなって――本音を申せば③」
赤瀬川原平「目玉の学校」


以上10冊でありました。

今月も収穫の多い月でした。野呂邦暢の随筆、マルケスの短編、小林信彦のエッセイ等、心に残るというか、心に沁みる作品に多く出会えました。ナオコーラの「浮世でランチ」と古川日出男の「ハル、ハル、ハル」は、ちょっと残念でしたが…。


さぁ、読書の秋です!10月も読むよ!(って年中読んでますが)