富岡多恵子「砂に風」読了
昭和56年に文藝春秋より発刊された長編です。大学を卒業した山上江見子は公立中学の教師になるべく採用試験を受けるが、見事に落ちる。そして、つてを頼って私立の男子高校にもぐり込むことになるのだが、もともと英語の教員のつもりだったのが、そちらの空きがないということで不本意にも日本史を教えることになる。
その女教師 山上江見子の鬱屈が綿々と続いていきます。フェミニストの富岡氏らしく、男子校という男共の集団に女一人を配置し、いやでも「女」というものを読む者に意識させます。江見子の考える女の自立、女の性、娘と母親というものがずっと書き連ねとてあるんですが、そのあたり、正直言ってちょっと退屈でした。がしかし、中盤あたりから登場する売れない画家、タケゾーとからむあたりからにわかに面白くなってきました。
小さな画廊で見かけた水彩画に「ナニカ」を感じた江見子は、その絵描きに手紙を書くわけです、するとすぐに返事が来る、そしてまた出す、また返事が来る、という具合にエスカレートしていき、ついには二人は実際に会うことになるんですが、これがまたまさしく貧乏を絵に描いたような男で、それを隠そうともしない。少なからず江見子は失望するんですが、なぜか二人の関係はだらだらと続いていきます。これが富岡の言う「女の性(せい)」なんでしょうか。
結局最後は破局するんですが、このあたりのいきさつ、大小の事件、なかなか面白かったです。富岡多恵子の45才の時に書いた作品ということを考えると、女の性、女の自立というテーマを選んだのもうなづけます。
佳作でした。