井上荒野「グラジオラスの耳」読了
町田康の顰に倣って今一度読んでみようと手に取ってみた次第。
井上荒野、初の作品集で五つの短編が収められています。
改めて読み返してみて思うのは、最初からとんでもなくすごい小説を書いたんだなという驚きです。
彼女のプロフィールを見てみると、この短編集を1冊出したきりで長いブランクに入ってしまうんです。次の「もう切るわ」を執筆するまで、実に12年もの期間を要しています。
私が思うのは、「グラジオラス――」という作品集は、あまりにも父・井上光晴を意識しすぎて、文体、作品に漂う空気というものがひとつの完成をみてしまったのでは、という気がします。
私個人としては、井上光晴の持つあのいわく言いがたいテイストが好きなので、それを娘の荒野が見事に受け継いだと思い、諸手を挙げて歓迎したい気持ちだったんです。
しかし、彼女はそれをよしとしなかったんでしょうね。「グラジオラス――」を書いたあと、井上荒野自身の世界を確立すべく、もがいて苦しんで12年かかってやっと「もう切るわ」でひとつの形をみたのではないでしょうか。しかし、「もう切るわ」も、いくぶん光晴のイメージは残ってますが。
そして彼女は、試行錯誤を繰り返しながら作品を生み続け、そしてついに先の直木賞受賞作である「切羽へ」で彼女の小説世界を完成させたのではないかと思います。
参考までに井上荒野の作品を発表順に並べてみます。
1989 わたしのヌレエフ(グラジオラスの耳)
2001 もう切るわ
2002 ヌルイコイ
2003 潤一
2004 森のなかのママ
2004 だりや荘
2005 しかたのない水
2005 誰よりも美しい妻
2006 不恰好な朝の馬
2007 学園のパーシモン
2007 ズームーデイズ
2007 ベーコン
2008 夜を着る
2008 切羽へ
こうしてみるとよくわかるのですが、最初の「グラジオラス――」(「わたしのヌレエフ」)でいきなり密度の濃い、ある意味パーフェクトな作品を書いてしまって壁にぶち当たり、12年間悩み、悶えて「もう切るわ」を書き、それ以降はコンスタントに作品を発表し続けている、という流れです。
荒野作品をほとんど読んでいる私としては、こんな分析もあながち見当はずれではないのでは、と思っております。
しかし心配なのは、「切羽へ」で井上荒野の世界を完成させてしまった後、また行き詰ることがあるのではないかということです。井上荒野に魅せられた熱心な読者としては、それが杞憂に終わることを願うばかりです。
町田康の顰に倣って今一度読んでみようと手に取ってみた次第。
井上荒野、初の作品集で五つの短編が収められています。
改めて読み返してみて思うのは、最初からとんでもなくすごい小説を書いたんだなという驚きです。
彼女のプロフィールを見てみると、この短編集を1冊出したきりで長いブランクに入ってしまうんです。次の「もう切るわ」を執筆するまで、実に12年もの期間を要しています。
私が思うのは、「グラジオラス――」という作品集は、あまりにも父・井上光晴を意識しすぎて、文体、作品に漂う空気というものがひとつの完成をみてしまったのでは、という気がします。
私個人としては、井上光晴の持つあのいわく言いがたいテイストが好きなので、それを娘の荒野が見事に受け継いだと思い、諸手を挙げて歓迎したい気持ちだったんです。
しかし、彼女はそれをよしとしなかったんでしょうね。「グラジオラス――」を書いたあと、井上荒野自身の世界を確立すべく、もがいて苦しんで12年かかってやっと「もう切るわ」でひとつの形をみたのではないでしょうか。しかし、「もう切るわ」も、いくぶん光晴のイメージは残ってますが。
そして彼女は、試行錯誤を繰り返しながら作品を生み続け、そしてついに先の直木賞受賞作である「切羽へ」で彼女の小説世界を完成させたのではないかと思います。
参考までに井上荒野の作品を発表順に並べてみます。
1989 わたしのヌレエフ(グラジオラスの耳)
2001 もう切るわ
2002 ヌルイコイ
2003 潤一
2004 森のなかのママ
2004 だりや荘
2005 しかたのない水
2005 誰よりも美しい妻
2006 不恰好な朝の馬
2007 学園のパーシモン
2007 ズームーデイズ
2007 ベーコン
2008 夜を着る
2008 切羽へ
こうしてみるとよくわかるのですが、最初の「グラジオラス――」(「わたしのヌレエフ」)でいきなり密度の濃い、ある意味パーフェクトな作品を書いてしまって壁にぶち当たり、12年間悩み、悶えて「もう切るわ」を書き、それ以降はコンスタントに作品を発表し続けている、という流れです。
荒野作品をほとんど読んでいる私としては、こんな分析もあながち見当はずれではないのでは、と思っております。
しかし心配なのは、「切羽へ」で井上荒野の世界を完成させてしまった後、また行き詰ることがあるのではないかということです。井上荒野に魅せられた熱心な読者としては、それが杞憂に終わることを願うばかりです。